2015年08月25日

シービスケット

時代を担いしアイドル



評価:★★★★   4.0点

ある時代が必然的に欲する希望というものが、現実の姿を持って現れる事があります。
 
それを人々は「アイドル」と呼ぶのではないでしょうか・・・・・・
 
例えば、敗戦後の日本の希望は「力道山」でした。
アメリカの巨大なプロレスラーを倒す姿に、日本国民は自らの夢と希望を仮託し、力道山の活躍によって焼け野原を再建する活力を得たのです。

この映画のサラブレッド「シービスケット」も、まったく同じ作用を、大恐慌の打ちひしがれたアメリカ国民に対して及ぼしたように思いました。

この馬の生い立ちや、倒れてもまた立ち上がる姿が、失業中の今日の食事もままならないアメリカ大衆達の、それでも前に進むのだという「魂」を、そのまま現していたからなのでしょう。

この大衆、時代が持つ集合的欲望が一つの形に収斂していく、その欲望を仮託された「シービスケット」の姿とは、映画における「スター」と同じ構造なのではないでしょうか。

そう考えたとき、この大恐慌の時代にマスメディアが発達したことと「アイドルの誕生」が無縁ではないように思えます。
新聞、ラジオ、そしてニュース映画が大衆に届く情報メディアとして成立したことで、名も無き庶民が自らの希望を托せる対象を、見いだし得る条件が整ったといえるでしょう。

そしてまた、エスタブリッシュメント=上流階級の欲望が暴走した果てに「大恐慌」が起こったと考えれば、金持ちの馬に「シービスケット」が勝つというのはもはや、民衆の復讐と呼ぶべきでしょう。

この映画はその「スター=シービスケット」の疾走する姿の燦然たる美しさによって、人々の夢が結実していく様子が、アメリカが大恐慌からいかに立ち直ったかが、丹念な時代考証とキャスティングによって感動的に表されていると思いました。

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posted by ヒラヒ・S at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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