2017年03月04日

『ビフォアミッドナイト』現実の恋を生む力・あらすじ・ネタバレ・感想・ラスト

倦怠期のカップルの処方箋



評価:★★★★  4.0点

この映画を撮ったリチャード・リンクレーター監督の作品は、現実と虚構世界との間で無視し得ない作品世界を構築する映像作家だと思います。
この映画も、間違いなく「虚構=映画」の中に、現実世界を見事に再現した一作ではないでしょうか・・・

ビフォア・ミッドナイトあらすじ


ウィーンに向かう列車の中で出会い、その9年後パリで再会し再び恋に落ちた二人。今作は更にパリから9年経過した、小説家ジェシー(イーサン・ホーク)と環境活動家セリーヌ(ジュリー・デルピー)の結婚生活を描く。
ジェシーの元妻と住んでいる息子ハンク(シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック)を、ジェシーはシカゴに帰すため空港に送りに来た。ジェシーとセリーヌ、その双子の娘エラ(ジェニファー・プライア)とニーナ(シャーロット・プライア)そして息子ハンク(シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック)も含めて、友人の招きを受けギリシャでバカンスを過ごして来たが、ハンクは一足早く帰る予定だった。名残惜しげなジェシーは、ハンクの演奏会を見にシカゴに行くと言うと、母親がナーバスになるから来なくていいと言われる。
befo-mid-car.jpgジェシーは、ハンクの成長期に共に暮らせない事を悔やみ、帰りの車内でセリーヌにグチる。会話中でジェシーはシカゴへの引越を提案し、環境活動家として問題を抱えていたセリーヌは絶対に無理だと答え、シカゴに行くなら分かれるという。
別荘では主の老作家パトリック(ウォルター・ラサリー)とその友人である老婦人ナタリア(ゼニア・カロゲロプールー)、孫アキレアス(ヤニ・パパドプロ)とそのガールフレンド・アナ(アリアン・ラベド)、ジェシーの友人ステファノス(パノス・コロニス)とその妻アリアドニ (アティーナ・レイチェル)で、人生や恋愛の話を交わしながら宴を楽しむ。
bemid-sundown.gifステファノスの計らいで、一夜を近くのホテルで二人水入らずで泊まることになった。ホテルまでの道を、二人語らいながら、教会に立ち寄ったり、海辺で夕日を眺めたりと、ゆっくりとした時間を過ごす。
ホテルの部屋に入り、久しぶりに子供のいない時間を楽しむ二人だったが・・・・・・・

(原題 BEFORE MIDNIGHT/製作国アメリカ/製作年2013/108分/監督リチャード・リンクレイター/脚本リチャード・リンクレイター、イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー)

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ビフォア・ミッドナイト感想・解説

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冒頭でも述べたとおり、この監督リンクレーターが追求するテーマの一つに、虚構の中に現実世界を取り込み「本当のような嘘を構築する」というものがあるように思います。
それが最も端的に出たのが、『6歳のぼくがおとなになるまで』で、この映画はなんと6歳の少年が18歳になるまでの12年間、毎年撮影し続けたものです。
それは、すでに「虚構=嘘」の為に、現実が従属し奉仕する姿にすら見えました。
当ブログ関連レビュー:
『6才のボクが大人になるまで』
リチャード・リンクレーター監督の傑作
現実に優先する映画のお話

そんな「現実を虚構」に従わせた作品として、この『ビフォア・ミッドナイト』も在ると思います。
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なぜなら、この映画も明らかに現実世界を物語に取り込んで成立しているからです。

それはこの映画の発端が、今作から18年前に撮られた『ビフォア・サンライズ』であり、その9年後に撮られた『ビフォア・サンセット』であり、そして今回の『ビフォア・ミッドナイト』へとつながり、それはそのまま現実世界の時間経過と映画内の時間経過がシンクロしている事で明らかでしょう。
つまり、現実時間が映画の中でも経過しているのです。
このシリーズは、18年前に生まれた恋を現実世界の時間を取り込んで、そのつど映画として発表しのでした。
(右写真:上『ビフォア・サンライズ』中『ビフォア・サンセット』下『ビフォア・ミッドナイト』)

その映画スタイルはあくまで現実味・リアリティーを追求した会話劇で、まるでレストランに行ったら、彼らが脇で語り合っているような、そんな日常的な光景を描いたドラマです。

befo-kiss.gif
そして、その現実と見間違えるような前二作のドラマで語られたのは、今や「恋愛」に夢も希望もロマンも無く、運命で「恋愛」は生まれないという宣言だと感じました。

それは、徹頭徹尾、人間が努力により作り上げた「恋」の姿だったと感じられます。
そして見終わって感じたのは、「恋愛」から夢やロマンが失われていても、人は現実世界で「恋愛」をする価値があるという感慨でした。

当ブログ関連レビュー:
『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』
当三部作のオープニング作品
リアル恋愛映画のあらすじと感想


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シリーズ第二作目あらすじ・感想・解説

そしてこの映画も、シリーズの伝統にのっとり、やはり現実的で夢も希望も無い映画でした。

befMid-pos.jpg
夫婦にしろパートナーにしても、9年一緒に暮らしたカップルであれば、この映画で起るイザコザは、実に見に覚えのある、人ごとではない話ではないでしょうか。

このリアリティーに富んだ表現は、さすがにこの俳優、この監督の演出力の証明でしょう。
それゆえこの映画のドラマは、9年目のカップルが倦怠や相互に不満を溜め込んでいる現実を反映して、見ていてストレスとプレッシャーすら感じるドラマとなっています。

長期に渡りカップルであれば、悲しい事ですが、必ずお互いに募る不満が爆発する時が訪れます・・・・・
この映画はそんな倦怠カップルの一夜を描いています。

それゆえ現実世界のケンカを反映して、
ミモフタも無い、ブザマな、泥沼の、ついには相手の全否定へ向けた総攻撃にまで至ります。

それはまるで、ケンカ・紛争・戦争の本質を描いたロマン・ポランスキー監督の『大人のけんか』を彷彿とさせます。
当ブログ関連レビュー:
『おとなのけんか』
紛争の本質を語った映画
あらすじ・感想・解説


そして、双方の心に壊滅的な痛みと、カップル存続にとっての危機的な状況を迎えます・・・・・・
ここまでは現実世界の離婚カップルそのままの展開であり、流れです。
しかし、具体的には申し上げられませんが、この映画はそんな現実にジェシーが働きかけ、現実をより良いものにしようと努力をします。
Before-Midnight.jpg
このジェシーが「作家=虚構の住人」である事を思い出してください。
つまりこの映画は、『ビフォア・サンセット』でジェシーが小説によってセリーヌを引き寄せたように、「虚構」が現実に働きかけ、過酷な現実といえども良いものに変革しえるのだと語っているように思えてなりません・・・・・・・

そんな現実を変え得る「虚構」を「」と呼ぶのは、キザでしょうか?
イーサン・ホークとジュリー・デルピーのインタビュー

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以降

『ビフォア・ミッドナイト』ネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。
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ホテルに入った二人は、互いの言葉の中に現状の不満の種を見出し、相互に相手を責め始める。
ジェシー「俺は人生の全てを捧げたんだ、でも与えた以上の見返りを受けてない」
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セリーヌ「世界は理性的な男の愚かな決断で台無し」
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もう泥沼ですな、・・・・・・・・・このあと怒ったセリーヌは部屋を出て行く。

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『ビフォア・ミッドナイト』ラストシーン

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ジェシーは彼女に未来から手紙が来たといい、それを読み説得を試みます。
おとぎ話を信じずに現実を生きようと、俺は関係を良くしたい、無条件で愛する、君を笑わせる、君の文句に耐えると。そして言う・・・・・・・
「真実の愛はここにある、これが現実の人生だ、完璧じゃないかもしれないが、これが現実だと」
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やはり現実の人生とは痛くとも辛くとも、自ら一つ一つ積み上げる以外に、幸せは作り上げられないという話かと思うのでした・・・・・


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posted by ヒラヒ・S at 18:39| Comment(4) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月27日

映画『ラ・ラ・ランド』ノスタルジーを越えて踊る愛・あらすじ・ネタバレ・感想・ラスト

失われたノスタルジー、新たなる希望



評価:★★★★  4.0点

LA・LA・LANDのLAはハミングのラ−ラーと同時に、「LA=ロサンゼルス=ハリウッド」という意味かと思い、そう考えれば「ハリウッド讃歌」の映画かとも思います。
正直言ってこの映画は、ハリウッド・ミュージカルとしての力は弱いといわざるを得ません・・・・・・・
しかしここには、ハリウッドやジャズという、アメリカ文化を彩ってきたコンテンツに対するノスタルジーだけではなく、それらに対して新たな命を吹き込もう、新たな火を灯そうという高い志が見えます。
それゆえ、ダンスや歌に不満を持ったにしても、私はこの映画を高く評価したいと思います。

ラ・ラ・ランドあらすじ


アメリカ・ロサンゼルスの夏の朝。ハイウェイは渋滞でクラクションが鳴り響き、いつしか車から人が外に出て踊りだし、ハイウェーで人々の踊りが繰り広げられた。
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その中に女優を目指すミア(エマ・ストーン)とジャズピアニストを目指すセバスチャン(ライアン・ゴズリング)がいた。ミアが動かないのにイラついたセバスチャンはクラクションを鳴らしながら追い越すのに対し、ミアは中指を立てて反発した。
そんなミアは、映画スタジオのカフェで働きながらオーディションを受け、落ち続けている。そんなある晩ルームメイトに誘われパーティーに出かける。
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その帰路夜の街をさまよい、ピアノの音に誘われナイトクラブに入る。そこにはセバスチャンがピアノを弾いていた。クラブのオーナーのビル(J・K・シモンズ)に、店の決めた曲を弾けと要求され、一時店を離れていたが復帰した夜だった。しかし、演奏しているうちにジャズを演奏し、首を言い渡される。店を去るセバスチャンにミアは感動を伝えようとするが、黙殺される。
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ロサンゼルスの春。プールを囲んだパーティーで演奏するセバスチャンとミアは再会した。クラブの夜を忘れていなかった二人はトゲトゲしかったが、ミアが嫌なパーティー客から逃れるためセバスチャンに声をかけ、共に帰る。車を探す二人は、ロサンゼルスを見渡せる丘の上に至り、二人は歌い踊り、その夜は別れる。

次の日にはセバスチャンはミアの働くコーヒー店を訪ね、仕事が終わったミアと帰りながらお互いの事を語る。自分の夢がジャズクラブを開くことだというセバスチャンにミアはジャズは嫌いだと語る。それを聞いたセバスチャンがミアをジャズクラブに誘い、ジャズの魅力を熱く語る。そのクラブでミアに、TVショーのオーディションの連絡が入る。『理由なき反抗』に関係する内容なのだが映画を見ていないというミアに、セバスチャンは数日後に映画館で一緒に見ようと約束する。しかし、その晩はミアが現在付き合っている男性と先約があった。ミアはセバスチャンを気にしつつ彼氏と過ごしていたが、ついに中座し映画館へと走る。映画館で二人は手を握り、気持ちを確かめ合う。
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映画のあとで『理由なき反抗』のロケ地である、ロサンゼルスのプラネタリウムで二人はデートをし、歌い踊りキスをした。
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セバスチャンの勧めで舞台劇の脚本を書き出したミア。二人はロサンゼルスの町で日々デートを重ね、ついにミアとセバスチャンは一緒に暮らすようになる。

ミアは、セバスチャンの夢ジャズクラブの名前を、チャーリー・"バード"・パーカーに因んだ「チキン・オン・スティック」という店名にしたいと言うのに反対し、「セブ(セバスチャン)の店」が良いと勧めるが、「チキン・オン・スティック」にジャズの伝統を込めたセバスチャンは応じない。そんなある日、ミアが母と「彼は定職につくか」と電話しているのを聞き、セバスチャンは安定収入を得るために音楽観が違う旧友キース(ジョン・レジェンド)のツアーに参加した。lalala-kieth.gif
しかし、ツアーで忙しいセバスチャンとミアは、すれ違うようになる。
たまの水入らずのディナーでも、二人の溝は広がってしまう。ついにセバスチャンは、自分の成功をミアが臨んでいないと言い放つ。それを聞きミアは家を出て行く。

そして、ミアの一人芝居の日が来るが、セバスチャンはその日バンドの写真撮影と重なってしまい、駆けつけたときには終演していた。ミアは謝るセバスチャンに、数人しか入らない失敗した舞台だと言う。
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ミアはもう終わりだと告げ、そして彼女は実家に帰ってしまう。
果たして、二人の運命は・・・・・・・


(原題 LA LA LAND/製作国アメリカ/製作年2016/128分/監督・脚本デイミアン・チャゼル)

ラ・ラ・ランド受賞歴

第74回ゴールデングローブ賞
作品賞(ミュージカル・コメディ部門)/主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)ライアン・ゴズリング/主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)エマ・ストーン/監督賞デミアン・チャゼル/脚本賞デミアン・チャゼル/主題歌賞"City of Stars"ジャスティン・ハーウィッツ
第70回英国アカデミー賞
作品賞/監督賞デミアン・チャゼル/撮影賞ライナス・サンドグレン/作曲賞ジャスティン・ハーウィッツ/主演女優賞エマ・ストーン
第89回アカデミー賞
監督賞デミアン・チャゼル/主演女優賞エマ・ストーン/撮影賞ライナス・サンドグレン/作曲賞ジャスティン・ハーウィッツ/歌曲賞"City of Stars"
第73回ヴェネツィア国際映画祭・女優賞エマ・ストーン



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ラ・ラ・ランド解説

ハリウッド・ミュージカルの歴史

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この映画に言及する前に、まずはハリウッド・ミュージカルの歴史をご紹介させていただこうと思います。
1930年代〜1940年代は「ハリウッド黄金期」と呼ばれ、この時期に大掛かりなミュージカル映画が作られ、ジーン・ケリーやフレッド・アステアとジンジャ・ロジャースのコンビなどミュージカルスターがキラ星のように輝いていたのです。
当ブログ関連レビュー:
『雨に唄えば』
ハリウッドミュージカルの最高峰映画と
ハリウッドミュージカルのご紹介


Film.jpgそんなハリウッド・ミュージカルが減退していったのは、TVの登場によって映画が娯楽の王座から滑り落ちた事と、もう一つはアメリカ的な価値観のショーケースとしての役割を、第二次世界大戦後の世界が求めなくなったということがあったように思います。

更に言えば、ハリウッドミュージカルの持つ豪華な夢の世界とは、民俗学で言うところの「ハレ=祭礼」であり、それは戦後の混乱し飢えていた世界の「日常=ケ」が苦しければ苦しいほど、現実逃避としての力を発揮し得たと思うのです・・・・・・・・・・

そんな華やかで陽気なフェスティバルのようなハリウッド・ミュージカルから見れば、正直言って『サウンド・オブ・ミュージック』、『メリー・ポピンズ』『マイ・フェア・レディ』などは、ハリウッド・ミュージカルとは呼びがたい気がします。

個人的に最後のハリウッド・ミュージカルは、『ウエスト・サイド物語』(1961年)だといえるかもしれませんが、これもどちらかといえばブロードウェイの舞台色の味わいが勝った作品だと感じます。


いずれにしても、ハリウッド映画のミュージカルは、1960年代以降にオマージュのように黄金期ミュージカルにチャレンジした作品は在りましたが、むしろ「オペラ座の怪人」などのように舞台ミュージカルの映画版が主流になります。
そんな舞台を映画に置き換えた作品に関しては、いかんせん映画的でない分、ハリウッドミュージカルとは別物・別ジャンルと言わざるを得ません。

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ラ・ラ・ランド解説

『ラ・ラ・ランド』監督デイミアン・チャゼル

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1960年代には、ハリウッド・ミュージカルの伝統が途絶えた事はすでに申し上げましたが、この映画を撮った監督デイミアン・チャゼルは1985年生まれです。
つまりハリウッド・ミュージカルが作られなくなって、30年以上も経って生まれてきたのです。

デイミアン・チャゼル89academi.jpg
それが意味するのは、彼は生れ落ちてから後に勉強し知識を蓄えていったということになります。

それは、作品中で主要なテーマとなっている「ジャズ」に関しても同じ事です。個人的にはジャズは「帝王マイルス・デービス」が世を去った1991年以後、停滞したジャンルと言わざるを得ません。
つまりチャゼル監督が5〜6歳の頃には、すでに衰退が始まったわけです。

しかし、前作『セッション』で、ジャズに新たな命を吹き込もうと挑戦したこの監督は、今作では『ハリウッド・ミュージカル』復活させようと挑戦したと思えるのです。


当ブログ関連レビュー:
『セッション』
ジャズを巡る厳しい師弟対決
ジャズの復権を目指したデイミアン・チャゼル監督作品


そしてまた、このタイミングとは、ミュージカルを実際に作ってきたスタッフがいなくなり、その観客も高齢になってきているがゆえに、ある種の自由を持ちえたとも思えるのです。
更に言えば、ジャズにしてもハリウッドミュージカルにしても、最も輝き日々新しいものが生まれていた黄金期の雰囲気をリアルタイムで感じていれば、決して挑戦できなかったように思えてなりません。

なぜなら、一番活力があり生きている時のそのジャンルの力を知っていれば、自分の作った作品の力が無いことを認めざる得なくなると思うのです。
しかし、30年も経てばそんな比較も出来なくなるという点でも、良いタイミングと言えるのではないでしょうか。

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ラ・ラ・ランド解説・感想

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ハッキリ言えば、この『ラ・ラ・ランド』はかつてのハリウッド黄金期のミュージカルとは別物です。
このミュージカルは「現実的なドラマ」と「ハリウッド・ミュージカル」の混合物だと言えますし、歌とダンスのために映画の全てが奉仕してない点で、黄金期作品と違う様式で出来ていると思うのです。
Film-katinko.jpgそして、正直言ってエマ・ストーンとライアン・ゴズリングの歌や踊りのレベルは悲惨だと言わざるを得ません。
例えばかつてのミュージカルのように、足元まで全身をさらして、ノーカットで踊り続ける華麗な技はどこにもありません。むしろどうやって足元を隠すかに気を配ってるとしか思えません。

実際、この映画の構図やカット割りは、踊りと歌を真正面から映すと言う、ミュージカルの伝統から逸脱しています。

しかし、それでもこの映画を私は愛します。

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それはこの映画が語るのが、過去のハリウッド・ミュージカルを復活させようというノスタルジックな夢ではなく、ハリウッド・ミュージカルの栄光をレスペクトしつつも、この映画から新たなハリウッド・ミュージカルの第一歩を始めるという宣言だと感じたからです。


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それは、セバスチャンのジャズ・クラブの店名チャーリー・"バード"・パーカーに因んだ「チキン・オン・スティック」としたいと言うのに、ミアが反対し「セブ(セバスチャン)の店」が良いと勧めるシーンに明らかです。

つまり過去に捕らわれるセバスチャンに対し、ミアは今受け入れられる形にすべきだと主張するのです。
また、ラストでセバスチャンとミアとの別の人生、ノスタルジックな美しい人生が描かれます。
しかしこの映画は、そのノスタルジーに逃げる事をせず、現実を生きるのです・・・・・・・・・

つまり、この映画はミュージカルにしてもジャズにしても、かつての栄光を懐かしむノスタルジーに生きても、消えていくしかないと語っているのだと思えます。
それゆえ、今日この日の現実の中で、もう1度、最初から作り上げていき、このジャンルのポテンシャルをかつての黄金期にまで高めるのだという、監督デイミアン・チャゼルの高い志を表現した映画だと信じます。
ハリウッド・ミュージカルの華ジンジャーとフレッド

それゆえ、ミュージカルとして不満があるにしても、私はこの映画を愛し続けますし、監督デイミアン・チャゼルを尊敬し、今後の作品を追いかけ続けるでしょう・・・・・・・

主題曲:シティー・オブ・スター
これもノスタルジックないい曲だと思いました・・・・・・・

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以降

「ラ・ラ・ランド」ネタバレ

とを含みますので、ご注意下さい。
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ミアが去ったセバスチャンの部屋に映画関係者からミア宛に電話が入った。
舞台を見て、彼女に興味を持ったのでぜひオーディションに来て欲しいというものだった。
セバスチャンはミアの実家を訪ね、彼女をLAに呼び戻し、オーディションに連れて行く
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オーディションシーンで"The Fools Who Dream"が歌われる、感動的なシーン。
【歌詞さび部分】
Here’s to the ones who dream(夢追い人に乾杯)
Foolish as they may seem(彼等を愚かと感じたとしても)
Here’s to the hearts that ache(心痛める者に乾杯)
Here’s to the mess we make(右往左往する私達に乾杯)

オーデションが終わり、セバスチャンはミアに言う。
もし役を掴んだならば、たとえ二人が離れ離れになっても、全てを犠牲にしても夢にかけるべきだと。
そして、ミアは言います「私はいつでもあなたを愛している」と・・・・・・
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セバスチャンも応えて「僕もいつだって君をあいしているよ」と返します。
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「ラ・ラ・ランド」ラストシーン

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そして5年後、ミアは大女優になり夫と子供を持ち幸福な生活を送っていた。
そんなある晩、夫と町に出かけハイ・ウェイの渋滞にはまり、町に降りて一軒の店に入った。
その店には"Seb's"(セブの店)と看板が掛かかり、店主セバスチャンが登場しミアに気づいた。
セバスチャンはピアノの前に座り、思い出の曲"シティー・オブ・スター"を弾く。
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その脳裏に、もう一つの有り得べき、セバスチャンとミアの物語が駆け巡った。

現実に戻ったセバスチャンは、立ち去るミアを見つめ、微笑む。
lala-las-seb-smil.png
ミアも微笑を返し、店を後にした。
Lala-the end.png


このラストは、二度と戻らない「美しき過去=ノスタルジー」を取り返そうとするものではなく、辛くとも前を向いて、新たな命を自らの夢に吹き込もうとする覚悟が描かれていると思います。
それはミュージカルやジャズに新たな活力を与えようとする、この映画の試みを象徴するラストだと信じます・・・・


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posted by ヒラヒ・S at 17:02| Comment(4) | TrackBack(1) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月23日

『猿の惑星』(1968)人種差別にも見える映画・あらすじ・ネタバレ・ラスト

誰が「猿」をころしたか?



評価:★★★★  4.0点

この映画のラストを、何の予備知識もなく見た人は本当に幸福だったろうな〜と思う。
もし未見で、予備知識もないのであれば、今すぐレンタル・ビデオ店に走ることをお勧めする。

猿の惑星・あらすじ

ケネディ宇宙基地から発射された宇宙船は1年6ヵ月後、だが光速に近い航行により実時間は2000年という年月を経て、一つの惑星に着陸した。宇宙船には隊長テイラー(チャールトン・ヘストン)とドッジ、ランドンらの宇宙飛行士が乗っていた。地表に到達した時、湖に着水し宇宙船は破損して沈没してしまう。3名はさまよい歩いた果てに、初めてほかの人間を見たが、彼らは原始人のように裸で皮を衣服としていた。そこへ、服を着て馬に乗り銃を手にした猿たちが現れ、人間を捕獲していく。喉を撃たれたテイラーも捕らわれの身となる。捕まえられた人間の中にノバ(リンダ・ハリソン)という女もいた。この惑星では、猿が高い文化を誇る高等動物で、人間は口もきけない下等動物だった。テイラーは外科医の手術を受けた後、ジーラ博士(K・ハンター)と出会い、そして彼女はテイラーの知能が高いことに驚き、恋人の考古学者コーネリアス博士に伝えた。2人はテイラーにとっての味方となったが、この惑星の最高権力者のザイアス博士(モーリス・エバンス)は、テイラーを危険視し、脳葉切除と去勢手術を命じた。それを知ったテイラーは脱走したが、捕まってしまう・・・・・

(原題Planet of the Apes/製作国アメリカ/製作年1968/112分/監督フランクリン・J・シャフナー/脚色 ロッド・サーリング、マイケル・ウィルソン)

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猿の惑星・感想・解説

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1968年に公開の、この映画を最初に見たのはいつのことだろう。
すでに確かな記憶が無い位の、昔のTV放送だったように記憶している。
しかし今回あらためてみてみると、その画面から出てくる不穏なオーラとでも呼ぶべきものに圧倒された。
ま〜実は新シリーズの『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』を見て気になって、再度オリジナルシリーズをもう一度見たという流れだった。
猿の惑星:創世記(ジェネシス)予告編


更にはティム・バートン版の『猿の惑星』もあるが、これはラストが個人的には気に入らない・・・・
ティム・バートン版『猿の惑星』(2001年)予告

マット・ディモンも悪くはないがチャールトン・ヘストンの貫禄を前にすると・・・・

やはりオリジナルの衝撃力、古典作品の良い所は、見るたびに違う顔を現す点にあると再認識したのだった。
オリジナルを最初見た時には、スペクタクルなアクションに興奮し、次に見たときには、その逆転世界の構図に潜む、社会の権力とは何かという事を思った。

saru-linda.jpg
しかし今回オリジナル・シリーズ全体を見てみると、結局ハリウッド的「柳の下にはドジョウが何匹」シリーズになってしまったなぁと思った。

じっさいこのシリーズは3作目以降は無理やり作られていくものだから、徐々につじつまが合わなくなって、最後は絵に書いたようなタイム・パラドックスを残して消滅する。
それはそれとして、SFファン的にはデストピア(=反理想世界)映画として、その誕生から終焉までを、ま〜行き当たりばったりではあるし発端はドコ?という疑問は残るのだが、壮大に描ききったその力技に拍手を送りたい。

猿の惑星・時代背景

そしてまた、今回見て感じたのはこの映画シリーズが、実に当時のアメリカ社会の現実を反映した映画だったかということだった。
この1960年代から’70年代は、アメリカは対外的にはベトナム戦争を抱え、国内的には公民権運動の盛んだった時期だ。
当ブログ関連レビュー:
映画『卒業』
ベトナム戦争反対を描いた
アメリカンニューシネマ

実際、アメリカ国内でも軍隊が出動するぐらい、黒人達マイノリティの抵抗は激しかったのである。
当ブログ関連レビュー:
映画『招かざる客』
人権問題を描いた古典的名作
人種差別問題をまとめています。


つまり当時のアメリカ白人を代表するハリウッド・スター、チャールトン・ヘストンが猿(黒人・アジア人などマイノリティ)に支配される恐怖とは、そのままアメリカ白人社会の当時の恐怖を反映したものだと思えてならない。

チャールトン・ヘストンの紹介

チャールトン・ヘストン(Charlton Heston, 1923年10月4日 - 2008年4月5日)はアメリカ合衆国・イリノイ州エヴァンストン(Evanston)出身の俳優、社会運動家。身長191cm。妻は女優のリディア・クラーク、長男は映画監督のフレイザー・ヘストン(Fraser Heston)。
略歴
Charlton_Heston.gifイリノイ州の中心部シカゴの北に隣接するエヴァンストンに生まれ、ノースウェスタン大学卒業後はアメリカ陸軍に入隊し、第二次世界大戦には爆撃機の搭乗員として参戦していた。
退役後1950年に最初の映画に出演、『ミケランジェロの彫刻のように美しい』と称された肉体美と精悍なマスク、格調高い演技力でいくつもの名作に出演し、1959年には映画『ベン・ハー』でアカデミー主演男優賞を獲得した。ハリウッド黄金期後期を支え、日本人にも馴染み深い大作やSF映画の主演も務めた。1966年から1971年までは、俳優組合の会長をつとめた。
saru-char-Zaius.jpg演じる役柄、出演作も幅広かったことで知られ、とくに当たり役となった歴史劇『十戒』や『ベン・ハー』、『エル・シド』、『華麗なる激情』等では歴史上の英雄を、『大地震』、『ハイジャック』等に代表されるパニック・アクションのタフガイな主人公をそれぞれ演じ分けた他、更には『猿の惑星』や『ソイレント・グリーン』などの娯楽作、異色作にも登場しイメージを一新した。1980年代以降は『ピラミッド』などのオカルト的作品の悪役で性格俳優の一面も見せ、90年代も個性的な名脇役として親しまれ晩年まで出演を続けた。『PLANET OF THE APES/猿の惑星』(2001年)ではゼイウス(猿側の将軍セードの父)役でカメオ出演した。(Wikipedia引用)(右写真:チャールトン・へストン演じるゼイウス)


そんな時代が反映されたからこそ、映画自体に緊迫感と迫力が生まれたに違いない。
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チャールトン・ヘストンはマイケル・ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』でインタビューされている通り、全米ライフル協会の会長を務めるタカ派ではある。

しかしチャールトン・ヘストンの名誉のために言えば、実はマーティン・ルーサー・キング牧師らと共にワシントン大行進に参加した、公民権運動家でもあった。

saru-benha-.jpgそんな、彼がこの映画に潜む人種差別の影を感じ得なかったのも不思議だが・・・・・
たぶん、『ベン・ハー』、『エル・シド』の裸で鞭打たれる彼のアタリ役の、変り種としか考えてなかったのかもしれない・・・


何にせよ素直に文脈を読めば、白人社会の崩壊の恐怖を象徴しているこの映画は、猿に擬されたマイノリティから見れば、本当に屈辱的な映画だろう。

USA-flag.png優れた白人を暴力で支配する野蛮人という構図を、ここまでアカラサマに提示されて面白いはずが無いだろう。
しかし、ここで描かれる白人的選民意識というものは、しばしばハリウッド映画の中に無意識のうちに表現されてきたように思う。

この意識で作られる物語は主人公が「正しく美しい」という前提に立っている。
主人公が正しく美しいのであれば、敵は「悪く醜い」ということで、猿として表わされた。

USA riot.jpg
この映画の制作年代は、アメリカ的「真・善・美」が揺らいでいた時期だったことの現れてして、「偽・悪・醜」の敵に打ち負かされる強迫観念が映画を支配している。

結果的に独善的なこの映画に通低する主張「悪に征服される善」の恐怖は、結局うやむやでアイマイなタイムパラドックスの中で、出口を見出せない。

saru-pos.jpg
それはこの矛盾の理由が、アメリカ白人支配者層の自らを絶対的正義として反省が無い事に起因しているのに違いない。

自らの掲げる正義が敵にとっても真実なのかという、その検証が無ければこの矛盾は解消し得ないだろう。
しかしこの映画の動機が何であれ、このシリーズ全体の中に「デストピア」に対する恐れと憧れが、万人に通じる秀逸な形で定着していると思う。

この異世界の物語が示した世界観の構築の壮大さを思えば、この独善的な主張を語らせるだけのために使うには、惜しい素材だ。
それゆえ新シリーズの展開は期待したい。

新たなシリーズにおいては、アメリカの意識の変化をぜひ見たいものだと期待している。

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以降の文章には

猿の惑星・ネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。
特に、この映画に関しては、ご鑑賞後にお読み頂くことをお勧めします。
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(あらすじより続く)
テイラーは捕まって査問会にかけられるが、猿のジーラとコーネリアスは、テイラーと現地人女性・ノバを逃がすことを決心し、砂漠地帯へ連れ出すが、その後を猿の指導者ザイアス博士が追って来る。
その砂漠地帯は、猿のコーネリアス博士はひそかに発掘した人骨と遺物により、数千年前の人間が、猿より高度の知能と文化を持っていたことを知っていた。指導者ザイアス博士はこの事実を知っていたが、この説を認めれば下等動物人間が猿を支配していたこととなり、社会の混乱と、自らの学説が否定される事を恐れ、この学説を認めなかったのだ。
テイラーは逆にザイアス博士をライフルで制圧し、自らの自由を勝ち取った。

テイラー:俺達の後を追うな。俺は、銃の扱いがうまいぞ。/ザイアス:もちろん、わかっとる。生涯ずっと、ワシはお前が来るのを待ち、同時に恐れていた。 まるで死のように。/テイラー: なぜ?初めから、俺を怖がってたんだ、博士。俺が悪意がなく、知性もあると分かっていたのに、アンタは俺を嫌い恐れ続けた。なぜだ?/ザイアス:君が人間だからだ。そして、君は正しかった。私は常に人間を知っていた。証拠から言えば、ワシは人間の知恵が、愚かしさと共に在るのだと信じている。人間の感情は、人間の脳を支配してしまう。人間は、自分自身さえ含めて、その周囲の全てに闘いを挑む、好戦的な動物なのだ。/テイラー: 何の証拠だ?洞窟では武器一つ見つかってないだろ。/ザイアス:立入禁止区域はかつて楽園だった。君の種族がそれを砂漠にしてしまったんだ。ずっと昔に。/テイラー:最初に戻ったようだ。俺にはまだ理由が分からない。この惑星で人間より猿のほうが進化してしまった。そして世界は悪くなった。そのパズルの1ピ−スが見つからない。/ザイアス:それを探すな、テイラー。お前は知ったら、きっと後悔するぞ。

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猿の惑星・ラストシーン

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テイラーとノバは新天地を求めて旅立つと、はるか向こうに自由の女神を発見する。
この猿の惑星は地球だったのだ。テイラーが宇宙船で飛び立ったあと、地球には核戦争が起こり、人類はほとんど死滅し、代わって2000年後に猿が支配するようになったのだった。

【意訳】ティラー:なんて事だ!俺は戻ってた!地球だ!いつだって、その危険は有ったが・・・とうとうやってしまったのか。狂った奴らめ!核戦争を起したなんて!クソッたれども!みんな地獄に堕ちるがいい!

もう一度言いますが、この映画のラストを、何の予備知識もなく見た人は本当に幸福だったろうな〜と思います。

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posted by ヒラヒ・S at 17:07| Comment(4) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする