2016年10月20日

『ギルバート・グレープ』自己犠牲の映画のあらすじとネタバレ・ラスト

自己犠牲ということ



評価:★★★★ 4.0点

この映画に描かれた、ジョニー・ディップ演じる主人公ギルバート・グレープの姿に胸が痛くなります。
ここに描かれているのは、家族の為に自らの人生をささげる自己犠牲の姿です。

そんな主人公を当時30歳のジョニー・ディップが演じ、さらに19歳のレオナルド・ディカプリオが、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされるぐらい、知的障害をもった弟アニーをしっかり演じています。
ギルバート・グレープあらすじ
24歳のギルバート・グレイプ(ジョニー・デップ)は、アイオワ州の田舎町エンドーラで生まれ、その町から外に出た事も無い。しかし彼には町を離れられない家庭の事情があった。知的障害を持つ弟アーニー(レオナルド・ディカプリオ)は眼を離すと騒ぎを起し、母のボニー(ダーレーン・ケイツ)は過食症で身動きもままならないほど肥満した母、そして姉エイミー(ローラ・ハリントン)と妹エレン(メアリー・ケイト・シェルハート)の生活を食料品店で働きながら支えている。中年の夫人ベティ・カーヴァー(メアリー・スティーンバージェン)は夫(ケヴィン・タイ)がいるが、ギルバートと不倫関係にある。そんなある日、ギルバートはキャンピイング・カーで旅をしている少女ベッキー(ジュリエット・ルイス)と出会い恋に落ちる。彼は彼女と共に町を離れたい気持ちが生まれる。そんな折、ベティは夫が亡くなり子供たちと町を出る。アーニー18歳の誕生日パーティーを控えた前夜、ギルバートはアニーを風呂に入れようとするが、素直に従わない弟に暴力を振るってしまう。ギルバートは家を飛びだしベッキーの元へと向かい、一夜をすごす。その翌日、車の故障が直ったベッキーは町を出ていく。家に戻ったギルバートはアーニーの誕生パーティーを終えたが、彼の運命を変える出来事が起きる・・・・・・・・・・・・

(アメリカ/1993年/117分/監督ラッセ・ハルストレム/脚本・原作ピーター・ヘッジス)

知能障害を持った弟のため、摂食障害により身動きの取れない母のため、主人公は100mしかメインストリートがないような、アメリカの片田舎の町で生活していかねばなりません。

このやるせない状況の中で、その責務を誠実に引き受ける主人公の姿が感動的です。
私は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩に描かれた「無私無償の愛」という理想を、そのまま体現しているかのように感じました。
宮沢賢治「雨ニモマケズ」
amenimo.jpg

この自己の欲求よりも、他者の幸せの為に生きる姿は、やはり私個人としては「美しい」し「正しい」と感じます。
またその犠牲的精神を押しつけがましくなく、しかししっかりと描写し得たのは、この映画の監督や出演者の力ゆえだと感じます。

そんな美しさをはらみながらも、ただ一点の疑問が、この映画を絶賛したい気持ちを押しとどめています。

giruba-to.jpgそれは、この映画の原題「What Eating GILBERT GRAPE?」の直訳「なに食べちゃったのギルバートグレープ?」が英語慣用句的には「なんで困ってるのギルバートグレープ?」という意味なのだと知ったときに生じた問いです。
それは、この主人公が自分の自己犠牲の人生を受容し得ていないと、この映画タイトルが告げているのではないかというものでした。

であれば、この映画は私が感じた自己犠牲の美しさというような甘っちょろいものではないのが明らかです。
この映画の主人公は、宮沢賢治の聖人君子のような「アメニモマケズ」の無私無償の愛を持った存在に、自らなりたいと思ってはいない。
さらに言えば、家族のために自己犠牲を重ねた主人公が、自らの人生に疑問を持たざるを得ないという物語だと思うのです。

それは、言い換えれば「自己犠牲によって人は幸福たり得るか」というテーマとなりはしないでしょうか?

そこで、思い出すのが同じアメリカを舞台としたテネシー・ウィリアムズの戯曲「ガラスの動物園」という名作です。
gaerasuzoo.jpgガラスの動物園(ガラスのどうぶつえん、The Glass Menagerie)は、テネシー・ウィリアムズによる戯曲。
1944年に執筆され、同年、シカゴで初演された。1945年3月にニューヨーク・ブロードウェイで上演されると1946年8月まで561回公演されるロングランヒットとなり、ウィリアムズの出世作となった。作者の自伝的作品で米文学の最高峰に位置し、ハリウッド映画にも影響を与えている。(Wikkipediaより引用)

そのドラマも、主人公の青年に母と姉の扶養義務が重くのしかかるのですが、主人公は母と姉を捨てて家を出てしまいます。
そして後悔と共に生きるという苦く厳しい物語です。

giruba-to1.jpg実は、この映画の中でも主人公ギルバート・グレープは、家族から逃げようとします。
しかし最終的に、義務を果たすために戻るのです。
つまるところ、この描写でも分かる通り主人公は「自己犠牲」を納得していません。

そう考えれば、「ガラスの動物園」の主人公と同じ道を選んだ可能性もあります。

そこで先ほどの疑問「自己犠牲によって人は幸福たり得るか」という問いに、再び戻らざるを得ません。

この映画の主人公の透明な、無垢の、生来の善良さを見るにつけ、この奉仕と義務とに献身する姿が美しいがゆえに、この人が幸福にならずに、誰が幸福になるのかと、何とか幸福になって欲しいと思うのです・・・・・・

そんなテーマを持ちながらも、決して重いだけの映画ではなく、ユーモラスな明るさが作品の基調になっており楽しめる映画ですので、一度ご覧になってはいかがでしょうか。
giruba-to3.jpg

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以降ネタバレがあります!!また、当作品に対する悪評が含まれています。ご注意下さい
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これから先は、この映画をご覧になった方を対象に書かせて頂きます。
先ほど「この人が幸福にならずに誰が幸福になるのかと思うのです」と書かせて頂きました。

実際この映画では、主人公は家を離れて自分の幸せを追える状況になり、その点ではハッピーエンドといえるのです。
しかし、この映画では「扶養すべき母の死」という、偶然出来た家を離れられる状況故にハッピーエンドになっているのであり、「自己犠牲」自体が不必要になり問題が消滅したという状況です。
【母ボニーの死】ディカプリオの演技が胸を打つ

この善良な主人公が幸福になることに何の異論もありません、が、しかし、私は「自己犠牲」を続けて行ったその先に「自己犠牲」に一生を捧げても悔いはないと思える「答」が提示される事を期待していたのです。

その私の望みは、残念ながら問題をうやむやに無くしてしまうこの映画の脚本ゆえに、得られませんでした。

gilb.jpg商業映画として難しいところかと思うのですが、この主人公には弟の扶養義務もあり、そのテーマは生涯付いて回ることを考えれば、その回答をどんな形にせよ、たとえ「ガラスの動物園」と同じようなバッドエンドな答えだとしても、観客に示すべきだと思うのです。

なぜなら、映画を通じて主人公に同化した観客の心は、この問題に関して未解決のまま放っておかれることによって、真に物語が到達しえたカタルシスに至る道を閉ざされたといわざるを得ないからです。

また同時に、現代日本の介護の問題を思うとき「自己犠牲によって人は幸福たり得るか」という問いがヒトゴトではないがゆえに、問題から逃げずに答えを出してほしかったということでもあります。

じっさいこの主人公にとっての、そして介護や他者の扶養を義務とする者にとっての、真の喜びとは「自己犠牲によって自分が幸福に成り得る」のだという証明だったと思います。

その問題に対する何らかの答えを、この監督なら描けたはずだと思うが故に、この点を惜しまざるを得ないのです。

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posted by ヒラヒ・S at 18:31| Comment(4) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは(ФωФ)ネタバレは、、黙ってます。ディカプリオさんて演技派ですよね。昔から😃日本だと長男の縛りはまだありますから(笑)ああ〜ってなりますけどね。背負うものが多いですよね、この映画。
Posted by ともちん at 2016年10月20日 19:01
>ともちんさん
ありがとうございます(^^)
真面目ないい映画ですよね〜
このエンディングは、主人公にとって一番いいエンディングだとは思うんですよね〜
本当は、社会で面倒見るべきなんでしょうけどね〜
Posted by ヒラヒ・S at 2016年10月20日 20:32
「自己犠牲によって人は幸福たり得るか」難しいですね〜。
この映画を見てみなければなんとも言い様がないですが、病院勤務をしていると、認知症患者さんの家族さんなどは夜間不穏状態が続けば付き添いをしてもらいます。そうすると、家族さんは仕事をしながら夜も寝れなくなるのです。そうなるといつしか認知症になった家族の死で解放されたいと願うようになる方が多いです。「自己犠牲によって人は幸福たり得るか」難しい問題ですね。この映画観てみたいと思います。
Posted by いごっそ612 at 2016年10月21日 05:20
>いごっそ612さん
ありがとうございます。
病院勤務をしていると、特に現実的な問題でしょうねぇ・・・・
やはり誰かが犠牲にならざるを得ないのか?
犠牲になったところで認知症の人から感謝の言葉はないでしょうし・・・理想を言えば、社会保障が上手く機能することが理想でしょうが・・・本当に難しいm(__)m
Posted by ヒラヒ・S at 2016年10月21日 18:00
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