2016年09月18日

ビ−トルズの名曲が聞ける『ザ・ビートルズBOX』ポップスの歴史的証拠

世界を変えた4人

ビートルズ:The Beatles
ジョン・レノン、 ポール・マッカートニー、 リンゴ・スター、 ジョージ・ハリスン、を主要メンバーとして1962年デビューし1970年解散。英国内で販売された12作のオリジナル・アルバムの内11作が全英アルバムチャートで週間第1位を獲得した。シングルは22作を発売し、その内17作が第1位を獲得。ギネス・ワールド・レコーズに最も成功したグループアーティストと認定され、また「ローリング・ストーン・マガジンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」の第1位にランクされている。


評価:★★★★★  5.0点

このBOXセットを通して聞くと、ビートルズの偉大さが実感できる。
彼らの初期はR&Bのコピーバンドから始まり、最終的にはロックを含むポップスの多様性の萌芽を、全て提示しているのだ。

初期のビートルズを聞けば分かるとおり、最初は黒人のリズム・アンド・ブルースのコピーバンドだった。
ビートルズ「ロール・オバー・ベートーベン」

チャック・ベリーのオリジナル「ロール・オバー・ベートーベン」


しかし、ポール・マッカートニーとジョン・レノンの二人が自分達で作詞作曲を始めることで、ポップスの新たな歴史が始まる。
その初期の作曲ナンバーは、アメリカのリズム&ブルースの伝統に則った、ブルースコードのリフ主体の形式で作曲されている。
最初期のレノン/マッカトニー名義の一曲『One After 909』

初期のビートルズの米国での成功について、私見を述べさせていただければ―――
そもそもアメリカ国内では黒人差別の問題もあって黒人音楽に対する忌避感は、白人側に根強くあったと想像する。それゆえアメリカ一般社会への広がりは、プレスリーという白人歌手はいたものの、一部の若者からの支持に留まっていたのではないだろうか。
しかし、そんなアメリカ国内から遠く離れたイギリスからやってきたビートルズは、アメリカ人にとって黒人差別問題から自由な存在として現れたのだろう_76926031_000123391-1.jpg
そんな人種問題からフリーな外国籍の白人が歌うリズム&ブルースは一種の漂白作用をブラック・ミュージックにもたらし、アメリカでの普及に力があったのだと想像している。
またアメリカでビートルズが支持を得た理由の一つに、アメリカ英語の発音で彼等が歌っていたという事実を指摘する者もいる。また同時に、インタビューの際に話されるイギリス英語の響きは、英国英語に洗練と上品さを感じるアメリカ女性に作用し、彼等をアイドルに押し上げる働きをしたという。


彼等は、徐々にメロディラインを重視した曲を発表するようになる。
それは、黒人達のバラードに比べどこかクールな響きを持っているように感じる。
<『ハード・デイズ・ナイト』より「アンド・アイ・ラヴ・ハー」>

そもそも彼等は、ボーカルのハモリは初期から多用してきたし、それは彼等オリジナルのブルースに対するアプローチだったように思う。
<『ハード・デイズ・ナイト』より「ラヴ・ミー・ドゥ」ジョンとポールのハーモニーが美しい>

さらにはボーカルだけではなく、音楽自体も重層的なハーモニーや、ブルースコードを離れた自由なコード進行など、作品の形を初期のリズム&ブルースから見れば複雑で新たな世界観を構築して行き、そのイメージに合わせるために録音技術の進化革新を追及したりした・・・・・・

<『マジカル・ミステリー・ツアー』より「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」>


<「レディ・マドンナ」>

<『ホワイト・アルバム』より「へルター・スケルター」>


つまるところはシンプルなブラックミュージックのブルース様式に、ヨーロッパの音楽の伝統を加味する事によって生まれた、革新性といえる。 

結果としていえば、欧州音楽の形に翻訳される事でロック、ポピュラー音楽は世界的に普及していったとみなせる。そして、一度西洋音楽のスケールに翻訳され得れば、世界中の音楽がその体系に従って、ポピュラーミュージックとして成立する事となる。
結局ビートルズのもたらした音楽的なバリエーションの広がりが、今日のポップスの多様性を作ったといっても過言ではないだろう。
そういう意味でビートルズの成し得たことは、真に革命的でもあり前衛的であった。
beatoruzu.jpg

しかし、前衛的でいながら人気を得る事は、決して簡単な事ではないだろう。
更に驚くべきは常に成功し続け、後期の楽曲に関していえば、今日でも新鮮であり続けている事である。
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個人的に、このビートルズの音楽的な複雑さや革新の多くを担ったのは、スコアにレノン/マッカートニーと書いてありはしても、マッカートニーだったのではないかと想像している。

その解散の経緯を見ると、マッカートニーは常に継続を欲し、レノンは離脱を望んだ。
結局マッカートニーの作る曲が売れ、レノンの曲はさほどヒットしないという状況下で、レノンにマッカートニーに対する対抗心と嫉妬がありはしなかったか。

そのレノンにとっての閉塞状況に風穴を開けたのが、オノヨウコだったのに違いない。
johnlennonnymain.jpgそしてオノ・ヨウコによってジョン・レノンはビートルズのマッカートニーの引力圏から脱出し得たのであろう。

しかし、ポール・マッカートニーがビートルズを継続したがったのも分かる気がする。
というのも、ビートルズ後のマッカートニーを追ってみても、その楽曲はビートルズ時代が頂点だったように感じてしまう。

さらに個人的な感想をいえば、ビートルズの音楽的な前衛や芸術性を担ったのがポール・マッカートニーだったにしても、ジョン・レノンのカリスマ性と存在感パツションがなければ、ここまでその楽曲の表現が力を持ち得なかったろう。
ポールの音楽的な先進性を、ジョンの説得力によって伝えることで、感動的な作品・楽曲となりえたのだと信じている。

やはりこの二人の個性が、衝突、融合、混合、反発の化学反応を起こす事によって始めて、高く遠く広くビートルズの歌が世界中に届いたのだろう。

ほんとに、バンド活動というものの困難さと不思議さを思わずにはいられない。
バンドのメンバー間の相互作用という、不可思議なマジックは、メンバーの無限の組み合わせと同数の魔力を発生させ、それは唯一無二なのだろう。

それゆえ誰一人が消えたとしても、もう2度とその魔術は復活し得ないのだ。

今となっては、少なくともこの4人でしか成しえなかった奇跡が、ここにあるという事を素直に喜びたい。

最後に一曲を選ぼうとしたが、選べなかったので「ローリング・ストーン」誌の「オールタイム・グレイテスト・ソング500」で8位に入った"ヘイ・ジュード"を。
最初の1分ぐらいリハーサルの様子が入って、その後「ヘイ・ジュード」が始まります。


ま〜ゴチャゴチャ言いましたが、名曲ぞろいですので楽しめると思います。ハイ。

特報!!!ビートルズのドキュメンタリー映画2016年9月公開
リンク⇒映画『ザ・ビートルズ〜EIGHT DAYS A WEEK』公式サイト


<R&B関連レビュー>
『キャデラック・レコード』ブルースの歴史はアメリカの歴史


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posted by ヒラヒ・S at 21:20| Comment(6) | TrackBack(0) | ロック音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは!ビートルズ全体はわかりませんが( ̄▽ ̄;)ポールさんが好きです♪え〜と誰かがドアをノックしてるみたいな曲(曲名が不明)で好きになりました。「イルマーレ」もポールさんですよね。

全員(笑)のでは「イエロー・サブマリン」みたいなのが好きです。
Posted by ともちん at 2016年09月18日 21:51
>ともちんさん
ありがとうございます(^^)ドアをノックって言うと「ロングアンドワインディングロード」ですかね?→<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/JrcYPTRcSX0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
「ノックオンヘブンズドア」だとボブ・ディランですが・・・最近長すぎますかね・・・・?
Posted by ヒラヒ・S at 2016年09月18日 22:33
幸せのノック🎵でした😅やれやれ、、ええ曲🎵
長いの慣れました(ФωФ)
Posted by ともちん at 2016年09月18日 22:44
>ともちんさん
あ〜幸せのノック!ウィングス時代の名曲ですね(^^)
Posted by ヒラヒ・S at 2016年09月18日 23:13
ビートルズは流石の自分も知っています。
有名ですよね!
Posted by いごっそ612 at 2016年09月19日 08:03
>いごっそ612さん
ありがとうございます(^^)
ビートルズの曲は、映画に山ほど使われていますので、そのうち記事にしようかと思っています。
Posted by ヒラヒ・S at 2016年09月19日 13:46
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