2017年10月01日

傑作映画『ターミネーター』再現ロードショー/あらすじ・ネタバレ・感想・ラスト

『ターミネーター』(ストーリー・あらすじ編)



原題 The Terminator
製作国 アメリカ
製作年 1984
上映時間 108分
監督 ジェームズ・キャメロン
脚本 ジェームズ・キャメロン,ゲイル・アン・ハード

評価:★★★★★ 5.0点



この映画はアーノルド・シュワルツネッガーをスターにし、監督ジェームズ・キャメロンに大作映画を撮る資格を与えた一本だと思います。
このターミネーターの第一作目は、$6,400,000という低予算で、何と10倍以上の$78,371,200の興行収入を上げています。

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『ターミネーター』あらすじ



2029年のアメリカ、ロサンゼルスの夜。term-ope.jpg
地上は飛行兵器や無人戦車が巡回し、人間を標的に執拗に攻撃をしていた。
人類は自らの作り上げた防衛システム"スカイ・ネット"の暴走により、絶滅の危機にあった。
人類は地下に潜み、抵抗軍を組織し抵抗を続けていた・・・・・・・

そして舞台は1984年のロサンゼルスの夜。
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妖しい雷光が一面に迸り、その怪現象が納まった時、全裸の男がうずくまっていた。
男は近くにいたチンピラ3人を一瞬に殺害し、衣服を奪った。

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その後を追うようにして、もう一人の男が現れた。

その男は浮浪者から服を奪うと、パトカーに忍び寄りショットガンを盗み、さらに電話帳から”サラ・コナー”のページを破いた。

term-first.jpg翌日、最初に出現した男は銃砲店の主人を殺し武器を手にする。
そして、二人目の男同様サラ・コナーのページを電話帳で探し、その最初に記載されたサラ・コナーの家へと向かう。
そしてその一人目のサラを、躊躇なく殺害した。


term-sara-TV.jpgTVのニュースで流されたサラ・コナー殺害のニュースが、あるレストランのウェイトレスの顔を曇らせた。
彼女の名前もサラ・コナーで、2人の男が探し求めているのは、実は彼女だった。

その夜、サラはルームメイトが彼氏と家でデートするというので、一人夜の街に出かけて行った。しかしその後を第二の男が尾行していた。
最初の男はサラの家に押し入り、友人をサラと誤認して殺害した。
しかし、そこにサラからの電話が入り、男は殺害したのが目的のサラではない事を知り、同時に目指す標的がクラブいることを知る。最初の男は部屋からサラの写真を探しだすと、クラブに向かった。
最初の男はクラブに踏み込みサラを認識すると、軽機関銃から弾を撒き散らした。サラに銃が向けられ、絶対絶命だと思われた時、散弾銃の音が響き、第一の男を吹き飛ばした。
彼女を救ったのは、第二の男だった。

しかし射殺したはずの第一の男が、立ち上がり追ってきた。
第二の男はサラを連れ出すと、車に乗り込み走らせる。その車に第一の男が飛び乗ってきたのを振り落とし、サラと第二の男は逃走した。第一の男は、事件に駆け付けたパトカーを奪い取ると、再び二人の追跡を開始した。
逃げる車中で、第二の男が自分をカイル・リースだと名乗り、最初の男は”ターミネーター″と呼ばれている殺人サイボーグであり自分は未来からサラ・コナーを守りに来たと告げた。

なぜ私が狙われるのと聞くサラに、カイルはサラこそ人類の希望ジョン・コナーの母で、ターミネーターはジョンコナーを誕生させないよう、サラを殺しに来たのだと告げた。
そして自分はジョン・コナーから指名されて、彼女を守りに来たと語る。
サラがその話を消化できないうちに、ターミネーターは再び2人に襲いかかって来た。



そして、車を大破したカイル・リースは警察に逮捕され、サラ・コナーは保護された。
しかし、その現場からターミネーターは消えていた。
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警察では、カイルが尋問に対して未来の話をし、異常者扱いされていた。
そして、ターミネーターは戦闘で損傷した眼球を除去し、その表皮の下の機械の眼が現れた。
その眼をサングラスで隠し、警察署に向かった。

【ターミネーター警察襲撃シーン】
【意訳】警官:お休み。/ドクター・シルバーマン:お休み。/ターミネーター:サラ・コナーの友人だ。私は彼女と話をしたい。会わせて欲しい。/警官:ダメだ。今供述を取っている。/ターミネーター:彼女はどこだ?/警官:まだ時間がかかる。もし待ちたいんだったら、そこにベンチがあるぞ。/ターミネーター:また戻ってくる。

警察署がターミネーターの手によって破壊されたが、サラとカイルは署にあった車に乗り脱出した。
term-night.gif二人はガソリンが無くなるまで車を走らせ、一夜を廃屋で過ごした。
そしてカイルは、未来のジョン・コナーが母サラをどう語っていたかを話し、彼女は伝説的な人物だと語った。
サラは私はそんなに立派な人間ではないと苛立ちの表情を見せた。

一方二人を見失ったターミネーターは、サラの母を殺害し、その家でサラの電話を待った。
そして、かかってきたサラの電話で、再び二人の居場所を掴み急行する。

それとは知らず、ターミネーターに襲われる不安の中、サラはカイルに彼女がいたかと尋ねた。
term-kiss.jpgカイルは今まで女性を知らないと答え、サラは彼の背中の傷に触れながら「可哀そうに」と呟くと、涙を浮かべた。
カイルはジョン・コナーからサラの写真を見せられ、その時から彼女を愛していたと告白した。
そして、二人はモーテルの一室で愛を交わした。


しかし、そんな二人の前に、ついにターミネーターが現れた・・・・・・・・

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以降の文章に

『ターミネーター』ネタバレ

があります。


モーテルを襲うターミネーター。
必死に逃げる二人。
【ターミネーターとのカーチェイスの戦い】

ターミネーターは執拗にサラ達を狙い襲ってきたが、カーチェイスの末タンクローリーの大爆発によってターミネーターは燃え尽き、二人は勝利を収めたかに思えた。
しかし、ターミネーターは機械の骨格を剥き出しにしながらも、なおも二人を追ってきた。
そして、逃げる二人と、ターミネーターの戦いは、無人の夜の工場で繰り広げられる。
【ターミネーターとの工場での戦い】

カイルは自らを犠牲にして、ターミネーターの下半身を爆破した。
しかし上半身だけとなりながら、爆破で負傷し歩けないサラに向かってにじり寄って来る。
サラに伸びたターミネーターの手が首にかけられた時、彼女はプレス機でターミネーターを圧し潰した。
「you're terminated, fucker. (お前は終わりだ、クソッタレ)」という言葉と共に・・・・

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『ターミネーター』ラストシーン

そして数ヶ月後、サラのお腹の中にはカイルとの子供が宿っていた。
サラは、少しでも危険を避けるため、メキシコに逃げた。
その道の先には嵐の予兆があった・・・・・・・

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『ターミネーター』予告

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『ターミネーター』出演者

ターミネーター(アーノルド・シュワルツェネッガー)/カイル・リース(マイケル・ビーン)/サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)/トラクスラー(ポール・ウィンフィールド)/ブコビッチ(ランス・ヘンリクセン)

関連レビュー:シュワルツェネッガー出演の映画レビュー:『プレデター』/『エンド・オブ・デイズ』


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posted by ヒラヒ・S at 18:01| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月28日

映画『シンレッドライン』ガダルカナルの戦い/タイトル意味・実話・史実解説

『シンレッドライン』(感想・解説 編)

原題 The Thin Red Line
製作国 アメリカ
製作年 1998
上映時間 171分
監督 テレンス・マリック
脚本 テレンス・マリック
原作 ジェームズ・ジョーンズ


