2016年08月29日

三谷幸喜映画『清洲会議』歴史は会議室で作られる・あらすじ・感想

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評価:★★★★   4.0点

教科書を読めば、本能寺の変で信長が斃れて、倒した明智を、秀吉が討伐して、何やらスレートに政権が移譲されたかのように思えるかもしれませんが、実は一寸先は闇という言葉もある通り、未来とは常に不確定なものに違いありません。
清洲会議あらすじ
本能寺の変で織田信長(篠井英介)は明智光秀(浅野和之)に討たれ、その明智光秀を羽柴秀吉(大泉洋)が討伐した。そして信長亡き後の織田家後継者を決定するための会議が、清須城で開催されることとなった。
文武両道の信長の三男・信孝(坂東巳之助)を筆頭家老・柴田勝家(役所広司)が推薦し、信長の次男で大うつけ者・信雄(妻夫木聡)を羽柴秀吉が推し、どちらが後継者として選ばれるかは、そのまま柴田・羽柴の織田家内の勢力争いであった。その跡目争いに関わる織田家の面々は、信長の妹・お市(鈴木京香)信長の弟・三十郎信包(伊勢谷友介)丹波長秀(小日向文世)、池田恒興(佐藤浩市)、そこに秀吉配下の黒田官兵衛(寺島進)や秀吉の妻・寧(中谷美紀)が絡み、味方勢力を広げる為に激しく争う。そして、ついに後継者決定の瞬間が訪れる・・・・(2013年/日本/三谷幸喜監督)



例えば、この映画で語られている清洲会議の開かれた時期とは、秀吉が光秀を倒したとはいえ、それは織田家の内紛を鎮めた功績で、秀吉がポイントをゲットしたに過ぎません。
そこで混乱した織田家中に、再び秩序をもたらす最良の方法を探って、会合を持とうというのがこの映画の背景です。
この時点で常識的に混乱を収束するのであれば、信長の嫡男を立てて筆頭家老柴田勝家、次席家老丹羽長秀が補佐をするのが本筋でしょう。kiyosukaigi_zu.jpg
現代社会に置き換えれば、社長が急死したらオーナー一族からトップを選び、副社長・専務が支えるというのが順当な組織維持というものではないでしょうか。


そんな順番から考えれば、いわば秀吉が天下を取ったというのは、営業部長が時期社長を擁立して、副社長・専務を追い落とし、ついには会社全体を我が物とするのに等しい、相当の荒業といえるでしょう。

しかも、最終的に合戦=喧嘩にまでいたったものの、本質的には会議室で弁舌によって歴史の流れは方向づけられたのだという真実が、ここには語られているように思います。
つまるところ喧嘩の決着の大勢は、会議室ですでにきまっているということでしょう。
さらに言えば、会議の前に結論が出ているという形こそ、日本的な根回し文化だと思うのです。
そんなワケで、歴史の真実に肉薄した大変興味深い一本だと感心しました。
そしてまた、この戦国時代を描きながら、言葉とコミカルな人間の葛藤を描いて、合戦シーンなど一切出さないところが三谷監督らしいなと感じました。

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そして、生意気ですが、この映画で初めて、三谷監督が映画らしい映画を撮ったと思いました。
実を言うと、これまでの三谷作品も楽しませて頂きましたが、どこか舞台劇のシッポがついて回ったような気がします。

例えば、三一致の法則では無いですが、場所・時間の統一性が映画にも関わらず几帳面に守られていたりします。
さらには脚本家らしく、言葉=セリフで全てを語り尽くそうという心意気は、舞台という閉ざされた場であればこそ力を発揮するでしょうが、映画内で展開されれば少々息苦しいと感じるのは私だけでしょうか。


この映画でも実は、出演者に均等に見せ場を与えたり、ドラマが展開される空間が狭いなど、舞台的な殻が残っているにしても、過去の三谷映画に較べれば「コマのつなぎや」「場面転換」など非常に映画的だと個人的には感じたということです。kiyosu_siro5.jpg

その上でハッキリと分かったことがありました。
それは、従来の三谷映画で感じていた違和感が映画的表現の有り無しという点が原因かと思っていたのですが、今回映画的技法を過不足なく取り入れた映画として成立しているこの作品でも、やはり映画的な違和感・不充足を感じてしまったという事でした。

誤解してほしくないのですが、この作品は十分面白いのです。

しかしその面白さは、映画的な「技術・演出・美術」という力によって、成立しているだろうかという問いです・・・・・

私としては、この作品の面白さは台本を基にした「劇=ドラマ」の骨格に多くを負っていると思います。
そしてまた、その劇の強さを映画的な力で増強できていないように感じ、その映画的な表現が効果を上げてない点に、違和感も感じ、残念だとも思うのです。

叱られるのを承知で大胆なことを言いますが、三谷監督はやはり映画監督として存在したいのでしょうか?

これだけすばらしい脚本を書けて、舞台演出でも十分力を発揮される方なのですから、映画監督としてガンバラ無くてヨイノデハと思います。kiyosumi.jpg
やはり映画の技術・話法というのは舞台の連続したシークエンスとは真逆にあり、舞台の技術に習熟すればするほど映画的ではなくなっていく方向に進むように思えてなりません。

しかし考えてみれば、舞台を映画化した作品に感銘を受けたことがほとんど無い、私のほうこそ、むしろ「映画的な力」に拘泥しすぎなのでしょうか?
正直よく分からなくなってきました・・・・・

長々と書いてきましたが、結局私が言いたいのは「素晴らしいドラマ」であるこの脚本を、更に映画的にパワーアップする余地があったような気がして「モッタイナイ」ということなのです・・・・・・・
実は、私の主張の正邪を確かめる方法があります。
それは純粋に映画監督として生きてきた方に、この脚本のまま撮っていただいて、三谷作品と比較・検証するというモノです。

さ〜誰に撮ってもらお〜かな〜
そんな想像するのも、なかなか楽しい(^_^)

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posted by ヒラヒ・S at 18:12| Comment(4) | TrackBack(1) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おっ(*‘∀‘)
珍しく知ってる作品です。今やってる真田丸も面白いっすね!
そういえば
明日から沖縄旅行に行くのでしばらく不在にします。
記事は書きためてるから勝手に予約更新しますが、不在ですのでよろしくです。
Posted by いごっそ612 at 2016年08月29日 20:30
こんばんは〜これおもしろそうだなぁ〜と思ってました。NHK
の「真田丸」を観てます(仕方ない)がおもしろいですわ♪( ̄▽ ̄)三谷幸喜さんは「王様のレストラン」が一番素晴らしいです!
Posted by ともちん at 2016年08月29日 20:37
>いごっそ612さん

ありがとうございます。沖縄楽しんできてください(///∇///)
ご迷惑かもしれませんので、コメント入れません。悪しからず(⌒‐⌒)
Posted by ヒラヒ・S at 2016年08月29日 20:56
>ともちんさん
ありがとうございます(^^)脚本家としては、一流だと思ってきましたが・・・・・・最近一本の映画を評価が変わってきました。近々書きます(^_^;)
Posted by ヒラヒ・S at 2016年08月29日 21:05
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