2014年09月03日

あの日の指輪を待つきみへ

連鎖の終わり〜「リング」の始まり?



評価: ★★★ 3.0

「Closing The Ring」というのが原題です。

それは「終りの指輪=リング」という意味と「連鎖の終わり」という意味があるように思いました・・・・
運命の連環を断ち切ることは、本当にむずかしいことでしょう。
とくに過酷な人生はその影響を、遠くにまで運んでしまうようです。

人の世のどうしようもない運命を描いてせつない。

人を想い続ける事が、なぜかくも地獄と成り果ててしまうのでしょう。

恋・・・・誰かに焦がれて、自分を変容させてまでその相手に添おうとする意志。
その途上で断ち切られてしまえば、恋に空けた心を抱え、永遠にさ迷う運命なのでしょうか。

欠けた痛みに耐える当人だけではなく、その痛みを見続ける周りの人々も、またその痛みを引き継いで・・・・・

どこまでもつながるその連鎖の苦しみ・・・・・

そんな相克と、その解放を描いたこの映画のテーマ性と俳優陣の演技に対して☆3.5です。
・・・・・・・・・・・・が
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!!!!!!!!!!!!!意向ネタばれが有ります!!!!!!!!!!!!!!!
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マイナス☆2の追及です。
根本的に脚本としての混乱があるように思うのです・・・・


この映画では、第2次世界大戦で戦死した恋人を思い続け、その人生を止めてしまったヒロインが描かれます。
彼女は恋人の死後、死んだ恋人の友人と共に暮らし、一女をもうけます。
しかし、その夫と呼ぶべき50年共に生活した男性が死んですら、感謝しているとは言っても愛を口にする事はありません。
その理由は、死んだ恋人を思い続けているからなのです。
しかし50年の時を経て恋人の死を受け入れたこのヒロインは、過去の想いから解き放たれ、もう一人の死んだ恋人の友達(ずっと彼女を思い続け、それを秘めていた)の愛を受け止めるという物語です。

その意味する所は、失ったものに対する深い執着が、周囲に不幸をもたらし、ひいては不幸の連鎖を生む。
それゆえ喪失を受け入れる寛容によって、己も周囲も救われ、新たな歩みを始められるという事かと解釈しました。

しかしこのストーリーの中で疑問だったのは、50年連れ添った実質的な夫とその間に生まれた娘に対して、愛を感じていないという描写です。
それは、過去の恋を生き続ける以上、必然的な主人公の心的状況であり、また50年間死んだ恋人を想い続けているという証明でもあります。

しかし、ここで問題なのは「夫と娘」に対して、ストーリーの上で救済がなく、ただ主人公の一途(依怙地)な思いの証左として現われて、そのまま捨て置かれます。
この二人を救わなければ、主人公の50年は、結局彼女の「わがまま」ゆえの無為な時間になり、見る者の心に苦味しか残らないような気がします。
ここで語りたかったヒロインの「一途な純愛」の証拠として、近親者二人を不幸にするドラマ的必然性があったとは思えないのです。

例えば、思いだすのは日本の戦争未亡人の話です。
その人は、80歳を過ぎた今でも戦争中に戦死した許婚を心に住まわせ、そのまま一生を終える覚悟だと言います。
その間どんなに見合い話が来ようと、求愛されようと「私には決まった人がいるから」と、受け入れられなかったそうです。
実際の思い出は、二人で会ったのが数回、許婚の写真1枚、許婚の吸ったたばこの吸い殻3本、が全てです、手も握った事もないその相手を、ずっと心の中で住まわせ育てて来たのでしょう・・・・・

そんな形で「一途な純愛」を描くことも可能だったと思うのです・・・・・

あまつさえ、この映画では、ヒロインが恋人の死を受け入れた後では、別の男性の愛を受け入れるとあってみれば、「死んだ夫」は浮かばれません・・・・・・もしかしたら、この映画「終末のリング」が序章で、次回作は「リング〜貞子と死んだ夫リターンズ」なんてことはないでしょうから・・・・・・

この題名「連鎖の終り」を描くのに、この脚本がベストだとは思えなかったというお話でした。



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posted by ヒラヒ・S at 21:00| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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