評価:★★★★   4.0点

太平洋戦争における転換点とされる、ガダルカナル島の闘いを、迫力たっぷりに表現した戦争映画です。
この映画のタイトル『シンレッドライン』は、様々な意味を内包した、実は深い題名なのではないかと思うのです・・・・・・
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『シン・レッド・ライン』予告


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『シン・レッド・ライン』解説

タイトル意味


この映画のタイトル『シン・レッド・ライン=細い赤線』とは、大英帝国の軍隊の一部を形成した栄光のスコットランド歩兵部隊、1799年創設の第93歩兵連隊サザーランドハイランダーズを指す代名詞だ。thin-name.jpg
この部隊はクリミア戦争中の、1854年バラクラヴァの戦いとして知られる戦闘で、ロシア軍騎兵3,500人に対し、第93歩兵連隊550人の戦力で防衛陣を敷き、撃退した。
圧倒的な敵を前に、かろうじて支える赤い制服の部隊は、まるで細い赤い線のようで、この様子を見たタイムズ紙のウィリアム・H・ラッセルは記事に「細い赤い線は、尖った鋼鉄の線だった」と描写し、イギリス国内で大きなセンセーションを巻き起こした。

以後この「シン・レッド・ライン=細い赤線」は第93歩兵連隊を指すと同時に、イギリス王国軍自体や、歩兵部隊を表す代名詞となっているようだ。
またその戦闘の様子から、大群を迎え撃つ小集団、少数の勇敢な人々、少数精鋭、という英語慣用句として「シン・レッド・ライン」は使われるようになる。
更に転じて、「シン・ブルー・ライン=細い青線」は少数精鋭で困難にあたる警察官や消防士が、職務中に倒れた時のシンボルとして英語圏では一般的に使われているという。
そして、この「シン・レッド・ライン=細い赤線」から派生して、レッド・ライン=赤い線が防御線、越えられてはいけない線、限界線を意味するようになった。thin-pos4.jpg

上を踏まえてみた時、この映画の題名「シン・レッド・ライン」は、いくつかの意味が含まれているように思える。

米国・第25歩兵部隊を題材にしていることから、歩兵部隊を表現しているのは間違いない。
更には、レッド・ライン=危険な細い一線を、闘う兵士達の心情をも意味していただろう。
そして、当然優勢な敵に立ち向かう「少数の精鋭」という意味もあるかと思ったのだが・・・・・
ここではたと思い悩んだ。

いったい、アメリカ軍を少数と呼ぶべきものかという疑問である・・・・・・・・
そこで、実際の戦闘を以下に確認してみたい。

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『シン・レッド・ライン』解説

ガダルカナル島の戦い


真珠湾以降米軍の戦力が十分整わないうちに、日本軍は太平洋の勢力圏を拡大して行く。
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更に制空権を広げるために、ガダルカナルに飛行場を建設する計画を立てた。
ガダルカナル島に進駐したのは、日本軍将兵の数およそ2200名。
しかしその内訳は、戦闘部隊は陸戦隊が400名足らずで、大部分が飛行場建設の労働に従事していた。
この兵力の少なさは、アメリカ軍が真珠湾の損耗から戦力を回復するまで、まだ一年はかかるだろうと想定していたことによった。


しかし、1942年8月7日アメリカ軍は、太平洋の反攻作戦をこの島から開始し、第1海兵師団19,000人と、それを護衛する空母3隻を中心とした50隻ほどの艦隊規模で上陸作戦を決行。
即日ガダルカナル島を占領した。

日本軍は制空権を活かし、ラバウル基地より航空兵力を発進させ飛行場を爆撃し、更にラバウルに駐留していた日本海軍第8艦隊を持って、アメリカ艦隊に夜襲をかけ、重巡洋艦4隻と駆逐艦1隻を撃沈した。(第1次ソロモン海戦)

そして、8月18日にガダルカナル奪還のため、グアム島駐留陸軍部隊一木大佐率いる、一木支隊900名が先遣隊として侵攻した。
敵・連合軍兵力を約2,000名と見ていた日本軍はこの900人と、後詰の部隊2500人で兵力は充分と見ていた。thin-gadaru3.jpg
現地の一木大佐は、先遣隊900名で簡単に飛行場を奪還できるとし、後続部隊2500人を待たず、夜間白兵突撃を命じた。
しかし、この行動は米軍の予期するところで、待ち構えた300丁以上の機関銃の十字砲火を浴び、司令官一木大佐以下ほぼ全滅する(日本軍戦死率85%)


その後を受けて9月7日にはパラオ駐屯の第35旅団、川口清健少将率いる川口支隊4,000名と一木支隊の第2梯団が上陸した。
川口支隊による第一次総攻撃が9月13日夜から14日未明にかけて、行われたが攻めきれず撤退。
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10月24日夜、飛行場への第二次総攻撃開始し、再び撤退を余儀なくされる。
戦闘終了後の26日には師団参謀より飛行場「奪回は不可能」と大本営に連絡した。

この後も、佐野忠義中将率いる第38師団(の先遣隊)を送り込み、なおもガダルカナル島の戦いは1942年末まで継続する。
Thin-pos2.jpgしかし、12月31日の御前会議において「継続しての戦闘が不可能」としてガダルカナル島からの撤退を決定した。
そして翌1943年2月1日〜7日、ガダルカナル島撤退作戦である「ケ号作戦」を実施し、生存兵、約1万名の日本軍兵士が島を後にした。

ガダルカナル島の戦いにおいて、日本軍が投入した累計戦力は約30,000人で、内20,000人が死亡している。
その死者の約15,000人以上が餓死、病死と記録されている。
ガダルカナル島の兵力は数字の上では約2〜3万名を数えるが、通常戦闘が可能な兵員は8,000人程度だったと言われる。
一方のアメリカ軍は60,000人の兵員を動員し、死者は戦死7,100名、戦傷7,100名となっている。


総括すれば、日本側にとってのガダルカナルは餓(ガ)島と呼ばれるように、物資不足と兵装不足の中にあり、闘いよりも命を維持する事が精一杯という中で戦闘を継続したのだった。
つまり、その戦いはアメリカ軍の圧倒的な数的・物理的優位のもとで、常に繰り広げられたのである。

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『シン・レッド・ライン』解説

再びタイトルの意味を問う


上で述べたこの犠牲を前に、この映画が語る「神はこの地獄をなぜ許すのか」という設問に対する解が、見つかるとは思えない。

しかし、絶対者の創造したこの世界の現実だと思えば、そこに「神の意志」を探さざるを得ない。
その全知全能、無謬の神が許した「戦争」の存在は、それが生じる必然があるはずだと、信者なら思うはずだ。
だが、その惨たらしく理不尽な大量の殺戮を正当化する「理由」は、この激しく陰惨な戦闘シーンを前にして見出せるだろうか。

もちろん、その試みは無為に帰す。
戦争を肯定できるいかなる言葉もありはしない。

それでも、この映画のラストシーンでは、最後に一つの希望を描く。

しかし、そこに論理的な説明はない。

戦争という「絶対悪」を生きている者達を前にしては、「神=善の絶対」を盲目的に信じる以外の道はないからだ。

しかしその「信念」は、この世の地獄を前に、揺らぎ、崩落寸前であるように、この兵士達のモノローグを聞けば感じざるを得ない。

そこで、この映画の題名『シン・レッド・ライン』の、真の意味に気づいたように思う。

先にこのタイトルが、圧倒的なアメリカ軍をさして「少数精鋭」や「少ない数で圧倒的な敵
に、勇敢に立ち向かう者」という意味は、不適切ではないかと指摘した。

しかし、その「少ない数で圧倒的な敵に、勇敢に立ち向かう」という意味は、戦争という「絶対悪」を前にして、苦悩し絶望しても、それでも勇敢に「信仰=神の絶対」を必死に守る、この映画の兵士達の姿だったに違いない。

この世が地獄であると感じた兵士達が、それでも生きる為には「神」というギリギリの線「レッドライン」を保たざるを得ないと語っているに違いない・・・・・・・・・・



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posted by ヒラヒ・S at 17:10| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月21日

映画『シンレッドライン』日・米戦争の地獄にさす光/感想・解説・神への信仰

『シンレッドライン』(感想・解説 編)

原題 The Thin Red Line
製作国 アメリカ
製作年 1998
上映時間 171分
監督 テレンス・マリック
脚本 テレンス・マリック
原作 ジェームズ・ジョーンズ


評価:★★★★   4.0点

太平洋戦争における転換点とされる、ガダルカナル島の米軍反攻を題材にした戦争映画です。
戦争映画として、迫力ある戦闘シーンに眼を奪われますが、実は『神の不在』、『神の救い』を語った叙事詩だったように思います。

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『シン・レッド・ライン』キャスト

ウィット二等兵(ジム・カヴィーゼル)/ウェルシュ曹長(ショーン・ペン)/ベル二等兵(ベン・チャップリン)/ファイフ伍長(エイドリアン・ブロディ)/ガフ大尉(ジョン・キューザック)/ケック軍曹(ウディ・ハレルソン)/スタロス大尉(イライアス・コティーズ)/トール中佐(ニック・ノルティ)/クインタード淮将(ジョン・トラボルタ)/ボッシュ大尉(ジョージ・クルーニー)/マクローン軍曹(ジョン・サヴェージ)/ホワイト少尉(ジャレッド・レト)/ストーム軍曹(ジョン・C・ライリー)/マーティ・ベル(ミランダ・オットー)/ドール一等兵(ダッシュ・ミホク)/ティルズ二等兵(ティム・ブレイク・ネルソン)/ビード一等兵(ニック・スタール)/アッシュ二等兵(トーマス・ジェーン)/日本軍曹(豊嶋稔)/日本兵(光石研、前原一輝、酒井一圭、水上竜士他)
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『シン・レッド・ライン』感想



この映画の戦闘シーンは、従来の戦争映画に較べても、強い衝撃を伴う、激しく、グロテスクで、陰惨な表現を持ち、更にそれが映画の半分近くを占めている。
そういう意味では、間違いなく戦争映画なのだが、実際の肌触りはどちらかといえば「静寂」を感じるのが不思議だ。

それゆえに、従来の戦争映画と同質の、アクションの爽快さや、勝利のカタルシスを求めて視聴したとすれば、期待に反し落胆するかもしれない。
むしろ戦争映画の明快さは、1999年開催の第71回アカデミー賞で作品賞を共に争った『プライベート・ライアン』のほうにあるだろう。
関連レビュー:スピルバーグの戦争映画
『プライベート・ライアン』
第二次世界大戦の物語
トム・ハンクス主演・アカデミー賞受賞作品

しかし、共に激しい戦闘シーンを描きながら、『プライベート・ライアン』は、正義に命をかける事の価値を歌い上げているのに較べ、この映画は見事に真逆のメッセージを出しているように感じる。
結論から言えば、戦争という地獄を背景にした「宗教的な問いかけ」が、この映画の本質的なテーマはであったように思えてならない。
以下の予告を見ただけでも、この映画がどういう物語で、何を語りたいのかが窺い知れるだろう。

『シン・レッド・ライン』予告

【意訳】(モノローグ)この戦争に自然の魂があるか?自然それ自体が争うのはなぜか?自然が与えてくれた善きものを、いかにして喪ったのか?消え去ったのか?不注意で散逸したのか?誰もが自己の救済を捜し求める。みんな、まるで火に入れられた石炭のように。
(ショーン・ペン)この世界で、人自体が無意味だ・・・何事も成せないことを忘れるな。
(モノローグ)いつでもあなたは引っ掻き始める。戦争は人を気高くしない。それは彼等を狂わせ、魂を毒する。
(ショーン・ペン)お前がやろうとしている事と、どう違うんだ?この狂気の中で、みんな孤立する。もしお前が死ねば、それは無意味になったんだ。
(モノローグ)この大いなる邪悪。どこから来たのか。どうやって世界から、それを簒奪したのか?何を種とし、何に根を張って、かくも育ったのか?誰がこれを成したのか?誰が我々を殺すのか?生命と光を我々から奪った。我々が知った光景が、我々を嘲る。我々の破滅が地球の利益なのか?それは草の成長と太陽の輝きに益するのか?この暗黒にあなたもおられるのでしょうか?あなたはこの暗夜を看過なさるのですか?
(兵)俺達は、本当に汚れている。本当に汚れている。

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この映画は冒頭、自然と共に暮らす原住民達が安らぎ平和な姿から始まり、文明・文化が進んでいるはずの先進国が、血みどろの戦いを繰り広げる。
主人公のウィット二等兵は、原住民と共に遊ぶうちに、この地上世界に完璧な調和を見出した。
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しかし、アメリカ兵としての彼は、近代において生じた国家間の世界分割の中で、他国の見ず知らずの日本人を殺さなければならない。

たとえば原住民達の完璧な調和が在り得る世界を捨て、なぜ我々はこれほどの暴力を成し、血を流し、殺し合いをしなければ成らないのかと、その意味を必死に探す物語であるだろう。
そして、その問い掛ける先は彼らが、この世界を創造し統べると信じる「神=キリスト」に向かわねばなるまい。

神がなぜ、かくも過酷な地獄を我々に現出せしめたか?

神は何をお考えなのか?

そもそも「神」はどこにおわすのか?

この映画の中で、明滅するようなモノローグを聞いてみれば、追い詰められた兵士達の搾り出すような言葉は、結局「神の沈黙=神の不在」を問うものだった。
私はこの映画を見て、無垢なる乙女が惨たらしく殺され、その復讐をなした父が「なぜこの罪を見逃したか」と神に問いかける、イングマール・ベルイマンの『処女の泉』が思い出されてならなかった。
関連レビュー:「神の沈黙」の意味を問う
『処女の泉』
イングマールベルイマンの古典的映画
若き日のマックス・フォン・シードー

そして、その『処女の泉』が、それでも「神の存在」によらずして人間は生きられないという結論に至ったのと同様、この映画も最後に示されたのは絶対者に対する肯定であったように思われてならない。
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この「神」を拠り所として自己と世界が成立しているという、一神教の絶対的な世界観は本当にシンプルで力強い世界観だと思う。

全てが、ただ一つの絶対者から発しているという考え方は、自らと世界がそのまま肯定され、根源的な「真・善・美」を承認するものであるだろう。
しかし、同時にその「真・善・美」は、その一つの神を奉じる宗教の信者のみの特権でしかない。

そして、その唯一絶対が複数存在する事の矛盾、一神教が多数存在する事の理論的不整合を解消し得ない。
したがって整合性を求めれば、一神教の信者は自らの神が唯一の神だと証明するために、他の一神教の宗教及び多神教、無神論者を制圧せねばならなくなるだろう。
過去の争いを概観してみれば、そんな世界観の対立として生じた戦争の例は、枚挙にいとまがない。

そして、そんな一神教の信者はキリスト教徒20億人、イスラム教徒12億人を数え、更にユダヤ教徒の1,300万人も含め、人類のおよそ半分が信じる世界観としてある。

この映画は、キリスト教的な唯一絶対の神がこの世界を救済するのだという「信念=信仰」が、「現世の地獄=戦争」を前にして、より強く、より堅固に、人々に求められる姿を描いているだろう。
だとすれば、世界が困難に陥るほど、その一神教に対する信仰心は高まり、同時にその自己矛盾も高まり、世界は対立を深くしていくと思えもするのである。

関連レビュー:テレンス・マリック監督の語る「神」
『ツリー・オブ・ライフ』

ブラッド・ピットとショーン・ペン出演
神の創造した世界を描く


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posted by ヒラヒ・S at 17:27| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする