2015年10月09日

ラヂオの時間

「ラヂオの時間」という「映画の時間」



評価:★★★★   4.0点

脚本が素晴らしい。

こんな舞台脚本は三谷監督じゃなきゃ無理だろうな〜という事で+☆1
ナニモノかを集団で作るという仕事の本質がホントに上手く描かれていて、何か頑張って仕事しようという気になるので+☆1
出演者のキャラが全て立っていて、シチュエーションコメディでありながら、キャラクターとシチュエーションの相乗効果が素晴らしいので+☆1
渡辺謙の役が最後にキッチリ映画を〆て、しっかり感動させてくれるので+☆1

という事で大変おもしろく拝見させて頂きました。こっから先は無いものネダリですので、あまりお気にされずに・・・・・でマイナス1☆にまつわるイチャモンです。

三谷幸喜監督作品で私が好きなのって、よく考えて見ると、舞台劇の姿に近ければ近いほど好きって感じている事に気がつきました。それでこの映画も舞台劇を、映画に移植しているように感じます。

しっかりした脚本なのですから、うまい役者さんを使って舞台を再現すれば、面白い事は間違いないんですけど、ここからが、私のナンクセで・・・

そもそも舞台の再現記録だとしたら、絶対、劇場の方がオモシロいに違いないんです。
だって、生きた役者さんが目の前で汗をかきながら、ガンバってくれて、しかも次の瞬間は何が起こるか判らない、スリリングな状況です。
おまけに生身の役者さんと目と目が在っちゃたりした日にゃ・・・・・勝負は見えちゃってますでしょう。

そういえば初期の映画は正に、舞台劇をそのまま記録することもがあったようです。
ズームもなければカメラも動かず、延々舞台を写し続けるというスタイルで。
しかし、いかんせん無声映画の事、迫力の無いことおびただしく、これは何とかしなきゃってんで、カットを割ったり、ズームしたり、パンしたり、なんとか舞台のように劇的な効果を出そうとして、苦労・努力したんじゃないかと想像するわけです・・・

そうして独自の映画様式が確立して、映画でしか伝えられない感動を表現できるようになって、現代にいたると思うのです。
 
そこで、この作品を見たとき私には映画的というよりも舞台劇として、より成立しているように思えたのです。

それはいかがなモノかと云うのが、私のナンクセです・・・

生の舞台の方が、劇場で見た方が、オモシロいだろうと感じさせる映画って・・・・・・

ほんとに欲張りな話なのですが、例えば渡辺謙のクダリなどは映画でなければ表現できない演出ですし、映画的な手法を使えば「ラジオ劇」を実際に映像として表すことも可能だと思うのです。
 
映画である以上、映画的な喜びを求めてしまう貪欲な私なのです。

ということで「もっと映画を!!」というイチャモンで失礼ながらマイナス☆1です。


・・・・・・・終わろうとして、ちょっと気になることが出てきました・・・・・・作品名が「ラヂオの時間」で実際は[シネマの時間]なワケです。
 実はもうヒトヒネリして[シネマの時間]のように見せかけて「舞台の時間」だったりして・・・三谷監督ならやりそうだ・・・・


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posted by ヒラヒ・S at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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