2017年03月16日

映画『ポンヌフの恋人』フランス恋愛至上主義/あらすじ・ネタバレ・感想・解説・ラスト意味

愛の総力戦の行方



評価:★★★★  4.0点

この映画は、日本では純愛映画のような謳い文句で流通しているようだが、個人的にはそんなキレイな映画だとは到底思えない。
エゴとエゴがぶつかり合い、相手の魂を従属させようとする激烈な闘争こそ、この映画が描いていたモノではないか。
恋愛至上主義のフランス人が、愛に純粋や潔癖など甘っちょろい感傷を求めて、ど〜して真の愛に到達できようかと、そう強く主張している映画だと思いました・・・・・・・・


ポンヌフの恋人・あらすじ

ホームレスのアレックス(ドニ・ラヴァン)は、修理閉鎖中のポンヌフ橋にもぐり込み暮らしている。ponnufu-miti.jpg彼は、深夜酒を飲みながらパリの大きな通りを千鳥足で歩き、車に片足を轢かれ骨折する。通りかかった女が介抱した。それが失恋し、失明の危険もある眼病を患った、ホームレスの女画学生ミシェル(ジュリエット・ビノシュ)だった。ホームレスの移送バスに乗せられたミッシェルとアレックスは、施設病院へと向かう。
アレックスが足にギブスをはめ、久しぶりにポンヌフ橋に戻ってみると、自分の寝床にはミッシェルとその猫が寝息を立てていた。ponnufu-fire.jpgアレックスはミッシェルの画帳を開き、自分の肖像画を見つける。
翌朝その絵が欲しいと言うと、新しく描くとミッシェルは描き出したが、アレックスを見つめるうちに気絶してしまう。その飛び散る画帳の中からアレックスは手紙を発見する。そこにはミッシェルの元の恋人ジュリアンの事が書かれていた。

ponnufu-hun1.jpgポンヌフ橋にはもう一人浮浪者のハンス(クラウス・ミヒャエル・グリューバー)がいて、アレックスは睡眠薬や酒を貰ったりする仲だった。しかしハンスは強硬にミシェルを追い出せと迫る。アレックスは彼女が失明に至る眼病を患っていることを説明し、置いてくれと頼み込む。
アレックスは夜、手紙の差出人のミッシェルの友人宅に忍び込み、ジュリアンというチェリストとの恋の破局が原因で浮浪者になったと知る。
アレックスはミッシェルのために食べ物を調達し、拾ったラジオをプレゼントした。二人は共に寝床に入ったが、ミッシェルは性的な関係はまだ早いと拒んだ。アレックスは寝息を立てるミッシェルの横で、ハンスから貰った強力な睡眠薬を服用し眠るのだった。
アレックスはミッシェルを好きになり、ストーカーのようにミッシェッルの後をつける。そんなある日、地下鉄の駅でミッシェルが突然振り返った。とっさに身を隠すアレックス。ミッシェルは構内に響くチェロの音を聞き、ジュリアンだと確信したのだ。事態を悟ったアレックスは、ギプスを履いた足で必死に走り、チェリストを発見するとナイフで脅し追い払った。アレックスはミッシェルにチェリストは女だと嘘を言うが、ミッシェルは電車に乗り込むチェリストを見て自分も乗り込む。ミッシェルの手には銃があった。ponnufu-torain.gif離れた車両からジュリアンを覗うミッシェルはいつしかまどろみ、夢の中でジュリアンを撃ち殺し、驚いて眼を覚ますと電車内にジュリアンの姿はなかった。
ポンヌフに戻ったミッシェルは、アレックスと共に酒を飲み革命200年のパリ祭の賑わいの中、花火が上がる空に向けて銃を撃ちながら騒ぐ。二人は酒を飲み、狂ったように踊る。ついには水上パトロールボートを盗み、花火が両岸から舞い散る川を水上スキーをしながら疾走した。


