2016年12月23日

『戦場のメリークリスマス』東西文明の衝突の映画あらすじ・ネタバレ感想・ラスト

文明の罪、無知の光



評価:★★★★★ 5.0点

この映画の最後、日本語の発音で切り裂くように「メリークリスマスミスターローレンス」と発せられた時の、たけしの表情のイノセントさは一体何事かと思う。
赤ん坊の笑顔のような無邪気な輝きは、人が生まれ出でる時に本来持っている善性を示しているようで、その顔を見るだけで心動かされる。


「戦場のメリークリスマス」あらすじ

第二次世界大戦中の1942年、ジャワ日本軍の浮虜収容所。日本軍軍曹ハラ(ビートたけし)は、捕虜で通訳の英国軍中佐ロレンス(トム・コンティ)に、オランダ兵デ・ヨンに朝鮮人軍属カネモト(ジョニー大倉)が性的暴行をしたので断罪すると言った。軍属カネモトに切腹を強要するハラ軍曹の前に、収容所長ヨノイ大尉(坂本龍一)が現れ処分の保留を命令した。ヨノイ大尉は軍律会議のためバビヤダへ向かい、英国陸軍少佐ジャック・セリアズ(デイヴィッド・ボウイ)のスパイ嫌疑を裁く場で、周囲の反対を押し切り助命しヨノイの浮虜収容所へ送った。収容所でヨノイは浮虜長ヒックスリ(ジャック・トンプソン)に捕虜の詳細情報を要求するが、ヒックスリは国際法を盾に拒否する。収容所と捕虜の間には、日本的な規律とそれに抵抗する捕虜との間で、摩擦が絶えなかった。そんなある日、ヨノイはカネモトの処刑をいい渡し、処刑場にはヒックスリ以下浮虜も立ち会わされ、カネモトの切腹と介錯が成されたとき、デ・ヨンが舌を噛みきった。彼等の間には愛があったのだ。更にある日は無線機を持ちこんだスパイ容疑で、ロレンスとセリアズは独房に入れられ、処刑を覚悟した二人は壁越しに話をする。ロレンスは、女性の思い出を、セリアズは弟に対する背信の後悔を語る。その中、2人は司令室に連行され酒で酔ったハラ軍曹がいた。ハラは笑いながら「クリスマスのサンタ」だと言い、2人を収容所に戻す。
しかし運命の日、ヨノイは浮虜全員を整列させヒックスリに、「銃器の専門家は」と問う。「おりません」と応えるヒックスリに対し、ヨノイは軍刀を抜き「南無阿弥陀仏」と唱える。そのとき、セリアズが捕虜の中から抜け出しヨノイの振りかざす剣の前に立ち、ヨノイを抱きしめ唇を頬に寄せる・・・・・・・・・・

(イギリス・日本/1983年/125分/監督・大島渚/脚本・大島渚、ポール・マイヤーズバーグ/原作ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)

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「戦場のメリークリスマス」感想・解説
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第二次世界大戦のさなか、ジャワ島の日本軍捕虜収容所における、日本人とイギリス人等外国人捕虜との、相克を描く。
戦争中の敵対関係の中で、平時よりも強い摩擦・衝突が発生するのは必然であり、日本文化と西洋文化の厳しい「せめぎあい」が繰り広げられる。

meri-taike.jpgそんな文明間の戦争として第二次世界対戦は有ったのであり、その文化の担い手こそ、その社会におけるエリート達だった。

日本文明の権化が坂本龍一が演じるヨノイで
あったとすれば、西洋文明を代表して
登場するのがデヴィッド・ボウイ演じる
セリアーズだったろう。

meri-katana.jpegヨノイはエリート青年仕官として日本軍人としての教育を、骨の髄まで浸み込ませた人物だ。
その真髄は武士道に基づく厳しい「ストイシズム=禁欲主義」であったはずであり、その究極は、その命を自らの誇りのためにいつでも投げ出す事が可能な自己統制にあったろう。

その究極の武士の発露として、切腹という儀式があったのである。
日本武士にとって死とは、己の誠を証明する場であった。

そんな彼が、二・二六事件の3ヵ月前満州に左遷されたため決起に参加できず、自分だけが生き延びた。
meri-cris.jpg
これはヨノイにとってみれば、死に遅れたという後悔が、常にその心のうちにあったはずである。

彼は既に、自らの武士道の規範から言えば、生きていてはいけない恥を得た状態だったろう。

それゆえ彼は、収容所内の捕虜に対しても、自らの文化的な規範を持って対処する。

つまり「生きて俘囚の辱めを受けず」という日本軍の価値観からすれば、収容所にいる捕虜は恥を得た死すべき存在なのである。
そして、死を救済と捕らえるヨノイにしてみれば、彼等を処断するのに死を持ってするのは、名誉を与える事に等しいと考えてはいなかったか。

meri-david.jpg対するセリアーズは、英国上流階級に属する支配者層の一員だ。
階級制度が厳然としてある欧州社会において、寄宿学校に通っているのは裕福な支配者達の子弟であることを意味する。
そんな、英国上流階級に属する者たちにとって「ノブレス・オブリージュ」という言葉は、幼いうちから慣れ親しんだ言葉で有るに違いない。

それは「エリートは弱きを助ける義務がある」という意味を持ち、その義務を果たさないのは名誉に関わる重大事なのだという。

そんなセリアーズは、障害を持った弟を寄宿学校の新入生に課される通過儀礼の生贄にし、見殺しにした。
meri-sch.jpg
彼は上級生として、それを阻止できたにもかかわらず、自らの学校内の立場を優先し弟を裏切った。
その悔恨の記憶は「ノブレス・オブリージュ」に背いた己に対する厳しい罰として、
彼の人生に影を落としていただろう。
それゆえ彼は、あえて敵軍の真っ只中に降下する、ゲリラ戦という危険な任務を求めたのだろう。
その自罰的な行いは、収容所内に置いても止む事はなく、危険を承知であくまでも「弱きを助ける」行動を取り続けるのだ。

結局、この二人は似た者どおしであり、お互い自らの過ちに対する贖罪を求めて生きてきたのだろう。
meri-taiji1.jpg
その悔恨は、エリートである事と、教育による高い知性と倫理感によって、更に強い思いとなって胸の内にあったはずである。

しかし、この両者には相容れない一点があった。
Merry-pato.jpgそれは、日本の武士道に有って、西洋の騎士道には決して無い、死を求める心だ。

一見すると、セリアーズも命の危険を顧みない行動を取っているように見えるかもしれないが、彼は決して死を求めているわけではない。

それは、冒頭のセリアーズ処刑前に見せる、朝の髭剃りの
一人芝居に表れていただろう。


そこで示されたのは、死を前にしても日常生活にこだわる、死のその直前まで生に執着し続けるという、心情の表れだったろう。


meri-katana.jpgそしてまた、その命に対する東西の概念の違いをお互いに理解しあえなかった。

しかし、命を巡る問題は、仮に相互に理解されたとしても、文化の核にある中心的命題であるゆえに、決して譲れない一点だったろう。

結局そう考えれば、この教育と文化的道徳律に強く縛られた二人は、決して生きて結ばれる事はできなかったのである。


ただ、通訳のロレンスが語るごとく、そこには種が播かれた
meri-taiji2.jpg文化的な対立と言う荒野に、ヨノイとセリアーズの二人は希望の種を間違いなく播いたのである。
そこで示されたのは、文明同士の衝突は「愛」によって乗り越えられるという事実だ。

確かにこの二人は、生きて結ばれることは無かったが、間違いなくその可能性を示して見せた。


こう見てくれば、たけしが表わしていたのは「無垢な愛」を身にまとった存在としての人間だったろう。
嬰児のごとく愛を求め、同時に愛を分け与える者。
文化や教育に毒されない、人間本来の叡智を持った者。
meri-takesi.jpg
そんな人間の根源的な光を持った、たけし演じる軍曹ハラが「メリークリスマス」というとき、文化のコードを超えた「寿=ことほぎ」が人類に与えられた瞬間だったろう。

この真の人間性に与えられた感動的な祝いの詞も、軍曹ハラの死という悲劇の前に切なく響く。
それは、現代においても文明間の対立により、多くの人々が日々喪われている悲しみを示すものでもある。
坂本龍一が作った、この映画のテーマ曲が流れるとき、その完璧な東洋と西洋のリズム・メロディのハーモニーの美しさに陶然とする。
坂本龍一「Merry Christmas Mr. Lawrence」


この曲こそが、まさに文化の融合によって生み出された力であり美であったろう。

そのテーマ曲を背景にして語られるとき、更にいっそう、映画内の文明間の対立による悲劇が痛々しく胸を刺すのである。

いつの日か、この曲の完璧な調和のごとく、世界中の人々が無垢な輝きを発する時が来たらんことを・・・・・・・その日の為に、この映画で描かれた人々は犠牲となったのだから。

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【付録】デヴィッド・ボウイ来日特番

戦場のメリークマスのスタッフがボウイと一緒に語ってます。

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以降「戦場のメリークリスマス・ネタバレ」を含みますので、ご注意下さい。
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浮虜長ヒックスリを斬首しようとするヨノイの前に立ったセリアーズは、ヨノイを抱きしめ頬に口づけをした。崩れ落ちるヨノイ。セリアーズは日本兵によって暴行を受け、首だけ出して生き埋めにさせられる。

ある夜、月光の中からヨノイが現れ、無残な形相となったセリアズの金髪を一房切り落とし、どこへともなく立ち去った。
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「戦場のメリークリスマス」ラストシーン
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時は流れ、1946年、戦犯を拘置している刑務所に収監され、処刑を翌日に控えたハラの元に、ロレンスが面会にやってくる。

この映画で、たけし演じる軍曹ハラが突き抜けたような笑顔とともに「メリークリスマス」というとき、文化のコードを超えた「寿=ことほぎ」が人類に与えられた瞬間だったと、再度言わせていただこう。

しかし現代世界は、この軍曹ハラが搾り出した「メリークリスマス」という言葉に価しない方向に進んでいるように感じられて成らない・・・・・

付録
この映画のヨノイ大尉のイメージは、アンジェリーナ・ジョリー監督の映画『不屈の男 アンブロークン』の日本軍捕虜所長の造形に影響を与えているように思います。

当ブログレビュー:『不屈の男 アンブロークン』アンジェリーナ・ジョリー監督の不屈の男の実話は反日か?

日本軍捕虜収容所を描いた秀作
当ブログレビュー:『レイルウェイ 運命の旅路』戦争の苦悩と再生を語る実話映画をネタバレ解説





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posted by ヒラヒ・S at 15:04| Comment(6) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月17日

『ねらわれた学園』角川アイドル映画の変!あらすじとネタバレ・ラスト

何を『ねらわれた』んだかワカラナイ『学園』



評価:★★     2.0点

私はこの映画を「守ってあげたい」ので、このレビューを書いています・・・・

え〜分かってます。
そりゃ〜私にも少しは、理性というものがあります!
この映画は今から見れば、そりゃね、傑作とは言えません。
でもね、若かったとはいえ、あの大林監督です・・・・
それぁ〜なんか、人には謀り知れない考えってもんが、おありになったに違いありません・・・・
ねらわれた学園あらすじ
第一学園の三田村由香(薬師丸ひろ子)は二学年に進学したある日、自分の超能力に気が付いた。由香は、友人の耕児(高柳良一)に打ち明けるが、彼は信じない。そんな時、京極(峰岸徹)と名乗る男が由香に近づく。京極は「英光塾」に通う生徒達を支配しているのだった。数日後、由香のクラスに高見沢みちる(長谷川真砂美)という不思議な能力を持つ転校生がやって来た。みちるは先徒会会長になって、自分の思い通りに学園を作り変えていった。みちるの学校支配はエスカレートし、生徒たちも不平を口にしだした頃、みちるのやり方に反対している者達が、瀕死の重傷を負ったり、不自然な事故に遭った。みちるの行動や学園の混乱の元凶が「英光塾」にあると突き止め、由香、耕児は対決のため塾に向かう・・・・・・・

(日本/1981年/90分/監督・大林宣彦/脚本・葉村彰子/原作・眉村卓)

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ねらわれた学園感想
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サスガに、この映画の中にあるマンガの集中線みたいなもので超能力を描きますなんて事は―
Nerawa-.jpgサ・ス・ガにいかがなモノカです。



やっぱりチープだと思いますが・・・・・


ま〜大林監督は、そもそもCMの映像で注目を集め、映画デビュー作『ハウス』の昔から、それはもう熱心に色んな映像実験を試してらっしゃったようです。
大林監督デビュー作『ハウス』予告編

大林監督が、その著書「大林宣彦の映画談議大全『転校生』読本」の中で仰っているのは、もう映画というのは古典映画の複製で、しょせん嘘なんだから嘘だと分かるように撮るのだということであり、この映画もそんな作り物のイメージを、ことさら強調しているのかとも思います・・・・・・
(右/大林宣彦の映画談議大全『転校生』読本)


この話ん中でも「学園もの」のパロディみたいに踊らせてみたり、弾けるような若さを、これでもかってほど見せつけてます。
nerawa-dansu.jpgですからこの効果線もSFドラマのパロディとしてやってると・・・・・・そう、解釈しました。

ただ問題は、その演出意図が見ている方にうまく伝わってないという事で・・・・・・

正直「なにをねらってるのか」ち〜とも分からない「学園」ものだと感じました。

さすがにこの演出は、ワケがわから・・・・ナイ・・・・・しかし、なぁんでこんなにゴタゴタした混乱した状況になっちやったんでしょう・・・・



想像してみたんです。
気が付いたのは、これだけパロディーで押してきていながら、実はアイドル映画としての要素だけはトラディッショナルな撮り方なんです。

それゆえ、パロディと正統的な映像スタイル同士がぶつかって、どっちに合せて見ればイイのか観客が混乱しちゃったのかなという・・・・・

じゃ〜これは「失敗作じゃないの〜?」という声が聞こえてきそうなんですが・・・・・・・

いや、まあ・・・・それはその・・・・・・でも・・・・イヤ

「い〜い〜い〜い〜い〜い〜い〜い〜や違う!!そんなこと言っちゃあ、ひろ子ちゃんがカワイそうでしょ!!!!!」

nerawareta-yakusi.jpg
だって、劇中の「薬師丸ひろ子」がなんとも魅力的なんですってば。


華やかな笑顔や、愁いに沈んだ眼、輝く涙、ぼんやりと佇むその姿にさえ、この年代の少女にしか持ち得ない、万華鏡のように一瞬のうちに移り変わってもう二度と同じ表情を見る事ができない瞬間を、陰影を含んだ照明を使って、ため息が出るくらい愛らしく見せてくれます。

これはもう『少女アイドルの一期一会』と呼ばせてもらいます!

薬師丸ひろ子の資生堂CM「色」(1979)
カンヌ国際広告祭でグランプリ受賞。実相寺昭雄監督。

昭和の匂いがプンプンしますが、やはりアイドルのオーラはハンパ無いと感じます・・・


たぶん大林監督は、アイドル映画の部分もパロディーにしちゃえって思ってたンじゃないでしょうか。そうすれば、首尾一貫した映画表現です。混乱だっておこりゃシマセン。そんなコト判ってたとおもうんデス。

でも、結果的にそれができなかった・・・・・それは、決して当時の角川春樹社長に脅かされたからだと、私は思いません。
nerawareta-pan.jpeg
「薬師丸ひろ子」という旬のアイドルの力に負けたと思うのです・・・・

彼女のオーラを目にした時、「薬師丸ひろ子」にアイドル映画を撮らされてしまったのだと、そう信じます。


だって、ホントに大事に、彼女の表情をフィルムに映してますモン・・・・・


そのアイドルの移ろいは、特に自宅と家の中の生活に、その陰影が最も色濃く見えるのですが、大林監督はこの映画で気づいたのではないでしょうか・・・・日本の少女は日本家屋の曖昧な光の中でこそ、ちょっと昔懐かしい日本の風景の中でこそ、その魅力が最大限に花開くことを。

それはそのまま「時をかける少女」「さびしんぼう」「転校生」の映像イメージです・・・・・・

oobayasi.jpg大林監督はこの映画で否応なく知ってしまったと思うンです。
自らの資質が都会的な洗練にではなく、日本の田園の陰翳の情緒にこそある事を・・・・・

そういう意味でこの映画は、派手な「CM作家」から抒情的な「映像作家」の両面が現れた、大林作品の今と過去をつなぐ映画のように思います。


kadokawa.jpgと書いてきてナンですが、実は角川春樹氏より大林監督に、日本の映画界の未来はハリウッド的なスターシステムにかかっているのではないかと言う話があり、その第一歩として薬師丸ひろ子と言うアイドルを売り出すためのアイドル映画を目指したと言うのが実相らしいです・・・・お詫びの上訂正します。
角川アイドル映画関連レビュー

角川映画の証明『野生の証明』


『セーラー服と機関銃』角川アイドル戦略と日本映画


アイドル山口百恵『春琴抄』


かなり学芸会レベルです・・・・見る方は、覚悟してご覧ください。

ただ大林監督画好きな人は、義務ですので見て下さい。
アイドル好きの人にも新鮮かもしれません。

薬師丸ひろ子好きには何も言いません。
だって、もう見てるでしょう・・・・・

映画オープニング、松任谷由美の名曲「守ってあげたい」が沁みます・・・

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以降「ネタバレ」を含みますので、ご注意下さい。
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ねらわれた学園ラストシーン
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薬師丸ひろ子演じる由香は、耕児が捕まった英光塾へ行き、京極と戦う。
nerawareta-sen.jpgそして、あっけなく京極を倒した。
祝福するかのように、新宿副都心で花火が上がる。
そして、第2回の剣道大会が開催され、由香の超能力を使い勝つ。
こうして平和に戻った学園で、由香は特別な力を持ったまま生きて行くのだった。


つまりは、日常の中で「特別の力を秘めた少女=アイドル」の誕生ですね。


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posted by ヒラヒ・S at 17:53| Comment(6) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月15日

『武士の家計簿』経理侍の実話映画・あらすじ・ネタバレ・ラスト・感想

平成の時代劇



評価:★★★★ 4.0点

この映画は、新たな時代劇の形、もっと言えば新たな劇空間の地平を切り開いた、ある種のパイオニア作品として、映画史に残すべきとすら思います。

武士の家計簿・あらすじ

代々加賀藩の財政の御用を勤めてきた御算用侍(経理・会計係)の猪山家。江戸末期になり、八代目の直之(堺雅人)は、ただひたすらそろばんを弾き、数字の帳尻を合わせて毎日を暮らしている。彼は、町同心・西永与三八(西村雅彦)の娘お駒(仲間由紀恵)と結婚し家庭を持った。しかし直之が御蔵米の勘定役となった時、帳簿上の齟齬を見つけ、米の横流しがある事に気付く。藩内で横領をしていた一派が断罪され、直之は異例の昇進を果たす。武家社会は身分が上がれば出費が増え、猪山家の財政は逼迫していく。父・信行(中村雅俊)は江戸で膨大な借金がすでにあり、母・お松(松坂慶子)は着道楽だった。直之は猪山家の“家計改善計画”を断行。売れるものは全て売り、お家を潰す恥を回避すべく、家族は一丸となって借金返済のため、直之の指導の下倹約生活が家計簿に記される。直之は息子・直吉も御算用者として、4歳にして家計簿をつけるよう命じ、そろばんで子の額を割るほどスパルタで鍛えていく。しかし、時は幕末に移り直吉(伊藤祐輝)は、御算用侍が激動の時代に意味があるのかと父と反抗しつつも、時代の中心地・京都の加賀藩邸に向かうのだった・・・・・

(日本/2010年/129分/監督・森田芳光/脚本・柏田道夫/原作・磯田道史)


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武士の家計簿・感想
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時代劇の新しい地平と言えば、大げさに聞こえるかもしれませんが、それくらいユニークな物語になっていると思いました。
逆に言えば、過去の時代劇の「見せ場・快感」を期待して見ると、肩透かしを食らうかもしれません。
この映画は日本史歴史学者、磯田 道史著の『武士の家計簿〜 「加賀藩御算用者」の幕末維新』という歴史教養書を脚色しています。
内容は"猪山家に残された約37年間の家計簿を元に仔細に書き残された収入、支出の項目から武士の暮らし、習俗、とくに武士身分であることによって生じる祝儀交際費などの「身分費用」に関する項目や、江戸末期の藩の統治システムが実証的、具体的に描かれている。"(Wikipediaより)ということです。

そんな原作だけに、歴史的事実の研究事例を組み合わせてドラマとしたこの映画は、元が加賀藩の会計担当者の日常を描いたものだけに、刀を抜いての戦いや、劇的な苦悩や、封建社会の矛盾などという、激しい対立や対決を持った映画ではありません。

busikake-titi.jpg映画の終わり30分程は、幕末の時代の変転に対して語られますが、戦闘シーンは一切でてきません。
ここで描かれたのは歴史の激動ではなく、
家庭の不協和音の原因としての時代の変化
でしかありません。

むしろ今までの「時代劇」が描いてきた、激しいドラマを否定するかのように、日常の平安な生活感に満ち満ちており、まるでぬるま湯に漬かってうたた寝をしているような映画です。

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しかし、この日々の淡々として積み重なる日々の集積こそが、歴史というものを築いてきたのだという、至極当たり前のことを教えてくれる物語です。


なるほど、今も昔も平凡で変わり映えのしない日々こそが、人が生きる時間というものの本質だと気づかせてくれます。

そして、静かな日々の中に職場や家庭で大小のイザコザや衝突が生じて、泣いたり怒ったりするのも、その大小の波がまた元の静けさに帰っていくのも、現代と変わらぬ人の営みでしょう。

busika-houken.jpg考えてみれば人々は何時の世も、平和な日を、平穏無事を、家内安全を願って、生きるのです。
だとすれば、過去の時代劇で描かれた激しいドラマは、有り得ないほどの異常事態を描いてきたのだとも言えるでしょう。


歴史の中を圧倒的に占めて来たであろう時間が、どちらの時間であったかは明確だろうと思うのです。

そういう意味で、この映画には「歴史の真実の時」が定着されています。

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蛇足ながら、この映画を撮った森田芳光監督は、この歴史の平凡こそが「歴史劇=時代劇」の本質であると語る、理由があったのでは無いかと個人的に邪推しています。


森田監督が初めて撮った時代劇は「椿三十郎」で、黒沢監督のリメイクでしたが、評価的にも興行的にも失敗と見なされるものでした。
その作品は、まるで「クロサワ映画」のイミテーションで、そこに森田監督の個性や主張を見出せないものでした。


このことは、アクションを描いた作品がない森田監督の資質という問題も有るでしょうが、それ以上に監督自身が活劇を描く必然を、現代に見出せなかった事に原因があったのでは無いかと思うのです。
何故なら過去の森田作品では、原作の世界を現代社会にあわせて大胆に改変しています。
大胆な解釈の変更が見られる例「失楽園」
当ブログのレビュー:
『失楽園』過激ベッドシーンの不倫映画のワケを解説してみる


そう考えた時、森田芳光監督は黒澤監督の戦後の荒々しい時代に生まれた「椿三十郎」の激しい殺陣の必然を、現代社会の中に見出せず、途方に暮れたのではないかと想像するのです。
その必然を求めて、時代劇に再度対峙したとき生まれた作品こそ、この映画だったように思います。
busikake-onbu.jpg
平和な日常を描いた時代劇こそ、この平成で求められるドラマだという森田監督の答えではないでしょうか。

つまりは、禄を得るために親から伝えられた家職を淡々とこなすのが江戸期の武士であり、それは今のサラリーマンと同じように将来の安定を第一に考えた実直な人生だったのです。
つまりは、現代サラリーマン、特に経理畑の方ならなおさら、とても共感できる日々の常態が描かれたこの作品こそ、平和な時代の時代劇として価値が有るように思います。

またこの映画のあと『武士の献立』や『利息でござる』などの、「平和な時代劇」というべきジャンルが成立し、時代劇の可能性を広げる一本となったと思います。

作家という人々は自らの個性に向き合えば、どんなジャンルにおいても、その個性を反映した作品を作り出しえるのだという証明となる一本だろうと思います。
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以降「ネタバレ」と「ラスト」を含みますので、ご注意下さい。
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父に反抗した息子・直吉も、父祖代々の家職である加賀藩御算用者としての技能を持って、加賀藩の京都出兵に参加します。
そして大政奉還後の鳥羽伏見以後の戦いで、その高い計算能力は時の官軍を率いた大村益次郎をして、君の能力は兵隊1万人に匹敵すると言わしめます。
武士家計−官軍
busikake-oomura.jpg大村 益次郎(おおむら ますじろう、 文政8年5月3日(1824年5月30日) - 明治2年11月5日(1869年12月7日)は、幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者である。維新の十傑の一人に数えられる。長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。(wikipediaより)

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武士の家計簿・ラストシーン
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この映画の最後は、明治の世になり海軍の主計官として立身出生した息子が、父を背負って歩む姿がえがかれます。
武士−明治

ここには、一時親子の間に断絶があったとしても、実際子供が社会に出て行ったときに、父の苦労や仕事の価値を理解し、相互理解が生まれる姿が描かれているように思います・・・・・

そして、直吉の息子達も父と同様海軍に入ったという後日談が語られます。
こんな風に親から子に、何かが引き継がれることを伝統と言うのでしょう・・・・

こんな平凡な家庭が幾千、幾万集まって、泣いたり笑ったりしながら歴史を織り成して来たのだと、しみじみと思う、そんなラストです・・・・・・

busikake-inoyama.jpg
因みに明治の代で直吉、長じて猪山成之は、兵部省会計少佑海軍掛を経て大日本帝国海軍の主計官となり、海軍主計大監(大佐相当官)まで昇進して、呉鎮守府会計監督部長を最後に、1893年(明治26年)に予備役となっている。1920年(大正9年)没。
尚、東京・九段の靖国神社に立つ「大村益次郎」像の建立に力があったのは、加賀前田家の「猪山成之(しげゆき)」だった。(原作本より/右写真:猪山成之)


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posted by ヒラヒ・S at 17:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする