2017年03月06日

『巴里のアメリカ人』ハリウッドの欧州コンプレックッス・感想・ネタバレ・あらすじ・ラスト

舞台芸術より映画芸術を!



評価:★★★★  4.0点

ニューヨークの星付きのフレンチ・レストランに日本人の方が行った時の事です。
なぜか対応が悪いし、ボーイも中々やってこない・・・・隣の席のフランス人にはすぐ行くのに。
腹が立って、ムッシュー・シル・ブ・プレ(給仕さんこっちへ)と言ったら、ウイ・ムッシューとすぐ来たという・・・・・・・
この映画は、そんなアメリカのスノビズム、アメリカのヨーロッパ・コンプレックスを現した映画だと思います。


巴里のアメリカ人・あらすじ


画家を目指し、パリに暮らすアメリカ人ジェリー・ミュリガン(ジーン・ケリー)だが、絵は一向に売れない。ジェリーは友人の米国人のピアニスト、アダム・クック(オスカー・レヴァント)がフランス人の売れっ子歌手アンリ・ボウレル(ジョルジュ・ゲタリ)と会っている所を訪ね、初対面のアンリと息投合し、ジェリーとアンリは一緒ステップを踏み、歌を歌う。(下:ジーン・ケリーとジョルジュ・ゲタリ「By Strauss」)

ある日ジェリーは街で絵を並べて売っていると、リッチな米国婦人ミロ・ロバーツ(ニナ・フォック)と知り合い、彼女は彼の絵を買ってくれた。しかしミロは、絵よりもジェリーをツバメにすることを望んでいたのだった。しかし、ジェリーは自分の画才を認められたと喜び、パリの街で子ども達に囲まれに歌い踊る。(下:ジーン・ケリー「アイ・ガット・リズム」)


その夜ミロに誘われ行ったキャバレーで、ジェリーはパリ娘リズ(レスリー・キャロン)に一目惚れし、無理やり彼女の電話番号を聞き出すが、実は彼女こそフランス人歌手アンリの彼女だった。翌日から、ジェリーはリズの勤める香水店にまで顔を出しアプローチし、ついにリズもジェリーの歌とダンスに感動し口づけを交わす。(下:ジーン・ケリー「our love is here to stay」)


しかし、アンリのリサイタルがあるリズは去っていった。リズはがアンリの元に行くと、アンリはアメリカへ演奏旅行に行くので、リズと結婚して一緒に行きたいと言った。戦争中両親を亡くして、アンリに援助を受けてきたリズは、彼を深く信頼し恩を感じて婚約していたためリズは承諾せざるを得なかった。そのいきさつを聞いたジェリーは、彼女に別れを告げた。
その夜パトロンのミロとジェリーは美術学校の大晦日のパーティーに出かけ、そこでリズとアンリに会う。人影のないバルコニーで、二人は再び別れを告げ、リズは目に涙をためながらアンリとともにパーティー会場を離れていく。去るリズを見送りながらジェリーは、空想の世界に入っていった・・・・・・・

(原題 An American in Paris/アメリカ/製作年1951/113分/監督ヴィンセント・ミネリ/脚本・原作アラン・ジェイ・ラーナー/音楽ジョージ・ガーシュウィン)

<巴里のアメリカ人・受賞歴>

1951年度・アカデミー作品賞、脚本賞、8つの部門に受賞
また、1951年にアカデミー名誉賞としてジーン・ケリー


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巴里のアメリカ人・感想

以下の文章には当映画に関する、悪評が含まれますご注意下さい。
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ハリウッド黄金期の、輝くばかりのミュージカルを堪能できます。
ほんとにジーン・ケリーの踊りのすごい事。
全身をスクリーンにさらしてノーカットで踊り続けられる俳優が、今いるでしょうか?

ジーン・ケリーとジョルジュ・ゲタリ「ス・ワンダフル」

この明るく元気なヤンキー青年の代名詞のような、ジーン・ケリーという俳優の魅力を再認識しました。
作曲もアメリカの誇り、ジョージ・ガーシュインということで、この映画はアメリカ文化の精華とも呼ぶべき一本だと思います。

ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin、1898年9月26日 - 1937年7月11日)は、アメリカの作曲家。本名、ジェイコブ・ガーショヴィッツ(Jacob Gershowitz)。ポピュラー音楽・クラシック音楽の両面で活躍しアメリカ音楽を作り上げた作曲家として知られる。通称『完璧な音楽家』。
pari-ame-George_Gershwin.jpg【略歴】
1920年代以降は、作詞家となった兄アイラ・ガーシュウィンと組んで、レビューやミュージカル向けに多くのポピュラー・ソングを送り出した。ガーシュウィン兄弟によって作られ、後年までスタンダード・ナンバーとして歌われている歌曲は『私の彼氏(The Man I Love)』『バット・ノット・フォー・ミー』『アイ・ガット・リズム』などをはじめ、おびただしい数に上る。
クラシックにも取り組み、1924年には『ラプソディ・イン・ブルー』(Rhapsody in Blue)を発表。当時ガーシュウィンにとって管弦楽法は未知領域だったためファーディ・グローフェの協力を得て、ジャズとクラシックを融合させたこの作品は「シンフォニック・ジャズ」の代表的な成功例として世界的に評価された。
その後独学でオーケストレーションを学び、いくつかの管弦楽作品を残した。そのひとつ『パリのアメリカ人』(An American in Paris、1928年)もよく知られている。(wikipedia引用)


では、何で満点じゃないのというと、この映画にはアメリカ文化の悪いところも同時に現れているように思うからなのです。
pariame-lautrec.png
その悪いところというのが、この映画の売り物、ラスト『パリのアメリカ人』をバックに踊る18分間のダンスシーンに現れていると、個人的には思えるのです。

それというのも、確かにこの18分はそれまでのミュージカルとは一線を隠した「芸術的なダンス」として世間の高い評価を受けています。

なるほど、そのクライマックスは曲との相乗効果で、確かにアーテイスティックな洗練も感じられます。
終盤近く18分のダンスの一部

それでもしかし、このラストのダンスは、そもそもハリウッドミュージカルのダンスでしょうか?

これは「バレエ」と呼ぶべきではないですか?
USA-flag.png
ここにアメリカ人の「ヨーロッパ文化」コンプレックスを見るように思うのです。

そもそもこのダンスがあったからこそのアカデミー賞受賞のようにも思えるのですが、この「バレエまがい」のダンスに、私はそれほど感動できませんでした。

やっぱり、ジーン・ケリーに全身タイツは似合わないって・・・・・・・
ジーン・ケリーの全身タイツ
ロートレックの絵の中に入って、踊るバレエ的なダンス。
しかし、個人的にはハリウッド・ミュージカルとは違う表現だと感じる。

この18分には、それまでハリウッドが大衆に対して提供してきた、「明るく楽しい娯楽」を個人的には感じられなかったのです。

そして、ハリウッド・ミュージカルからその長所がなくなれば、その輝きは失われてしまうと思うのです。

さらに言えば、アメリカ・ミュージカルの音楽のベースはアフリカ系アメリカ人がもたらしたブルースにあり、アップテンポなダンス表現もブラックカルチャーが色濃く反映しています。

ニコラス・ブラザースのダンス
ニコラス・ブラザーズ(Nicholas Brothers)は黒人の兄弟のタップダンスチームで、1930年代後半から40年代頃までハリウッド映画に多く出演。(下は1942年)

1985年アポロ劇場のサミー・ディヴィス・Jrとタップダンサー

上の動画を見ればハリウッド・ミュージカルが、ブラック・カルチャーとヨーロピアン・カルチャーのどちらに近いか一目瞭然ではないでしょうか。

pariame-pos.jpg
そんなアフリカ大衆が歌って踊った、お祭りのような華やかさこそ、ミュージカルの真髄だと思います。


そういう意味で言えば、ヨーロッパの王侯貴族を楽しませるための、「バレエ」や「クラシック音楽」とは水と油とさえ言いたくなります。


ま〜そういうわけで、映画というジャンルで最も映える「ハリウッド・ミュージカル」というスタイルを確立したのに、わざわざ映画的でない踊りをする事は無いでしょ?

アメリカ人がヨーロッパの洗練に憧憬の念を持つのは、自らの文化にない伝統や格式を求めるスノビズムからだと思うのですが・・・・・・・
「ハリウッド・ミュージカル」を最高と思う私にとっては、欧州の要素はジャマでしかないのです。

そんなわけで、この映画から☆一つ減らさせて頂きました。

えっ〜と・・・・・余計な話ですが、じつはジーン・ケリー欧州スタイルで売ってたフレッド・アステアのダンスに憧れてたりして・・・・最後のダンスはなんかアステアっぽい・・・・・

もっともアステアがヘップバーンと出た、『パリの恋人』というミュージカルがありました。
が、これも今一つで・・・・・・アステアといえども「ミュージカルと欧州」は「水と油」のようで・・・・・
フレッド・アステアとオードリー・ヘップバーンが共演した『パリの恋人』


そしてさらに決定的な証拠を提示すれば、この映画のバレエ的な要素を本当のバレリーナが踊る「パリのアメリカ人」が有りますが、明らかにジーン・ケリーのバレエ的な踊りよりも、訴求力があります・・・・

バレエ的なダンスを本当のバレエダンサーと較べてみると、ジーン・ケリーの体の線が気になります。やはりジーン・ケリーの持ち味とは、違う踊りだったように思えてなりません・・・・・・


やっぱり『雨に唄えば』がジーン・ケリー、いやハリウッド・ミュージカルの最高傑作だと私は思います。

関連レビュー:
『雨に唄えば』
ハリウッドミュージカルの傑作
ハリウッドミュージカルの歴史


関連レビュー:
『ラ・ラ・ランド』
新時代のミュージカル
デイミアン・チャゼル監督の秀作


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以降の文章に

巴里のアメリカ人・ネタバレ

巴里のアメリカ人・ラストシーン

とを含みますので、ご注意下さい。
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(あらすじから)
空想から醒めたとき、ジェリーはパーティー会場に戻ってくるリズを見つけた。
実はアンリは2人の話を立聞きし、ジェリーとリズが愛し合っていることを知って、自ら身を引いたのだ。
そして、2人は晴れて結ばれたのだった。


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posted by ヒラヒ・S at 20:45| Comment(4) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月04日

『ビフォアミッドナイト』現実の恋を生む力・あらすじ・ネタバレ・感想・ラスト

倦怠期のカップルの処方箋



評価:★★★★  4.0点

この映画を撮ったリチャード・リンクレーター監督の作品は、現実と虚構世界との間で無視し得ない作品世界を構築する映像作家だと思います。
この映画も、間違いなく「虚構=映画」の中に、現実世界を見事に再現した一作ではないでしょうか・・・

ビフォア・ミッドナイトあらすじ


ウィーンに向かう列車の中で出会い、その9年後パリで再会し再び恋に落ちた二人。今作は更にパリから9年経過した、小説家ジェシー(イーサン・ホーク)と環境活動家セリーヌ(ジュリー・デルピー)の結婚生活を描く。
ジェシーの元妻と住んでいる息子ハンク(シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック)を、ジェシーはシカゴに帰すため空港に送りに来た。ジェシーとセリーヌ、その双子の娘エラ(ジェニファー・プライア)とニーナ(シャーロット・プライア)そして息子ハンク(シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック)も含めて、友人の招きを受けギリシャでバカンスを過ごして来たが、ハンクは一足早く帰る予定だった。名残惜しげなジェシーは、ハンクの演奏会を見にシカゴに行くと言うと、母親がナーバスになるから来なくていいと言われる。
befo-mid-car.jpgジェシーは、ハンクの成長期に共に暮らせない事を悔やみ、帰りの車内でセリーヌにグチる。会話中でジェシーはシカゴへの引越を提案し、環境活動家として問題を抱えていたセリーヌは絶対に無理だと答え、シカゴに行くなら分かれるという。
別荘では主の老作家パトリック(ウォルター・ラサリー)とその友人である老婦人ナタリア(ゼニア・カロゲロプールー)、孫アキレアス(ヤニ・パパドプロ)とそのガールフレンド・アナ(アリアン・ラベド)、ジェシーの友人ステファノス(パノス・コロニス)とその妻アリアドニ (アティーナ・レイチェル)で、人生や恋愛の話を交わしながら宴を楽しむ。
bemid-sundown.gifステファノスの計らいで、一夜を近くのホテルで二人水入らずで泊まることになった。ホテルまでの道を、二人語らいながら、教会に立ち寄ったり、海辺で夕日を眺めたりと、ゆっくりとした時間を過ごす。
ホテルの部屋に入り、久しぶりに子供のいない時間を楽しむ二人だったが・・・・・・・

(原題 BEFORE MIDNIGHT/製作国アメリカ/製作年2013/108分/監督リチャード・リンクレイター/脚本リチャード・リンクレイター、イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー)

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ビフォア・ミッドナイト感想・解説

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冒頭でも述べたとおり、この監督リンクレーターが追求するテーマの一つに、虚構の中に現実世界を取り込み「本当のような嘘を構築する」というものがあるように思います。
それが最も端的に出たのが、『6歳のぼくがおとなになるまで』で、この映画はなんと6歳の少年が18歳になるまでの12年間、毎年撮影し続けたものです。
それは、すでに「虚構=嘘」の為に、現実が従属し奉仕する姿にすら見えました。
当ブログ関連レビュー:
『6才のボクが大人になるまで』
リチャード・リンクレーター監督の傑作
現実に優先する映画のお話

そんな「現実を虚構」に従わせた作品として、この『ビフォア・ミッドナイト』も在ると思います。
aftemid-timeCheng.jpg
なぜなら、この映画も明らかに現実世界を物語に取り込んで成立しているからです。

それはこの映画の発端が、今作から18年前に撮られた『ビフォア・サンライズ』であり、その9年後に撮られた『ビフォア・サンセット』であり、そして今回の『ビフォア・ミッドナイト』へとつながり、それはそのまま現実世界の時間経過と映画内の時間経過がシンクロしている事で明らかでしょう。
つまり、現実時間が映画の中でも経過しているのです。
このシリーズは、18年前に生まれた恋を現実世界の時間を取り込んで、そのつど映画として発表しのでした。
(右写真:上『ビフォア・サンライズ』中『ビフォア・サンセット』下『ビフォア・ミッドナイト』)

その映画スタイルはあくまで現実味・リアリティーを追求した会話劇で、まるでレストランに行ったら、彼らが脇で語り合っているような、そんな日常的な光景を描いたドラマです。

befo-kiss.gif
そして、その現実と見間違えるような前二作のドラマで語られたのは、今や「恋愛」に夢も希望もロマンも無く、運命で「恋愛」は生まれないという宣言だと感じました。

それは、徹頭徹尾、人間が努力により作り上げた「恋」の姿だったと感じられます。
そして見終わって感じたのは、「恋愛」から夢やロマンが失われていても、人は現実世界で「恋愛」をする価値があるという感慨でした。

当ブログ関連レビュー:
『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』
当三部作のオープニング作品
リアル恋愛映画のあらすじと感想


当ブログ関連レビュー:
『ビフォア・サンセット』
恋愛と映画のルネッサンス
シリーズ第二作目あらすじ・感想・解説

そしてこの映画も、シリーズの伝統にのっとり、やはり現実的で夢も希望も無い映画でした。

befMid-pos.jpg
夫婦にしろパートナーにしても、9年一緒に暮らしたカップルであれば、この映画で起るイザコザは、実に見に覚えのある、人ごとではない話ではないでしょうか。

このリアリティーに富んだ表現は、さすがにこの俳優、この監督の演出力の証明でしょう。
それゆえこの映画のドラマは、9年目のカップルが倦怠や相互に不満を溜め込んでいる現実を反映して、見ていてストレスとプレッシャーすら感じるドラマとなっています。

長期に渡りカップルであれば、悲しい事ですが、必ずお互いに募る不満が爆発する時が訪れます・・・・・
この映画はそんな倦怠カップルの一夜を描いています。

それゆえ現実世界のケンカを反映して、
ミモフタも無い、ブザマな、泥沼の、ついには相手の全否定へ向けた総攻撃にまで至ります。

それはまるで、ケンカ・紛争・戦争の本質を描いたロマン・ポランスキー監督の『大人のけんか』を彷彿とさせます。
当ブログ関連レビュー:
『おとなのけんか』
紛争の本質を語った映画
あらすじ・感想・解説


そして、双方の心に壊滅的な痛みと、カップル存続にとっての危機的な状況を迎えます・・・・・・
ここまでは現実世界の離婚カップルそのままの展開であり、流れです。
しかし、具体的には申し上げられませんが、この映画はそんな現実にジェシーが働きかけ、現実をより良いものにしようと努力をします。
Before-Midnight.jpg
このジェシーが「作家=虚構の住人」である事を思い出してください。
つまりこの映画は、『ビフォア・サンセット』でジェシーが小説によってセリーヌを引き寄せたように、「虚構」が現実に働きかけ、過酷な現実といえども良いものに変革しえるのだと語っているように思えてなりません・・・・・・・

そんな現実を変え得る「虚構」を「」と呼ぶのは、キザでしょうか?
イーサン・ホークとジュリー・デルピーのインタビュー

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以降

『ビフォア・ミッドナイト』ネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。
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ホテルに入った二人は、互いの言葉の中に現状の不満の種を見出し、相互に相手を責め始める。
ジェシー「俺は人生の全てを捧げたんだ、でも与えた以上の見返りを受けてない」
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セリーヌ「世界は理性的な男の愚かな決断で台無し」
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もう泥沼ですな、・・・・・・・・・このあと怒ったセリーヌは部屋を出て行く。

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『ビフォア・ミッドナイト』ラストシーン

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ジェシーは彼女に未来から手紙が来たといい、それを読み説得を試みます。
おとぎ話を信じずに現実を生きようと、俺は関係を良くしたい、無条件で愛する、君を笑わせる、君の文句に耐えると。そして言う・・・・・・・
「真実の愛はここにある、これが現実の人生だ、完璧じゃないかもしれないが、これが現実だと」
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やはり現実の人生とは痛くとも辛くとも、自ら一つ一つ積み上げる以外に、幸せは作り上げられないという話かと思うのでした・・・・・


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posted by ヒラヒ・S at 18:39| Comment(4) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月27日

映画『ラ・ラ・ランド』ノスタルジーを越えて踊る愛・あらすじ・ネタバレ・感想・ラスト

失われたノスタルジー、新たなる希望



評価:★★★★  4.0点

LA・LA・LANDのLAはハミングのラ−ラーと同時に、「LA=ロサンゼルス=ハリウッド」という意味かと思い、そう考えれば「ハリウッド讃歌」の映画かとも思います。
正直言ってこの映画は、ハリウッド・ミュージカルとしての力は弱いといわざるを得ません・・・・・・・
しかしここには、ハリウッドやジャズという、アメリカ文化を彩ってきたコンテンツに対するノスタルジーだけではなく、それらに対して新たな命を吹き込もう、新たな火を灯そうという高い志が見えます。
それゆえ、ダンスや歌に不満を持ったにしても、私はこの映画を高く評価したいと思います。

ラ・ラ・ランドあらすじ


アメリカ・ロサンゼルスの夏の朝。ハイウェイは渋滞でクラクションが鳴り響き、いつしか車から人が外に出て踊りだし、ハイウェーで人々の踊りが繰り広げられた。
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その中に女優を目指すミア(エマ・ストーン)とジャズピアニストを目指すセバスチャン(ライアン・ゴズリング)がいた。ミアが動かないのにイラついたセバスチャンはクラクションを鳴らしながら追い越すのに対し、ミアは中指を立てて反発した。
そんなミアは、映画スタジオのカフェで働きながらオーディションを受け、落ち続けている。そんなある晩ルームメイトに誘われパーティーに出かける。
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その帰路夜の街をさまよい、ピアノの音に誘われナイトクラブに入る。そこにはセバスチャンがピアノを弾いていた。クラブのオーナーのビル(J・K・シモンズ)に、店の決めた曲を弾けと要求され、一時店を離れていたが復帰した夜だった。しかし、演奏しているうちにジャズを演奏し、首を言い渡される。店を去るセバスチャンにミアは感動を伝えようとするが、黙殺される。
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ロサンゼルスの春。プールを囲んだパーティーで演奏するセバスチャンとミアは再会した。クラブの夜を忘れていなかった二人はトゲトゲしかったが、ミアが嫌なパーティー客から逃れるためセバスチャンに声をかけ、共に帰る。車を探す二人は、ロサンゼルスを見渡せる丘の上に至り、二人は歌い踊り、その夜は別れる。

次の日にはセバスチャンはミアの働くコーヒー店を訪ね、仕事が終わったミアと帰りながらお互いの事を語る。自分の夢がジャズクラブを開くことだというセバスチャンにミアはジャズは嫌いだと語る。それを聞いたセバスチャンがミアをジャズクラブに誘い、ジャズの魅力を熱く語る。そのクラブでミアに、TVショーのオーディションの連絡が入る。『理由なき反抗』に関係する内容なのだが映画を見ていないというミアに、セバスチャンは数日後に映画館で一緒に見ようと約束する。しかし、その晩はミアが現在付き合っている男性と先約があった。ミアはセバスチャンを気にしつつ彼氏と過ごしていたが、ついに中座し映画館へと走る。映画館で二人は手を握り、気持ちを確かめ合う。
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映画のあとで『理由なき反抗』のロケ地である、ロサンゼルスのプラネタリウムで二人はデートをし、歌い踊りキスをした。
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セバスチャンの勧めで舞台劇の脚本を書き出したミア。二人はロサンゼルスの町で日々デートを重ね、ついにミアとセバスチャンは一緒に暮らすようになる。

ミアは、セバスチャンの夢ジャズクラブの名前を、チャーリー・"バード"・パーカーに因んだ「チキン・オン・スティック」という店名にしたいと言うのに反対し、「セブ(セバスチャン)の店」が良いと勧めるが、「チキン・オン・スティック」にジャズの伝統を込めたセバスチャンは応じない。そんなある日、ミアが母と「彼は定職につくか」と電話しているのを聞き、セバスチャンは安定収入を得るために音楽観が違う旧友キース(ジョン・レジェンド)のツアーに参加した。lalala-kieth.gif
しかし、ツアーで忙しいセバスチャンとミアは、すれ違うようになる。
たまの水入らずのディナーでも、二人の溝は広がってしまう。ついにセバスチャンは、自分の成功をミアが臨んでいないと言い放つ。それを聞きミアは家を出て行く。

そして、ミアの一人芝居の日が来るが、セバスチャンはその日バンドの写真撮影と重なってしまい、駆けつけたときには終演していた。ミアは謝るセバスチャンに、数人しか入らない失敗した舞台だと言う。
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ミアはもう終わりだと告げ、そして彼女は実家に帰ってしまう。
果たして、二人の運命は・・・・・・・


(原題 LA LA LAND/製作国アメリカ/製作年2016/128分/監督・脚本デイミアン・チャゼル)

ラ・ラ・ランド受賞歴

第74回ゴールデングローブ賞
作品賞(ミュージカル・コメディ部門)/主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)ライアン・ゴズリング/主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)エマ・ストーン/監督賞デミアン・チャゼル/脚本賞デミアン・チャゼル/主題歌賞"City of Stars"ジャスティン・ハーウィッツ
第70回英国アカデミー賞
作品賞/監督賞デミアン・チャゼル/撮影賞ライナス・サンドグレン/作曲賞ジャスティン・ハーウィッツ/主演女優賞エマ・ストーン
第89回アカデミー賞
監督賞デミアン・チャゼル/主演女優賞エマ・ストーン/撮影賞ライナス・サンドグレン/作曲賞ジャスティン・ハーウィッツ/歌曲賞"City of Stars"
第73回ヴェネツィア国際映画祭・女優賞エマ・ストーン



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ラ・ラ・ランド解説

ハリウッド・ミュージカルの歴史

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この映画に言及する前に、まずはハリウッド・ミュージカルの歴史をご紹介させていただこうと思います。
1930年代〜1940年代は「ハリウッド黄金期」と呼ばれ、この時期に大掛かりなミュージカル映画が作られ、ジーン・ケリーやフレッド・アステアとジンジャ・ロジャースのコンビなどミュージカルスターがキラ星のように輝いていたのです。
当ブログ関連レビュー:
『雨に唄えば』
ハリウッドミュージカルの最高峰映画と
ハリウッドミュージカルのご紹介


Film.jpgそんなハリウッド・ミュージカルが減退していったのは、TVの登場によって映画が娯楽の王座から滑り落ちた事と、もう一つはアメリカ的な価値観のショーケースとしての役割を、第二次世界大戦後の世界が求めなくなったということがあったように思います。

更に言えば、ハリウッドミュージカルの持つ豪華な夢の世界とは、民俗学で言うところの「ハレ=祭礼」であり、それは戦後の混乱し飢えていた世界の「日常=ケ」が苦しければ苦しいほど、現実逃避としての力を発揮し得たと思うのです・・・・・・・・・・

そんな華やかで陽気なフェスティバルのようなハリウッド・ミュージカルから見れば、正直言って『サウンド・オブ・ミュージック』、『メリー・ポピンズ』『マイ・フェア・レディ』などは、ハリウッド・ミュージカルとは呼びがたい気がします。

個人的に最後のハリウッド・ミュージカルは、『ウエスト・サイド物語』(1961年)だといえるかもしれませんが、これもどちらかといえばブロードウェイの舞台色の味わいが勝った作品だと感じます。


いずれにしても、ハリウッド映画のミュージカルは、1960年代以降にオマージュのように黄金期ミュージカルにチャレンジした作品は在りましたが、むしろ「オペラ座の怪人」などのように舞台ミュージカルの映画版が主流になります。
そんな舞台を映画に置き換えた作品に関しては、いかんせん映画的でない分、ハリウッドミュージカルとは別物・別ジャンルと言わざるを得ません。

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ラ・ラ・ランド解説

『ラ・ラ・ランド』監督デイミアン・チャゼル

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1960年代には、ハリウッド・ミュージカルの伝統が途絶えた事はすでに申し上げましたが、この映画を撮った監督デイミアン・チャゼルは1985年生まれです。
つまりハリウッド・ミュージカルが作られなくなって、30年以上も経って生まれてきたのです。

デイミアン・チャゼル89academi.jpg
それが意味するのは、彼は生れ落ちてから後に勉強し知識を蓄えていったということになります。

それは、作品中で主要なテーマとなっている「ジャズ」に関しても同じ事です。個人的にはジャズは「帝王マイルス・デービス」が世を去った1991年以後、停滞したジャンルと言わざるを得ません。
つまりチャゼル監督が5〜6歳の頃には、すでに衰退が始まったわけです。

しかし、前作『セッション』で、ジャズに新たな命を吹き込もうと挑戦したこの監督は、今作では『ハリウッド・ミュージカル』復活させようと挑戦したと思えるのです。


当ブログ関連レビュー:
『セッション』
ジャズを巡る厳しい師弟対決
ジャズの復権を目指したデイミアン・チャゼル監督作品


そしてまた、このタイミングとは、ミュージカルを実際に作ってきたスタッフがいなくなり、その観客も高齢になってきているがゆえに、ある種の自由を持ちえたとも思えるのです。
更に言えば、ジャズにしてもハリウッドミュージカルにしても、最も輝き日々新しいものが生まれていた黄金期の雰囲気をリアルタイムで感じていれば、決して挑戦できなかったように思えてなりません。

なぜなら、一番活力があり生きている時のそのジャンルの力を知っていれば、自分の作った作品の力が無いことを認めざる得なくなると思うのです。
しかし、30年も経てばそんな比較も出来なくなるという点でも、良いタイミングと言えるのではないでしょうか。

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ラ・ラ・ランド解説・感想

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ハッキリ言えば、この『ラ・ラ・ランド』はかつてのハリウッド黄金期のミュージカルとは別物です。
このミュージカルは「現実的なドラマ」と「ハリウッド・ミュージカル」の混合物だと言えますし、歌とダンスのために映画の全てが奉仕してない点で、黄金期作品と違う様式で出来ていると思うのです。
Film-katinko.jpgそして、正直言ってエマ・ストーンとライアン・ゴズリングの歌や踊りのレベルは悲惨だと言わざるを得ません。
例えばかつてのミュージカルのように、足元まで全身をさらして、ノーカットで踊り続ける華麗な技はどこにもありません。むしろどうやって足元を隠すかに気を配ってるとしか思えません。

実際、この映画の構図やカット割りは、踊りと歌を真正面から映すと言う、ミュージカルの伝統から逸脱しています。

しかし、それでもこの映画を私は愛します。

jeankery.gif
それはこの映画が語るのが、過去のハリウッド・ミュージカルを復活させようというノスタルジックな夢ではなく、ハリウッド・ミュージカルの栄光をレスペクトしつつも、この映画から新たなハリウッド・ミュージカルの第一歩を始めるという宣言だと感じたからです。


Lalala-bed.jpg
それは、セバスチャンのジャズ・クラブの店名チャーリー・"バード"・パーカーに因んだ「チキン・オン・スティック」としたいと言うのに、ミアが反対し「セブ(セバスチャン)の店」が良いと勧めるシーンに明らかです。

つまり過去に捕らわれるセバスチャンに対し、ミアは今受け入れられる形にすべきだと主張するのです。
また、ラストでセバスチャンとミアとの別の人生、ノスタルジックな美しい人生が描かれます。
しかしこの映画は、そのノスタルジーに逃げる事をせず、現実を生きるのです・・・・・・・・・

つまり、この映画はミュージカルにしてもジャズにしても、かつての栄光を懐かしむノスタルジーに生きても、消えていくしかないと語っているのだと思えます。
それゆえ、今日この日の現実の中で、もう1度、最初から作り上げていき、このジャンルのポテンシャルをかつての黄金期にまで高めるのだという、監督デイミアン・チャゼルの高い志を表現した映画だと信じます。
ハリウッド・ミュージカルの華ジンジャーとフレッド

それゆえ、ミュージカルとして不満があるにしても、私はこの映画を愛し続けますし、監督デイミアン・チャゼルを尊敬し、今後の作品を追いかけ続けるでしょう・・・・・・・

主題曲:シティー・オブ・スター
これもノスタルジックないい曲だと思いました・・・・・・・

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以降

「ラ・ラ・ランド」ネタバレ

とを含みますので、ご注意下さい。
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ミアが去ったセバスチャンの部屋に映画関係者からミア宛に電話が入った。
舞台を見て、彼女に興味を持ったのでぜひオーディションに来て欲しいというものだった。
セバスチャンはミアの実家を訪ね、彼女をLAに呼び戻し、オーディションに連れて行く
Lalala-ema-aud.jpg
オーディションシーンで"The Fools Who Dream"が歌われる、感動的なシーン。
【歌詞さび部分】
Here’s to the ones who dream(夢追い人に乾杯)
Foolish as they may seem(彼等を愚かと感じたとしても)
Here’s to the hearts that ache(心痛める者に乾杯)
Here’s to the mess we make(右往左往する私達に乾杯)

オーデションが終わり、セバスチャンはミアに言う。
もし役を掴んだならば、たとえ二人が離れ離れになっても、全てを犠牲にしても夢にかけるべきだと。
そして、ミアは言います「私はいつでもあなたを愛している」と・・・・・・
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セバスチャンも応えて「僕もいつだって君をあいしているよ」と返します。
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「ラ・ラ・ランド」ラストシーン

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そして5年後、ミアは大女優になり夫と子供を持ち幸福な生活を送っていた。
そんなある晩、夫と町に出かけハイ・ウェイの渋滞にはまり、町に降りて一軒の店に入った。
その店には"Seb's"(セブの店)と看板が掛かかり、店主セバスチャンが登場しミアに気づいた。
セバスチャンはピアノの前に座り、思い出の曲"シティー・オブ・スター"を弾く。
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その脳裏に、もう一つの有り得べき、セバスチャンとミアの物語が駆け巡った。

現実に戻ったセバスチャンは、立ち去るミアを見つめ、微笑む。
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ミアも微笑を返し、店を後にした。
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このラストは、二度と戻らない「美しき過去=ノスタルジー」を取り返そうとするものではなく、辛くとも前を向いて、新たな命を自らの夢に吹き込もうとする覚悟が描かれていると思います。
それはミュージカルやジャズに新たな活力を与えようとする、この映画の試みを象徴するラストだと信じます・・・・


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posted by ヒラヒ・S at 17:02| Comment(4) | TrackBack(1) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする