2014年10月09日

劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日

スクープ「タイムスクープハンター」



評価:★★★★ 3.0点

「タイムスクープハンター」衝撃の事実が発覚!!
この映画の興行的失敗の謎を追う!

TV版のプログラムの好調を受けて、堂々の「映画版」の作成だったが思ったより興行収益は振るわなかった。
その原因を取材していくうちに思いもかけない証言が出てきました。
今回のレポートはその失敗の本質を追究した報告である。

NHKで放送していた番組の内容と同様、未来のタイムスクープ社から過去の庶民の暮らしを調査し、過去の埋もれていた歴史を掘り起こすというスタンスは変わりません。
この歴史を生きた名もなき人々にスポットライトを当て、その姿をドキュメンタリータッチで追うというスタイルが新鮮で、TV番組的には好評を博したのです。

今回の舞台は「本能寺の変」から「安土城の焼失」を扱ったもの。
しかし、本能寺の変の真相を追うというような、歴史的大事件を扱わないのは劇中でも再三再四言及されている所です。
当作品の基本ポリシーに沿った形であればそうなるはずだ。

アマゾンから作品の紹介文を引用すれば
「幻の茶器を持つ商人(上島竜兵)を取材中、未来の武器を所有する山伏に襲撃され茶器の行方がわからなくなってしまう。
茶器を追ってさまざまな時代を行き来した沢嶋は、焼失する直前の安土城にたどり着く」
という事になります。

しかし脚本として疑問なのは、「安土城の焼失の謎」が組み込まれていたり、未来の改編というような本筋とは違う点でドラマを強調するというストーリーになっている事です。
この点を脚本家に率直にぶつけてみましょう。

質問「この脚本だと大事件を扱わないと言いながら、明らかに扱ってるように思いますが」
回答「・・・・・・」
質問「おまけに歴史が変わってしまうという、今までの番組の本筋とは言えない所で、無理やり話を盛り上げてませんか?」
回答「・・・・・・」
質問「これは、ある種あざとさともみえますが」
回答「・・・・・・」

残念ながら答えらしきものは得られません・・・・・以下は推測ですが、TV番組としてのコンセプトで映画製作をすれば、映画として地味すぎまた時間も長すぎるためドラマを盛る必要からした事だと思うのです。

そこで問題になるのは、そのドラマを強めた操作が作品としての表現力に結びついたかどうかでしょう。
すでに取材した観客の多くの意見は、期待していたものと違うというものでした。
中には明快に、TV版の歴史の小さな事実の掘り起こしを期待していたという観客もいて、想像していた内容とは違ったという事実を裏付けていると思われます。

往々にしてTV番組を元にした作品は、映画になった時にTVがヒットした要素が失われているケースがあり、これも同様のケースと思われます。

さらに映画版で気になった事実を追求してみます。

本来この作品としての狙いは、再三言うように、忘れ去られてしまうような歴史上の事実をドキュメント形式を擬して、リアリティを持って伝えるという点にありました。
そのコンセプトに基づいて、手持ちカメラなどドキュメンタリー風の映像を使っているのは本作も同様です。
しかしこのコンセプトを裏切ってしまった要素が、映画版にはあったという指摘があります。
評論家の一人は、出演者が問題だと述べていました。
質問「問題とはどういうことでしょうか?」
回答「TV版では制作費の問題もあるだろうが、無名の役者を使っていただろ。そして、その事が無名の歴史上の人物を演じるのに好都合だったよね。下手な演技も、急にインタビューされた一市民という形にうまくはまり、ドキュメンタリー調を作るのに効果を発しっておった。」

回答「しかし映画版になって、時任三郎・上島竜兵・ 夏帆・ ‎嶋田久作などをキャスティングしただろ。特に今作の主人公とも言うべき時任三郎は、堅実な演技で説得力がある。いい役者だ。本作のコンセプトも意識して、ドキュメンタリーの出演者の役柄を見事に演じている。」

質問「では問題ないのでは?」
回答「だが、演じてしまった。その確かな演技は、時任三郎という有名役者である事も含め、役者が演じているというメッセージを発してしまう。それは、他の歴史上の人物を演じた、上島竜兵、‎嶋田久作も同様だ。そして結果として、ドキュメンタリーとしての仮装を裏切ることになってしまった。」
質問「なぜそんな出演者にしたのでしょうか?」
回答「映画として撮るに当たって、無名役者ばかりで作品を作ってコケたらどうしようという恐怖があったと思う。」

この意見を率直にプロデューサに問いただした。
質問「TV版と同じように、歴史上の人物は無名の役者の方が迫真的だったんじゃないですか?」
回答「・・・・・・」
質問「やっぱり映画だから、それなりのネームバリューを欲したという事ですか?」
回答「・・・・・・」

やはり明快な回答は得られませんでした。

結局、取材を通じて、今回の映画の興行的失敗がどこにあるかを追求する事はかないませんでした。
しかし結局TV版の成功を、映画版に移しえなかった点は、映画というものの持つ怖さをまざまざと見せつけられたように思います。

このシッパイは製作者側の読み違いと!ア!何をする!やめ― ザァアアアアアアアアアア!ブチ!

(このレビュウはフィクションであり、現実的ないかなる団体・作品ともかかわりがありません。お許しください・・・・・)



スポンサーリンク
ラベル:要潤 時任三郎
posted by ヒラヒ・S at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック