2014年09月22日

ウインドトーカーズ

解読困難な暗号映画



評価:★★   2.0点

ニコラス・ケージとジョン・ウー監督のコンビで送る、本格戦争映画。
第2次世界大戦の激戦地、サイパンで繰り広げられるドラマ。
自らの失敗で仲間を殺してしまって、一人生き残ってしまった主人公にニコラス・ケージ、アメリカ軍の暗号隊員として米軍機密に属するナバホ族をアダム・ビーチが演じる。

激しい戦闘シーンが繰り広げられ、生々しい格闘は鳥肌が立つような迫力だ。

この映画の題材になった、ナバホ語による暗号部隊は実在しており、史実の物語でもある。

そして、暗号を守秘するためにはナバホの兵士を殺しても良いとの、軍上層部の命令が有るとき人種差別の問題と、組織の非情さを告発するものだ。

つまり、この映画には戦争の悲惨と、人種差別と、アメリカ軍部の犯罪と、そして主人公の苦悩が語られ、正直何一つ解決されない。

結局この映画は、本来であればソレだけで一本の作品になるべき、テーマや素材をごった混ぜにして語ってしまったがゆえに混乱が生じたように思える。
その点では脚本が、第一の戦犯として断罪されるべきだろう。

しかし実際の映画を子細に見てみると、主題の錯綜はあるものの登場人物の感情的な流れは破綻を来してはいないのだ。
そこで気がついたのは、全体のストーリー以上にこの映画を分かりづらいものとしている要素の存在だった。

それはアクション=戦闘シーンだ。

本来ドラマのアクションというのは、その登場人物の感情的な抑揚の結果として、その怒り、正義、邪悪、狂気が爆発する場として在るはずだ。

しかしこの映画におけるアクションは、それまでの心理的なシークエンスと乖離した形で表わされているように感じられてならない。

この映画全体のストーリーや登場人物はその心理的な葛藤を真摯に語っているにもかかわらず、その感情の流れに関係なく登場人物たちはアクションにおいては、英雄的で超人的な大活劇が始まってしまう。

結局このスーパーヒーロー的な活躍が、映画全体の文脈と相反するベクトルとして存在するために、映画としてどう見るべきかが観客に伝わらないという結果になったのであろう。

静かな人間ドラマがいい雰囲気だっただけに、それに見合うアクションシーンを演出できたならば、説得力を持った映画になったとおもうと残念である。

とはいうものの、この映画が暗号を語っている以上、また何か他の情報が秘匿されている可能性も否定できないのだが・・・・・・・


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posted by ヒラヒ・S at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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