2016年12月26日

『それでもボクはやってない』司法の闇を暴く・ネタバレ・あらすじ・結末・意味

それでもこの映画がやったのだ。



評価:★★★★★ 5.0

日本の司法関係者は否定するだろうし、証拠が有るわけでもないが、この映画のせいで裁判員制度が始まったとニラんでいる。
映画中で、裁判の実際や、そこに関わる法曹界の面々が、いかに実世間から遊離しているかが白日のもとにさらされてしまった。
有罪率99.9%という、司法における無謬性の強引な構築の実態が、この映画で露になった。
この異常な村社会によって、法が司られているというのがほぼ事実だというのが、一市民としてはホントに怖い・・・・・・・
それでもぼくはやってない・あらすじ

面接に向かう満員電車で痴漢に間違えられた金子徹平(加瀬亮)は、現行犯逮捕された。徹平は警察署と検察庁での取調べでも、容疑を否認し無実を主張する。しかし受け入れられず、起訴され裁判に付される。徹平にはベテラン弁護士・荒川(役所広司)と、新米弁護士・須藤(瀬戸朝香)がついた。徹平の母・豊子(もたいまさこ)や友人・達雄(山本耕史)、痴漢冤罪事件の体験者の佐田(光石研)も参加し、事件調査や署名活動を開始した。裁判が始まり、弁護士荒川は警察の捜査が不十分であることを立証し、裁判は有利に進んで行ったのだがが、裁判長の交代により事態は予断を許さなくなっていく・・・・・・・・・・

(日本/2006年/143分/監督脚本・周防正行)

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それでもボクはやってない感想・解説
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周防正行監督は、いままでも仏教界、学生相撲、社交ダンスなどマイナーな世界を描いてヒットを飛ばしてきた。
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この人のスゴイ所は、普通の人が知らない情報を拾い上げ、その情報が世間一般の人にはエンターテーメントとして受け入れられると見極める、その眼力にあるように思う。

またその情報を、通常であればドキュメント的に提示しそうなものだが、しっかりと映画の物語として落とし込んで、見る者にドラマとしての強さを伴って伝える能力がすばらしい。
 
そういう力を持ったこの監督が、この映画ではマイナーなだけではなく、タブーともいうべき世界に手を広げてしまった。

sore-sihou.jpg恐ろしい事に国家権力である。
これほど取材が難しい世界はない。
なぜなら役所官公庁は、情報を一般に知らせない事で円滑に運営出来ている面がある。
例えば、この映画で語られているように、刑事事件の99%が有罪になるという情報を聞いただけで、誰もがおかしいと思うはずだ。


soredemo-posu.jpgこの99%の有罪率のカラクリは、司法制度の中にいる人々、裁判官、検事、弁護士、は法曹界という閉鎖社会の中の同僚であるため、例えば検事が起訴した事件を引っくり返すと、その裁判官の評価が下がるというように、その法組織の体系を暗黙の内に守ろうとする過度の防衛本能が原因なのである。

日本の役所組織にこういう例は山ほどあり、その内容を秘匿とまでは言わないまでも、敢えて公開をせずに済むよう、どこが担当部署か分からなくしたり、書類関係を煩雑にしたり、組織的な迷宮を構築して面倒事を極力減らし組織を外部から守ろうとする体質があるのだ。


しかし、これは単にお役所お役人の世界と簡単に言ってすむことであろうか。

実は日本の社会構造全般、日本の全ての組織に共通することだと思えるのである。


つまり、日本人は多かれ少なかれ所属する組織の中で、組織を守る為にこの映画の司法制度と似たような行動様式を持ってはしないか。

sore-hiza.jpgたぶん大多数の日本人は、集団を守るために個人の意思を犠牲にする事で、組織=社会を円滑に運営してきたのだ。
そのシステムが決して悪いばかりだとは思わないが、社会から敵対視された個人にとっては絶望的なシステムである。

つまり社会全体が、組織=集団の和を乱さないという行動様式を個人に求めているのに対して、真逆の行動を取るという意味を考えてみるべきだ。
たぶん日本社会で個を主張することがどれほど困難か、等しく日本人であれば過去に経験をしているであろうし、想像するだに恐ろしい事態だと了解されるであろう。

sore-taiho.jpg 
少なくとも普通に日本社会で育って来た人間であれば、社会=集団に従いなさい、全体の和を乱す行動は慎みなさい、自己主張をするより協調性を優先しなさい、という教育を受けているはずだ。

そしてまた日本人はこの社会的要請に実に忠実に従う。
これほど善良従順な民族が地球上にいるかと、朝方4時に車も誰もいない交差点で赤信号を待っている日本人をみて、心の底からいじらしくなる

この教育の行きつく先が、小はサービス残業という組織に対する奉仕であり、その最大値こそ、第2次世界大戦時に日本軍で見られた、玉砕であり、特攻隊であったのだと思わざるを得ない。


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よき日本人とは、為政者・支配者にとっては、扱いやすく、どんな要求にも従う、従順なコマであった。
その個人というコマを、先の大戦で見るように、為政者は平然と使い捨てたし、これからも使い捨てるはずだ。

sore-taitei.jpgなぜなら、組織に反抗するような日本人はいないし、”正しい”日本人であれば組織に献身することこそ喜びだと感じるはずなのだから、日本の為政者は、国民を国家に奉仕させることに、多文化ほど痛痒を感じないですむ。

こう考えて来たとき日本の組織に対する個は、旧日本軍軍人やこの映画の様に、いつも悲劇的な結末を迎えざるを得ないのであろうか?

 
私はそうは思わない。
sore-sihoumega.jpg絶対に日本においても、個人が「組織=社会」と戦って勝てる道が有ると、信じる。

例えば、周防監督とこの映画が成し遂げたように、個が勇気を持って組織の不合理を糾弾しさえすれば、組織は「裁判員制度」の如く、自ら開示せざるを得なくなるのだと信じたい。

そして、個が社会に在るその不合理を追求しなければ、日本は容易に全体主義に陥ることは、過去の歴史からも明らかである以上、自戒を込めて、個は社会と対決する覚悟を持つべきなのである。

その対決の一端が、その勝利の証明こそ、この映画だと信じる。
 
再び期待も込めてこう言おう。
「裁判員制度」を実施させたのは・・・・
日本の司法関係者は否定するだろうが―
それでもこの映画がやったのだ。」と・・・・

加瀬亮インタビュー

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以降「それでもボクはやってない・ネタバレ」を含みます。ご注意下さい。
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裁判の証拠として、現場状況の再現ビデオが提出され、徹平の犯罪が不可能だとの証明がされたと思われた。
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更には事件の目撃者の女性が見つかり、無罪も証言した。
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そして、ついに判決の日を迎えるのだった・・・・
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それでもボクはやってないラスト・シーン
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しかし、判決結果は有罪。
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判決を聞きながら徹平は、裁判所は真実を明らかにする場所ではなく、とりあえずの判決を下す場所でしかないことを悟る。
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そして、判決を不服として控訴した。
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このラストの、司法関係者に対するメッセージは強烈だ。裁判官自身、自らの罪と罰を、こんな裁判の形で誰かに決められたいと思っているのか?という問いである・・・・・・

この結論を見て、不満を感じる観客も多いだろうと思う。
しかし、そのフラストレーションこそ、周防監督の目指した物だったろう。
この映画は結末で、司法制度の現実を見る者に突きつけ、そこで感じる不充足や憤懣の強さによって、即ち日本の法制度がどれほど国民感情から乖離しているかを証明して見せたのだ。


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posted by ヒラヒ・S at 18:29| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

映画『戦場のメリークリスマス』東西文明の相克と光・あらすじ・ネタバレ感想・ラスト

文明の罪、無知の光



評価:★★★★★ 5.0点

この映画の最後、日本語の発音で切り裂くように「メリークリスマスミスターローレンス」と発せられた時の、たけしの表情のイノセントさは一体何事かと思う。
赤ん坊の笑顔のような無邪気な輝きは、人が生まれ出でる時に本来持っている善性を示しているようで、その顔を見るだけで心動かされる。


「戦場のメリークリスマス」あらすじ

第二次世界大戦中の1942年、ジャワ日本軍の浮虜収容所。日本軍軍曹ハラ(ビートたけし)は、捕虜で通訳の英国軍中佐ロレンス(トム・コンティ)に、オランダ兵デ・ヨンに朝鮮人軍属カネモト(ジョニー大倉)が性的暴行をしたので断罪すると言った。軍属カネモトに切腹を強要するハラ軍曹の前に、収容所長ヨノイ大尉(坂本龍一)が現れ処分の保留を命令した。ヨノイ大尉は軍律会議のためバビヤダへ向かい、英国陸軍少佐ジャック・セリアズ(デイヴィッド・ボウイ)のスパイ嫌疑を裁く場で、周囲の反対を押し切り助命しヨノイの浮虜収容所へ送った。収容所でヨノイは浮虜長ヒックスリ(ジャック・トンプソン)に捕虜の詳細情報を要求するが、ヒックスリは国際法を盾に拒否する。収容所と捕虜の間には、日本的な規律とそれに抵抗する捕虜との間で、摩擦が絶えなかった。そんなある日、ヨノイはカネモトの処刑をいい渡し、処刑場にはヒックスリ以下浮虜も立ち会わされ、カネモトの切腹と介錯が成されたとき、デ・ヨンが舌を噛みきった。彼等の間には愛があったのだ。更にある日は無線機を持ちこんだスパイ容疑で、ロレンスとセリアズは独房に入れられ、処刑を覚悟した二人は壁越しに話をする。ロレンスは、女性の思い出を、セリアズは弟に対する背信の後悔を語る。その中、2人は司令室に連行され酒で酔ったハラ軍曹がいた。ハラは笑いながら「クリスマスのサンタ」だと言い、2人を収容所に戻す。
しかし運命の日、ヨノイは浮虜全員を整列させヒックスリに、「銃器の専門家は」と問う。「おりません」と応えるヒックスリに対し、ヨノイは軍刀を抜き「南無阿弥陀仏」と唱える。そのとき、セリアズが捕虜の中から抜け出しヨノイの振りかざす剣の前に立ち、ヨノイを抱きしめ唇を頬に寄せる・・・・・・・・・・

(イギリス・日本/1983年/125分/監督・大島渚/脚本・大島渚、ポール・マイヤーズバーグ/原作ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)

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「戦場のメリークリスマス」感想・解説
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第二次世界大戦のさなか、ジャワ島の日本軍捕虜収容所における、日本人とイギリス人等外国人捕虜との、相克を描く。
戦争中の敵対関係の中で、平時よりも強い摩擦・衝突が発生するのは必然であり、日本文化と西洋文化の厳しい「せめぎあい」が繰り広げられる。

meri-taike.jpgそんな文明間の戦争として第二次世界対戦は有ったのであり、その文化の担い手こそ、その社会におけるエリート達だった。

日本文明の権化が坂本龍一が演じるヨノイで
あったとすれば、西洋文明を代表して
登場するのがデヴィッド・ボウイ演じる
セリアーズだったろう。

meri-katana.jpegヨノイはエリート青年仕官として日本軍人としての教育を、骨の髄まで浸み込ませた人物だ。
その真髄は武士道に基づく厳しい「ストイシズム=禁欲主義」であったはずであり、その究極は、その命を自らの誇りのためにいつでも投げ出す事が可能な自己統制にあったろう。

その究極の武士の発露として、切腹という儀式があったのである。
日本武士にとって死とは、己の誠を証明する場であった。

そんな彼が、二・二六事件の3ヵ月前満州に左遷されたため決起に参加できず、自分だけが生き延びた。
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これはヨノイにとってみれば、死に遅れたという後悔が、常にその心のうちにあったはずである。

彼は既に、自らの武士道の規範から言えば、生きていてはいけない恥を得た状態だったろう。

それゆえ彼は、収容所内の捕虜に対しても、自らの文化的な規範を持って対処する。

つまり「生きて俘囚の辱めを受けず」という日本軍の価値観からすれば、収容所にいる捕虜は恥を得た死すべき存在なのである。
そして、死を救済と捕らえるヨノイにしてみれば、彼等を処断するのに死を持ってするのは、名誉を与える事に等しいと考えてはいなかったか。

meri-david.jpg対するセリアーズは、英国上流階級に属する支配者層の一員だ。
階級制度が厳然としてある欧州社会において、寄宿学校に通っているのは裕福な支配者達の子弟であることを意味する。
そんな、英国上流階級に属する者たちにとって「ノブレス・オブリージュ」という言葉は、幼いうちから慣れ親しんだ言葉で有るに違いない。

それは「エリートは弱きを助ける義務がある」という意味を持ち、その義務を果たさないのは名誉に関わる重大事なのだという。

そんなセリアーズは、障害を持った弟を寄宿学校の新入生に課される通過儀礼の生贄にし、見殺しにした。
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彼は上級生として、それを阻止できたにもかかわらず、自らの学校内の立場を優先し弟を裏切った。
その悔恨の記憶は「ノブレス・オブリージュ」に背いた己に対する厳しい罰として、
彼の人生に影を落としていただろう。
それゆえ彼は、あえて敵軍の真っ只中に降下する、ゲリラ戦という危険な任務を求めたのだろう。
その自罰的な行いは、収容所内に置いても止む事はなく、危険を承知であくまでも「弱きを助ける」行動を取り続けるのだ。

結局、この二人は似た者どおしであり、お互い自らの過ちに対する贖罪を求めて生きてきたのだろう。
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その悔恨は、エリートである事と、教育による高い知性と倫理感によって、更に強い思いとなって胸の内にあったはずである。

しかし、この両者には相容れない一点があった。
Merry-pato.jpgそれは、日本の武士道に有って、西洋の騎士道には決して無い、死を求める心だ。

一見すると、セリアーズも命の危険を顧みない行動を取っているように見えるかもしれないが、彼は決して死を求めているわけではない。

それは、冒頭のセリアーズ処刑前に見せる、朝の髭剃りの
一人芝居に表れていただろう。


そこで示されたのは、死を前にしても日常生活にこだわる、死のその直前まで生に執着し続けるという、心情の表れだったろう。


meri-katana.jpgそしてまた、その命に対する東西の概念の違いをお互いに理解しあえなかった。

しかし、命を巡る問題は、仮に相互に理解されたとしても、文化の核にある中心的命題であるゆえに、決して譲れない一点だったろう。

結局そう考えれば、この教育と文化的道徳律に強く縛られた二人は、決して生きて結ばれる事はできなかったのである。


ただ、通訳のロレンスが語るごとく、そこには種が播かれた
meri-taiji2.jpg文化的な対立と言う荒野に、ヨノイとセリアーズの二人は希望の種を間違いなく播いたのである。
そこで示されたのは、文明同士の衝突は「愛」によって乗り越えられるという事実だ。

確かにこの二人は、生きて結ばれることは無かったが、間違いなくその可能性を示して見せた。


こう見てくれば、たけしが表わしていたのは「無垢な愛」を身にまとった存在としての人間だったろう。
嬰児のごとく愛を求め、同時に愛を分け与える者。
文化や教育に毒されない、人間本来の叡智を持った者。
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そんな人間の根源的な光を持った、たけし演じる軍曹ハラが「メリークリスマス」というとき、文化のコードを超えた「寿=ことほぎ」が人類に与えられた瞬間だったろう。

この真の人間性に与えられた感動的な祝いの詞も、軍曹ハラの死という悲劇の前に切なく響く。
それは、現代においても文明間の対立により、多くの人々が日々喪われている悲しみを示すものでもある。
坂本龍一が作った、この映画のテーマ曲が流れるとき、その完璧な東洋と西洋のリズム・メロディのハーモニーの美しさに陶然とする。
坂本龍一「Merry Christmas Mr. Lawrence」


この曲こそが、まさに文化の融合によって生み出された力であり美であったろう。

そのテーマ曲を背景にして語られるとき、更にいっそう、映画内の文明間の対立による悲劇が痛々しく胸を刺すのである。

いつの日か、この曲の完璧な調和のごとく、世界中の人々が無垢な輝きを発する時が来たらんことを・・・・・・・その日の為に、この映画で描かれた人々は犠牲となったのだから。

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【付録】デヴィッド・ボウイ来日特番

戦場のメリークマスのスタッフがボウイと一緒に語ってます。

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以降「戦場のメリークリスマス・ネタバレ」を含みますので、ご注意下さい。
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浮虜長ヒックスリを斬首しようとするヨノイの前に立ったセリアーズは、ヨノイを抱きしめ頬に口づけをした。崩れ落ちるヨノイ。セリアーズは日本兵によって暴行を受け、首だけ出して生き埋めにさせられる。

ある夜、月光の中からヨノイが現れ、無残な形相となったセリアズの金髪を一房切り落とし、どこへともなく立ち去った。
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「戦場のメリークリスマス」ラストシーン
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時は流れ、1946年、戦犯を拘置している刑務所に収監され、処刑を翌日に控えたハラの元に、ロレンスが面会にやってくる。

この映画で、たけし演じる軍曹ハラが突き抜けたような笑顔とともに「メリークリスマス」というとき、文化のコードを超えた「寿=ことほぎ」が人類に与えられた瞬間だったと、再度言わせていただこう。

しかし現代世界は、この軍曹ハラが搾り出した「メリークリスマス」という言葉に価しない方向に進んでいるように感じられて成らない・・・・・

付録
この映画のヨノイ大尉のイメージは、アンジェリーナ・ジョリー監督の映画『不屈の男 アンブロークン』の日本軍捕虜所長の造形に影響を与えているように思います。

当ブログレビュー:『不屈の男 アンブロークン』アンジェリーナ・ジョリー監督の不屈の男の実話は反日か?

日本軍捕虜収容所を描いた秀作
当ブログレビュー:『レイルウェイ 運命の旅路』戦争の苦悩と再生を語る実話映画をネタバレ解説





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posted by ヒラヒ・S at 15:04| Comment(6) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月17日

『ねらわれた学園』角川アイドル映画の変!あらすじとネタバレ・ラスト

何を『ねらわれた』んだかワカラナイ『学園』



評価:★★     2.0点

私はこの映画を「守ってあげたい」ので、このレビューを書いています・・・・

え〜分かってます。
そりゃ〜私にも少しは、理性というものがあります!
この映画は今から見れば、そりゃね、傑作とは言えません。
でもね、若かったとはいえ、あの大林監督です・・・・
それぁ〜なんか、人には謀り知れない考えってもんが、おありになったに違いありません・・・・
ねらわれた学園あらすじ
第一学園の三田村由香(薬師丸ひろ子)は二学年に進学したある日、自分の超能力に気が付いた。由香は、友人の耕児(高柳良一)に打ち明けるが、彼は信じない。そんな時、京極(峰岸徹)と名乗る男が由香に近づく。京極は「英光塾」に通う生徒達を支配しているのだった。数日後、由香のクラスに高見沢みちる(長谷川真砂美)という不思議な能力を持つ転校生がやって来た。みちるは先徒会会長になって、自分の思い通りに学園を作り変えていった。みちるの学校支配はエスカレートし、生徒たちも不平を口にしだした頃、みちるのやり方に反対している者達が、瀕死の重傷を負ったり、不自然な事故に遭った。みちるの行動や学園の混乱の元凶が「英光塾」にあると突き止め、由香、耕児は対決のため塾に向かう・・・・・・・

(日本/1981年/90分/監督・大林宣彦/脚本・葉村彰子/原作・眉村卓)

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ねらわれた学園感想
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サスガに、この映画の中にあるマンガの集中線みたいなもので超能力を描きますなんて事は―
Nerawa-.jpgサ・ス・ガにいかがなモノカです。



やっぱりチープだと思いますが・・・・・


ま〜大林監督は、そもそもCMの映像で注目を集め、映画デビュー作『ハウス』の昔から、それはもう熱心に色んな映像実験を試してらっしゃったようです。
大林監督デビュー作『ハウス』予告編

大林監督が、その著書「大林宣彦の映画談議大全『転校生』読本」の中で仰っているのは、もう映画というのは古典映画の複製で、しょせん嘘なんだから嘘だと分かるように撮るのだということであり、この映画もそんな作り物のイメージを、ことさら強調しているのかとも思います・・・・・・
(右/大林宣彦の映画談議大全『転校生』読本)


この話ん中でも「学園もの」のパロディみたいに踊らせてみたり、弾けるような若さを、これでもかってほど見せつけてます。
nerawa-dansu.jpgですからこの効果線もSFドラマのパロディとしてやってると・・・・・・そう、解釈しました。

ただ問題は、その演出意図が見ている方にうまく伝わってないという事で・・・・・・

正直「なにをねらってるのか」ち〜とも分からない「学園」ものだと感じました。

さすがにこの演出は、ワケがわから・・・・ナイ・・・・・しかし、なぁんでこんなにゴタゴタした混乱した状況になっちやったんでしょう・・・・



想像してみたんです。
気が付いたのは、これだけパロディーで押してきていながら、実はアイドル映画としての要素だけはトラディッショナルな撮り方なんです。

それゆえ、パロディと正統的な映像スタイル同士がぶつかって、どっちに合せて見ればイイのか観客が混乱しちゃったのかなという・・・・・

じゃ〜これは「失敗作じゃないの〜?」という声が聞こえてきそうなんですが・・・・・・・

いや、まあ・・・・それはその・・・・・・でも・・・・イヤ

「い〜い〜い〜い〜い〜い〜い〜い〜や違う!!そんなこと言っちゃあ、ひろ子ちゃんがカワイそうでしょ!!!!!」

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だって、劇中の「薬師丸ひろ子」がなんとも魅力的なんですってば。


華やかな笑顔や、愁いに沈んだ眼、輝く涙、ぼんやりと佇むその姿にさえ、この年代の少女にしか持ち得ない、万華鏡のように一瞬のうちに移り変わってもう二度と同じ表情を見る事ができない瞬間を、陰影を含んだ照明を使って、ため息が出るくらい愛らしく見せてくれます。

これはもう『少女アイドルの一期一会』と呼ばせてもらいます!

薬師丸ひろ子の資生堂CM「色」(1979)
カンヌ国際広告祭でグランプリ受賞。実相寺昭雄監督。

昭和の匂いがプンプンしますが、やはりアイドルのオーラはハンパ無いと感じます・・・


たぶん大林監督は、アイドル映画の部分もパロディーにしちゃえって思ってたンじゃないでしょうか。そうすれば、首尾一貫した映画表現です。混乱だっておこりゃシマセン。そんなコト判ってたとおもうんデス。

でも、結果的にそれができなかった・・・・・それは、決して当時の角川春樹社長に脅かされたからだと、私は思いません。
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「薬師丸ひろ子」という旬のアイドルの力に負けたと思うのです・・・・

彼女のオーラを目にした時、「薬師丸ひろ子」にアイドル映画を撮らされてしまったのだと、そう信じます。


だって、ホントに大事に、彼女の表情をフィルムに映してますモン・・・・・


そのアイドルの移ろいは、特に自宅と家の中の生活に、その陰影が最も色濃く見えるのですが、大林監督はこの映画で気づいたのではないでしょうか・・・・日本の少女は日本家屋の曖昧な光の中でこそ、ちょっと昔懐かしい日本の風景の中でこそ、その魅力が最大限に花開くことを。

それはそのまま「時をかける少女」「さびしんぼう」「転校生」の映像イメージです・・・・・・

oobayasi.jpg大林監督はこの映画で否応なく知ってしまったと思うンです。
自らの資質が都会的な洗練にではなく、日本の田園の陰翳の情緒にこそある事を・・・・・

そういう意味でこの映画は、派手な「CM作家」から抒情的な「映像作家」の両面が現れた、大林作品の今と過去をつなぐ映画のように思います。


kadokawa.jpgと書いてきてナンですが、実は角川春樹氏より大林監督に、日本の映画界の未来はハリウッド的なスターシステムにかかっているのではないかと言う話があり、その第一歩として薬師丸ひろ子と言うアイドルを売り出すためのアイドル映画を目指したと言うのが実相らしいです・・・・お詫びの上訂正します。
角川アイドル映画関連レビュー

角川映画の証明『野生の証明』


『セーラー服と機関銃』角川アイドル戦略と日本映画


アイドル山口百恵『春琴抄』


かなり学芸会レベルです・・・・見る方は、覚悟してご覧ください。

ただ大林監督画好きな人は、義務ですので見て下さい。
アイドル好きの人にも新鮮かもしれません。

薬師丸ひろ子好きには何も言いません。
だって、もう見てるでしょう・・・・・

映画オープニング、松任谷由美の名曲「守ってあげたい」が沁みます・・・

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以降「ネタバレ」を含みますので、ご注意下さい。
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ねらわれた学園ラストシーン
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薬師丸ひろ子演じる由香は、耕児が捕まった英光塾へ行き、京極と戦う。
nerawareta-sen.jpgそして、あっけなく京極を倒した。
祝福するかのように、新宿副都心で花火が上がる。
そして、第2回の剣道大会が開催され、由香の超能力を使い勝つ。
こうして平和に戻った学園で、由香は特別な力を持ったまま生きて行くのだった。


つまりは、日常の中で「特別の力を秘めた少女=アイドル」の誕生ですね。


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posted by ヒラヒ・S at 17:53| Comment(6) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする