2017年03月02日

『勝手にしやがれ』ヌーヴェルヴァーグ衝撃映画・ネタバレ・あらすじ・ラスト・解説

鮮烈!ヌーヴェルヴァーグ宣言



評価:★★★★  4.0点

この1959年の作品が語るものは、映画がスタジオを離れて、メジャーな大資本を背景としなくとも、志さえあれば作れるという宣言だったはずだ。
その結果として、一個人の個性のままに映画を撮る「作家性」の表現がより容易となった。
それは、ハリウッドに対する見果てぬ夢が紡いだ、止むに止まれぬ衝動だったように思えるのだ・・・・

勝手にしやがれ・あらすじ

マルセイユで盗んだ車でパリに向うミシェル(ジャン・ポール・ベルモンド)は自動車泥棒。スピード違反で追いかけられ、追いつめられ白バイの警官を射殺してしまう。金のないミッシェルはパリで、遊び相手の女の部屋を訪ね、財布から金を盗り街に出る。旅行案内所に勤める悪友アントニオへ約束の金を引き取りに行くが、現金ではなく小切手だった。小切手を現金に代えてくれるベリユッティという男を探しにパリの街に出る。その頃には、白バイ警官殺しの犯人がミッシェルだと警察は知り、刑事が彼を追いはじめる。ミッシェルは、刑事の追跡を振り切り、今夢中になっているアメリカからの留学生パトリシア(ジーン・セバーグ)に会いに行く。彼女はヘラルド・トリビューンの新聞を街頭で売るアルバイトをしていた。ミッシェルはパトリシアと一夜の関係を持っており、今晩も同じベッドで寝ようと誘う。しかし、パトリシアはトリビューンの記者とデートの約束があった。ミッシェルはパトリシアのアパートに無断で泊り込む。翌朝帰ってきたパトリシアとミシェルは、ベッドの上で互いを求める。彼女はトリビューン紙の記事を書かせてくれるというので、飛行場へ作家のインタビューに出かけ、ミッシェルは街で盗んだ車を盗品故買商に売りに行く。しかし指名手配中だとばれて、その故買商を殴り立ち去った。ミッシェルは小切手を現金に買えて、イタリアに高飛びしたいと、ベリユッティを探すが見つからず、逆に新聞に載った手配写真に追い詰められ、パリの街をさ迷う。新聞社に報告に戻ったパトリシアを刑事が訪ね、彼の居所を知らせろと迫る。もし隠すような事があれば強制送還すると脅す。それでもパトリシアはミシェルと会った。二人はモンマルトルの酒場でベリユッテイを捕まえた。しかし小切手は明日にならないと現金化できないという。しかたなくその晩、二人はベリユッティの知り合いのスタジオに泊った。ミシェルはパトリシアにイタリアに行こうと語り、彼女も頷く。しかし、二人の未来は翌朝に変転する・・・・・・・・

(原題 À bout de souffle/英語題 Breathless/製作国フランス/製作年1959/91分/監督・脚本ジャン・リュック・ゴダール/原案フランソワ・トリュフォー)

勝手にしやがれ受賞歴


1960年ベルリン国際映画祭銀熊賞・監督賞

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勝手にしやがれ解説

ヌーベルバーグの紹介

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この映画は1959年に公開され、世界中にヌーヴェルヴァーグという名の映画スタイルを、鮮烈に印象づける一本となった。
その映画スタイルはあまりにも従来の映画文法と違いすぎ、世間から賛否両論を生むほどの革新性に満ちていた。
映画「ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー」予告

実際、世界中の映画人はこのフランス発のヌーヴェルヴァーグの波に、吞みつくされたといっても過言ではない。
アメリカに渡りニュー・アメリカン・シネマを生み、日本でも日本アート・シアター・ギルド(ATG)がヌーヴェルヴァーグに触発され、新たな表現を模索した。
当ブログ関連レビュー:
『死刑台のエレベーター』
ルイ・マル監督の傑作ミステリー
ヌーヴェルヴァーグを解説してます。

しかし、今この映画を見て、その撮影スタイルが斬新だと、現代の映画に慣れた目から見えるかどうか・・・・・
例えば、手持ちで被写体を追いかけるカメラワークだとか、突然切り替わるようなモンタージュだとか、ドキュメンタリータッチのブレた映像だとかで、その斬新さを感じられるだろうか。
カット割りの新手法
ジャンプカット:ショットの途中を飛ばして、直接繋ぎ合わせる映像編集手法。
ファストカット:短いショットを多く用いて、頻繁に場面転換する編集手法

手持ちカメラでの街頭撮影

なぜなら、これらの技法はすでにスタンダードなカメラワークとして、現代の映画話法の一部と化しているからだ。
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つまり、当時斬新でスタイリッシュだったスタイルは、誰もが真似をする事で手垢の付いた陳腐な表現へと変わり、ついには流行遅れにすら見えはしないかと危ぶむ。

しかし、当時世界に衝撃を与えた斬新さが現在この映画から感じられないとしてもこれらのカメラワークが撮影予算のためにシッカリ固定して安定した構図を作りえなかったことや、長すぎる時間をカットしろと求められた事が原因だとしても、間違いなく世界で始めて商業映画として表現された、自由な映像表現であったということは、歴史的事実として押さえておきたい。

更に言えば、このフランスのヌーヴェルヴァーグ映画作家達は、批評家としての素養はあったものの、映画の現場で職業的な訓練(助監督などの下積み)を経ておらず、資金的にも苦しい中で、それでも映画を撮りたいという情熱により作り上げられた作品なのである。


それゆえ、従来の映画文法から逸脱し、映像の荒さや手持ち撮影というラフさも生じた。

しかし、その乱暴な映像であっても、従来の手法に従わなくとも、映画として成立すると言う事実が、映画の可能性を広げ、同時に映画作家の間口を広げた事も間違いない。

つまり、ヌーヴェルヴァーグの示したものは、資金がなくとも、映像の基礎的な研鑽がなくとも、志があれば人は映像作家たりえるという事実だったに違いない。

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勝手にしやがれ感想

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正直に言えば、上で述べた映画史的な要素や、公開当時の衝撃は、私個人もただ想像するしかない。
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従って、そんな歴史的な見地を抜きにして、この映画を見てどうだろうか?

白黒で、画面も粗いし、脚本もシッカリと構築されてはいない。
更には、フランス映画特有の言葉の洪水もあるし、小資金のスケールの小ささも否めず、正直伝える技術としての荒っぽさも目立ちはする。

しかし、それでもこの映画には見逃せない情熱が、迸る鮮烈さが、画面に満ちていると思う。

しばしば思うのだが、映画に時代が映り込む、時代が乗り移ることがありはしまいか?

この映画はそんな一本だと感じる。

さらに俳優陣を見てみれば、ジャン・ポール・ベルモンドの斜に構えたスタイリッシュな立ち姿を見て、つい「イナセ」という言葉を思い出してしまった。
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ジーン・セバーグの個性も際立っている。役柄のアメリカ娘と感じられるかと問われれば、むしろフランス的なコケティッシュを感じるのだが、当時のフランス人から見たアメリカ娘のイメージは、彼女のような存在だったのかもしれない。

この俳優2名は、映画の中で途方もない存在感を見せるのだが、それもやはりこのヌーベルバーグという、映画に対する熱い思いが迸ったがゆえの、なりふり構わぬ情熱の発露が生み出した力だったろう。

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更に長くなるのだが、この映画のストーリーを追ってみた時、フランスの若きチンピラがアメリカ娘に恋をし、振り回される物語となっている。
そして、それこそがヌーベルバーグ作家達の、本質的な創造の源泉ではないかと思えてならない。

katte-pA.jpg唐突に聞こえるかもしれないが、第二次世界大戦によってフランス映画界の栄光がナチス占領下で失われたとき、その空白に大量に流れ込んだのがハリウッド製映画だった。
1945年の終戦当時にジャン・リュック・ゴダールは15歳、フランソワ・トリュフォーは13歳で、まさに思春期に、ハリウッド映画を浴びるほど享受しただろうことが、ヌーベルバーグの底流で流れる情熱の源だと思えてならない。

その輝かしい「ハリウッド映画=アメリカ文化」に対する憧れが、長じてヌーベル・ヴァーグ作家達に映画を撮りたいという夢を抱かせた。
しかし、ハリウッド映画のような作品を撮りたいという熱い情熱はありながら、ハリウッド映画のような環境では撮りたくとも撮れないフランス人映画作家達の、フラストレーションがそのまま映画として立ち上がったのが、この『勝手にしやがれ』ではなかったろうか。

USA-flag.png求め続けるフランスの若者に、なびきそうでなびかない、愛してるようで打算的、欲しがりながら突き放す、アメリカ娘という構図。
これこそ、彼らのアメリカ文化に対する憧憬と、決してハリウッド的映画を作りえない現状、さらにそこから生まれた反発が、反ハリウッド的な映画の追求へと導いたのではなかったか。

しかしこの映画にある、求めても応えてくれない「アメリカ娘=ハリウッド映画」への愛や反発を、条件が悪くとも、技術が伴わなくとも、見る前に飛べという「勝手にしゃがれ」状態で表現した結果がこの映画ではないか。

つまりは、ハリウッド映画に対する片思いの果てに、その「恋心」がフランス的に変換され、爆発したものこそ、この映画でありヌーベルバーグという様式だったと個人的には確信している。

この映画はアメリカで1983年に『ブレスレス』としてリメイクされた。
アメリカの車泥棒をリチャード・ギアが演じ、相手役がフランス人留学生(ヴァレリー・カプリスキー)というどこかスットンキョウな映画だった。フランス版と見較べると、アメリカのフランス・コンプレックスが見えるようで面白い。


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以降

勝手にしやがれ・ネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。
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(あらすじから続く)
しかし共に逃げようと言いながら、翌朝パトリシアは警察に密告した。
そして、ミシェルに“あと十分で警察が来る”と告げた。ミッシェルは外に出て、ベリユッティから金を受け取る。

【意訳】
ベリュッティ:アミーゴ!車を停める。/ミッシェル:警察が来る。/ベリュッティ:お前の金だ/ミッシェル:アメリカ娘が俺を売った。/ベリュッティ:乗れ!/ミッシェル:イヤだ、行け!/ベリュッティ:乗れ!/ミッシェル:イヤだ、ここにいる。/ミッシェル:もう十分だ・・・疲れちまった・・・俺は寝たいよ。/ベリュッティ:気でも狂ったのか/ミッシェル:警察に捕まっても、死刑にはならないだろう。しゃくだが女のことが頭から離れない。/ベリュッティ:俺の銃を持って行け。/ミッシェル:いらない/ベリュッティ:バカを言うな。/ミッシェル:しまっとけ。(警察官が到着し、ベリュッティが銃を投げ、それを拾い振り向くミッシェル。それを見た警官が発砲する)


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勝手にしやがれ・ラストシーン

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撃たれたミッシェルは、よろめきながらも逃げる。

【意訳】
ミシェル:まったく最低だ/パトリシア:彼はなんていったの/警官:あなたは本当に最低な女だと。/パトリシア:最低だっていう意味が分からない

この映画は素直に見れば、「タナトス=死に向かって走る男」と「エロス=欲望に向かう女」の葛藤の物語と読める。生は死に優越するが、しかし敗れし死の方が美しく記憶に残る。
映画史に残る、最高にクールな死に様だと個人的には思う・・・・・・・・・

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posted by ヒラヒ・S at 17:18| Comment(4) | TrackBack(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月28日

映画『アンダーグラウンド』神話を成立させる悲劇/解説・あらすじ・ネタバレ・ラスト・感想

ユーゴスラヴィアの半世紀



評価:★★★★  4.0点

この映画は旧ユーゴスラヴィアの50年、半世紀に渡る苦難の物語だ。
そのジプシー音楽に乗せて語られる物語は、狂騒的で不穏でファンタジックな顔を持っている。
そんなこの映画は、伝説・神話がなぜ成立するかを教えてくれる秀作だと思う。

『アンダーグラウンド』あらすじ


セルビアの首都ベオグラードは1941年、ナチス・ドイツの侵略を受けた。策略家のマルコ(ミキ・マノイロヴィチ)は友人の電気工ブラッキー通称“クロ”(ラザル・リフトフスキー)を誘い、チトーの共産パルチザンに参加し伝説的な人物となる。マルコは自分の祖父の屋敷の地下室に弟で動物園の飼育係だったイヴァン(スラヴコ・スティマッチ)やクロの妻ヴェラ(ミリャナ・カラノヴィチ)たち避難民をかくまう。そんな中ヴェラはクロの息子を産み死んでしまった。クロは女優のナタリア(ミリャナ・ヤコヴィチ)に恋して、ナチス軍将校フランツ(エルンスト・ストッツナー)の愛人だったナタリアを、フランツの面前でさらい、強引に結婚式を挙げる。しかしクロは独軍に逮捕され激しい拷問を受ける。マルコはクロを救出に向かい、脱出に成功する。しかし、その際クロは手榴弾を暴発させて重傷を負い、マルコの地下室に匿われたまま、45年の終戦を迎える。地上ではチトーが大統領となり共産主義国ユーゴスラヴィア連邦が成立していた。
<第二部 冷戦>1961年のユーゴスラヴィアでマルコはチトー政権の実力者となり、女優ナタリアは彼の妻だった。一方のクロは、未だマルコの地下室に隠れたままだった。マルコの策略で戦争が継続中だと思わせ、地下の人々を騙し、武器を製造させ外国に密売して、私服を肥していたのだ。さらにマルコはクロをパルチザンの英雄として宣伝し、国に殉じた英雄に祭り上げていた。時は流れ地下室でクロの息子ヨヴァン(スルジャン・トドロヴィチ)の結婚式が行われ、狂乱の宴が繰り広げられる中、ついには誤って戦車が砲撃を始め、その隙に地上に出たクロとヨヴァンは、マルコが撮らせていた英雄クロの伝記映画の撮影現場に出くわし、ドイツ占領下にあると信じているクロは将校フランツ役の俳優を射殺する。ヨヴァンは混乱の中姿を消した、妻を求めて川に入り行方知れずとなる。マルコは欺瞞が暴かれた事を知り、自殺したと見せかけ地下室を爆破、秘密の地下道に逃げ込んだ
<第三部 戦争>1992年、チトー政権はもうなく、ユーゴスラヴィアは分断され戦争の渦中にあった。あの混乱で地下道路に入ったイヴァンは、ベルリンまで行き兄マルコが悪名高い武器商人だと知る。イヴァンは故国に帰り兄マルコに復讐をする事を誓う。マルコとナタリアは武器商人として裕福な生活をしていた。一方のクロは行方不明の息子ヨヴァンを探しながら、軍隊の隊長として“ファシストの糞野郎ども”と闘いつづけていた・・・

『アンダーグラウンド』予告



(英語題 Underground/フランス、ドイツ、ハンガリー、ユーゴスラビア、ブルガリア合作/1995年/171分/監督エミール・クストリッツァ/脚本デュシャン・コバチェヴィチ、エミール・クストリッツァ)

『アンダーグラウンド』受賞歴


カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞


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『アンダーグラウンド』感想



この映画は、音楽と、ヴィジュアルと、ストーリーの全てが、騒がしく狂おしい。
物語の基調はコメディーのおかしみを湛えつつ、なぜか哀しい。
そして何よりも、現実離れしたファンタジーとして成立していると感じられる。
しかしこの映画のファンタジー性とは、幻想や不思議を描くために導入されたのではなく、現実を「伝説・神話」に変換しなければならない必然性があったのではないかと思える・・・・・
ファンタジックな結婚式

この映画が、ユーゴスラヴィアの現実に依拠しながら、こうもファンタジックな表現を持つ理由がユーゴの歴史に隠されていると個人的には感じた。

『アンダーグラウンド』解説

ユーゴズラヴィアの歴史


第一次世界大戦前夜、「汎スラブ主義=世界中のスラブ人の団結」の中心がセルビア王国で、スラブ民族で統一国家建設が悲願だった。しかし欧州の大国家オーストリア・ハンガリー帝国がスラブ民族の住む地域を併合しており、それを許さない。様々な摩擦が両国間で生じる中で、ユーゴスラビアが位置するバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるようになる。
そして、ついにオーストリア帝国の皇太子がセルビア人青年に暗殺された「サラエボ事件」が発生した。ついには、オーストリア帝国がセルビア王国に宣戦布告し、第一次世界世界大戦に発展した。(下:1914年の欧州地図)
euro1914.PNG

第一次世界大戦の結果、セルビア王国は甚大な被害を受けたが、戦争の原因が帝国主義にあったという反省のもと、戦後処理のべルサイユ条約でも民族自決の原則が盛り込まれ、汎スラブ主義実現の機運が高まる。
そうして、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、スロベニアの4つの地域・民族が集まった 「ユーゴスラビア(南スラブの意)王国」が成立した。
しかし、南スラブの同族といえども、歴史的経過の中で民族ごとに独自の文化を持つ多民族国家。新国家体制が旧セルビア王国中心でセルビア人が支配的になるにつれ、理想に燃えていた他民族に不公平感が生じ不満が積のった。
ついには国王が暗殺される事態となり、政府は融和策として、諸民族の中で独立急進派のクロアチア人に「クロアチア自治州」を認めざるを得なくなる。しかし分離独立を目指す民族主義者は、独立国を求め更に運動を激化させる。時代は第二次世界大戦に突入し、クロアチア人はドイツ軍の侵略に加担しセルビア人へ激しい攻撃を加え、最終的に独立を獲得した。

第二次世界大戦が終結しユーゴスラビア王国は、甚大な被害を蒙ったもののドイツ軍は敗退撤退した。
その戦いを通じて、チトー率いるパルチザンが国民の信望を得て、チトーは大統領に就任し国名をユーゴスラビア「社会主義連邦共和国」とし、クロアチアをユーゴに再び併合した。
第二次世界大戦後は、ソ連の共産主義圏の中で独自性を維持しつつも、ソ連の強い影響下にあった。仮に民族紛争が発生すれば、ソ連の介入を生みかねない中で民族間の対立は表面化しなかった。しかし1985年にミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任して「ペレストロイカ」政策を唱え、1980年にチトーが死去すると、それまで抑えられていた民族間の対立感情が噴出する。
yougo~1990.png連邦制下にあったスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国と、セルビア内のヴォイヴォディナ、コソボの2つの自治州はそれぞれ民族の分離独立を叫び、そんな民族主義の運動に加え地域による経済力格差によって、市場経済導入の混乱が地域間の不均等を増大させた。

こうしてユーゴスラビア紛争が本格化し「独立を目指す各民族」が「セルビア」から武力によって独立し続ける。
1991年、クロアチアとスロベニアが独立を宣言。連邦(セルビア)は2国に対して武力侵攻し、スロベニアは10日間で鎮圧。しかしクロアチアとは1995年までクロアチア紛争が継続した。(下:クロアチアのプロパガンダCM)

youugo-funnso.jpg1995年、国連がクロアチアの独立を認める一方、クロアチア側は国内の一部をセルビア人居住区として分離してセルビア共和国へ併合することを認めるという形で合意しクロアチア紛争が終結。
さらに1992年、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言し「ボスニア紛争」が勃発。
国土をクロアチア人・ムスリム人の国としての「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(首都サラエボ)」とセルビア人の国としての「スルプスカ共和国(首都バニャルカ)」に分離することで紛争は終結。
紛争決着により各地のセルビア人難民を、共和国内のコソボ自治州へ移植させようとしたセルビア共和国政府に対し、自治州内の90%を占めるアルバニア系住民の民族派が反発し、「コソボ紛争」も発生した。
マケドニアも1992年に独立を宣言し、紛争を経ずに独立を果たしたものの、コソボ紛争の余波によりアルバニア人勢力との間で2001年「マケドニア紛争」も発生した。
2002年、ユーゴスラビア連邦は各国の独立を受け、セルビア・モンテネグロと国家体制を取る。
2006年、モンテネグロも独立。セルビアは単一国家となり、ついにユーゴスラビア連邦は消滅した。


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『アンダーグラウンド』解説

神話の創造


正直言って、共産圏の崩壊以後のユーゴズラヴィアの歴史とは血の抗争の歴史だ。
1990年という、第二次世界大戦後50年も過ぎようかというときに、隣人同士殺し合い、レイプされジェノサイド(民族集団虐殺)まで発生した。

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つまり、この映画はそんな過酷な現実を語らなければならない時、あまりの痛みにリアルに事実を語れないが、それでも語らなければならないという相克の果てに、苦肉の策で生まれた狂騒的なファンタジー表現だったのではないかと感じた。


それは睡眠時の「夢の作用」と同じ精神的作用だったろう。
つまり、人は現実に起きたつらい経験や苦悩を整理・消化しなければ生きていけない、それゆえ夢の中でその体験を解消しようと努めるのだ。

しかし夢によって、大事な睡眠を妨げる事は休息を損なう危険な事態だ。
それゆえ夢は、睡眠を妨げず、つらい体験を解消できる道を選ぶ。

例えば、線香をバキバキと折りまくり、火をつけて香のにおいが立ち込める中で、高笑いしている夢。
これが、昼間学校の先生に怒られたストレスを解消するための夢だったりする。
つまり線香は先公であり、先生を痛めつけ、ストレスを解消したいという欲求を満たしたいのだが、さすがに先生を直接殴っている自分をそのまま夢で見ればビックリして覚醒してしまう。
それゆえ、線香というシャレで変換をかけて、負荷の少ない形で夢見るたりするのである。


Furoito.jpeg
精神分析学の始祖フロイトは「夢判断」という著書の中で、詳細に夢の変換・置換・圧縮作業を語っている。
フロイトは夢において充足させようとする願望を、意識が検閲し明確化することを妨げようとする作用があり、その意識による夢の検閲を回避するために、無意識は願望を間接的な歪曲した表現とするという。


つまり、つらい経験を意識する事、不幸を語る際に、その現実を直裁に表現するのは甚だしいストレスが生じるのではないか
それゆえ、現実を異化しファンタジーへと変換して語ることが、必要になるのではないかと思うのである。
つまりこの映画で示されたものは神話・伝説の誕生であったろう。

それはこの現代を生きた同時代人において、甚だしい苦痛・不幸・絶望・苦難・衝撃・悲劇・悲哀・喪失を経験した人々がいたという事実を示すものだと感じられてならない・・・・・・・

エミール・クストリッツァ監督作品の紹介動画


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以降の文章には

『アンダーグラウンド』ネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。

イヴァンは裏切り者の兄マルコを見つけ、杖で殴り続ける。そして、自らは教会で首を吊った。
息も絶え絶えのマルコとナタリアは、兵隊に拘束された。その軍を指揮していたのがクロだった。クロは兵士より無線で連絡を受け、マルコとナタリアとは知らず、二人の処刑を命じる。
クロは友だった男の死を知って、かつての地下室を訪れ、井戸の中にヨヴァンの姿を見る。
次の瞬間、彼は水の中で最愛の息子に再会していた。
スクリーンショット 2017-01-28 19.52.26.jpg

『アンダーグラウンド』ラストシーン


楽園のような川辺で、ヨヴァンの結婚式が楽しそうに行われている。イヴァンがカメラに向かい「苦痛と悲しみと喜びなしには、子供たちにこう語りかけられない。昔、あるところに国があった」と語りかける。
音楽がいつまでも楽しそうに鳴り響く中、いつしか死者達も席を連ね、宴はやがて大地を離れてドナウ河を流れていく。

世界は過去と未来の歴史を乗せて、不可避的に、運命的に、時を流れ行くのだ・・・・・

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posted by ヒラヒ・S at 20:59| Comment(4) | TrackBack(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月11日

リュック・ベッソン『アトランティス』海洋ドキュメントの傑作・感想・解説

リュック・ベッソンが描く、蒼のエデン



評価:★★★★ 4.0

それは美しく、時にはうだるように暑い街
そして時には、氷のように冷たく、いり込むことを拒む街

atl ryuck.jpg「アトランティス」
それは人間のいない水の下の人生
実在しない、あるいはもう存在しない場所

「アトランティス」
それはひとつの物語
いつも漂っている妖精、賢いイルカ、魔法使いを怖がらせる鮫
興奮してダンスを踊るマンタが織りなす物語

「アトランティス」
それはひとつの童の夢
     リュック・ベッソン


アトランティスあらすじ

バハマ、ニューカレドニア、ガラパゴス諸島、フロリダ、タヒチ、オーストラリア、セイシェル、世界の海を自分自身もダイバーだったリュック・ベッソン監督が描き出す。海の豊穣な生物の姿、ウミヘビ、マナティ、ウミイグアナ、オニイトマキエイ、ジンベイザメ、ホオジロザメ、イルカなどなど、エリック・セラの音楽とともに映し出す。

(製作国フランス/1991年/80分/監督リュック・ベッソン/音楽エリック・セラ)

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アトランティス感想・解説
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物語は、海から始まったのだ。

この美しい場所で紡がれた生命が、何と豊穣で驚異に満ちた可能性を秘めていたことか。

この深い海の藍に包まれ命が誕生し、ついには地上に進み、今や宇宙にまでその命を届けようとしている。

海と人の関係を物語った「グラン・ブルー」の監督L・ベッソンの、これは海と海洋生物のドキュメンタリーである。
atla-doru.jpg

自然を描いたこの手のドキュメンタリーは、往々にして見ているうちに飽きてしまうものだ・・・・・

しかしこの映画は違う。

海に魅了された監督だけに、その最も魅力的な姿を、印象派や抽象派の絵画の様な映像で展開してくれる。

atl-photo.jpgもはやファイン・アートと呼びたくなる「青の世界」が、万華鏡のような変化を遂げるのを観るうちに、まるで催眠術に落ちるかの如く、いつしか魅入られてしまうのだ。

このリュック・ベンソンの心を通して映像として定着した海中の世界で、最も感動的だったのはその3次元の広がりであった。

海底から日の差し込む天上(海面)に向かって、海洋生物たちは重力を感じさせずに優雅に浮遊していく。人間が地上に縛られている事に比べ、海洋は本当に自由にみえる。

勿論、弱肉強食の世界に変わりはないが、その深い青が総てを宗教行事のよう神々しくさえ見せる。
atl-aka.jpg

そして気がついたのだ。

地上に進んだ命達は、海というエデンの園から追放されてしまった、アダムとイブなのだと。

かつての楽園の自由を求めて、宇宙という無重力を目指すのに違いない・・・・・・・・・・・

地球で生命を受け継ぐ者たちは、やはり、このエデンの園に一度は足を踏み入れるべきだと思う。

できれば部屋のライトを全て消して、青、蒼、藍、の世界に没入してほしい。

そうすれば癒やしと共に理解するはずだ、われわれ人間の喪ってしまった「美しき青」の記憶が自らの裡にあることを。
 
そう物語は、海から始まったのだ。

関連レビュー:映画『レオン』暴力と愛のリリシズムのあらすじとネタバレ・ラスト


関連レビュー:『グラン・ブルー』
伝説の実在モデルをもとに、リュック・ベンソンが
描く深き海の世界

関連レビュー:
『ニキータ』暗殺者ニキータを描く、リュック・ベンソンの出世作



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posted by ヒラヒ・S at 17:23| Comment(5) | TrackBack(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする