2014年09月10日

深呼吸の必要

深呼吸、そしてまた普通の呼吸の必要。



評価:★★★★ 4.0点

宮古島の自然が若者達の心を変えていく、その過程がゆっくりと静かに、まるで深呼吸のように見る者に浸み込んでくる・・・・・そんな映画です。

それぞれ多かれ少なかれ問題を持った若者たちが、沖縄のサトウキビ収穫のアルバイトで一夏を過ごす、その過程で心の在り様を変えていく姿が丹念に収められていて感動的です。

出ている出演者も、香里奈、谷原章介、成宮寛貴、長澤まさみ、大森南朋なんて人たちが、映画の語る所に溶け込むがごとく演じています。
特に、成宮寛貴、長澤まさみ、の2名はホントにエンドロールで名前を確認するまで分からなかった位、実直で地味な演技で監督の演出に良く答えているように思いました。

この映画で語られる、自然の中で仕事をする「第一次産業」を通じて人間的に成長するという一種古典的なテーマながら、沖縄宮古島の自然と、決して誇大にしない演出、必要最小限の脚本の効果、そして何よりも実際の農作業の描写によって、頭ではなく体感としてテーマを肯定させる力を、この映画は持っていると感じます。

結局「自然を相手にした労働」というものが、人を癒す力を保持しているのだという確信ゆえに、監督は演出を最小限に留め「労働」の描写を出来得る限り
加工せず、丹念に、丁寧に見せる努力をしたのではないでしょうか。

考えてみれば、採集にしろ農耕にしろ自然の恵みを得る事で、人類は生き長らえて来たのです。
その何万年もの記憶は遺伝子レベルに書き込まれているに違いありません。
それゆえ自然の中で労働しその糧を得る事が、素直に喜びとして在るのです。

逆にこの映画や都会に暮らす若者達のように、自然から離れて生まれ育ち、肉体労働をするという経験をしていない人たちは、どこか歪みが生じないかと問いかけられているようにも思います。

いずれにしても、この映画の語る、人が本来持つ「営み」の大事さは十分説得力を持って伝わってきました。


しかし、残念ながら疑問点が一つあって★マイナス1としました。

その疑問とは、この若者達は農業を通じて再生を果たすかもしれません。
しかし、その意味は人生の中で立ち止まって、ゆっくり自分と向き合うための、深呼吸としての役割だと語られています。
彼らは農作業=農業を通過して、自らの人生に立ち返ることができれば、それで終しまいかもしれません。

しかし、この映画の「おじい」や「おばあ」のように、農業に全人生を賭けて生きてきた人達がいます。
第2次大戦前の1937年には62%の農業従事者がいて、戦後の1950年でも56%だった農業人口は、年々減少し続け2013年には日本国民の4%にまで落ち込み、しかも高齢化が進んでいるのが現状です。

正直日本の農業は絶滅の危機に瀕していますし、たぶんこの流れは変わらないでしょう。
私の周りにいる、農家出身者はあんな辛い嫁の来てもない仕事をやりたくないといいます。
つまり、このまま農家の息子が農業を営むという過去の流れのままなら、彼らが後を継がない以上この映画のおじい・おばあの年代が最後の農民となっていきます。

この事実を踏まえたとき、この映画の若者達の誰か一人でも生涯農業に携わりたいという表現が欲しかった。

ただ通過するだけではなく、農業の素晴らしさに目覚めて次代を担うという未来を描いて欲しかったというのは、望みすぎでしょうか。

もっとも農業に生きる者を描くとすれば、農業の辛い現実、経済的困窮、過酷な労働、産業的不合理、職業的賤視など、なぜ農業農家がかくまで減少しなければならなかったの実態を描かなければならない事になります。

映画的になかなか難しい所かとも思うのですが、農業に人を再生するという力を認めるならば、農業自体の再生の道も示していただきたかっと思うのです。


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posted by ヒラヒ・S at 20:53| Comment(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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