2016年10月01日

映画『許されざる者』(1960年)ヘップバーンの西部劇の懺悔/解説・あらすじ・感想・評価

「西部劇」の懺悔



評価:★★★    3.0点

これはクリント・イーストウッドや、渡辺謙の「許されざるもの」では有りません。
ハリウッドの巨匠、映画の名職人、ジョン・ヒューストン監督の1960年作品です。

映画『許されざる者』あらすじ


テキサスで牧場を営むザカリー一家は、長男ベン(バート・ランカスター)、次男キャッシュ(オーディ・マーフィ)、3男アンディ(ダグ・マクルーア)、母親(リリアン・ギッシュ)、養女レイチェル(オードリー・ヘップバーン)の5人暮らしだった。しかしザカリー一家は、今は亡き父がこの地に入植した時に、インディアンとの間に確執があり、黒い噂があった。近隣の牧場主ゼブ・ローリンズがレイチェルを長男チャーリーの嫁に、長女をキャッシュの嫁にするという話がでたころ、エイブ・ケルシーという狂人がうろつき、再び一家の悪い噂を言い触らした。そんなある日、カイオワ族インディアンの首領ロスト・バードがザカリー家を訪ね、レイチェルは幼い時ザカリー家に奪われた妹だから、返してほしいと申し入れたが、ベンはそれを拒絶した。そんな時ゼブの息子チャーリーは、帰途待伏せたカイオワ族に惨殺され、それが養女レイチェルのせいだと思われ、ザカリー家は村で孤立無援になる。そして、カイオワ族がザカリー一家に襲い掛かる・・・・・

(アメリカ/1960年/監督ジョン・ヒューストン/脚本ベン・マドウ/原作アラン・ルメイ)

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映画『許されざる者』感想・解説



the unforgiven.jpg西部開拓者の一家の家長が、バート・ランカスター。
しかし、この人ももう昔の人ですが・・・・一時代を築いたハリウッドの大スターでした、豪快な肉体派と思われ勝ちですが、イタリアの名匠ルキノ・ビスコンティの映画に出るぐらい繊細な演技が出来る人です。

オードリー・ヘップバーンはバート・ランカスターの妹役。
落馬するほどのガンバリようで、ほんとにすごいスピードで馬を駆ってる姿を見るだけで、オードリーファンには一見の価値ありです。

オードリーは、脊椎を骨折して入院し撮影が中止された。更にこの事故が原因で、二度目の流産をしたという。

さらにサイレント映画時代からの大女優リリアン・ギッシュ
リリアン・ギッシュ(英: Lillian Gish、1893年 - 1993年)
サイレント映画時代の名女優。D・W・グリフィス監督と、サイレント時代の歴史的名作『國民の創生』や超大作『イントレランス』、更に1919年の『散り行く花』に出演。1930年代以降は舞台に主軸を移すも、その後も『八月の鯨』の1987年まで映画に出演し続けた。

『散り行く花』クローゼット・シーンの迫力が凄い。これは『シャイニング』の元ネタではないか・・・・
この人の存在感のま〜凄いこと。
黙っていても目線や動作でいろんな事を伝える技術は、やはりサイレント映画育ちの卓越した演技力の賜物でしょう。

それから、西部劇に必要とされるスタントの凄さは特筆ものです。
馬が走ったり、銃を打ったり、インディアンとの戦闘シーンなどの迫力は、西部劇がまだ生きている時代だというのがヒシヒシと伝わります。


そんな西部劇黄金期の伝統が生きている年代に、豪華俳優陣を使って、しかもジョン・ヒューストンという大監督の組み合わせですから、期待感は十分だったのですが・・・・・

見終わった印象は、なぜか重苦しく、陰鬱で、どこか悔恨というような、そんな後ろ向きの言葉が浮かびます。

1960年代という人権活動が盛んな時代にあって、映画内容はインディアンを単純に悪者扱いしている映画ではありません。
unfogiv.jpgあらすじにも書いたとおり、オードリー演じる娘がインディアンから奪った子で、それゆえ周りの家族と揉めたり、取り返しに来たインディアンと戦わざるをえなくなるというのがストリーの骨子です。
そういう意味では奪ったのは白人で、奪われたのがインディアンだということが明確に表現されています。
そして、登場人物に「俺はインディアンが嫌いだ」という人物もいますが、カーク・ダグラス演じる主人公はインディアンと友好的な関係を結びたいと考えていますし、インディアン自体もむしろ立派な人格者として描かれています。
つまり、その後の人権問題を考慮した、例えば「ソルジャー・ブルー」「小さな巨人」や「ダンス・ウイズ・ウルブス」と同じ材料、「白人=悪・インディアン=正義」は出揃っているのです。
そして、逆にそれゆえに混乱し、沈鬱な映画となってしまったのかと思います。


つまり「白人=悪・インディアン=正義」なのであれば、やはり「ダンス・ウイズ・ウルブス」のように悪い白人を懲らしめるインディアンを描くのが、物語としてスッキリするでしょうし、白人の罪を描くのであれば、「ソルジャー・ブルー」ぐらい醜悪な悪者として表現すべきでしょう。

しかし、この映画ではそこまで割り切れていません。
たぶん、いろいろな要因が絡み合ってのことだろうとも思うのです。
jyon-huston.jpg
商業映画として、西部劇なのにインディアンと戦なわないんて許されるのかとか、白人を悪者にするなんて事がこの時ありえるのか(ソルジャーブルーは1970年)というような、怒号飛び交う議論が生じていただろうと思うのです。
そんな要請を満たすために、ジョン・ヒューストンも相当困ったのではないかと想像します。


以降の文章に

映画『許されざる者』ネタバレ

があります。ご注意ください。



それゆえ、白人がインディアンから「娘=財産」を奪った悪者だと描いた上で、それでもインディアンと戦って、「娘=財産」を自分のものとします。
この悪者が、正しいものを倒すという、いわば「勧悪懲善」の矛盾に対する言い訳がスゴイ。

それは主人公が、インディアンの妹を愛していたからというものです・・・・・今も昔も「愛してるんだから許して」というのは、常套手段ですネ。

更にそれでも、ジョン・ヒューストン監督は言い訳し足りないと思ったのでしょう、ごていねいに題名に「許されざる者」と付けています。
もちろん「白人=許されざる者」です。
この題名も日本訳だと、クリント・イーストウッドの「許されざる者」と変わりませんが、じつはクリント版の原題は「Unforgiven」です。
そして、こちらのタイトルは「The Unforgiven」ですから、これはもう「ぜぇぇぇぇったい!許されざる者」と言うぐらい「許されない」度合いが強い。



ジョン・ヒューストン監督を描いたクリント・イーストウッド
監督の映画『ホワイトハンター・ブラックハート』を見ると、
人種差別を許せない熱血漢だったようですし・・・・


レビューリンク:『ホワイトハンター・ブラックハート』


撮りたくなかったんだろうな・・・・・・キット・・・・・・そんな監督の悔恨が、この映画のどこかスッキリしないテーストに、つながっているように思います。
やはり人間、正直にゴメンナサイというべき時は、言わないとネ。

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posted by ヒラヒ・S at 21:59| Comment(4) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは(ФωФ)アグレッシブなオードリーさんですね〜🎵また違った魅力が。観たいですね〜😃インディアン系の映画は多いですね🐱明るい内容では無いみたい、、、
Posted by ともちん at 2016年10月01日 21:49
>ともちんさん
ありがとうございます(^^)
個人的には割り切りがよくないカンジがします・・・・
ネットで見ると何が「許されざるもの」なのか判らないというので評判が悪いようですm(__)m
Posted by ヒラヒ・S at 2016年10月01日 22:32
「許されざるもの」クリント・イーストウッド版以外もあったんですね〜。
1960年・・さすがに知らない( ;゚³゚);゚³゚);゚³゚)
Posted by いごっそ612 at 2016年10月02日 15:10
>いごっそ612さん

ありがとうございますm(__)mクリント・イーストウッド版も、何となくこの作品を念頭に置いているような気がします・・・・
ジョンヒューストンの映画を撮るくらいですから、レスペクトがあるように思います(^^)
Posted by ヒラヒ・S at 2016年10月02日 18:14
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