2017年03月14日

『桐島、部活やめるってよ』青春のナルシズム/ネタバレ感想・あらすじ・ラスト・解説

主観と客観の行方


評価:★★★    3.0点

この映画で描かれた高校生活は、ある年代にとっては自らの青春とオーバーラップし、理屈を超えた情動を生むのではないだろうか。
原作の作者、朝井リョウの実体験が色濃く出た青春物語であることを踏まえれば、作者の誕生年1990年前後に生まれた者、または1990年以降に生まれた者達も含め、ここには多かれ少なかれ、自分の高校時代の姿が投影されているだろう。
その世代にとっては、この映画はナルシズムに満ちた作品とならざるを得ないはずだ。

桐島、部活やめるってよ・あらすじ


<11/25金曜日>
バレーボール部キャプテンの桐島は男子スクールカーストトップの存在だが、放課後、部活をやめたという噂が駆け巡る。桐島の彼女で、女子カーストトップの飯田梨紗(山本美月)も詳細は知らない。梨紗と同じグループに属する東原かすみ(橋本愛)、野崎沙奈(松岡茉優)、宮部 実果(清水くるみ)は、常に4人で行動しており梨紗の機嫌を覗っている。
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バレーボール部は混乱し、副キャプテン・久保 孝介(鈴木伸之)は怒るが、明日の試合に向け実力不足の小泉 風助(太賀)を起用せざるを得ない。
桐島が部活をやめたという話に、桐島と同じグループに属する菊池 宏樹(東出昌大)は驚く。kiri_top3.jpg宏樹は野球部員だが部活動に参加せず、いつも放課後は桐島の部活が終わるのを、友弘(浅香航大)と竜汰(落合モトキ)と共にバスケで遊びながら待っていた。
そんな宏樹は野崎 沙奈(松岡茉優)を彼女にしていて、運動も勉強も秀でているが、情熱を傾けるものが無く日々過ごしている。野球部キャプテン(高橋周平)は宏樹に試合日程を伝え、来て欲しいと誘う。
映画部部長の前田涼也(神木隆之介)は、映画部顧問・片山(岩井秀人)が脚本を書いた『君よ拭け、僕の熱い涙を』の、続編を撮れと迫られる。しかし題名だけで生徒たちの物笑いになる続編を撮る気がせず、ゾンビ映画『生徒会・オブ・ザ・デッド』を先生の意向に逆らって撮影し始める。kiri-buraban-eiga.jpgロケ場所の屋上に上がると、宏樹に片思する吹奏楽部部長の沢島 亜矢(大後寿々花)が、宏樹のバスケが見える屋上で、サックスを吹いていた。前田は交渉して撮影しようとするが、亜矢は譲らない。ついには前田の説得を聞きもせず、亜矢は遠い宏樹を見つめている。その宏樹がバスケを止めて帰ったので亜矢も去り、前田は場所取りに勝ったと誤解する。
<11/26土曜日>
バレーボール部の試合は代役風太の健闘実らず負ける。
<11/27日曜日>
映画館で前田は、かすみを見つけて驚く。前田はかすみと中学生時代の同級生で共に映画を語った事もあった。前田はそのころから、かすみに好意を持っていた。しかし会話は弾まず、かすみは帰る。
<11/28月曜日>
今日も桐島は欠席で、交際相手の梨紗ですら連絡が付かず、しかし桐島の質問を受け続けイライラしている。映画部の前田はゾンビ映画の撮影に入り、かすみに声をかけられ喜ぶ。kiri-bare.jpg
バドミントン部の実果は、バレーボール部の風太が好きで、敗戦の原因が風太だとシゴカれるのを見て心配そうに見る。
宏樹は、放課後のバスケットをしつつも桐島を待つ時間つぶしだった事を思い出し、無意味だと気付き帰る。吹奏楽部の亜矢はいつもと同じく屋上でそんな宏樹を見つめる。
<11/29火曜日>
今日も桐島は欠席で、梨紗は相変わらずの無視に怒っている。校内には「桐島が来る」という噂が飛び交っている。映画部・前田は顧問に、撮影中止を告げられる。放課後教室に立ち寄った前田は、かすみと竜汰の二人が付き合っているのを知り、教室を逃げるように去る。前田は映画の撮影を決心した。その撮影現場の校舎裏には、宏樹を眺めたい吹奏楽部の亜矢がいた。前田は前回の事もあり口論となるが、亜矢は宏樹への思いを断ち切ろうとしており「今日で最後だ」と言い、その様子に前田は感じるものがあり、屋上で撮影をするために去る。宏樹と沙奈はキスを交わし、それを亜矢に見せつける。
kirisima-capOu.jpg宏樹は野球部のキャプテンと会い、スカウトの話は無いがドラフトまでは野球をやるという言葉を聞く。もうキャプテンは宏樹に、試合に参加しろとは言わず、応援だけでも気が向いたら来てと伝えた。
そんな時校内で、桐島が屋上に来ているという情報が流れた。
桐島を追っていたバレーボール部、友達の宏樹達、彼女の梨紗とそのグループは屋上にダッシュする。
屋上のドアを開いた先に見たものとは・・・・・・・・・・・・・・

(日本/製作年2012/103分/監督・吉田大八/脚本・喜安浩平・吉田大八/原作・朝井リョウ)

桐島、部活やめるってよ・出演者

前田 涼也(神木隆之介)/
東原 かすみ(橋本愛)/菊池 宏樹(東出昌大)/宮部 実果(清水くるみ)/飯田 梨紗(山本美月)/野崎 沙奈(松岡茉優)/寺島 竜汰(落合モトキ)/友弘(浅香航大)/武文(前野朋哉)/野球部キャプテン(高橋周平)/久保 孝介(鈴木伸之)/日野(榎本功)/詩織(藤井武美)/片山(岩井秀人)/小泉 風助(太賀)/沢島 亜矢(大後寿々花)

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桐島、部活やめるってよ・感想

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先にこの映画は、ある世代にとってナルシズムに満ちた作品とならざるを得ないと書いた。
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少し言葉足らずだと思うのでさらに補足すれば、人はある映画を見たとき、その映画に自分が存在していると信じる瞬間がある。

それは否応もなく、自己の相似形が映画内で、動き、語っているのを発見するからである。
その時、その観客にとって、その映画は、己の一部と化し自らの存在の投影となる。
それゆえその映画を客観視する事は、己を客観視せよといわれたに等しい。

誰にとっても自己分析とは、どこまでいっても主観的な作業であり、つまりは己を客観的に判断や分析はできない事を意味する。
それゆえ人は、しばしば感情移入を促された「主観的映画作品」に対しては、思考停止状態に陥いらざるを得ない。

kiri-hasiai.jpgそんな理非を越えて、自らの心に対象を取り込んでしまう、こんな心理状態は映画でなくとも生じうる。
現実世界で生じるそれを、人は「」と呼ぶだろう。
そんな、自分以外の他者に対して及ぼされる、自己同一化を「恋」と呼ぶ事に異論がなければ、それと同じ事が「映画」を対象として生じることもあるのだ。
その結果もたらされた情動は、歓喜・悲嘆いずれの結果であったとしても、その者の一生涯を飾る「永遠の記憶」となるだろう。
それは、自らの肉体に生じた怪我が、常に傷跡として我が身に訴えかけてくるのと同じように、主観的経験とは自らの精神に刻み込まれた実体験として、心に留まるからである。
だとすれば、この映画に「」を見出だした観客は、この映画によって自らの生きた証を、その身に永遠に定着し得た事を意味するだろう。


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実際のところ、この映画を見た人々の言葉に触れれば、この映画にこそ「自らの青春」があるという、強い感情移入の表現が多いことに驚くのだが、それほどこの映画は自己同一化を促す強い力を持っているのだろう。

そんな、自己の青春を象徴しえるランドマークは、誰もが持ち得ると約束されたものではない。
だとすれば、この映画を我が物とし得た人々は、自らの幸運を素直に祝うべきだろう。

この映画を見るたびに、ノスタルジーと共に、必ず自らの青春を思い起こすことが約束されたのだ。
そんな主観的な自己同一化が可能にする、驚くべきポテンシャルを秘めていると、この映画に「盲目の人々」が証明しているだろう。
しかしまた「恋の盲目」ではないが、その主観的な自己同一化に基づく「映画の自己一体化」は、その作品を絶対視することを意味し、容易に他者の批判や、客観的な誤りの指摘すら許さない心理を形成するのである。


高知で撮影されたこの映画のメイキング。

実はそんな、独善的な絶対性こそ、この映画が描く「青春期」の実態ではなかったか。
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それは、10代という生きる上での経験値の少なさを元に、1人世界と対峙する上での必然的帰結だろう。

すなわち乏しい経験を元にした「自我=主観世界」と「現実=客観世界」の間に整合性は期待できない。
しかし、一足飛びに現実世界の経験値を増加し得ない以上、己の「自我=主観」のみを頼りに「現実=客観世界」に対応する以外の方策を持ち得ない。

従って、多かれ少なかれ、その時期には「客観世界」を自我に引き寄せ再構築する「主観世界への置換」を経て、現実を整理せざるを得ない。
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そして自我の本質が自己保存である以上、その主観世界は「絶対的ナルシズム=独善性」をその基礎として成立するだろう。

それゆえ「青春時代」はカメラで恣意的に切り取るような
絶対的自己愛によって満たされた、甘美な主観世界として世界は構築されるのである。
だとすればこの映画が、主観・客観のいずれの立場で見るかによって大きく評価が分かれるのも、「青春」という不完全な時期の「自己愛=ナルシズム」ゆえの必然だったと思える。


え〜ゴホン。
そんなわけで・・・・・


言いにくいんですが、この映画を主観的に見れなかった私の評価は・・・・・・★3つです。

桐島、部活やめるってよ 主題歌・高橋優「陽はまた昇る」

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以降

桐島、部活やめるってよ・ネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。
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で・・・・マイナス★2つ分の言い訳です。

この映画は実は二部に分かれているのではないかと疑っています。
その区切りが、一見何事が起きたのか理解に苦しむ、屋上から男子生徒が落ちるシーンに有ると思うのです。
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このシーン以前は、ある場面を登場人物の視線から多面的に描く構成といい、現代の若者の学校カーストの描写といい、ほぼ原作の通りの世界観で描かれています。
この映画が、ある世代にとって自分のコトとしか思えないというのは、この原作に描かれた登場人物がリアルに高校生の実態を捉えていたという証拠だったと思います。

そこに描かれた自分のカーストを知り、その範囲で許された適切な行動を採らざるを得ない姿を、徹底的な心理描写によって表現する力は小説の方がより鮮明でした。

小説では明確な事件が発生しなくとも、その内的描写によって一人一人の性格と、それぞれのカースト関係の緊張感を描くだけで、十分スリリングなドラマとなっていました。


しかし、映画の場合「間」と「空気感」で原作の持つニュアンスを捕えてはいますが、その手腕は卓越したものだと感じましたが、やはり映画としては弱いと製作者としては考えたのではないでしょうか。

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本来この原作小説に書かれた、「内的告白=モノローグ」を表現しようとすれば、この静かな映画のほぼ全編をセリフで多い尽くさなければならなかったはずですから・・・・・

それゆえ映画的なイベントとして、屋上に全ての出演者が集まり騒動になるという、映画だけが持つエピソードを追加したのだろうと思うのです。

その切り替わりのタイミングが、先ほども書いた通り、屋上からの飛び降りのシーンに符合するのです。
つまりこのシーンは、原作に依拠しないオリジナル映画ドラマを、これから描くとの宣言だったと思うわけです。

その映画ドラマはしかし、原作のジッと穴に籠もって周囲をうかがう神経戦ではなく、昭和の匂いのする「スポコン=熱血ドラマ」となっていませんか?

つまりこの映画は、現代の高校生の戦いをドラマとして描ききる事ができず、旧来のドラマツルギーに収斂させてしまったと個人的には感じました。


本来の小説が描いた桐島の不在とは、現代において「ヒーロー=英雄」は存在し得ないというメッセージだったと思うのです。

それに対して、映画は映画部部長・前田を自らの信じる道をひたすら進むという、旧来のヒーロー像として描いてしまったように感じます。

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しかも、そのヒーローが「ゾンビ映画」を撮影しているのです。

これは作り手が、ヒーロー不在の現実を前に、自らヒーローとなろうとしない現代の若者達がゾンビのような存在と成り果てていると、語っているのかと邪推したくなるほどです・・・・

けっきょくのところ、小説が「熱血根性ドラマ」に対するアンチテーゼとして描かれて、現代の若者世代の現実をドラマ化し得たにもかかわらず、映画は現代高校生の現実を描く事を放棄し、過去のドラマツルギー「熱血スポコン」に逃げたと個人的には思います。

それゆえに、現代を反映した表現を「映画表現ドラマ」としても、挑戦して欲しかったという理由から、★二つを削らせて頂きました。

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桐島、部活やめるってよ・ラストシーン

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(あらすじから続く)
屋上には、桐島はいなかった。
桐島を探す生徒達が呆然とする前で、映画部がロケを中断され立ち尽くしている。
桐島がいないことに苛ついたバレーボール部の副キャプテンは、怒りに任せ映画部の小道具を蹴り、前田と映画部員は怒り「謝れ」と怒鳴る。屋上の生徒達の思いは爆発し、前田は「こいつら全員食い殺せ」と叫び、屋上は大混乱に陥いった。そんな光景を前田は撮影し続ける。
※下記には一部グロテスクな描写が含まれますご注意下さい

混乱が収まった後、前田と宏樹は夕焼けの中で会話を交わす。
人より羨ましがられるスクール・カーストにいても目標を持てない宏樹と、スクール・カースト最下位でも熱中できるモノのある前田・・・・・

「桐島=ヒーロー」への電話は、呼び出し音が虚しく響くだけだった。

青春の本質がナルシズムであるとすれば、原作小説で語っていたのはスクールカーストや個々の思いは、しょせん幻想で消え去るのだという儚さではなかったでしょうか・・・・・・
それは旧世代が、「幻想=政治・理想」を現実のモノとするため汗と涙を流した時代とは、明らかに相反する生き方だと思うのです。

やはり、この映画の最後のシーンは20世紀のナルシズムであり、21世紀のナルシズムと成り得てない点を惜しまざるをえませんが、それは、21世紀の映像作家が描くしかないのかもしれません・・・・

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posted by ヒラヒ・S at 22:20| Comment(5) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは!ぎょえ〜( ゚Д゚)!私もこの映画です💦なんという偶然(笑)桐島は飛び降り自殺したのかと思いました。いや〜神木君は良かったですけどね。レビさんにリンク変えておきます(笑)(笑)
Posted by ともちん at 2017年03月14日 17:38
>ともちんさん
ぎょえ〜×2!!( ゚Д゚)!奇跡ですね〜💦いい映画でしたね!個人的には、原作を先に読んだのが低評価につながってしまいました。m(__)m
Posted by ヒラヒ・S at 2017年03月14日 17:46
自分はこの映画が日本アカデミー取って感動しました。
この映画は凄いと思いましたね〜。そうですか、原作読んでしまったらなかなか手厳しい評価になるのですね。読んでなくて良かった〜。
Posted by いごっそう612 at 2017年03月15日 20:11
ちなみに舞台となった中央高校は甥っ子の母校です。
進級にテストも無く、卒業するころには今風のダメな若者が作成されるという高校です。
Posted by いごっそう612 at 2017年03月15日 20:12
>いごっそう612さん
ありがとうございます(^^)高知の市内だったんですね〜エンカレッジスクールですか・・・・キレイな学校で、町並みもキレイでした・・・・でも、高知のこの字も出てこなかったのが逆に潔かったです(^^)
Posted by ヒラヒ・S at 2017年03月15日 20:29
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