2015年04月10日

アキラ

アキラの衝撃=「マンガから実写映画への越境者」




評価:★★★★★ 5.0点

いきなり手塚治虫の言葉から始めるのもナンだが、「アキラなんて全然新しくないでしょう。未来なのに現代と変わらないし、僕だったらもっと未来風景をいろいろ想像して画くな」と仰せだった(マンガの神様はホント負けず嫌いだったんです)・・・

モチロン手塚治虫のこの作品に対する評は、誠に正しい。
ストーリーも漫画的構造もキャラクターも、かつてのSFマンガの焼き直しだと言われてしまえば、真っ向から否定の声は発し難い。
しかし、手塚治虫になくて大友克洋にある、ただ一点においてこのマンガ は圧倒的な表現力を持ち得た。

それは画力、もっと細かく言えばその3次元を2次元化する上での、卓越したパースの力である。

この優れたパース画の力が、映画で言うFXやCGと同様の、マンガという仮想世界に圧倒的なリアリティを付け加えた。
例えば手塚治虫の生み出した数々の新しい世界観、例えば「アトム」の持つ未来世界が現実味を持って、見る者に伝えることが可能になったのである。

また大友克洋の絵に特徴的なこの優れたパース力は、なるほど、フランスのマンガ家「メビウス」の画風のマネにすぎないと言われるかもしれない。

しかし、この模倣者はやはり「メビウス」にない力を持っていた。

それは、日本マンガの伝統的な力、どんなジャンルの物語をも語れる「日本のマンガ様式」である。これはひとえに手塚治虫から始まるマンガ界の遺産に立ったものだ。
 本家「メビウス」が、その物語としてのバリエーションに幅がないのは、それだけの様式を持ち合わせないゆえである。

これまでの事から大友克洋の「マンガ」が「メビウスのパース画」と「日本マンガの様式」に多くを負っており、手塚治虫の言葉を借りれば「新しい要素はない」ということになる。

しかし、そうだろうか?

「組み合わせ=コンビネーション」の力こそ、芸術にとっての推進力だった。音楽にしても、絵画にしても、例えば他ジャンル(哲学、文学、科学)などの要素を導入したり、多文化(日本文化、アフリカ文化等)を取り入れることで表現の幅を広げてきたのである。

したがって、大友克洋の「マンガ」がその組み合わせによって、どれほどの表現をマンガおよびアニメに加えたかが重要になると思うのだ。

そう考えたときこの「アキラ」は、アニメとして表現されることで端的に「マンガの世界観」を「実写化」するための橋渡しをしたのではないか。
正確なパース画とはそのまま3次元の形を意味することを考えれば、実写映像はすぐ隣にある。

そういう意味で「日本のマンガ世界」を実写化する、またリアリティーのあるイメージを、見る者に与えることに成功した。
その表現世界が現実世界とリアリティを共有することで生まれた、「虚構世界」は「マンガ=アニメ」というジャンルを超越し、「サイバーパンク」の世界観として波及し、そのイメージは他ジャンルにまで及んだ。

 ある「文化的ジャンル」が他の文化ジャンルに影響を与える事を「文化革命」と呼ぶのは大げさに過ぎるだろうか・・・・・

この「アニメ」が「マトリックス」など実写映画の世界観に影響を与えたのは周知の事実だが、それ以上に「日本マンガ」を核とした文化的越境の道筋をつけた事にこそ、賞賛を贈りたいと思うのだ。

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ラベル:大友克広
posted by ヒラヒ・S at 22:45| Comment(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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