2016年03月21日

それでも恋するバルセロナ

エッチが好きだ



評価:★★★★   4.0点

海外旅行の話をしていて一人の女性が、イタリアを歩いているとウルサいくらい男から声をかけられると言っていました。
するともう一人の女性が、いいやスペインのほうがトンデモナイといったあと、30秒ほど遠くを見つめて無言でした。

彼女の身に何事があったのでしょうか・・・・・・・

この映画はそんな、スペインのバルセロナを旅する二人のアメリカ人女性が経験する、ひと夏のアバンチュールを描いた映画です。

同時にそれは、アメリカ的な価値観と、ラテン的価値観の衝突だったでしょう。

はっきり言って世界観が違うのです。

アメリカ代表は、婚約者がいて倫理観の強い女性と、享楽的な価値観を持つ女性の、二人が登場します。
スペイン側は、画家の男と、その恋人です。

このスペイン代表が、ま〜いやらしい事。
動くだけでフェロモンが1km四方撒き散らされるぐらいの、濃厚さです。
この人たちは本気で「愛=欲望」の為だったら何でもするという覚悟がにじみ出てます。

いっそ清清しいくらい明確に、「エッチが好きだ〜〜〜〜〜〜〜〜」と絶叫しているようなモノです。
多分この人たちは、生まれてこの方「エッチが好きだ〜〜〜〜〜〜〜〜」という両親に育てられ、「エッチが好きだ〜〜〜〜〜〜〜〜」という友達に囲まれ、「エッチが好きだ〜〜〜〜〜〜〜〜」という彼女と「エッチが好きだ〜〜〜〜〜〜〜〜」と言いながらエッチをするのでしょう。

それがその文化圏の標準なのですから、人がとやかく言う筋合いではありません。

不思議なことに、見ているうちにタンパクな日本人であるこの私ですら、だんだんこんな生き方をして何がいけないんだろうという気になってきます。
エッチ、エッチと連呼しましたが、スペイン人に成り代わって言えば、人を愛するというとき「精神的な愛」なんてひじょ〜〜にうそ臭いと思いませんか。
お互いの心も体も貪りつくしてこそ、本当の愛だといわれれば否定できますでしょうか?
ということで、その文化にはその文化なりの正義が在るという事です。

ただし、問題なのは(全ての外交問題に共通しますが)そう考えない人々、文化圏もあるという事です。

たとえばこの映画のもう一方の主役、アメリカ文化の公序良俗というのは「キリスト経的禁欲」をベースにしています。
多少ユルくなってきたとはいうものの、基本的には人生の幸福とは、勤勉によって生活の糧を得て家族皆でつつましく暮らすというものです。
つまりは欲望を抑えて、勤勉で慎ましやかに生きるという人生観で生きているのです。

そんな、「エッチが好きだ〜〜〜〜〜〜〜〜」という人と「エッチが嫌いだ〜〜〜〜〜〜〜〜」という人が、ぶつかったときどうなるか、折り合いが付くかという問題が出てくるのです。

そしてこの映画で語られているように、だいたい、文化衝突の結果は「好きだ〜〜〜〜〜〜〜〜」という欲望・要求が強いほうに引っ張られるモンです。
ですから本来は、世界中がラテン系で埋め尽くされても不思議ではないのですが・・・・

じっさいはそうなっていないのは、ラテンの人の移り気な性格のおかげと、もうひとつはラテン文化で生まれ育っていない人々にとって、四六時中フェロモンシャワーを浴び続ける事が苦痛に感じてくるんじゃないかと、かってに想像してます。

それにしても、スペインもアメリカも同じキリスト教を文化の基礎においていながらこんなに違うんですから、文化交流っていうのはホンとに難しいことですね。

ということで、アメリカ人の「禁欲的なキリスト文化を背景に持つ」二人は、世の中には違う価値観で暮らしている人もいるんだな〜と感嘆しつつ、エッチばっかりではない国に帰っていきましたとさ。

「めでたしめでたし」ということかと・・・・・

しかし、この映画を見て「えっ?ホントにウッディアレン」とビックリしました。
正直、冴えないオタクっぽいあのウッデイ・アレンが、こんなセクシーでこんなフェロモンたっぷりの映画を撮れるなんて。

もっともユダヤ人ていうのも、欲望の量で言えばスペイン人に負けてないのかもしれませんね・・・・対象が「お金」か「エッチ」かの違いだけで。


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posted by ヒラヒ・S at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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