パリ祭の翌日いつまでもいるミッシェルに、出て行けとハンスが迫る。ミッシェルは、住むところもないし、失明すると語る。眼が見えなくなる前に美術館で見たい絵があるというと、ハンスは自分はガードマンだったから夜忍び込めるといい、共に絵を見に行くことを約束する。ponnufu-huns.jpg実はハンスがミッシェルを追い出そうとしたのは、女の浮浪者が不幸になることを自分の妻で知っていたためだった。ハンスは、ホームレス生活は止めて、外で生きろと言った。
次の日からミッシェルとアレックスは睡眠薬を使いカフェや酒場で、周囲の客を昏睡させ財布を盗むようになった。そして、順調に金を増やしたミッシェルは、ある朝、橋を出てどこかに住めると口にする。それを聞いたアレックスはミッシェルの過失に見せかけてその金を川に落とす。怒り、落胆するミッシェル。
ponnufu-muse.jpgそんなある夜、ハンスとミッシェルは約束していた夜の博物館に忍び込み、ロウソクの火でレンブラントの絵を見る。そして、その絵の前で二人は固く抱き合う。
橋に戻ったミッシェルを、どこに行ったのかとアレックスは責め、ミッシェルとアレックスはお互い殴りあう。ponnufu-cut.jpg疲れ果てて共に横たわる、アレックスの腹には自分でつけた傷が血を流していた。その夜、ハンスは川に落ちて消えた。

そんなミッシェルも、彼女の眼が悪くなるにつれアレックスに頼り、二人は一緒だと口にする。益々眼が悪くなったミッシェルとアレックスが、寄り添いながら地下鉄を歩いている時、アレックスはミッシェルの主治医デスターシェ博士が「手術で眼が治るから連絡しろ」と呼びかけるポスターを発見する。そのポスターを剥がしたアレックスだったが、街にはいたるところにそのポスターが貼られていた。
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ミッシェルは駅一面に貼られたポスターを燃やし、地上のポスターを追いかけ、ポスター業者のバンに山積みのポスターを発見する。アレックスはそのポスターに火をつけると、消火しようとしたポスター業者も焼死してしまう。アレックスは事件現場から逃げ、ミッシェルの元へ帰る。戻ったアレックスの前でミッシェルのラジオから、ミッシェルを探す主治医の呼び掛けが流れてきた・・・・・


(原題 Les Amants du Pont-Neuf/英語題 THE LOVERS ON THE BRIDGE/製作国フランス/製作年1991/126分/監督・脚本レオス・カラックス)


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ポンヌフの恋人・解説・感想

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実はこの映画を純愛映画だという世評に違和感を持っていたのだが、ふと原題に眼をやったときこれが純愛の物語ではないと確信した。
なぜならその原題は「Les Amants du Pont-Neuf」で、直訳すれば「ポンヌフの愛人」という題となる。

この「Les Amants=ラマン」について、フランス在住のブロガーmoiさんにお聞きしたところ、倫理にもとる意味合いを含んだ「愛人」という言葉が相応しいとのお答えを頂戴しました、謹んで御礼申し上げます。
moi.jpg
moiさん運営のブログ
『パリ生活社ミルクとマカロン2』


フランスとパリの気取らない日常を記してらっしゃいますが、その日常がうらやましいほど豊穣で、思わずフランスに行きたくなる誘惑にかられてしまうブログです。


そんな愛人という言葉に含まれた汚れが、この映画には満ちていると思うのだ。
juponnufu-cat.jpg
このジュリエット・ピノシュ演じるミッシェルの不実さはどうだろう。

ジュリアンという恋人を、殺したいほど求めながら、アレックスの愛情を利用し、あまつさえ自分の愛をもちらつかせる。
このしたたかな駆け引きに、誠という言葉は蜃気楼のようなものだ。

こんなミッシェルの姿を見て、別の映画のヒロインを思い出した。
それは、オードリー・ヘップバーンの演じた「ティファニーで朝食を」のホリーだ。
ホーリーも猫と一緒に、愛を捨ててまで、ニューヨークの町を豊かさを求めて放浪した。
当ブログ関連レビュー:
『ティファニーで朝食を』
オードリーの反資本主義
愛と金のつなひきを描いた映画


実を言えば、誠実さを持ち合わせているのはアレックスの方だ。
ponnufu-pos-fra2.jpg
彼は、痛々しいほどにミッシェルを求めて、すがり付く。
それは最早、愛というよりも、子供が母を求める心理に近い。

このアレックスとは、生まれながら欠落し窮乏している存在だと描写されていると感じる。
その欠落を根源とするイノセントで純粋な渇望は「童貞=ヴァージニティー」の一直線のベクトルを持って、対象=ミッシェルに降り注がれるだろう。

そんなアレックスは、大人の恋愛を経たミッシェルが、自分に物足りないだろう事に気がついている。
ponnufu-alex.jpg彼女が恋人に再会してしまったら、再会せずとも失恋のダメージがなくなれば、さらには金銭的余裕を持って橋の寝泊りが不要になってさえ、もっと言えば性的な満足を得たとすれば、あっという間に自らの元を離れていく運命だと知っている。
つまりアレックスがミッシェルとつながる
手段は、ミッシェルを自らと同じ欠落した者としてとどめる事だった。

ミッシェルが健全になれば、アレックスはミッシェルを失うのである。
ponnnufu-tizu.jpg
本来ポンヌフ橋とは、ノートルダム寺院に程近い大都会パリのど真ん中のシテ島に掛かる橋であり、そのまま健全な世界へとつながる場所であった。

しかし、この映画の改修工事中のポンヌフ橋とは人々の中心に有りながら、絶対的な孤立にあったのであり、それこそアレックスそのものだった。
そんな哀しい橋の上で繰り広げられた、カーニバルのなんと刹那的で狂騒的なことか。
パリ祭の水上スキー

じっさいのところ、アレックスとは全身全霊を込めて、ミッシェルを傷ついた欠落した状態に貶めようと努力する存在なのだ。

再び問う。

ponnufu-pos-fra.jpg
この二人の間にあったものを一体なんと呼ぶべきか・・・・・

とうてい純愛とは呼べないし、恋と呼ぶのもためらわれる。

結局、この壊れた橋の上で繰り広げられた、生まれつき壊れた男が、今壊れた女から「愛=利益」を得ようとする関係とは、足の引っ張り合い、おとしめあいだと感じられてならない。


こんな関係性を持った二人が、パリ祭の花火の中で狂騒的にハシャいでいる姿を見ると、刹那の欲望の交錯した一過性の関係でしか有り得なかったろう。

つまり、”ポンヌフの愛人”という題は、一夜購われた売春的な関係を描いた映画だという意味だったろう。

ponnufu-kai.jpg
しかし、間違えてはいけないのは、買ったのはミッシェルなのだ。

彼女が自らの健全さの、ほんの「一片」をあたえ、
一時アレックスを購ったのだ。

最初から欠落したアレックスという存在こそ、その身も心も売らざるを得ない男娼だったのだ。
つまりこの映画の前半で描かれたのは、ミッシェルの愛人となったアレックスの、捨てられることへの恐れと、精一杯の努力の姿だったと思えてならない。

この映画は、そんな旦那ミッシェルと愛人アレックスの、お互いの利害と欲と情がぶつかり合う、互いを支配しようと格闘する激烈な人間ドラマである。

しかし、これを「愛」と呼べるのかと、再度日本人の私は自問するのだ。
PontNeuf.jpg
本来「愛」とは、相互にとって喜びと平安を与えるもののはずだ。
「愛」によって家庭が形成され、「愛」によって子が育まれ、「愛」によって安心と平静な日々を送れるのではないか?

少なくとも、そんな日々の生活の基礎として「愛」が求められるのではないか。

正直言って、この映画で描かれたのはそんな「愛」の真逆の姿だったとすら感じる・・・・・・

そんな日本的な「」のイメージからすれば、この映画の語るところを上手くアピールしかねて、日本で映画を公開する際に「ポンヌフの恋人」というタイトルに、「純愛」というキャッチコピーを付けて世間に伝播したのだろう・・・・・・・


ponnufu-ame-po.jpgそれはまた、恋愛下手のアメリカでも同じ事のようで、そのポスターを見ると「THE LOVERS ON THE BRIDGE=橋の上の恋人達」で完全に「純愛」路線で訴えてる事がわかる。

しかし、ここに描かれたのは「愛」ではないと思った日本人の私ですら、この映画を最後まで見て思うのは、こんなお互いに殺しあうような「愛」が存在するのかもしれないという恐るべき想定だった。
もしかしたら、フランス人にとっての「愛」は、日本やアメリカで考える愛とは違う形で存在しているのではないかと思い始めたのである。

この映画のように、「愛」がエゴとエゴのぶつかり合いとして現れ、おたがいの全身全霊を注ぎ込み、ドロドロくたくたになって、その果てに両者が朽ち果てるような関係こそ・・・・
真の、究極の、敢えて言えば理想の「愛」なのかも知れないと、そう思いはじめている自分がいる。
そこには、かつてみた映画の影響もあったかもしれないのだが・・・・・
当ブログ関連レビュー:
『それでも恋するバルセロナ』
ウッディーアレンの描く恋愛映画
ラテンの国の愛の形を解説



