2016年10月11日

映画『ビフォア・サンセット』恋愛ルネッサンス・あらすじ・感想・解説

映画と現実の越境



評価:★★★★★ 5.0

この映画を語る前に、本作のプロローグとしての「ビフォア・サンライズ」に触れないわけにはいきません。
前作「ビフォア・サンライズ」で語られたのは、従来の恋愛映画の物語性=「運命・永遠・悲劇」といった人智を超えた事象の介在を排した、「現実の恋愛」だと個人的に感じました。
そして、「恋愛」から「ロマン」を差し引いても、人は「恋」を欲するのだと語られているように思ったのです。
「ビフォア・サンライズ恋人達の距離」のレビュー

そして今作「ビフォア・サンセット」では9年前生まれた「恋」のその後を描いています。
ビフォア・サンセットあらすじ
アメリカ人青年ジェシー(イーサン・ホーク)と、ソルボンヌ大学に通うセリーヌ(ジュリー・デルピー)は、列車内で恋に落ち、ウィーン駅で半年後に再会することを誓って別れた。しかし、その約束の日に彼女の祖母が死んでしまい、彼女は待ち合わせのウィーンの駅に行くことが出来なかった。連絡先を交換していない二人は音信不通のまま9年が過ぎた。作家になったジェシーは、新著のプロモーションでパリの書店でサイン会を開催した時に、セリーヌが来ていることに気付いた。今回の本は、9年前の恋を小説にしたものだったのだ。2人は挨拶を交わし、再会を喜び話始めるが、二人の時間はジェシーがニューヨーク行きの便に乗るため85分しかなかった・・・・・・・

(アメリカ/2004年/81分/監督リチャード・リンクレイター/脚本リチャード・リンクレイター ,ジュリー・デルピー,イーサン・ホーク)
前作で監督リンクレーターは、若い二人に恋が生まれる過程を、まるでドキュメンタリーのように捉えていましたが、今回は前作にも増して、「現実」をこれでもかと強調しています。

前作ではそれでも、カット割りや、モンタージュ、場面転換など映画的な手法が使われていましたが、今作はまるで素人が取ったビデオそのままに、延々と撮り続けます。
カット割りが入ると逆にびっくりするぐらい、何にもしていません。
さらに、映画上映時間が81分で、主人公が飛行機に乗るリミットが85分というコトで、映画と現実の時間が一緒(時制の編集ナシ)かも知れないと疑っています。
また、この映画の脚本名に主役二人の名前が記載されているところから想像すれば、たぶん現場で即興的にセリフを語らせたに違いありません。

つまりこの映画においては、現実で起こるのと同様のことを映画の中で発生させているのです。

befsunset.jpgここまで、現実だという事を強調する以上、確信的にこの監督は「現代=現実」の「恋愛が生まれる時」を、この映画で確信犯的に作り上げているのだと思うのです。
そんな「9年前の恋」は、時がたち「9年後の恋」となった姿も、やはり夢も希望も偶然も奇跡も神も仏もないものでした。
しかしそれでも、いや、それだからこそ感動的な「現代の愛」に成り得ているように思えるのです。

つまり、人がひとつひとつ努力や気持ちを積み重ねることで、現代の夢も希望もない「恋」を、少しずつ少しずつ確かな「愛」に作り上げて行く過程がここには描かれていると信じます。

この恋が、人の努力によって構築されたという、もっとも確実な証拠が作家になったジェシーが書いた本が9年前の恋を題材にしたものだということです。
前作では、連絡先も聞かず分かれた二人が再び再会する方法は、これ以外にないでしょう・・・・・
つまり、ジェシーは忘れられない恋を取り戻すために、努力し作家となり目的を達したのです。

befosunset.jpgそのお互いの気持ちの執着と、相互の感情の高揚を、会話によって表現するそのスタイルが素晴らしい。
その「言葉」が及ぼす互いの共感の先に、人は愛を構築できるのだと思いました。
そんな人が日々努力を積み重ねる先に、愛しい人との完璧な関係を築き上げれる可能性が示されたこの映画こそ、現代人が見るべき「恋愛映画」だと思うのです。

この映画で描かれた「恋」や「愛」は、全て人間が主体となって努力を重ねた結果として生まれた成果です。
それはあたかも芸術における中世ルネッサンスの「人間回帰」と同じように、恋愛における「人間回帰=恋愛ルネッサンス」を表現した映画ではないでしょうか。

そしてまた、この作品は現場で即興的にセリフを語らせ、現実を虚構内で発生させたと言いましたが、この意味するところは映画にとって重要な意味を持っていると思うのです。
それは、この映画が「虚構を語る枠組み」を使いながら「虚構内で現実が生起」される瞬間を捉えたことを意味していると思うのです。
それは映画という「作り物」であっても「現実世界を発生」させ得るという真実を示すものだったはずです。
before-sunset-meet.jpgさらに言えば、映画を作る者(製作者側:監督、出演者、製作スタッフ)にとって見れば、映画自体が自らの人生であり、作品製作現場が彼らの現実に他ならないはずです。
そんな現実の人生が、観客にとっては「虚構=ウソ」として提示される事に、リンクレーター監督は一石を投じたのではないでしょうか・・・・・・・・

つまりここで語られたのは「映画という現実を、共に生きよう」というメッセージだったはずです。

考えて見れば、これだけ日々TVやインターネットを通じて、ありとあらゆる映像を生まれた時から浴び続け、それで「虚構」が自らの外部にある事象だとは、もう言えないでしょう。
「虚構」がすでに自らの現実であり、「虚構」と共に日々生きているのだという真実を、「虚構内で現実を発生」させることで気付かせたのが、この映画だと信じています。

そういう意味では虚構と現実の境を打ち壊し、新たな映画の息吹を生み出したと言う点で「映画ルネッサンス」と呼ぶべきかもしれません・・・・・・・

ジュリー・デルピーの歌う劇中歌「A Waltz for a Night」
この歌も、9年前の恋を歌ったものです。彼女も忘れていなかったんです・・・・・

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posted by ヒラヒ・S at 17:52| Comment(6) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは(ФωФ)9年、、はきついですわ〜👽お互いの環境もかなり変わってるはずですよね😅でも「イルマーレ」もそうですが、もどかしい‼恋愛のほうがおもしろいです(笑)
Posted by ともちん at 2016年10月11日 18:32
>ともちんさん
有り難うございます。(^^)彼氏は結婚して子供もいます。彼女にも恋人がいます。でも、ヤケボックイに火が着くんですね〜彼女との恋を本に書くあたり、男は忘れてないし、本を読んで彼女が来ることを願っていると思いますね〜男はメメしいです(ToT)
Posted by ヒラヒ・S at 2016年10月11日 18:52
こういう続き物の恋愛映画もいいですね(゚∀゚ )
しかも、イーサン・ホークっすか!
いいですねえ〜!
Posted by いごっそ612 at 2016年10月11日 20:03
>いごっそ612さん
ありがとうございます(^^)
ナンとこれ前に撮ったときから、9年実際に経っていて、映画内と現実がそこでもシンクロしてるんです。
この後、またもう一本あるんですけどね・・・・・
Posted by ヒラヒ・S at 2016年10月11日 20:52
たしかジュリー・デルピーのアパートに入る時に挨拶した住人ってジュリー・デルピーの実際の両親だったとメイキングで見た記憶があります。そこら辺も面白い要素かなと思いますね。
虚構と現実、真実のような嘘の話、リンクレイターは「バーニー みんなが愛した殺人者」でも観客に自然と物語を信じ込ませようとしている撮り方をしていたので、やはり凄い監督だと思います。
Posted by 兎おっさん at 2016年10月12日 14:10
>兎おっさんさん
アパートに入る時に挨拶した住人ってジュリー・デルピーの実際の両親だったんですか?!
ますます確信犯ですね〜「バーニー」も狙ってますよね(^^)「6歳のボク」では更に現実を虚構化してしまうという荒業にでたような・・・(^^;
Posted by ヒラヒ・S at 2016年10月12日 15:33
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