2016年11月04日

『ルードヴィヒ神々の黄昏』王族の芸術映画のあらすじと感想・解説

ヴィスコンティの華麗なる復讐


評価:★★★★★ 5.0

この映画の監督ルキノ・ヴィスコンティは、イタリア公爵の末裔である。
bisuconntei.jpgルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti, 1906年11月2日 - 1976年3月17日) は、イタリアの映画監督、脚本家、舞台演出家、貴族(伯爵)。映画監督・プロデューサーのウベルト・パゾリーニは大甥。
1906年11月2日、イタリア王国ミラノで生まれた。実家はイタリアの貴族ヴィスコンティ家の傍流で、父は北イタリア有数の貴族モドローネ公爵であり、ヴィスコンティは14世紀に建てられた城で、幼少期から芸術に親しんで育った。ミラノとコモの私立学校で学んだ後、1926年から1928年まで軍隊生活を送った。退役後、1928年から舞台俳優兼セット・デザイナーとして働き始めた。1936年にはココ・シャネルの紹介でジャン・ルノワールと出会い、アシスタントとしてルノワールの映画製作に携わった。(Wikipediaより引用)

そんな彼が撮る映画は、真に貴族的な映画として結実して今に残る。
この映画を見れば、美術館に飾られた美術品が、本来あるべき場所にどう存在したか、美術が本来の生命をどう発揮するのか、実際にその美術に日常的に囲まれて育った者だけが知る経験として伝わってくる。
それほど、画面の隅々まで揺るぎない高貴な美意識で満たされて、その美の持つ真の命の拍動を刻み、弛むところが無い。
ルードヴィヒあらすじ
1864年バイエルンの国王となった、18歳のルードウィヒ(ヘルムート・バーガー)の、数奇な運命を描く。ルードウィヒの周りには、彼が慕うオーストリア皇帝の妃である従姉のエリザベート(ロミー・シュナイダー)、心酔する作曲家リヒャルト・ワグナー(トレヴァー・ハワード)がいる。ルードウィヒは、歌劇“トリスタンとイゾルデ”の上演や、壮大な城の建造を国家予算から支出し、その莫大な費用により国家財政が破綻しかねない状況となった。1866年、プロイセンとオーストリアの戦争にも出陣せず、べルクの城にこもっていた。そのころ、ビスマルクの“大ドイツ統一”政策により、バイエルン王国も加盟。ルードウィヒに残されたのは三つの城だけで、その城中で洞窟で日夜詩を暗誦させたり、青年を集め乱痴気騒ぎを繰り広げた。ついに有力貴族たちの画策により、精神科医グッデン(ハインツ・モーグ)が偏執狂と診断し、ルードウィヒはノイシュヴァンシュタインを追われ、べルク城に幽閉された・・・・・・

(イタリア・西ドイツ・フランス合作/1972年/184分/監督ルキノ・ヴィスコンティ/脚本ルキノ・ヴィスコンティ,エンリコ・メディオーリ,スーゾ・チェッキ・ダミーコ)
出演者】ヘルムート・バーガー、ロミー・シュナイダー、トレヴァー・ハワード、シルヴァーナ・マンガーノ、ゲルト・フレーベ、ヘルムート・グリーム、イザベラ・テレジンスカ、ウンベルト・オルシーニ、ジョン・モルダー・ブラウン、ソニア・ぺトロヴァ、フォルカー・ボーネット、ハインツ・モーグ、アドリアーナ・アスティ、マルク・ポレル他

ビスコンティ晩年のこの作品では、バイエルンの王ルードヴィヒ二世の人生を、古典的で典美な高踏的品格を持って語りかける。
この王は国を傾けるほど芸術文化の為に金をつぎ込み、そして最後には、国家から退位をさせられた。
Ludwig II.jpgルートヴィヒ2世 (バイエルン王)
ルートヴィヒ2世 (Ludwig II., 1845年8月25日 - 1886年6月13日)は、第4代バイエルン国王(在位:1864年 - 1886年)。神話に魅了され長じては建築と音楽に破滅的浪費を繰り返した「狂王」の異名で知られる。ノイシュヴァンシュタイン城やバイロイト祝祭劇場を残し、後者には文字通り世界中より音楽愛好家が集まっている。若い頃は美貌に恵まれ、多くの画家らによって描かれた。(wikipediaより引用)


ビスコンティは、そんなルードヴィヒに仮託して、かつて、王に連なる一族であった自分達が、どれほどの美を築き上げたかを示したかったのだろう。

その格調、高貴、豪奢、優雅、精緻をもって展開してみせる燦然たる感性は、人類の到達した芸術の極みとすら、思う。
これらの圧倒的美を目にすれば、何代も栄華を積み重ねた末の王族にして、初めて到達できる高みである事を認めざるを得まい。

実はビスコンティの若き日の作品群は「イタリアン・ネオ・レアリズム」の色を強く持ち、むしろ簡素で素朴な佇まいを持っていた。
そんな初期の映画は『若者の全て』にしても『揺れる大地』にしても、大衆に訴え、民衆の力によって社会を変えようという意欲が見え、その大衆に対する説得力を高めるために、ことさら地味な意匠を「まと」ったようにすら思える。
間違いなく若き日のビスコンティは、共産主義にその身を投じた事でも解る通り、労働者大衆が社会を担うべきだと考えていたはずであリ、それが最も端的に表出されたのが初期の作品群であるように思われる。
それは、自身の出自「貴族階級」に対する、アンチ・テーゼであったろう
「ルキーノ・ヴィスコンティ生誕110年・没後40年メモリアル〜イタリア・ネオレアリズモの軌跡〜」予告編

しかし、いつからか、その作品から世界を変革しようという熱意は喪われ、終にはこの映画のように自らの美意識をモノローグのように表白するようになった。

思うに、ビスコンティは絶望をしたのだ。

girotin.jpg
数に物を云わせた「大衆」とやらが作りだした、
現代社会の醜悪さ猥雑さに。
美しき神々の末裔たる「王」を駆逐し、世界の構築を
任された庶民が作り出した社会の、あまりの下品さに・・・・・

その世界から目をそむけるために、耽美の世界に遊ばざるを得なかったのだろう。

現実に絶望して美に耽溺する・・・この映画のルードヴィヒはそのままビスコンティの肖像である。

そしてまた、この映画は王達になり変ってビスコンティの成した、大衆への復讐でもある・・・・

ビスコンティは圧倒的な王族の美意識で大衆の魂を奪っておいて反問するのだ・・・・
かつて王たちの作り上げた美の高みに、お前達は到達できるかと・・・・


ルードヴィヒがバイエルンを破産させてまで作った名城達
ノイシュヴァンシュタイン城(シンデレラ城のモデル)

リンダーホーフ城

ヘレンキームゼー城



ちなみにビスコンティは、この作品の完成までに映画会社を3つ潰したという。


関連レビュー:
『地獄に堕ちた勇者ども』
巨匠ビスコンティーの描くファシズムのエロス



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posted by ヒラヒ・S at 17:23| Comment(4) | TrackBack(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは(ФωФ)○○の末裔とかいうブランドは気持ちいいのでしょうね〜👽「おまえらとは違うんだ」みたいな。美術系の映画は単純に綺麗なので好きです🎵
Posted by ともちん at 2016年11月04日 19:58
>ともちんさん
ありがとうございます(^^)むしろ、ビスコンティにすると、自分達の持っていたものを、大衆にむしりとられ、その結果の社会が汚らしくて見るに耐えないという心境から、美に逃げたように感じていますm(__)m
Posted by ヒラヒ・S at 2016年11月04日 20:24
映画会社を3つ潰すとは・・
なかなか難しい人(^_^;) でもそういう人がすごいもん作ったりするんでしょうね〜。
Posted by いごっそ612 at 2016年11月05日 05:48
>いごっそ612さん
ありがとうございます。
ご旅行はいかがですか?神戸の夜景は美しいですか(^^)
この映画は制作費がかかりすぎて、名乗りを上げる会社も資金が足りず、次々潰れてしまったという・・・・・しかしビスコンティの映画ならという映画製作者は当時は山ほどいたのがスゴイところで・・・
Posted by ヒラヒ・S at 2016年11月05日 13:23
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