2014年08月19日

東京物語

小津という様式



評価:★★★★★ 5.0

三島由紀夫が純文学の大家を評して「あの人は芸がうまいから・・・・」と言った事があった。

なるほどと思った。

芸術家とは芸が上手い人なのだなと・・・・・

小津安二郎の映画を見るとき、この言葉を思い出す。
自らの「映画様式」を研ぎ澄まし、芸として確立した小津の作品群は、特に後半は同じテーマの繰り返しのように思われるかもしれない。
しかし、歌手が同じ歌を歌うように、画家が同じ絵を何枚も書くように、小津は自らの様式を本人にしか分からないコダワリを持って、突き詰めていったのに違いない。
その「様式」が力を持つからこそ、ストリーが単純であっても、いや、単純であればあるほど、その様式が際立ち沁み込むように思われるのだ。

ここまで「様式」が「芸」として上手くなってしまえば、小津は何も考えずにその「様式」を再現できたに違いない。
しかし、小津の凄いところは、自分の様式を追求し続けて飽きる所の無かったことだ。
例えば、コーヒーカップのスプーンの回し方を右4回左4回と決めてみたり、赤い薬缶が右から左に平気で移動してみたりするのは、全て小津の持つ美意識に近づけるために必要な作業なのだ。

結局、そこまで「芸」を突き詰めてしまえば、その芸をしている本人以外は、上手くいっているのかどうかすら、分からなくなってしまう。
事実「秋刀魚の味」に出演した岩下志麻は、その演出のあまりの細かさにノイローゼになりそうだったと語っている。

もう出演者すら、監督の意図が分かっていないのだ。

結局、芸術家の芸はその本人が内に持つ「美」を、100%表現するために行われるパフォーマンス=表現行為であれば、その出来上がった芸術の価値は本人にしか判断できないし、洗練の度が上がれば上がるほど、その作家の「様式美」として結実していくに違いない。

しかしある人間が、一生をかけて、心血を注ぎ打ち込んで築き上げた形を他人がどうこう言えないし、また言ったところで、厳然として屹立している姿は揺らぎようもない。

つまりは、黙って拝見させていただくという態度しか、取りようがないように思う・・・ 

この「東京物語」は他の小津作品に比べて、テーマとストーリーが強いのでちょっと異質な気がします。
小津監督としては珍しく、喪われた美しきモノを原節子が代表し、戦後日本の醜悪な姿を東京の子供たちが表す、はっきりとした対立構造が描かれます。
そんな対立の間で端正な佇まいを崩さない笠智衆に、日本の心の在りようを見るような気がします。

言葉にしてしまえば陳腐になってしまいますが、それを映像の中にしっとりと染み込ませセリフよりも雄弁に、間やモンタージュで表現されます。
 
言わずとも判る、ただあるだけで、了解される・・・

そんな小津の「様式」が、そのまま日本古来の美を表現した「様式」である事が、この映画なら分かりやすい形で示されている気がします。



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posted by ヒラヒ・S at 20:33| Comment(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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