2014年10月23日

映画『グリーンマイル』善良な者の救済を問う!あらすじと感想

偏嫌(ヘンケン)の一本



評価:★     1.0点

すいません。
この映画が私は嫌いです・・・・
偏愛という言い方がありますが、 偏った嫌悪感のようにも思うので、自分で偏嫌映画と勝手に名前を付けているのですが・・・・・

この映画を愛していらっしゃる方々は、お読みにならない方がよろしいかも知れません。

グリーンマイルあらすじ
大恐慌下の1935年、ジョージア州コールド・マウンテン刑務所の看守主任ポール(トム・ハンクス)は、死刑囚の担当だった。部下は信頼の置ける者達だったが、州知事の甥パーシー(ダグ・ハッチソン)は自分勝手な行動を取った。そんなある日、幼女姉妹を虐殺した罪で死刑を宣告されたジョン・コーフィ(マイケル・クラーク・ダンカン)という黒人が入所する。彼は手を触れただけで相手を癒す能力を持っていた。その能力でポールを治し、パーシーに踏み潰された同じ死刑囚のドラクロアが飼っていたネズミのミスター・ジングルズを救った。その翌日処刑されたドラクロアに、パーシーは電気椅子に長く苦しむよう細工し焼き殺した。
コーフィの奇跡を目の当たりにしたポールは外へ連れ出し、刑務所長ムーアズ(ジェームズ・クロムウェル)の妻で脳腫瘍のメリンダ(パトリシア・クラークソン)を救わせた。房に帰ったコーフィは、パーシーにメリンダから吸い取った病毒を吹き込み、復讐する。するとパーシーは錯乱し凶悪犯ウォートン(サム・ロックウェル)を射殺し、自身は廃人になった。実はウォートンこそコーフィーの事件の真犯人だった。そんな中、冤罪の身でありながらコーフィの死刑の時が迫る・・・・・・

(アメリカ/1999年/188分/監督フランク・ダラボン/脚本フランク・ダラボン/原作スティーヴン・キング)


もう一度言いますが、この映画を私は嫌いです。
アカデミー賞も取り、評価も高い作品ですが、見るたびに嫌悪感でたまらなくなります。

善良で正しい行いをしている人間が、罪を得ます。
この善人は自分が人から、冤罪を掛けられても善良であり続け、誰かを助けようとします。
この善人の行いで奇跡的に命を助かった人もいます。
周りの人間は彼が善人で、冤罪の中にある事を知りつつ、更に言えば彼に助けられているにもかかわらず、彼を死刑にします。
彼は善良ではありますが、あまり知能が高くありません・・・周りの人間がいろいろ助けてあげてしかるべきなのに。
周りの人間は彼に助けてもらっていながら、彼を見殺しにします。

もし、この善人があなただとして、あなたは納得できますか?
私は絶対できません。

なるほど、物語的には破たんが無いよう、上手く説明を付けてはいます。
ストーリーは1932年の大恐慌時代のアメリカで、死刑になる善人は知恵遅れの黒人です。
この時代の差別を反映して、黒人なら冤罪を受けても仕方がないという説明がされます。
また、この善人の方でも自らの超自然的な力を持て余し、もう終わりにしたいという言葉で死刑も止む無しという雰囲気を作り上げます。

そんなこんなの積み重ねによって、このストーリに素直に沿っていけば、この可哀そうな黒人の運命に憐憫を持って報いるしかないでしょう。

しかし、私は問いたい。

この冤罪による死を見過ごす、周囲の白人こそ犯罪者と呼ぶべきではないでしょうか?
この黒人のもつ神の力を、世のために使うよう努力すべきではないでしょうか?
この白人たちが真実を知っていながら、その真実を見ない振りしてこの黒人に同情するというのは、偽善以外の何者でもないのではないか。

そして、この疑問を追い求めていったとき、この映画の本質が見えたような気がします。

この映画には、人種差別の意識があると思うのです。

この黒人の立場になったら絶対納得できないこの映画を成立させるためには、白人トム・ハンクスの目線で、トム・ハンクスに同化するよう観客をうまく引き込む映画になっています。
それゆえ、本来のこの物語の主人公であるべき善良な黒人を後から登場させ、常に観客に見られる外部的な存在として黒人の側は巧妙に位置づけられます。

つまりこの映画の成立基盤は、「主人公=観客」が「被害者=黒人」の側とは関わりがないことが前提に成り立っているのです。
主人公は決して傷つかない安全な位置から、この善良な男が死ぬのを見つめます。
自分が傷つかない立場で人の不幸に同情することを、偽善と言わずなんと言うべきでしょう。

そして白人側から見れば、黒人の命がどうなろうとほんの少しの憐憫を催す程度のことでしかないのです。
しかもこの映画の黒人は知恵遅れという設定によって、この白人達を糾弾することもせずに、従順に白人達のルールに従って死につきます。
仮にこの黒人が「俺を助けてくれ!お前達を助けてやったじゃないか!何で助けてくれないんだ」こう言ったならば、白人側に突きつけられた苦い問いは、この映画を気持ちよく泣ける映画にはしなかったはずです。

こんな白人達にとって自分勝手な、手前勝手の映画を作って、しかもアカデミー賞まで与えるという、アメリカ社会におけるレイシズムの無意識さが怖いと感じます。

主観的な世界を作って、自分達の快感を作り上げ、さらに自らは決して痛みを感じない。
こんな他者に対する想像力の欠如が、差別を作るのだと思うのです。

それゆえ私はこの映画を嫌うのです。

ぜひ一度この善良な黒人の立場に立って映画を見て下さい。

私だったら、トムハンクスを最低でも殴ります。



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posted by ヒラヒ・S at 22:30| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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