2016年08月02日

アラン・ドロン『太陽がいっぱい』アイドル映画の傑作・あらすじ・感想・解説

映画俳優の系譜・男性スターの歴史

太陽がいっぱいあらすじ
貧乏なアメリカ青年のトム・リプレイ(アラン・ドロン)は、中学時代の友人・金持お坊ちゃんフィリップ(モーリス・ロネ)と酔っぱらってナポリに遊びにきた。フィリップの父親から家に連れ戻してほしいと五千ドルで依頼されたのだ。フィリップはマルジェ(マリー・ラフォレ)という美しい婚約者がいた。フィリップは三人で遊ぶうちにトムを徐々に疎んじ、ついには虐げる。裸でボートに放り出され、全身が火傷のように日焼けしたりする。
そして、ついにトムはフィリップを刺し殺す。トムはフィリップになりすますため、身分証明書を偽造し、サインを真似し、金も服も使い、ヨットを売り、フィリップの親からの送金も手に入れ、ついにはマルジュも我が物とする。トムは、こうしてフィリップの全てを手に入れ、太陽にその体を焼かせながら満足げにビーチでくつろいでいた。彼は完全犯罪を成し遂げたように見えたのだが・・・・・(1960年・フランス・ルネ・クレマン)

 
評価:★★★★★  5.0点

唐突だが、第二次世界大戦前の映画界では、ザックり言って男性スターは、ほぼ中年だった。以下、例を挙げよう。
『風と共に去りぬ』(1945)のクラーク・ゲ−ブルは39歳。
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『カサブランカ』(1942)のハンフリー・ボガードは42歳。
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『スミス都へ行く』(1939)のジェームズ・スチュワートでも31歳。
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『ヒッチコック断崖』(1941)のケーリー・グラントで37歳。
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『トップ・ハット』 (1935)のフレッド・アステアが36歳。

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『ローマの休日』(1954)のグレゴリー・ペックが38歳という具合だ。
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たぶん1940年代より前は、若い男は金がないので、女性にとって魅力的ではなく「夢の対象=スター」に成りがたかったと推測する。
実際、戦前の1920〜40年代の世界は貧富の差が激しい階級社会であり、当時の女性の適齢期(18〜25歳)に相応の結婚相手(20代〜30代の若者)と一緒になるとすれば、同階級で選らぶ以上一般庶民の娘達の未来は、貧しい男と苦しい生活を強いられるのは必然なのだ。

つまり当時の女性達の「欲望=夢」とは優雅な結婚生活であり、そんなことを約束してくれる「リッチ」で「紳士的」な、理想の男性とは30代後半のオジサマ達だということだった。
更にいえば、当時の若い男達は若造だと見られれば「モテナイ」ために、わざと老けて見えるように努力したという話だ。

しかし、第2次大戦後、数年を経ると若い男性スターが現れる。
『欲望という名の電車』(1951年)マーロン・ブランド26歳。
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『エデンの東』(1955年)ジェームズ・ディーン、26歳。

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そして、この映画『太陽がいっぱい』(1960年)は、アラン・ドロン25歳のときの作品だ。
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この20代のスターの登場とは、歴史的に見れば、長い戦争が終わって戦前の富裕層が少なからずダメージを受け、更に社会全体の経済状況が好転し、若者にも金銭的余裕が生まれ始めたという社会状況に符合する。
つまり第二次世界大戦を経て、社会は若者達に夢を見せることが出来るようになったのだ。

そして、それはこの映画『太陽がいっぱい』のストーリーそのままであるように感じる。

この映画でアラン・ドロンは金持ちの放蕩息子を殺し、その財産と恋人を奪う。
これは、かつての支配者たちの亡霊=金持ちの放蕩息子から、無一文の青年が自由になり、若き姫を手に入れる物語なのだ。

アラン・ドロンが上半身裸で悲しい目をするのは、何物も持たない事の叙述である。
この1960年の時点では、まだ若者たちは、正当な社会的競争という形で支配者達と戦う事が叶わなかったゆえに、身一つで命がけの勝負をするしか無かったのである。
そんな若者達の悲しい挑戦を、ニーノローターのセンチメンタルな音楽によって切なく彩る。



いずれにしても、アラン・ドロンはこの映画を境に「アイドル=理想形」として社会的に認知されるようになる。
それはこの支配者層に対する若者のなりふり構わぬ戦いが、そのまま戦後世界の清貧な青年に共通の戦術目標であったからに他ならない。
この映画は、そんな新旧の戦いをスリリング描き、クライム・ドラマとして完璧なだけでなく、あたかも喪われた愛を求めてさ迷うようなアラン・ドロンの眼差しが、この闘争をロマンチックにヒロイックに表現し見る者の心を打つ。

そしてその闘いは、若き女性達の新たなる夢をスクリーン上に定着した事を意味した。
ぶっちゃけ、若くてキレイな若者が命がけで闘ってくれれば、多少貧乏でも応援しちゃうでしょ?

ところで、この新旧の戦いの結末はどうなったか。

若者たちの太陽に祝福された勝利と、老人たちの暗闇の策動による勝利・・・・

・・・・・ぜひ映画で、この象徴的帰結を確かめてほしい。

間違いなく映画史に残る一本です。


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posted by ヒラヒ・S at 18:40| Comment(4) | TrackBack(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月19日

『オーケストラ!』ロシアの困窮と個人主義の持つ力

ワガママなアーティスト




評価:★★★★   4.0点

このどっかスットボケタ、ベタなコメディー映画が、ナゼか私の心を熱くしました。

その昔はロシアの名門ボリショイ・オーケストラの指揮者で天才といわれた主人公も、ロシアの政情不安や不景気によって、今や楽団の清掃員をしています。しかし、そんなある日一通のFAXが楽団事務所に入り、出演できなくなった楽団の代わりを探しているというパリの劇場からの緊急の依頼でした。
そこで彼は、彼同様、音楽の仕事がなく苦労している昔の楽団仲間を集めて、パリのコンサートでオーケストラ演奏をしようと奮闘する作品です。



しかし、コンサートが目前にもかかわらず、ロシアからパリまで来たメンバーは逃亡し、パリで必死にアルバイトをする奴まで出る始末。
無事コンサートは成功するのかというお話で・・・・・・・・・

基本コメディ映画ですけど、いくら何でもコリャフザケすぎだろうと思いますが・・・・・・・・・

しかし、まんざら冗談とも言い難いのは、実際ソ連からロシアの移行によって、社会も経済もガタガタだったそうです。
そんな例として私が聞いた話に、日本の商社の社員がせっかくだからシベリア経由でウラジオストックから帰ろうと思い、ロシアの友人に相談したら、武器は何を持っていると聞かれたとか・・・・・ちょっと人気のない所では、対戦車砲を持ったような強盗がゴロゴロしていると聞いて、さすがにあきらめたそうです。
それというのも、ソ連時代からの財政危機もあり、ロシア成立の翌年である1992年にはインフレ率が25倍(100円のものがイキナリ2500円)になったという状況でした。

そんな状況ですから、ロシアの若い女の子達が家族を助けるために、日本で「ロシア・パブ」に勤めなければならなかったんですねェきっと・・・・・

つまりは、この映画の音楽家達は、生活と芸術のどちらを取るのかという、共産主義的なブルジョワ批判のような問いを、資本主義に移行したロシアで突き付けられていたわけです。
まー死んじゃっちゃ、芸術もクソも無いんで、こんな私に誰がしたという状況を、笑いに紛らせつつも鮮烈に表現しているわけです。

しかし、いくらなんでもコンサートのその日まで、ロクにリハーサルもしないナンテあり得ないと、真面目な日本人なら思いますわね。
正直私も、あまりにも適当ですし、時間も守らないし、これじゃ仕事に成んないでしょって、律儀な日本人としては許せない思いでいたんです。

ところが、これも、ある日本人の指揮者が外国に留学したときに、似たような経験をしたというのを読んで、眼からウロコが落ちる思いをしました。


その人が外国の交響楽団で指揮する体験をした時、ホントにメンバーは来ないか、来てもいい加減で、練習にならないンですって。
頭に来て文句を言うと、しゃらっと、もうこの曲もあなたの言いたいこともわかっている、本番は大丈夫だ任せとけという。そんな奴が一人だけでなく、何人も居ると言うんです。
もう、どうにでもなれと思って、破れかぶれで当日を向かえ・・・・・・ついに、本番でタクトを振ったら、とんでもないスゴい音が出てきたっていうんです。
一人一人がクラシック曲の意味を理解した上で、強い個性を持った音が鳴り響いたそうです。
その音がホールに響いた時、これがオーケストラの音なのだと、気付いたと言います。

その人は心の底から、西洋文明においてアーティストというのは飛び抜けた個性であり、その人間にしか出せない音を持っているという事なんだと思い知らされたそうです。
そんな、一人一人の確立された個性が一つにまとまったときに、とてつもない爆発力を持った表現が成されるんだとか。

逆に、日本人は自らの個性を考えるよりも、合わせよう合わせようとしすぎて、破綻は無いけれども小さくまとまってしまい広がりが出ないとか・・・・・・・・

この映画は、ラストのコンサート・シーンで響く力強い音の響きで、そんな西洋の個人主義の集合としての、オーケストラの力を示し秀逸だと思いました。
また同時に、国が乱れた状態でも決して枯れ果てない、アーティストの魂を見せ付けられたような気がします。


因みに『イングロリアス・バスターズ』のメラニー・ロラン、『トランスポーター』シリーズのフランソワ・ベルレアンが出演してます。
よく出来た人情話ですので・・・・お試し頂ければ幸いです。

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posted by ヒラヒ・S at 21:45| Comment(6) | TrackBack(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月14日

リュック・ベンソン『ニキータ』ネタバレ注意ラストの意味

過剰なロマンティズム




評価:★★★   3.0点

この映画って、『ファンタジーおとぎ話』だと思うんです。
死刑宣告を受けた不良少女ニキータが選択の余地無く、政府の秘密工作員に仕立て上げられ、任務をこなす姿を描く女性アクション映画です。 
ニキータあらすじ
麻薬中毒の少女ニキータ(アンヌ・パリロー)は薬屋に盗みに入り、警官を射殺し無期懲役刑を言い渡される。しかし政府の秘密警察が彼女を工作員として使おうと、秘密警察官ボブ(チェッキー・カリョ)による厳しい訓練が始まる。初めは抵抗したニキータだったが、ボブに好意を持ち始め、教育係のアマンド(ジャンヌ・モロー)のアドバイスも受け、殺し屋に成長していった。訓練後、初外出を許されたレストランのディナーはニキータの23歳の誕生日だった。誕生日の祝いと思っていたニキータに、ボブは拳銃と暗殺指令を与える。そのレストランの仕事を終え、ジョゼフィーヌというコードネームを得たニキータ。そんな中、ニキータはスーパーのレジ係マルコ(ジャン・ユーグ・アングラード)と恋に落ちるが、彼にも工作員であることは打ち明けられないまま、数々の仕事をこなしていく。ソ連大使館に潜入する指令を掃除人ヴィクトル(ジャン・レノ)と共に始めるが、失敗してしまう・・・・・・・・・・・・・

(フランス/1990年/115分/監督・脚本リュック・ベッソン/音楽エリック・セラ)

1990年リュック・ベンソン監督のこの映画は、1964年ヘップバーンの「マイ・フェア・レディー」をそのまま、アクション劇として再構築した作品だと感じます。
「マイ・フェア・レディー」も、娼婦を淑女に育てるという、英国
貴族のお遊びのようなお話でしたが、この一般ピープルを
変身させるという物語の形は、「プリティー・ウーマン」で
描かれた通り強い吸引力を持っているのではないでしょうか?

それは、変えられる女性の側も「シンデレラ的変身願望」を満たせて、変える男性側も好みの女性に仕立てるという一種の「性的支配願望」を満たせるという、両者にとって喜ばれる物語であると思います。

そんな事を踏まえて、この物語を見てみるとこの少女の初登場シーンは象徴的です。
顔にペイントを施し、男か女か解らない外見で、ドラッグで思考力を失った状態は、この主人公が人間ではない何者かとして登場していると感じます。

Nikita-fir.jpgそれは、あたかもフランケンシュタインのような、人間文明により作られた怪物的な存在を象徴しているようです。
そんな現代文明に作り上げられた怪物としての少女を、国家権力により人間化するという話だと思うのです。
このとき、アメとしての「愛」を目の前にぶら下げられ、ムチとしての「国家権力」で管理される姿とは、近代社会が教育として繰り返してきた、国家権力に対する愛と忠誠を刷り込む行為だと感じます。

もう、現代社会で人を育てるには「権力=暴力」を持ってしかなしえないのかと、殺伐とした気持ちになります・・・ま、冗談ですが。

この映画の好きなトコロを―――――

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ほんのちょっとしか出てこないのですが、教育係役の往年の大女優ジャンヌ・モローの優雅な事。
ヤッパリ大御所の貫禄てゆ〜のはスゴイ。で+☆1

女性を主役にして、本格的なガンアクションを題材にしたのは、この映画がパイオニアだったように記憶しています。
何でも最初はエライので+☆1

さらに、リュックベンソンにしてみればハリウッドアクションを撮るつもりだったんだけど、どっかおフランスのエスプリが出ちゃってる所に+☆1

実際、フランス映画のファンタステイックさ、過剰さというのはなんなんでしょう。
nikita-kora.jpg基本、作家主義のフランス映画界にあって、リュック・ベンソンは汎用性のあるハリウッド様式を意識した監督だと感じます。

ハリウッドスタイルを志向していればこそ、本家のハリウッド映画と比較して、計らずも、そこにはフランス人としての色が浮かび上がってくるように思います。

例えば、アクションシーンの暴力の最中に、相反する愛の表白を描いたり、ストーリーと関係の無いイマージュをデコレーションしてちりばめてみたり。どこか過剰にアートだったり。

たぶんここには、現実の持つ無味乾燥を許せない「過剰なロマンティズム」とでも言うべきモノが存在し、その性向は例えばロココの時代に見られるように、フランス文化に共通のニュアンスであるように思うのです。

そんな、「過剰なロマンティズム」を最も感じるのがラストです。

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ここから先はネタバレがあります、ご注意下さい!
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この映画のラストで、主人公ニキータが政府の工作員をやめる決心をし、逃亡します。
それを察知した政府の管理官ボブが、ニキータと一緒に暮らしていた恋人マルコの家に行き、彼と話合うシーンで終わります。
恋人マルコが破いた手紙を差し出し「(ニキーターの)あなた宛の手紙は僕が破いた。」と言います。
その手紙に、眼もくれない管理官ボブ。
そしてボブに「お互い寂しくなるな」と言われたマルコが、「…ああ。」と返事をします。

このシーンを読めば、ボブもマルコもニキータを愛し、同時に独占したい。
けれども、お互いに独占できない事が分かっているという、三角関係の恋が語られていると感じます。

しかし、ここはいかにスカスカなこの映画の脚本であっても、オカシイと思いませんか?
そもそも、政府の秘密工作員と暮らしている一般人の恋人と、秘密警察の管理者の会話や、その場面ではないでしょう。
ほんとに、嘘くさい、リアリティーのないシーンです。
しかし、その嘘こそが「過剰なロマンティズム」の精髄であるでしょう。

ここに、まるで現実味の無い「恋」を導入するだけで、この映画の嘘だらけの内容を、見事に「ロマン」に書き換える事に成功するのです。
結局、このシーン以前の過激なアクションやスタイリシュな映像の持つ意味を、ラストによって「恋」の激しさに変換しえたのです・・・・

とは言うものの、へそ曲がりの私は、こんなスカスカの脚本に降り掛けられた『過剰なロマン』に騙されてなるものかと思うのです。

niki-ta.jpgそこで、このラスト・シーンの脚本に整合性のある別のストリーを思いつきました。

それは政府の管理官ボブだけでなく、恋人マルコも政府の監視役だったというストーリーです。
二人とも、ニキータの監視役だとすれば、このラストシーンは「過剰なロマンティズム」に変わって、リアリティーと整合性を手に入れる事ができるのです。

つまり大の大人がイタイケナ少女を寄ってたかって、イタブッテイルという。
この少女をいじめて遊んでた二人が、「お互い寂しくなるな」という理由も分かるでしょう?
上の想定に立てば、この恋人も相当残酷なことしてます。
任務遂行中に話しかけたり、けっこうイジワル・・・・
ニキータも泣き虫になるわけだ・・・・・・

冒頭で述べたように、この映画の原型「マイ・フェア・レディー」は、娼婦を淑女に育てるという、英国貴族のお遊びだったように、この映画もニキータに愛をちらつかせて、男達が「おもちゃ」にするという物語かと・・・・・・

結構エグい映画に思えてきたでしょ。
私の友達は、フランス人は快楽のためなら、それぐらいすると断言してましたが・・・・・・
考えてみたら、愛って支配の別名じゃなかったっけ、マチルダ

女性を主役にした、本格的ガンアクションのパイオニアとはいうものの、アクション量は実は抑え目です。

パイオニア作品は、そのフォロワー作品が、刺激量、過激さをましてくるので、見劣りがするように見えるが、しかしそのフォロー作品はオリジナルがなければ作られなかったことを考えれば、歴史的価値が有ると思います。

関連レビュー:映画『レオン』暴力と愛のリリシズムのあらすじとネタバレ・ラスト


関連レビュー:『グラン・ブルー』
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posted by ヒラヒ・S at 20:04| Comment(4) | TrackBack(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする