2014年09月08日

マルホランド・ドライブ

デビッド・リンチという抽象異世界



評価: ★★★★★ 5.0

いきなり別の映画の紹介で恐縮なのだが、「ストレイト・ストリー」という同監督作品があって、本当にストレートな話なのだが、正直面白くなかった。
まるで、リンチ的な迷宮感がないのである。
しかし、それでわかったのは、デビッド・リンチというのはヒネクレタ変人に違いないという事だ。
つまり「ストレイト・ストリー」のように普通に話せるくせに、わざと訳の分からないことを囁いているのだ。
こういう人の言葉をそのまま信じてはいけない。
ヒントや答えがどうとか、犯人がどうとか、その意味する映像は裏を回って正面だったり、言葉は嘘の塊で、音楽が印象的なくせにただのフェークとして流れたりする。

そもそもイギリス人だし、相当いたずら好きなのは間違いない。

勿論、監督が意図を持って戦略的に混乱を作り出していると考え、その混乱を再構築し「ストレイト・ストリー」に直そうと試みるのは、見る者の自由だ。
 
しかし、ピカソがゲルニカの絵を反戦の意志を持って描いたとしても、どう見るかは個人に委ねられ、作者の表現しようとした意図に添おうと添うまいと、どちらでも構わない。

何故なら、すでに現代絵画が具象を捨てて、色と形象の純粋な大海に乗り出した時に、書き手がどう理由をつけようが、描かれる絵とそれに対応する答え=「表現者と観賞者の間に共通の了解事項の成立」はありはしないのだ。

ソコにあるのは絵に対応する、見る側の心的印象だけだ。

そして、デビット・リンチの映画も俳優が出てストーリーが語られているように思うから混乱するのであって、ただ目の前の映像シークエンスを抽象絵画のように眺め、その目前の光景が己の心をどう刺激し、結果として生まれる自らの心に映った心象の有り様を、純粋に見つめるのが正しいのではないか。

つまりリンチの作品は、抽象映画(今勝手につくった)として優れていると、個人的に解釈している。

しかしそう割り切っても、リンチ実体験から言えば、実際に目前で繰り広げられている映像自体の歪んで、捩じれた、不安定な、撹拌された混乱が、観客の内面に生成された内的映像と、映画内で現れた映像はともに、虚であり実であり、さらに現実世界の実像と呼ばれているものが、所詮は脳内で再構築された虚像にすぎないとき、結局現実世界とは何なのかという、合わせ鏡の無限ループに溺れそうになる。

という混乱した文章になってしまうのである・・・・

そういうときは、この変な人が困っている館客を見て「ヒッひっひっ」と笑っている姿を想像して悔しがるのが、正しい鑑賞法であろう。

だってしょうがないでしょう、この混乱がかくも美しいのだから。

ちりばめられたカオスの果てに自らが万華鏡の中でさ迷うような浮遊感覚の甘美さを知ってしまったのだから・・・・・・

特にこの映画は、ドラッグの酩酊感に似た、リンチ感をたっぷり味わえます。
そうした酩酊の果てには、自らの心の迷宮でさ迷う、もう一人の自分を見出すでしょう・・・・


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posted by ヒラヒ・S at 21:43| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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