つまりは、「愛」が日常の一部や水面下にあってはならない人々がいるのだろう。

たとえば、フランス人にとって、それは常に人生の上で響く花火のように、五感に響く存在として輝いてなければいけないのかもしれない・・・・・この映画史上に残る花火シーンを見ながら洗脳されていく自分が怖い・・・・


ホントにラテン系の人ってば・・・・・・

映画のラストに流れる、印象的な曲 レ・リタ・ミツコの歌う「Les Amants」

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以降

ポンヌフの恋人・ネタバレ

とを含みますので、ご注意下さい。
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(あらすじから続く)
自分の眼が直ると知ったミッシェルは、その晩アレックスと共に酒盛りをし、たちまち一本を空にする。そして二本目のワインを空けた時、そこに睡眠薬を混入しアレックスを眠らせた。
深夜眼を覚ましたアレックスは、橋に”アレックス、私は決してあなたを、本当には愛さなかった。私を忘れて”という書き置きを発見した。
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アレックスは自暴自棄になって、ミッシェルの銃で自らの指を吹き飛ばした。
そして、朝が来て警察に逮捕されたアレックスは、懲役3年を言い渡され収監された。
数年後その刑務所をミッシェルが面会に来て、あなたを夢に見た、忘れた事はないと告げ、出所する6ヵ月後のクリスマスの夜、ポンヌフ橋での再会を誓った。
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そんなミッシェルは眼の主治医デスターシュ博士の家に帰り、愛猫ルイジアンヌの名を呼ぶのだった。
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ポンヌフの恋人・ラストシーン

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ポンヌフ橋で再会した二人。昔のように酒を飲み、馬鹿騒ぎをした。
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そして、ミッシェルは言う・・・・もう帰らなければと。
ミッシェル:アレックス、帰らなければ 本当に死ぬほど疲れた/アレックス:それは嘘だ/ミッシェル:何?/アレックス:君は疲れてないだろ。/ミッシェル:いいえ疲れてる/アレックス:近くに小さなホテルを取ってある。ルイジアナという名前で君の猫と同じだ。/アレックス:ベッドで朝食をとろう/ミッシェル:愛してる。でも行かなきゃ/アレックス:どこへ/ミッシェル:そのうち言うわ/アレックス:なんで/ミッシェル:怒鳴らないで!ちょっと事情が・・・・時間がかかるの・・・・今夜は、言わせないで。/アレックス:冗談だろ/ミッシェル:私と付き合いたかったら我慢して。
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アレックスは叫ぶ「イヤだ!嘘つき!嘘つき!嘘つき!ミッシェル!」
アレックスはミッシェルとともにセーヌ川へと身投げした
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そして船に拾われる二人。
ミッシェル:土砂を売ってるの/船の夫婦:いいや、ただ運んでるだけだ。これが最後の旅さ/ミッシェル:どこに行くの/船の夫婦:ルアーブルまで/ミッシェル:ルアーブル。私達ものせてくれる/船の夫婦:なんとかなるよ/ミッシェル:一緒に行っても大丈夫? /船の夫婦:大丈夫だよ
船の舳先にたつ二人
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まだ暗いパリにむかってミッシェルが高らかに宣言する。
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パリよまどろめ!


この二人は地獄のそこまでもアムールを持って突っ走るのだろう。

・・・・・・スミマセンこの映画純愛かも知れません

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posted by ヒラヒ・S at 18:56| Comment(4) | TrackBack(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは(;゚Д゚)気狂いピエロの何倍も難しいです💦おフランスは難しいですな〜(笑)でも観たいですね!こういうのは観たいです(笑)
Posted by ともちん at 2017年03月16日 19:30
ともちんさん
ありがとうございます(^^)スミマセン私の文章が悪いんです・・・・恋愛映画です・・・はい、キレイです(//∇//)
Posted by ヒラヒ・S at 2017年03月16日 20:00
レビュアンさんけっこう恋愛映画観ますね〜。
フランスの恋愛映画とは若干苦手な分野です。
そういえばこのブログをスマホで見ましたがなかなか斬新な感じで綺麗でした。スマホの方がPVも多いのでは?
自分もこの一か月改造したりしてますが、イマイチいい感じになりません(^^;
Posted by いごっそう612 at 2017年03月16日 20:37
>いごっそう612さん

ありがとうございます(^^)フランスの恋愛映画は実は人生そのものなのだと思い始めた今日この頃です。
どうでしょう、スマホ10%位でした・・・・ampエラーは少なくなったようですが・・・・・
Posted by ヒラヒ・S at 2017年03月16日 21:11
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