2017年04月18日

『麗しのサブリナ』ネタバレ・結末・ラスト/オードリーとボギーとピアフ

麗しのサブリナ(ネタバレ・ラスト 編)


原題 Sabrina
製作国アメリカ
製作年1954年/113分
監督ビリー・ワイルダー
脚色ビリー・ワイルダー、サム・テイラー、アーネスト・リーマン
原作サム・テイラー


評価:★★★★  4.0点



ヘップバーンの映画出演2作目は、名監督ビリー・ワイルダーによって、優れた演出力でドラマに軽快さと華やかさを生んでいます。
この映画の脚本も複雑になるところを、うまく説明してダレない明快さ、都会的なコメディーの味わいは、本当に上手いなと思います・・・・・・・・・・・

『麗しのサブリナ』紹介動画

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以降

『麗しのサブリナ』ネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。
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しかし、ライナス(ハンフリー・ボガード)もサブリナ(オードリー・ヘップバーン)に心惹かれながらも、会社経営こそ彼の人生だった。
sub-gone.pngライナスは、パリ行の船にはサブリナだけが乗るのだと告げた。自分はここに残ると。
サブリナは、そのライナスの言葉で全てを悟り「私は邪魔ものね」とつぶやき、パリに行くことを決めた。

その寂しげな後ろ姿を見て、サブリナが好きなのは弟デビッド(ウィリアム・ホールデン)だと信じているライナスは、デビッドをパリにやる決心をする。
それは、タイソン家との結婚、事業合併の約束を破棄するという事だった。
sub-shipgone.png重役会議の席で合併の書類を前にした、ライナス。
パリ行の客船が出航したのを見届け、「デイヴィッドは来ない」と口を開いた。
会議の場が騒然となる。

その時、会議室の扉が開いてデビッドが入ってきた。
彼は驚くライナスに「ライナスとサブリナが結婚と」書かれた新聞を見せた。
怒ったライナスが殴ると、デビッドは本当にサブリナが待っているのは兄貴だと言った。
sub-beat.png

今すぐタグボートで追いかけろと、埠頭にサリナスを走らせた。
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麗しのサブリナ・結末・ラストシーン

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パリ行の船で悲しげな顔を見せるサブリナ
そこに客室乗務員が、帽子を持ってきた。

船員:ご乗客の紳士が帽子を直して頂けないかと、ご所望でございます。/サブリナ:これを。

サリナスは、サブリナが言ったパリで傘は持っちゃダメという言葉に従った。

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麗しのサブリナ・ラストのネタバレ感想

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この映画がそれまでの恋愛映画と違っているのは、「運転手の娘=下層階級の娘」が「大富豪=王子様」を追いかけないところです。
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それは、自分の状況を理解して、自ら「恋ではない人生=パリ行」の選択をする姿に、象徴的です。
sub-pants.jpg
つまりこの映画は、女性たちに恋ばかりではない、別の人生もあるのだというエールだったと思えます。


それは第二次世界大戦後の、経済的に発展する社会に登場した「職業婦人=働く女性」の、凛とした女性像だったと感じます。

そして、自分の人生をしっかり生き、自己実現が叶えば、恋だってついてくるというお話かと・・・・・

やはり、当時の時代が求めていた、モダンな女性像を演じさせたら、オードリー以上の存在はいないでしょう。

関連レビュー:オードリー・ヘップバーン『ローマの休日』
オードリー・ヘップバーンのデビュー作
モダンな女王の威厳

そして、この映画のオードリー「自己実現に向かう女性」とは、今日的なテーマでもあると思います。
関連レビュー:アン・ハサウェイ『プラダを着た悪魔』
自立した現代女性の生きる道とは?
アン・ハサウェイとメリル・ストリープの戦い



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posted by ヒラヒ・S at 17:26| Comment(4) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

『麗しのサブリナ』詳しいストーリー・あらすじ/オードリーとボギーとピアフ

麗しのサブリナ(ストーリー・あらすじ 編)


原題 Sabrina
製作国アメリカ
製作年1954年/113分
監督ビリー・ワイルダー
脚色ビリー・ワイルダー、サム・テイラー、アーネスト・リーマン
原作サム・テイラー


評価:★★★★  4.0点



ヘップバーンの映画出演2作目は、ボギー、ハンフリー・ボガードを相手に、鮮烈な魅力を見せています。
『ローマの休日』の時はノーブルな輝きを発していましたが、この映画では等身大の20歳の瑞々しい美しさで、見るものを魅了します・・・・・・・・・・・

『麗しのサブリナ』紹介動画


麗しのサブリナあらすじ


大富豪ララビー家では、今晩もパーティーが開かれ、華やかな音楽で人々が踊っていた。
sub-moto.gif
その様子を木の上から見ているのは、ララビー家のお抱え運転手フェアチャイルド(ジョン・ウィリアムズ)の娘サブリナ(オードリー・ヘプバーン)だった。

彼女の眼差しの先には、ララビー家の次男デビッド(ウィリアム・ホールデン)がいた。
テニス・コートで美しい女性と踊るデビッド、サブリナは彼に恋心を抱くも相手にされない。
絶望して車のエンジンを全て掛け、ガレージの扉を閉め自殺を図る。
sub-garre.gif
そこにララビー家長男ライナス(ハンフリー・ボガート)が来て、救い出した。

sub-pari.gif彼女の父フェアチャイルドは身分違いのデビッドへの恋を忘れさせるため、サブリナをパリの料理学校に留学させる。
サブリナは料理学校で学びながらも、デビッドの事が忘れられない。


そして2年後、パリから戻ったたサブリナは、洗練されたレディーになっていた。
sub-david-car.jpg
サブリナが駅で父を待っていると、そこを通りかかったデビッドが声をかけた。
(右上サブリナ:おいで、デビッド/右中デビッド:デビッド?その犬の名前はデビッドかい?/サブリナ:ええそう/右下デビッド:こりゃ笑える、僕の名前もデビッドだよ。)

そして、サブリナと気づかずに家に送り届けるほど、華麗な変身を遂げていた。

そして、婚約者の実業家タイソンの娘エリザベス(マーサ・ハイヤー)いるにもかかわらず、その晩のパーティーで、サブリナの美しいドレス姿を見たデビッドは完全に恋に落ち、サブリナに夢中になった。
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サブリナとダンスを踊るデビッドは二人きりで会おうと約束する。

しかしエリザベスとの結婚は、ララビー家とタイソン家の会社事業合併がかかっていた。
サブリナしか目に入らないデビッドに、父オリヴァー・ララビーは、運転手の娘をどうするのだと一喝した。
それを見ていた、兄ライナスは弟の尻ポケットにワイングラスがあるのを知り、デビッドの味方を装って座って話そうと促し、デビッドの尻に数週間の裂傷を負わせた。
実は会社経営を一手に引き受けているライナスは、弟と実業家タイソンの娘エリザベスを結婚させ、会社合併による事業拡大しか考えてなかった。
その障害となるサブリナを自らが誘惑するため、弟はベッドから動けない方が都合が良かったのだ。
【大意】ライナス:ミルウォーキーのビール工場?/サブリナ:ええ、ミルウォーキは有名だから好きよ。/ライナス:乾杯!/サブリナ:このメロディー、私が出発する前の晩に流れていた。デビッドはここにいて、他の女性と踊ってた。今晩は私と踊って欲しかったなあ。/ライナス:家族として。/父親:どうやって、全ての破片を取り除いたか分かるんだね?/医師:簡単ですな。破片でシャンペングラスを作る。君に痛みを与えてないがね、ここは麻酔が効いてる。/デビッド:アンタじゃない。この曲が・・・/ライナス:サブリナ、もしデビッドがここにいたら、君はキスしてもらいたいと思ったろうね?このキスはデビッドから。家族として。

その夜デビッドをテニスコートで待つサブリナの元にライナスが現れ、彼女と共に踊った。
subrina-yot.jpg
そして、次の日からデビッドから頼まれたと言い、レストランや観劇、ヨット遊びに映画と、ライナスは毎日のようにサブリナをデートに誘いだした。

最初は仕事ばかりの堅苦しいライナスを敬遠していたサブリナも、ライナスの元の彼女の話や、社長室から飛び降りたくなることがあるという話を聞くうち、その人間的な側面にじょじょに親しみを持つようになる。

saub-car.jpg
また、デートを重ねるうちに、事業の為にサブリナを欺く積りだったライナスも、心の中でサブリナを愛し始めていた。


sab-ship.gifそんなある晩、サブリナはライナスに傾く気持ちに混乱し、もう会わないとライナスに告げるため彼の社長室を訪ねた。

しかしライナスの机にあったのは、パリ行の客船のサブリナとライナスのチケットだった。
2人でパリに行けるのだと、サブリナは喜んだのだが・・・・・・・

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この映画はオードリーの美しさと、ロマンチックな曲が、その華麗な味わいを作り上げていると思います。
その名曲「ラ・ヴィ・アン・ローズ=バラ色の人生」を、紹介せていただきました。


またこの映画は『サブリナ』という日本名で、1995年ハリソン・フォードを主演にリメイクされています。
『サブリナ』予告



http://hirahi1.seesaa.net/article/440833662.html
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posted by ヒラヒ・S at 17:00| Comment(4) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

『理由なき反抗』感想・解説・ジェームス・ディーン/世界初の青春スターの伝説

理由なき反抗(感想・解説 編)


原題 Rebel Without a Cause
製作国アメリカ
製作年 1955/上映時間 111分
監督・原作 ニコラス・レイ
脚色スチュワート・スターン
 アーヴィング・シュルマン


評価:★★★★  4.0点

この映画は、世界初の青春映画ではないかと思います。
そして、その若者のあからさまな主張を語るには、ジェームス・ディーンという映画史上でも希有のカリスマの個性が必要不可欠だったでしょうか。
『理由なき反抗』予告


『理由なき反抗』の感想・解説

青春映画の誕生


この1955年の映画は、多分、世界初の青春映画だと思う。
それは、大雑把に言えば、第二次世界対戦の前に描かれた映画では、若者がスターにならなかったという事実と同じ理由から発していただろう。
関連レビュー:ルネ・クレマン監督『太陽がいっぱい』
若き日のアラン・ドロン
映画におけるスターの年齢について。

つまり、戦前の社会全体が貧困に喘いでいた時期には、女性達の憧れとは中年の富豪との結婚にあり、それゆえ男性スターは中年だったのだ。
それは若い男性にとっても理想の男とは、リッチな大人になることであり、40代位にならなければ達成し得ない目標だったがゆえに、若い世代とはそれと較べ劣った弱い存在に過ぎなかったのである。

しかし、第二次世界大戦が終わり社会が落ち着きを取り戻すにしたがって、映画スターに新たな姿が加わった。
それが、映画史上初の20代スター、1950年デビューのマーロン・ブランドである。
後にゴッドファーザーで知られることになる彼は、26歳でデビューした当時は極めてセンセーショナルな存在だった。

例えば、下着であったTシャツをアウターとして着たのも、『欲望という名の電車』の彼だったし、『乱暴者』のバイクに跨がり革ジャンを着た姿は、当時の若者達の間で大流行し、その後のヘルス・エンジェルス達が踏襲した。

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このように、マーロン・ブランドによって20代のスターが成立し、彼が表したキャラクター像とは「怒れる若者」という姿だった。

それが表すのは、社会を構成する大人たちに対して反抗する若者像だ。
つまりは、すでに「確立した社会」に、若さとか、未熟であるとか、力不足だという理由で、受け入れられない若者の必死の抵抗であり、それは『太陽がいっぱい』にも共通のテーマだったはずだ。
その物語の軸足は、基本的に自分達を受け入れない大人社会に対する不満を表現したものだった。

そこで描かれた物語は、実を言えば過去の「資本家と労働者」「正義と悪」というのと同様、「社会の矛盾」を描いたドラマであり、その点過去の物語の主人公を若者に置き換えただけだと言える。
つまりは、その物語が語るテーマとは「大人社会の矛盾」にこそあったのであり、それは過去の価値観に則っていると言える。

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しかし、この映画『理由なき反抗』は、新しい「ドラマのモデル」新たな「価値観」を映画史に付け加えた点で、真にユニークだと主張したい。

つまりは、この映画で初めて、等身大の若者の苛立ちが言葉として語られたからだ。
その主張とは、「親が子供の気持ちを分かってくれない」という、10代が心の内で皆感じている真実だった。

それは、主人公ジムの不満が「父親はもっと男らしく」して欲しいとか、ヒロインのジュディーの望みが「父親に愛して欲しい」だったり、この物語の真の主役とも言うべきプラトーが言うのが「親が不在で寂しい」といううものだったりする。
しかしこの主張は、下のストーリーを見てもらえば分かるが、正直ワガママとしか思えない。



riyuunaki-pos.jpgなぜなら彼等の親は、彼等に豊かな生活を提供しているのだし、親としての義務を果たしているのは間違いない。
特に主人公の両親は、息子のために引越しまでし、過保護というべき「かまい」ようなのだ。

結局、親は子供に衣食住を提供し、生命を保証している点で、必要最低限の義務を果たしたと言えるのであり、それ以上は余剰分だと言いたい。

あまつさえこの映画の家族は、ロサンゼルスの高級住宅街に住み、高校生の子供に車を買い与えるほど、何不自由のない生活を提供しているのである。
しかるに、その子供達は、それでも不平を言い、不満を露にし、更には非行に走り、親に反抗するのだ。

マーロン・ブランドの「社会の矛盾」を問うという、公的な意義、社会性を持った若者の主張に比べ、なんとせせこましく、利己的な主張なことだろう。
実は、この映画の主役はマーロン・ブランドの役だった。
ニュージーランドTV3のレポート。

【アナウンス大意】ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』の役は、ジェームス・ディーンが最初の選択肢ではなく、スクリーンテストの貯蔵庫から発見されたのはゴッドファーザーだった。
ジェームス・ディーンは『理由なき反抗』で有名になったが、彼がこの役を獲得した理由は他の候補が辞めたからだった。イギリスのTVが23年前のスクリーンテストでマーロンブランドの名前を発見した。彼はこのテストの時点では映画デビューしていなかった。しかし彼の恥じらいと繊細な演技は素晴らしい。
(スクリーンテストの映像、続いて現代のキャステイング担当者の魅力的っだとの意見)
マーロンブランドは主役を与えられたが、その役を断った。なぜ受けなかったかの理由をマーロン・ブランドは生きてるうちに語らなかった。

この役の持つ弱さ、幼さをマーロン・ブランドは嫌ったのではないかと、個人的には思えてならない。
やはりこの役の語る主張は彼が語れば、ティーンエイジャーの愚かさが際立ってしまうと感じる。

Film.jpg
ここで語られるのは、まるで、オモチャを買ってと泣くのに等しい幼稚な感情であり、そんなワガママな主張は大人社会では通用せず、だからこれ以前はドラマや映画には成り得なかった。


そんな理不尽な反抗であるから、この映画の題名は『理由なき反抗』なのである。

つまりは、大人社会から見てこの恵まれた高校生達の反抗とは、「理由なきもの」であると宣言している。

そして同時に、大人から見て理由がない不満であっても、ティーンエイジャーにとって重大な意味を持つのだと、初めて正面から語った点で、この映画は世界初の『青春映画』の称号を獲得する権利を得たと信じる。

それは、初めてティーンエイジャーの立場に立った主張が、公的に説得力を持って表現されたものだったろう。
その主張は間違いなく、若者の心を捉え、ジェームス・ディーンは青春の代弁者として輝いた。


そんなこの映画は、ティーンエイジャーの等身大の心情を吐露した、初めての映画だという点で永遠の価値を持つたのだと思うのである。
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『理由なき反抗』の感想・解説

アメリカ社会の「父権の揺らぎ」
この映画は、初めて10代の未熟な主張を基軸として作られたが、同時に10代が主張を出来る社会的背景がアメリカ社会に進行していたのだろう。

それは父権制の揺らぎ「家父長制の崩壊」である。
父権の揺らぎを象徴するシーン

ジムの父は母に食事を運んでいる途中で、落としてしまいその後片付けをしている。父親は彼女が見つける前に片付けると言い、ジムはなぜ後片付けするのか、これを母に見せればいいと父に言う。こんなことをしちゃいけないと怒る。
ジュディーは父にキスをし、何をするんだととがめられる。母親は食事の準備をとジュディーに言うが、ジュディーはなぜキスをしてはいけないのかと父に問う。父は疲れている、大きいからそんなマネはよせと声を荒げる。弟を膝に乗せた父に無理にキスし、平手打ちをされた。謝る父に、これは私の家じゃないと言い捨てジュディーは出て行った。

そんな、父権の不足を彼等は共に擬似家族となることで、乗り越えようとする。
そして、この映画の影の主役と言える サル・ミネオ演じるプラトーが廃屋で、ジュディーとジムに父と母になってくれ、決して一人にしないでくれと訴える。
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彼は俺達を家族にしようとしたんだ

それは、彼等の父、ひいては親との関係がどれほど危機的な状況かを物語っていただろう。

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実はこの父権の崩壊とは、戦後一貫して進行したアメリカ社会の潮流だと思える。

戦前には餓死者が出ている現実の中で、最も効率よく金銭を稼ぐ方法が「父=成人男性」が外で働き、それを家族全体がバックアップするという家族を構築せざるを得なかった。
そんな「家父長制」の実体は、社会の多様化と、経済的な豊かさ「富の増加」より、人々の道徳律や保守的心理を越えて崩壊に向かう。
個々人が獲得した自由、自活できる道が開かれたことにより、「家父長的制度」が不要になって行く必然的な行程だったろう。


この社会の変革は、自由と豊かさという点で、明らかに人類の勝利だったろうが、しかし社会とは旧弊で保守的な規律によって維持されるのであり、この急激な変化は家族という単位をも再構成を促すものであり、結果として世代間対立などの歪みを生んだのである。

この映画はその時代の変化を象徴した一本だったろう。

しかし、この1955年には露になった「父権の崩壊=社会変化」は、世界的にまだ今日的な問題であり続けていると思われてならない・・・・・・・・・
関連レビュー:『アメリカン・ビューティー』1999年
アメリカ現代家族の家父長制の美しき崩壊を描く
アカデミー賞作品賞受賞作

関連レビュー:園子温監督『紀子の食卓』2005年
平成の日本家族の肖像
日本における家父長制の崩壊について。


『理由なき反抗』の感想・解説

青春スター「ジェームス・ディーン」

この社会的な変革によって露になった、世代間の感覚の違いは、古い家父長の世代から見れば「若者の主張」とは愚かで幼い、自分勝手な主張だった。

riyuu-jimmy-coat.jpg更には、基本的な親の義務を越えた要求を成す、過剰な主張でも有った。

しかしティーンエイジャーの本音であり真実だったとき、その主張は若者達にとっては表出されなければならなかったろう。


だが、社会制度を構築するのが保守的な大人であり、その価値観に縛られていることから、ティーンエイジャーの主張は彼等自身にっとてすら抵抗を持たざるを得なかっただろう。

そんな抵抗を伴う主張が形になるとき、その主張者の姿や形が重要になると思うのだ。


この映画が語る、ティーンエイジャーの甘えたワガママな主張が形になるに当たって、ジェームス・ディーンというナイーヴさと、脆さを持ち、しかし鮮やかな爽やかさ清潔感を持つキャラクターだったからこそ、この10代の主張がティーンエイジャーと大人世代に受け入れられたのだろう。
つまり彼の存在はティーンエイジャーという青春の時をそのまま体現した存在であり、その存在のまま天に召された。


これはもう運命的だと思えてならない。

たぶん天は、キリストをこの地上から一度奪い、再度人々の下に戻したように、ジェームス・ディーンという青春のシンボルをこの世から奪い、映画という形の永遠でこの世に降臨させたのか・・・・・

それゆえ彼は、神格化されたのだろう。





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posted by ヒラヒ・S at 16:42| Comment(6) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする