2014年09月05日

アリス・イン・ワンダーランド

不思議の国のティム・バートン



評価: ★★★★ 4.0

この映画は、ある程度見る観客を選ぶような気がします。
成人男性はまず面白くないでしょうし、お坊ちゃん達もなかなか・・・・成人女性で入り込める方も限られのではないでしょうか。

という事で主な観客層は「お嬢様」方という事になろうかと存じます。

それゆえ、お嬢様方以外の観衆にとっては、さほど魅力的に見えないかとも思うのです。
しかし個人的には、ティム・バートンという監督のファンタジーに対する意思が明確に表現された、見過ごせない一本だと思うのです。

この映画は、「鏡の国のアリス」「不思議の国のアリス」の後日談です。
もう、結婚適齢期を迎えたアリスは、幼いころの冒険を忘れてしまっています。
そんな大人になったアリスは、社会の良識に沿った、しかし自分の意に沿わない結婚を求められています。
そんな時、不思議の国に舞い戻る事になって、その国の救世主としての役目を求められるというお話です。

つまるところ、少女が試練を超えて自立する姿を描いた、成長物語なのです。

この筋立てだけを見れば、ディズニーアニメにしても全然おかしくない、素直な物語に違いありません。
しかし、実際はこのシンプルなストーリーの、そこかしこに意図的に引っ掛かるイメージをティム・バートン監督は埋め込みます。

そして出来上がった世界は、爽やかというよりはコッテリと濃厚な、美しいというよりは毒毒しい、どこか悪夢めいた世界観を持つものです。
このファンタジー世界は、ディズニーアニメとは一線を画すものですし、おとぎ話の故郷ヨーロッパ中世世界のイメージにより近いとはいえ、微妙に違う気がします。

変な印象ですが、アメリカの大衆SF雑誌のイラストのような猟奇性を感じます。

昔のSFは「言葉=文章」がメインにあって、そこに乏しい「ビジュアル・イメージ」が付随しているため、読み手の空想を特別刺激したといいます。
その言葉で表わされた「未来」や「幻想」は、見る者一人一人の心の中で強く大きく育っていったのではないでしょうか。

その世界観は「トワイライトゾーン」など、アメリカのTVシリーズなども、同様の効果を持ったように思います。
白黒の解像度の悪い画面の中に繰り広げられる、不可思議な世界は、見る者の心を実際の映像以上に彩ったに違いありません。

そんなイメージの翼を大きく広げた少年の1人が、ティム・バートンではないかと想像するのです。
なぜなら、彼の作品に通低するビジュアル・イメージに対する飽くなき追求は、画面全てが彼の心象風景かと思えるぐらい、細部に至るまで作り込まれています。
そしてまた、そのイメージは往々にして少年期に受けた、どこか誇張され過剰な表現と共に在るように思います。
例えば、このアリスの世界における白の女王の美しくも、澱みを隠した姿はティム・バートンの精神世界の歪みを映して魅力的です。
このキャラクターには、少年が美しい女性の中に見出す、何がしかの恐怖が滲んではいないでしょうか。

そんな心象世界だと思えば、ティム・バートン作品の中でジョニー・ディップが常に「仮装=仮想」として作品中で動くのは、監督本人の代理人として映画内で存在するように思います。

そう思えば、この偏執的な世界はマッド・ハッターのどこか狂気を宿した剣呑さとともにあるように見えます。

個人的には、この映画と「チャーリーとチョコレート工場」には、そんなティム・バートンの少年期に受けたイメージが結実した、彼の心象風景が最も純粋に現れているように思います。

やはり幼少期より、心の中で何千何万とキャラクターを組み立てたり、世界を構築して、その中で遊んだ人間にしか、こんな完成度を持った異世界を成立し得ないように思えるのです。
そういう意味でティム・バートン作品とは、幼少期に培ったイメージを完璧に映像化する術を勝ち得た、稀有の例とも思えるのです。



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posted by ヒラヒ・S at 21:45| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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