2017年03月14日

『桐島、部活やめるってよ』青春のナルシズム・ネタバレ・あらすじ・ラスト・解説

主観と客観の行方


評価:★★★    3.0点

この映画で描かれた高校生活は、ある年代にとっては自らの青春とオーバーラップし、理屈を超えた情動を生むのではないだろうか。
原作の作者、朝井リョウの実体験が色濃く出た青春物語であることを踏まえれば、作者の誕生年1990年前後に生まれた者、または1990年以降に生まれた者達も含め、ここには多かれ少なかれ、自分の高校時代の姿が投影されているだろう。
その世代にとっては、この映画はナルシズムに満ちた作品とならざるを得ないはずだ。

桐島、部活やめるってよ・あらすじ


<11/25金曜日>
バレーボール部キャプテンの桐島は男子スクールカーストトップの存在だが、放課後、部活をやめたという噂が駆け巡る。桐島の彼女で、女子カーストトップの飯田梨紗(山本美月)も詳細は知らない。梨紗と同じグループに属する東原かすみ(橋本愛)、野崎沙奈(松岡茉優)、宮部 実果(清水くるみ)は、常に4人で行動しており梨紗の機嫌を覗っている。
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バレーボール部は混乱し、副キャプテン・久保 孝介(鈴木伸之)は怒るが、明日の試合に向け実力不足の小泉 風助(太賀)を起用せざるを得ない。
桐島が部活をやめたという話に、桐島と同じグループに属する菊池 宏樹(東出昌大)は驚く。kiri_top3.jpg宏樹は野球部員だが部活動に参加せず、いつも放課後は桐島の部活が終わるのを、友弘(浅香航大)と竜汰(落合モトキ)と共にバスケで遊びながら待っていた。
そんな宏樹は野崎 沙奈(松岡茉優)を彼女にしていて、運動も勉強も秀でているが、情熱を傾けるものが無く日々過ごしている。野球部キャプテン(高橋周平)は宏樹に試合日程を伝え、来て欲しいと誘う。
映画部部長の前田涼也(神木隆之介)は、映画部顧問・片山(岩井秀人)が脚本を書いた『君よ拭け、僕の熱い涙を』の、続編を撮れと迫られる。しかし題名だけで生徒たちの物笑いになる続編を撮る気がせず、ゾンビ映画『生徒会・オブ・ザ・デッド』を先生の意向に逆らって撮影し始める。kiri-buraban-eiga.jpgロケ場所の屋上に上がると、宏樹に片思する吹奏楽部部長の沢島 亜矢(大後寿々花)が、宏樹のバスケが見える屋上で、サックスを吹いていた。前田は交渉して撮影しようとするが、亜矢は譲らない。ついには前田の説得を聞きもせず、亜矢は遠い宏樹を見つめている。その宏樹がバスケを止めて帰ったので亜矢も去り、前田は場所取りに勝ったと誤解する。
<11/26土曜日>
バレーボール部の試合は代役風太の健闘実らず負ける。
<11/27日曜日>
映画館で前田は、かすみを見つけて驚く。前田はかすみと中学生時代の同級生で共に映画を語った事もあった。前田はそのころから、かすみに好意を持っていた。しかし会話は弾まず、かすみは帰る。
<11/28月曜日>
今日も桐島は欠席で、交際相手の梨紗ですら連絡が付かず、しかし桐島の質問を受け続けイライラしている。映画部の前田はゾンビ映画の撮影に入り、かすみに声をかけられ喜ぶ。kiri-bare.jpg
バドミントン部の実果は、バレーボール部の風太が好きで、敗戦の原因が風太だとシゴカれるのを見て心配そうに見る。
宏樹は、放課後のバスケットをしつつも桐島を待つ時間つぶしだった事を思い出し、無意味だと気付き帰る。吹奏楽部の亜矢はいつもと同じく屋上でそんな宏樹を見つめる。
<11/29火曜日>
今日も桐島は欠席で、梨紗は相変わらずの無視に怒っている。校内には「桐島が来る」という噂が飛び交っている。映画部・前田は顧問に、撮影中止を告げられる。放課後教室に立ち寄った前田は、かすみと竜汰の二人が付き合っているのを知り、教室を逃げるように去る。前田は映画の撮影を決心した。その撮影現場の校舎裏には、宏樹を眺めたい吹奏楽部の亜矢がいた。前田は前回の事もあり口論となるが、亜矢は宏樹への思いを断ち切ろうとしており「今日で最後だ」と言い、その様子に前田は感じるものがあり、屋上で撮影をするために去る。宏樹と沙奈はキスを交わし、それを亜矢に見せつける。
kirisima-capOu.jpg宏樹は野球部のキャプテンと会い、スカウトの話は無いがドラフトまでは野球をやるという言葉を聞く。もうキャプテンは宏樹に、試合に参加しろとは言わず、応援だけでも気が向いたら来てと伝えた。
そんな時校内で、桐島が屋上に来ているという情報が流れた。
桐島を追っていたバレーボール部、友達の宏樹達、彼女の梨紗とそのグループは屋上にダッシュする。
屋上のドアを開いた先に見たものとは・・・・・・・・・・・・・・

(日本/製作年2012/103分/監督・吉田大八/脚本・喜安浩平・吉田大八/原作・朝井リョウ)

桐島、部活やめるってよ・出演者

前田 涼也(神木隆之介)/
東原 かすみ(橋本愛)/菊池 宏樹(東出昌大)/宮部 実果(清水くるみ)/飯田 梨紗(山本美月)/野崎 沙奈(松岡茉優)/寺島 竜汰(落合モトキ)/友弘(浅香航大)/武文(前野朋哉)/野球部キャプテン(高橋周平)/久保 孝介(鈴木伸之)/日野(榎本功)/詩織(藤井武美)/片山(岩井秀人)/小泉 風助(太賀)/沢島 亜矢(大後寿々花)

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桐島、部活やめるってよ・感想

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先にこの映画は、ある世代にとってナルシズムに満ちた作品とならざるを得ないと書いた。
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少し言葉足らずだと思うのでさらに補足すれば、人はある映画を見たとき、その映画に自分が存在していると信じる瞬間がある。

それは否応もなく、自己の相似形が映画内で、動き、語っているのを発見するからである。
その時、その観客にとって、その映画は、己の一部と化し自らの存在の投影となる。
それゆえその映画を客観視する事は、己を客観視せよといわれたに等しい。

誰にとっても自己分析とは、どこまでいっても主観的な作業であり、つまりは己を客観的に判断や分析はできない事を意味する。
それゆえ人は、しばしば感情移入を促された「主観的映画作品」に対しては、思考停止状態に陥いらざるを得ない。

kiri-hasiai.jpgそんな理非を越えて、自らの心に対象を取り込んでしまう、こんな心理状態は映画でなくとも生じうる。
現実世界で生じるそれを、人は「」と呼ぶだろう。
そんな、自分以外の他者に対して及ぼされる、自己同一化を「恋」と呼ぶ事に異論がなければ、それと同じ事が「映画」を対象として生じることもあるのだ。
その結果もたらされた情動は、歓喜・悲嘆いずれの結果であったとしても、その者の一生涯を飾る「永遠の記憶」となるだろう。
それは、自らの肉体に生じた怪我が、常に傷跡として我が身に訴えかけてくるのと同じように、主観的経験とは自らの精神に刻み込まれた実体験として、心に留まるからである。
だとすれば、この映画に「」を見出だした観客は、この映画によって自らの生きた証を、その身に永遠に定着し得た事を意味するだろう。


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実際のところ、この映画を見た人々の言葉に触れれば、この映画にこそ「自らの青春」があるという、強い感情移入の表現が多いことに驚くのだが、それほどこの映画は自己同一化を促す強い力を持っているのだろう。

そんな、自己の青春を象徴しえるランドマークは、誰もが持ち得ると約束されたものではない。
だとすれば、この映画を我が物とし得た人々は、自らの幸運を素直に祝うべきだろう。

この映画を見るたびに、ノスタルジーと共に、必ず自らの青春を思い起こすことが約束されたのだ。
そんな主観的な自己同一化が可能にする、驚くべきポテンシャルを秘めていると、この映画に「盲目の人々」が証明しているだろう。
しかしまた「恋の盲目」ではないが、その主観的な自己同一化に基づく「映画の自己一体化」は、その作品を絶対視することを意味し、容易に他者の批判や、客観的な誤りの指摘すら許さない心理を形成するのである。


高知で撮影されたこの映画のメイキング。

実はそんな、独善的な絶対性こそ、この映画が描く「青春期」の実態ではなかったか。
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それは、10代という生きる上での経験値の少なさを元に、1人世界と対峙する上での必然的帰結だろう。

すなわち乏しい経験を元にした「自我=主観世界」と「現実=客観世界」の間に整合性は期待できない。
しかし、一足飛びに現実世界の経験値を増加し得ない以上、己の「自我=主観」のみを頼りに「現実=客観世界」に対応する以外の方策を持ち得ない。

従って、多かれ少なかれ、その時期には「客観世界」を自我に引き寄せ再構築する「主観世界への置換」を経て、現実を整理せざるを得ない。
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そして自我の本質が自己保存である以上、その主観世界は「絶対的ナルシズム=独善性」をその基礎として成立するだろう。

それゆえ「青春時代」はカメラで恣意的に切り取るような
絶対的自己愛によって満たされた、甘美な主観世界として世界は構築されるのである。
だとすればこの映画が、主観・客観のいずれの立場で見るかによって大きく評価が分かれるのも、「青春」という不完全な時期の「自己愛=ナルシズム」ゆえの必然だったと思える。


え〜ゴホン。
そんなわけで・・・・・


言いにくいんですが、この映画を主観的に見れなかった私の評価は・・・・・・★3つです。

桐島、部活やめるってよ 主題歌・高橋優「陽はまた昇る」

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以降

桐島、部活やめるってよ・ネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。
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で・・・・マイナス★2つ分の言い訳です。

この映画は実は二部に分かれているのではないかと疑っています。
その区切りが、一見何事が起きたのか理解に苦しむ、屋上から男子生徒が落ちるシーンに有ると思うのです。
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このシーン以前は、ある場面を登場人物の視線から多面的に描く構成といい、現代の若者の学校カーストの描写といい、ほぼ原作の通りの世界観で描かれています。
この映画が、ある世代にとって自分のコトとしか思えないというのは、この原作に描かれた登場人物がリアルに高校生の実態を捉えていたという証拠だったと思います。

そこに描かれた自分のカーストを知り、その範囲で許された適切な行動を採らざるを得ない姿を、徹底的な心理描写によって表現する力は小説の方がより鮮明でした。

小説では明確な事件が発生しなくとも、その内的描写によって一人一人の性格と、それぞれのカースト関係の緊張感を描くだけで、十分スリリングなドラマとなっていました。


しかし、映画の場合「間」と「空気感」で原作の持つニュアンスを捕えてはいますが、その手腕は卓越したものだと感じましたが、やはり映画としては弱いと製作者としては考えたのではないでしょうか。

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本来この原作小説に書かれた、「内的告白=モノローグ」を表現しようとすれば、この静かな映画のほぼ全編をセリフで多い尽くさなければならなかったはずですから・・・・・

それゆえ映画的なイベントとして、屋上に全ての出演者が集まり騒動になるという、映画だけが持つエピソードを追加したのだろうと思うのです。

その切り替わりのタイミングが、先ほども書いた通り、屋上からの飛び降りのシーンに符合するのです。
つまりこのシーンは、原作に依拠しないオリジナル映画ドラマを、これから描くとの宣言だったと思うわけです。

その映画ドラマはしかし、原作のジッと穴に籠もって周囲をうかがう神経戦ではなく、昭和の匂いのする「スポコン=熱血ドラマ」となっていませんか?

つまりこの映画は、現代の高校生の戦いをドラマとして描ききる事ができず、旧来のドラマツルギーに収斂させてしまったと個人的には感じました。


本来の小説が描いた桐島の不在とは、現代において「ヒーロー=英雄」は存在し得ないというメッセージだったと思うのです。

それに対して、映画は映画部部長・前田を自らの信じる道をひたすら進むという、旧来のヒーロー像として描いてしまったように感じます。

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しかも、そのヒーローが「ゾンビ映画」を撮影しているのです。

これは作り手が、ヒーロー不在の現実を前に、自らヒーローとなろうとしない現代の若者達がゾンビのような存在と成り果てていると、語っているのかと邪推したくなるほどです・・・・

けっきょくのところ、小説が「熱血根性ドラマ」に対するアンチテーゼとして描かれて、現代の若者世代の現実をドラマ化し得たにもかかわらず、映画は現代高校生の現実を描く事を放棄し、過去のドラマツルギー「熱血スポコン」に逃げたと個人的には思います。

それゆえに、現代を反映した表現を「映画表現ドラマ」としても、挑戦して欲しかったという理由から、★二つを削らせて頂きました。

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桐島、部活やめるってよ・ラストシーン

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(あらすじから続く)
屋上には、桐島はいなかった。
桐島を探す生徒達が呆然とする前で、映画部がロケを中断され立ち尽くしている。
桐島がいないことに苛ついたバレーボール部の副キャプテンは、怒りに任せ映画部の小道具を蹴り、前田と映画部員は怒り「謝れ」と怒鳴る。屋上の生徒達の思いは爆発し、前田は「こいつら全員食い殺せ」と叫び、屋上は大混乱に陥いった。そんな光景を前田は撮影し続ける。
※下記には一部グロテスクな描写が含まれますご注意下さい

混乱が収まった後、前田と宏樹は夕焼けの中で会話を交わす。
人より羨ましがられるスクール・カーストにいても目標を持てない宏樹と、スクール・カースト最下位でも熱中できるモノのある前田・・・・・

「桐島=ヒーロー」への電話は、呼び出し音が虚しく響くだけだった。

青春の本質がナルシズムであるとすれば、原作小説で語っていたのはスクールカーストや個々の思いは、しょせん幻想で消え去るのだという儚さではなかったでしょうか・・・・・・
それは旧世代が、「幻想=政治・理想」を現実のモノとするため汗と涙を流した時代とは、明らかに相反する生き方だと思うのです。

やはり、この映画の最後のシーンは20世紀のナルシズムであり、21世紀のナルシズムと成り得てない点を惜しまざるをえませんが、それは、21世紀の映像作家が描くしかないのかもしれません・・・・


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posted by ヒラヒ・S at 22:20| Comment(5) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

園子温『愛のむきだし』JK満島ひかりパンティーむきだし熱演・ネタバレ・あらすじ・ラスト・感想

むきだされた愛の行方



評価:★★★★  4.0点

この映画は園子温監督にとって、のちのち振り返った時にある種の集大成の作品として記憶される事になるのではないか。
それほど、この作品は、これ以前とこれ以降の園子温監督作品の主要な作品要素が、マグマのようなエネルギーを持って、4時間の長さに渡って画面から溢れ出ている。
しかし、この映画は一面エンターテーメントとしてのサービスの良さもあり、それも、これ以降の園子温監督の作品がエンターテーメントの色を濃くして行くのを思えば、やはり園子温監督の作品の全ての要素を持っているように思える。

園子温監督のエンターテーメント性は、暴力・グロと肉欲・エロの過激な刺激性で表現されることが多いが、この映画は真島ひかりが体を張って過剰に露骨にむき出している。

愛のむきだし・あらすじ



(Chapter1 ユウ)
角田ユウ(西島隆弘)は幼いころ母を亡くし、父・テツ(渡部篤郎)と2人暮らしとなった。テツは一念発起し神父となった。そんな父を尊敬するユウの夢は、幼き日に母と話した理想の女性“マリア”に出会うことだった。そんなある日、角田一家の前に妖艶な女性カオリ(渡辺真起子)が現れ、テツを誘惑する。テツも神父でありながら、教会の外に家を借りてカオリと同棲を始めた。カオリは結婚を望んだが、神父の結婚は戒律に背く行為だった。ついに、結婚してくれないテツに愛想を尽かし、カオリは去って行き、カオリを失ったテツは人が変わったようにユウに厳しくなった。テツは、高校生となったユウに毎日“懺悔”がないのかと求め、父の望みに叶うよう、罪を無理に作ってまでユウは毎日懺悔し続けた。
そんな懺悔の種も尽きようかという時、高校の仲間タカヒロ、先輩、ユウジの3人の悪友ができ、ユウの罪を作るため盗撮を教える教室を紹介した。

その甲斐あって盗撮は、父に厳しく叱責された。久々に触れる父の真剣な怒りを受け、ユウはさらに盗撮に没頭し懺悔し続ける。その盗撮を見る3人の悪友も、盗撮の技を求めてユウに弟子入りするのだった。

(Capter2 コイケ)
そんな盗撮を続けるユウとテツの教会の前であったのが、コイケ(安藤サクラ)という10代の少女とその部下の少女2人だった。コイケは、盗撮を自らの罪、原罪だというユウの言葉に興味を持つ。

コイケは新興宗教ゼロ教会の信者で、父テツの教会の信者を狙い、ユウ一家をゼロ教会に入信せようと計画し、周辺を探っていたのだ。熱心なクリスチャンの父(板尾創路)を持つコイケは、幼少期より父から家庭内暴力を受け、神に謝れと責められながら成長して来た。そんな父が脳梗塞で倒れた時、父の陰茎を切除し復讐した。コイケは少年院に収監され、院を出た後は男子生徒や同級生と血みどろの喧嘩を繰り広げる。そんな時、新興宗教ゼロ教会を知り、以後コイケは教団の信徒拡大に尽力し、教団内での地位を高めてきた。

(Chapter3 ヨーコ)
ユウはある日、3人の盗撮仲間との写真対決に負け「女装して女にキスする」罰ゲームを課され街に出る。そして、街でチンピラ相手に一歩も引かないヨーコ(満島ひかり)と出会う。

ユウはヨーコを見た瞬間、探し続けていた“マリア”だと確信する。ヨーコも、チンピラ相手に共に闘ってくれた、謎の女・サソリを女だと信じ、女装したユウに恋をする。ヨーコも父親に幼少期から暴力を振るわれ、高校生の時には父から強姦まがいの行為をされた。

それゆえ、男性不信に陥り、男に敵対心と嫌悪感を持ち、今は父親の後妻に一時なったカオリを気に入り、カオリと二人で暮らしていた。
そんなカオリは、ユウの父テツが忘れられず、熱心なアプローチの甲斐ありテツと結婚することになる。そして、ヨーコと"サソリ"としてのユウが出会って数日後、家族の顔合わせの席で、男のユウとヨーコは出会った。ヨーコはサソリに恋していたが、兄ユウを毛嫌いする。男としては嫌われるユウは、しかし「マリア・ヨーコ」を前に、生まれて初めて勃起を知るのだった。

(Chapter4 サソリ)
ヨーコと共に高校に通うユウは喜び日々ヨーコに擦り寄る。しかしヨーコはそんなユウを徹底的に嫌う。ユウは一計を案じサソリを装って「兄と良好な関係を築け」と言い、ヨーコも表面的にはは友好的になる。そんな、ユウ一家を監視し続けていたコイケは、頃合とみてユウの高校に転校し、ヨーコに「自分がサソリだ」と偽り近づく。ヨーコは信じコイケとレズ関係となる。更にコイケはユウ一家に入り込みテツやカオリもコイケに洗脳されていく。コイケはユウを追い込むため、クラスに盗撮をバラし、ユウは高校退学になり、ヨーコにも変態と嫌われ、父・テツから家を追い出される。
悪友のタカヒロ、ユウジち先輩の盗撮3人トリオは、ユウを助け、コイケがゼロ教会の幹部で行方不明のユウ家族は皆ゼロ教会の信者になっているのを突き止める。そんなユウの前に、コイケが姿を表し、ヨーコに会いたいならユウにAV会社の就職をしろと強要し、ユウらは盗撮AVに出る。ユウはたちまちAV界の変態王子というカリスマとなり、ユウの前には崇拝する者の懺悔の列ができる。そんな一人に爆弾を作ったという懺悔者もいた。ヨーコを取り戻そうとするユウの元に、町でチラシ配りをしているヨーコを発見したとの連絡が入り、ユウはヨーコを拉致し、海辺の廃棄されたバスに監禁し、洗脳を解こうと働きかける。

逆に教団に捕らわれ洗脳教育を受ける。ユウは教会に忠誠を誓い、コイケが誘惑しても、それユウが乗ることはなかった。実は、ユウは教団の信頼を勝ち取り、その隙にヨーコを取り戻そうと計画していたのだった。
そしてある日、ユウは爆弾魔に爆弾を準備させ、日本刀を持ち、ヨーコの暮らす教団本部にサソリの姿で乗り込むのだった………
(英語題 LOVE EXPOSURE/日本/製作年2008/上映時間237分/監督・脚本・原案・園子温/アクション監督・カラサワイサ)

愛のむきだし・出演者


本田悠・ユウ(西島隆弘)/尾沢洋子・ヨーコ(満島ひかり)/コイケ(安藤サクラ)/カオリ(渡辺真起子)/本田テツ(渡部篤郎)/タカヒロ(尾上寛之)/ユウジ(清水優)/先輩(永岡佑)/クミ(広澤草)/ケイコ(玄覺悠子)/ユウの母(中村麻美)/コイケの父(板尾創路)/ヨーコの父(堀部圭亮)/BUKKAKE社・社長(岩松了)/ロイドマスター(大口広司)/親友の神父(大久保鷹)/司教(岡田正)/霊感絵画の客(倉本美津留)/暴走族リーダー(ジェイ・ウエスト)/暴走族幹部(綾野剛)/クラブ店員(深水元基)/救済会の神父( 吹越満)/ミヤニシ(古屋兎丸)/ヨーコの父(堀部圭亮)/0教会先生(宮台真司)

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愛のむきだし感想

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この映画に出てくる、ユウ、ヨーコ、コイケの3人は、全て父親が不完全なせいで機能不全に陥っている。
aimuki-crossfam.jpgそして、日本社会は近代以降は家父長性によって社会規範を構築し、父親こそが日本の家族と社会の基盤を形成してきたといえる。
その父親の権力・権威が失われ壊れ、修復しようがないほど歪んでいることが、現代日本の社会を不安定にしているのだと、この映画を見て感じる。

この父権の喪失・崩壊・歪みは園子温映画における主要モチーフであり続けている。
当ブログ関連レビュー:
『冷たい熱帯魚』
父の虐待による子供の歪みを描く問題作

『紀子の食卓』
父権の希薄化による家族崩壊を描


その家父長制が崩壊した原因が「男性性=ジェンダー」の希薄化に因っているとき、結果として家の崩壊とは「性=ジェンダー」の倒錯を生むに違いない。
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その歪みは子供達の人格形成に影響を与え、それゆえ、ユウは盗撮しながらも男性機能を発揮しえず、ヨーコはレズビアンとなり、ケイコはユウの変態的な男性性の喪失を原罪と見なし愛するのだろう。

そして、そのエロチシズムはジェンダーの揺らぎの大きさにより、より深く激しく表現されざるを得ないのである。

この「ジェンダー」をテーマとする園子温映画。
当ブログ関連レビュー:
『リアル鬼ごっこ』
ジェンダーにより傷つく少女達の物語

そして、日本社会における父権の喪失とは社会権威の喪失を意味し、それは社会的な規律、道徳の崩壊に通じる。
それに社会規律の喪失こそが、社会をして暴力を生み、その反動として宗教的権威の強化を促すのだといえる。
つまり園子温による暴力と宗教性とは、父権の弱体化、父性の消失によっているのだと思えてならない。

園子温の暴力性が主要モチーフとなった映画
当ブログ関連レビュー:
『自殺サークル』
集団自殺を描いた問題作


そして、その問題を過激に、熱く、タフに、劇的に、パワフルに、積み重ねた結果がこの映画だったろう。

そしてこの映画は、その父権の異常を乗り越える術が、子供達の純粋な、一直線の「むきだしの愛」にあるのだと高らかに宣言した映画であると信じる。
園子温のまっすぐな愛を描いた映画
当ブログ関連レビュー:
『ヒミズ』
二階堂フミと染谷将太の熱演が感動を呼ぶ


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以降の文章には

愛のむきだしネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。
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幹部を次々に虐殺した後、警察を介入させるため爆発を起こし、ヨーコに会ったユウは愛を告白する。
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ヨーコに首を絞められたユウは血の涙を流す。
ユウの愛を得られないコイケは胸を刺して自殺した。
強制捜査の手が入り、教団は解体され、テツとカオリは被害者の会の施設に入り、洗脳からの復帰訓練を受ける。
ヨーコは親戚の家に預けられ、従姉妹の恋の悩みを聞くうち、ユウの自分への愛が本物だと気づくが、その時にはユウは事件の影響により錯乱し、精神病の施設に隔離されていた。
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愛のむきだしラストシーン

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心を病み精神病棟でサソリとして暮らすユウに面会したヨーコは、愛を告白する。
しかし応えないサソリを追い詰め、病院で騒動になりついにパトカーで連行される。

狂気から現実に戻ったユウが、必死に追いかける。
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ユウはヨーコと手を繋ぐ。
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この映画は親の生んだ歪みを、子供達が「むきだしの愛」の力で乗り越える、感動巨編です。


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posted by ヒラヒ・S at 19:18| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月18日

是枝裕和『ワンダフルライフ』無私の奉仕・あらすじ・ネタバレ・ラスト

人生の輝く時を求めて



評価:★★★   3.0点

太宰治が小説で書いていた挿話がある。
「難破して泳ぎ疲れて、辛うじて取り付いた岬の岩から、陸に一つの窓が見え、そこには幸福な家族団らんがあった。遭難者は声を上げ助けを求めることで、その団欒を壊したくなくて、そっと海の中に沈んでいった・・・」というものだ。

この映画は、実にそんな「無私の奉仕」を描いた映画のようにも思う・・・・・

ワンダフルライフあらすじ

月曜日の朝、木造の事務所に職員たちが出勤してきた。所長の中村(谷啓)、職員の望月(ARATA)、川嶋(寺島進)、杉江(内藤剛志)、アシスタントのしおり(小田エリカ)。彼らの仕事は、死者たちの人生の中で天国へ持っていく想い出をひとつ選ばせることだった。今回は22人の死者たちが施設にやってて、職員が面接を開始する。死者たちは、戦争で米軍の捕虜になった時の白米の味を選んだり、子供の出産を選んだり、幼年期の思い出や、セスナの飛行を選んだりする。しかし、渡辺(藤武敏)という老人は、自分が生きてきた証が分からないと悩む。伊勢谷(伊勢谷友介)という若者は、想い出を選べないという。水曜日になり、想い出を決める期限の日となったが、渡辺はまだ迷っている。そんな彼に人生をビデオで振り返り、想い出を選んではどうかと望月は提案する。木曜日は各々の思い出の、撮影準備が進み、金曜日には撮影が行われた。渡辺も最後に妻(香川京子)と映画を観に行った帰り、二人で座った公園のベンチの思い出を選んだ。土曜日。いよいよ、上映会の日だ。死者たちは、再現された自分たちの想い出の映画を観て天国へと次々に旅立って行った・・・・その姿を見ながら職員の望月は一つの決心をしていた・・・・・・

(日本/1999年/118分/監督脚本・是枝裕和)
<ワンダフルライフ出演者>

ARATA(望月隆)/小田エリカ(里中しおり)/寺島進(川嶋さとる)/内藤剛志(杉江卓郎)/谷啓(中村健之助)/内藤武敏(渡辺一朗)伊勢谷友介(伊勢谷友介)/吉野紗香(吉野香奈)/香川京子(渡辺京子)/由利徹(庄田義助)/白川和子(天野信子)/原ひさ子(西村キヨ)/横山あきお(守衛さん)/志賀廣太郎(山本賢司)/阿部サダヲ(青年・渡辺一朗)/石堂夏央(娘時代の渡辺京子)/山口美也子(食堂係)/木村多江(食堂係)/平岩友美(受付係)
<ワンダフルライフ受賞歴>

第46回サン・セバスチャン映画祭国際映画批評家連盟賞受賞、第16回トリノ映画祭最優秀脚本賞受賞、第20回ナント三大陸映画祭グランプリ受賞作品

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ワンダフルライフ感想
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wanda-gaki.pngこの、死者を現世から来世に橋渡しする施設を描いたファンタジーが表しているのは、人生に素晴らしい瞬間が人には一つは有るというメッセージだったろう。
またこの世に何一つ良い思い出がなかったとしても、自らの知らないところで他者の幸福に寄与していると描かれていると感じた。

実際この映画のARATA演じる主人公は、
22才で戦争で死んだ自分に素晴らしい
思い出がないということで、成仏出来ず現世と来世の中間で迷っている。


つまりは、現世と来世に至る過程で、現世の輝く時を「唯ひとつ」選ばねば成仏できないという設定なのだ。
そんな中で、何もいい思い出がなかったという者もいれば、いい思い出ばかりで一つなんて選べないという者もいる。

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しかし最終的には、人生の輝く時を一つ携えて、それ以外の記憶を全て捨てて、現世から離れていくのだ。

そんな、この映画のラストを見れば、やはり人生は素晴らしいのだ語っているように感じる。

一つの輝く時を持ち得たことで、「一個の人生には必ず意味がある」というメッセージがここには有るに違いない。
それはこの主人公にしても、自己の人生が無為で無価値だと思い、素晴らしい想い出など無いと思っていても、最後に他者に対して何らかの歓びを与えていたのだと気づく点で明らかだろう。


この主人公の「無私の奉仕の幸福」というテーマは、この作品の原型として「素晴らしきかな人生(イッツ・ワンダフル・ライフ)」と同様の人間賛歌であると感じる。
関連レビュー:『素晴らしき哉、人生!』
フランク・キャプラ監督、ジェームス・スチュアート主演
アメリカ映画の古典的名作



この映画のエモーショナルな説得力を見れば、普通であれば、星4つは付けているだろう。

しかし、私はこの作品以降の是枝作品を、すでに知ってしまった。
wannda-koreeda.jpgその冷たいまでのリアリズムの中に日本人の心性を繊細に浮かび上がらせた、「是枝調」作品の完成度を経験してしまった。

正直この映画は、その是枝様式と、スタンダードな映画様式の中間で成立しているように思う。


結果として、是枝様式のリアリティは、このファンタジックな物語から遊離し、ファンタジーの力を削いでいると感じたため評価を下げた。

しかし、この映画には間違いなく是枝様式のスタイルが萌芽しており、そのリアリティー表現の過渡的作品として、見逃せない一本だと思う。


また、「海街ダイアリー」以後の「是枝様式」が、一種のマンネリズムを感じさせるとき、その閉塞性を打破する「是枝の虚構世界」というものの可能性を問い直すための、最良のテキストだと信じる。

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以降「ワンダフルライフ・ネタバレ」を含みますので、ご注意下さい。
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じつは、この施設で働く職員は皆、想い出を選べなかった死者たちで構成されていた。
主人公望月は特攻隊兵士で、自らの人生自体に幸福を見出せなかったが、唯一の甘い思い出は、渡辺の妻京子だった。
実は、彼女は出征前の望月の「いいなずけ」だったのだ。
望月は渡辺のビデオの片づけをしていて、渡辺からの手紙を見つけた。
そこには、渡辺の妻・京子が死んだ許嫁・望月に対する愛を知っていたから、彼女との日常を想い出として選べなかったが、しかし望月と出会いそれを乗り越えられたと書かれていた。

そんな渡辺が選んだのは、最後に妻(香川京子)と映画を観に行った帰り、二人で座った公園のベンチだった。
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この手紙を見て望月とかおりは、すでに死んでいた京子の思い出を確認したところ、そこには出征前の望月とのデートのシーンが映されていた。
wanda-wata-tuma.png
実は渡辺が最後に妻(香川京子)と映画を観に行った帰り、二人で座った公園のベンチとは、出征前の望月と過ごした公園のベンチだったのだ・・・・・・・・・・・・

そして望月は、京子との思い出を自らも持ちつつ、思い出の撮影シーンはひとり思い出のベンチに座り、この施設の人々が自分を撮影しているシーンを眺めているものだった。
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彼は、この施設で人の幸せを助けた自分を、人生の想い出として天国へと旅立って行ったのだろう。

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「ワンダフルライフ・ラストシーン」
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月曜日になり、新たな一週間が始まる。
天国に行った望月の代わりに、もう想い出を選ばなかった伊勢谷は施設に残った。
wanda-iseya.png
アシスタントのしおりは職員となって、新たな死者たちを待っていた・・・・・・
wanda-siori.png

この映画のラストは、施設の者が現世に喜びを見出せていなくとも、他者の幸福に寄与する「他者に対する献身=無私の奉仕」によっても人は生きていけるという物語なのだと解釈した。


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posted by ヒラヒ・S at 20:52| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする