2017年06月30日

『北国の帝王』オヤジ達のプライド祭/あらすじ・ネタバレ・感想・ラスト

逆風の中の男達

原題 Emperor of the North
製作国 アメリカ
製作年 1973
上映時間 121分
監督 ロバート・アルドリッチ
脚本 クリストファー・ノッフ

評価:★★★★  4.0点



このB級映画のお手本のような作品が作られた1973年というのは、アメリカン・ニューシネマの台頭でも明らかなように、ハリウッド映画の曲がり角だった。

そんな時代に、新たな映画の刺激を求めて撮られた映画の一本が、このオヤジ達が全身全霊をかけて戦う『北国の帝王』だったろう。
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『北国の帝王』あらすじ

1933年のアメリカは大恐慌のため、ホーボーと呼ばれる失業者が溢れ、彼は機関車に無賃乗車をして移動した。そんな、ホーボー達が恐れるのが車掌シャック(アーネスト・ボーグナイン)の乗る19号列車だった。その列車に無賃乗車した者は、冷酷無比なシャックのハンマーによって殴り殺されるのを覚悟しなければならなかった。
しかしそんなシャックの19号列車で、何度も無賃乗車を成功させた、ホーボー、Aナンバー・ワン(リー・マーヴィン)と呼ばれ、“北国の帝王”という尊称を贈られる男がいた。そんな、Aナンバー・ワンにまとわりつくシガレット(キース・キャラダイン)という若者がいた。彼はAナンバー・ワンの王座を奪おうともくろんでいるのだ。
Aナンバー・ワンは車掌シャックの列車に乗ると宣言し、多くのホーボーが叩き落される中、まんまと乗車に成功するがシガレットのせいで、シャックに見つかり崖下に叩き落された。しかしAナンバー・ワンは他の列車に乗り込むと19号列車に追いついた所で、再び乗り移った。察知したシャックとの壮絶な戦いが、再び19号列車の上で繰り広げられた。列車の底、車輪軸に体を縛り付けた二人に向かって、鋼鉄の棒が襲い掛かる。Aナンバー・ワンはエア・ブレーキをかけて列車を急停車させ、反撃した。火夫は傷つき、機関士は気絶し、ブレーキ係は命を落とした。
Aナンバー・ワンはシャックと対峙し、叫ぶ「シャック、貴様の年貢の納め時が来たぞ!」
走る列車の上で2人の男達の壮絶な一騎打ちが始まった。
『北国の帝王』予告

『北国の帝王』キャスト

A・ナンバーワン(リー・マーヴィン)/シャック(アーネスト・ボーグナイン)/シガレット(キース・キャラダイン)/クラッカー(チャールズ・タイナー)/ホッガー(マルコム・アタベリー)/コーリー(ハリー・シーザー)

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『北国の帝王』感想・解説


Film.jpgかつて大衆娯楽の王様であった映画は、TVの出現で娯楽の王座を滑り落ちた。
そして新たなメディアは、それまでハリウッド映画のドル箱だった、家族を対象とした健全で善良な映画も、TVドラマとして放送されることになった。
そんな世間全般のマジョリティーから見放された、ハリウッド映画が活路を見いだしたのが、悪辣で、醜い、しかし、刺激の強い、それまでのキリスト教的善良さである「真・善・美」に反する、刺激たっぷりの映画群だった。
つまり、この映画である。
そもそもそれまでのハリウッドであれば、主人公は正義を体現していた存在だったはずだ。
しかしこの映画のそれは、リー・マービン演じる「北国の帝王」と呼ばれる主人公が、ただの無賃乗車の達人という、いわば犯罪者を主人公にしている時点で善を描かないと宣言していただろう。

さらに、この「北国の帝王」が敵にする列車の車掌をアーネスト・ボーグナインが演じ、本来は犯罪を阻止する正義の立場であるはずなのに、明らかに悪魔的な悪役として、鬼のような形相で無賃乗車犯を襲う姿が描かれる。
結局ここに描かれたドラマは善も悪も無いと、主要な二人の登場人物が告げていたと思える。

kitaguni-kieth.jpgまたこの二人の他に、もう一人の重要なパートを若き日のキース・キャラダインが演じるが、この若者が意味したのは「真の男」としての力を持たない、男としての力不足を意味しただろう。
この映画では、未熟者を許さない、もしくは不完全な存在を認めないという、「男の真価」に対する信念の強さを見る。

じっさい、リー・マービンやアーネスト・ボーグナインが演じる、男としての貫禄に較べると、キース・キャラダインが、いかにもヒヨワに見える。

Kita-pos-2.jpg
結局この映画の、リー・マービンやアーネスト・ボーグナインに代表される中年の親父とは、経験と体力が高い融合を見せる真に強い男達を描いたものだった。

その強者二人は劇中で、その技能の全てを掛けて激しく戦う姿を見せる。
ここにある闘いは、すでに利益や犯罪という現実的な目標を喪失し、己の全存在を賭けた純粋な闘争と化し、ただ男のプライドの証明としてあった。
この男達の、善悪を超えた、ドロドロの、醜悪な、格闘劇は、しかし、アメリカ労働者階級の男達がその肉体と職業的経験をプライドとして、日々生き戦う姿の象徴でもあっただろう。

Kita-pos-3.jpgそういう意味ではこの映画は、日々苦しい労働に立ち向かう、アメリカ中産階級及び低所得者層の男達をターゲットにした映画だったはずだ。
そしてその観客を想定したとき、難しい理屈や、崇高な理念をキッパリと切り捨てた、純粋無垢な「B級映画」が生まれたのではなかったか。

そこには、やはり見たい者だけが見れば良いという割り切りを前提にして、描かれているに違いない。
そして、この見る者を選ぶ作品の系譜は、アメリカン・ニューシネマを経由し、現在ハリウッドの善悪を超越した作品として、引き継がれているように思う。
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以降の文章には

『北国の帝王』ネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。
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(あらすじから)
車掌シャックは手に鋼鉄の鎖を持ち、Aナンバー・ワンに襲い掛かった。
Aナンバー・ワンの体を、何度も重い鎖が打ちつけられた。
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しかし彼は貨車に懸架されたマサカリを持って反撃に出て、シャックに重傷を負わせ列車から叩き落した。
Kitaguni-2.jpg

どんどん遠くなる、シャックを見つめるAナンバー・ワンの横に、シガレットが立った。
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『北国の帝王』ラストシーン


Aナンバー・ワンはシガレットをも列車から突き落とした。
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19号車が遠く去る中、Aナンバー・ワンの叫び声が線路に残る。
「貴様のようなチンピラに“北国の帝王”を名乗る資格はない。」と・・・・・・・・

大人の戦いに、小僧が顔を出すなという・・・・・
ほんと昔の大人は、強く大きかったと思う。

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posted by ヒラヒ・S at 17:52| Comment(8) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月25日

映画『ハスラー2』ビリヤード・ブームを生んだ映画/解説・感想・ポール・ニューマン

ハスラー2(感想・解説 編)



原題 The Color of Money
製作国 アメリカ
製作年 1986
上映時間 119分
監督 マーティン・スコセッシ
脚色 リチャード・プライス
原作 ウォルター・テヴィス


評価:★★★★  4.0点



この1986年の映画の原題「マネー・オブ・カラー=札の色」が意味するのは、金にも種類があり、価値のある仕事で手に入れたモノと、楽をして設けたモノは違う「色=価値」を持っていると語られているように思いました。
そんな、人生にとっての価値を、ポール・ニューマン、トム・クルーズ、監督マーティン・スコセッシによって描きだされた、エンターテーメント作品です。
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『ハスラー2』予告動画

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『ハスラー2』出演者

ファースト・エディ(ポール・ニューマン)/ヴィンセント(トム・クルーズ)/カルメン(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)/ジャネル(ヘレン・シェイヴァー)/ジュリアン(ジョン・タトゥーロ)/路上プレイヤー(イギー・ポップ)/アモス(フォレスト・ウィテカー)
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『ハスラー2』感想



個人的には、この映画を単体で評価すれば、標準作という印象だったりします。
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監督、俳優、とも実力派が揃い、ビリヤードの持つ魅力も十分表現されて、当時の日本でもナインボール・ビリヤードの大ブームが起きたほどなので、コマーシャル的な成功とエンターテーメントとしての力を持っているのは間違いないでしょう。

しかし、それでもドラマとしての強さがあるかと問われれば、どこか散漫な印象もあります。
この映画の基本軸は、ポール・ニューマンの演じるエディーにあるでしょう。彼が若く力に溢れたトム・クルーズ演じるヴィンセントと出会い、かつてのハスラーだった自分を思い出し、自分の人生において最も大事なモノを再び手に入れるという物語です。

更に丹念に見れば、ポール・ニューマン演じるエディーはいかがわしい酒を売り、ビリヤードの賭をするハスラーの胴元として、リスクを冒さず利益を得ようとする姿は、姑息な中年男と成り果てています。
そんな金はあるがイヤらしい人物が、若きヴィンセントに金儲けの方法を伝授します。
それは、例えば自分を下手なプレーヤーだと見せかけて、大金を掛ける相手を勝負に引きずり込む方法だったり、勝負の場所でケンカを吹っかけ周囲の人間も巻き込んで掛け金を釣り上げる方法だったりします。
2人の兄弟と他人

【意訳】エディー:"二人の兄弟と他人の一人"だいいか?バーに二人で行って−/ヴィンセント:二時間くれトロフィーの山を築くから。/エディー:見てなこの町全部頂くぜ。派手にやろう。/ヴィンセント:一晩中でもこの町で稼ぐぜ、次は誰だ、あんたやらないか、誰もやらないのか、ほんとにやらないの。ブレークショットを譲るから。ブレークして。8番ボールで勝ちでいいよ。どうだ?やるか。さあやろう。/ヴィンセント:静かにしてろよ。/エディー:場所代払ってるぜ。/ヴィンセント:気を遣え。/エディー:何だって。/ヴィンセント:今ここで金がかかってんだ、静かにしろ。分かったか。/エディー:大金がかかってるって?/ヴィンセント:ああ、そうだ。大金がかかってんだから、俺たちが撞いてる間は女から手をどけとけ。/エディー:なんで俺の手が気になるんだ。自分の仕事に専念しろよ。/ヴィンセント:おいジーさん、お前の入れ歯をしまって、その手を娘から離して、気を使う事をここで学べ。/エディー:そのうち入れ歯にするよ。それよりお前のオムツをいつ代えるんだ。/対戦相手:おい、ここで試合してんだぜ。/エディー:ほんとに?何の為に?/対戦相手:関係ないだろ!/エディー:何が手に入るんだ?何の為だ?/対戦相手:50ドルだ。/エディー:お前勝ちたいか?俺はこいつに500ドル賭けるぜ。こいつはビビりだ。500ドルって聞いた瞬間ビビってる。/ヴィンセント:なんで出てかないんだ/エディー:誰か500ドル賭けるやついないか?/対戦相手:なんで面倒を起こすんだ?/カルメン:私、帰るわよ!/エディー:誰もかけないのか?/ヴィンセント:むかつくやつだ。/バーテンダー:1000ドル賭ける。

しかし、そんなエディーが伝えるハスラーの知恵とは、実はビリヤード・プレーヤーの技術とは関係ないのです。
結局そこにあるのは、年老いた狐がいかにして経験と知恵によって、獲物を得るかという狡知だったでしょう。
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しかしそんな「ずる賢さ」は、本来俊敏な足と鋭い牙があれば、不要なモノであり、逆にそこに頼らざるを得ない事が、自らの衰えを示すものだったはずです。
この映画のエディは、そんな自分の衰えを、ヴィンセントの強さを見ることで痛感し、自らを狡知に向かわせた年齢による「衰え」を認めざるを得なくなったのだろう。
そして彼は思い出すのです。
かつて自分がビリヤードの頂点に向かって、圧倒的なパワーを放出していた時の充実と栄光の時を。
同時に彼に蘇ったのは、金や栄光ではなく、ビリヤードというゲームを支配することこそが、彼の人生の目的だったという思いだったように感じられました。
結局、ビリヤードをしなくなったから、自分は自分でなくなったと気付いたのではないでしょうか。
そして気が付いてみれば、かつての狡い大人、旧作『ハスラー』の敵役バートと同じ事を、ヴィンセントにしている自分に嫌気がさしたように見えます・・・・・・・・・・・・

hustler2-lookball.jpgこれは、敷衍して考えれば、若き日の理想や夢を現実の中ですり減らした中年過ぎの男達に向けた、自分の人生を取り戻せと語りかける映画だと思います。
自らの存在証明、自らの生きる価値が、どこにあるのかを問い、それを梃に自分の人生の戦いに再び戻る物語だと信じます。

しかし、それでもそんなテーマとビリヤードとの組み合わせが、この映画を見ただけでは相乗効果を上げてるとは言い難い点に不満を感じ、この作品単体では★3の標準作という評価を持ちました。
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『ハスラー2』解説
前作『ハスラー』



BW-Hustler-1.jpgしかしこの作品単体には★3を付けても、それでも評価★4を付けたのは、この映画の前作『ハスラー』という傑作を踏まえてみた時、見事な対比効果を上げているからです。
その前作で描かれたのは、この映画とまるで正反対のドラマでした。
25年前、若き日のファースト・エディーは、全身を研ぎ澄ました一本の針のようにして、ビリヤードに打ち込んでいました。
全てを犠牲にしても絶対王者「ビリヤード・チャンピオン=ミネソタ・ファッツ」を倒すために全身全霊を込めていたのです。
関連レビュー:ポール・ニューマン『ハスラー』
60年代のギリギリの青春
第一次ビリヤード・ブームの火付け役

その「ストイック=禁欲的」な姿が目に焼き付いているからこそ、この映画の老年エディーの変わりようが、見事に引き立つのです。
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あの、鋭敏だった傷つきやすい感性は、金と欲望の鎧の下、鈍く反応するだけです。

一点に向かって集中していた求道者も、今作ではいかに金をだまし取るかを考える詐欺師と成り果てている。
hustler.jpgつまりは、この映画は前作のエディーの姿があってこそ、その落差が深く強く印象付けられるのです。
その深い断絶を生んだ、この25年の人生を思い、更にはその変わり果てた男が持っていた「人生の真実」を知っていればこそ、このエディーが再びビリヤードのキューを持つ重みが際立つと感じました。

そういう意味では、前作と合わせてこの作品を見た時、今作のポール・ニューマンの演技が輝きを増し、更に味わい深く感じられて★4つとしました。
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『ハスラー2』解説
ポール・ニューマンとトム・クルーズ


ポール・ニューマンはメソッド演技で有名な『アクターズ・スタジオ』出身のエリート俳優だった。
『アクターズ・スタジオ』出身者としては、マーロン・ブランドが衝撃の映画界デビューを果たし、それに続いてジェームス・ディーンが「青春ヒーロー」として若者のカリスマとなった。
関連レビュー:
ハリウッド映画とアクターズ・スタジオ『メソッド演技』
ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジャック・ニコルソンを輩出した名門・俳優養成所、演技の秘密

しかし、同時期に『アクターズ・スタジオ』を卒業していながら、マーロン・ブランドやジェームス・ディーンに較べポール・ニューマンは、一気にブレークとはなりませんでした。
ポール・ニューマン(Paul Newman 、本名: Paul Leonard Newman 、1925年1月26日 - 2008年9月26日)はアメリカ合衆国の俳優である。

イェール大学大学院で披露した演技がプロデューサーの目に留まり、ニューヨークに招かれた。テレビドラマや舞台における演技が認められ、1952年にジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドと共にアクターズ・スタジオに入学。ワーナー・ブラザースと5年間の専属契約を交わす。1954年に『銀の盃』でスクリーンデビューを果たすものの、作品自体が映画評論家から失敗作の烙印を押されるという不本意なデビューとなった。
ディーンとブランドがそれぞれ『エデンの東』『波止場』で世界的トップスターへと上り詰める一方でポールは満足のいく作品に出演できないうえ、スタジオや批評家から「第2のマーロン・ブランド」と称されることに失望し映画を離れ活動の拠点を舞台とテレビドラマへ移した。(wikipediaより)


Film.jpg後に、ポール・ニューマンは『傷だらけの栄光』『熱いトタン屋根の猫』により、ハリウッドでの評価も高まり、ついには1969年にロバート・レッドフォードと共演したアメリカン・ニューシネマの名作『明日に向って撃て!』のヒットによって、世界的トップスターとしての地位を確立しました。
しかし、個人的な印象ではポール・ニューマンという俳優には、スター性、カリスマ性が少ないという印象があります。

この俳優の個性としては、アクターズスタジオの後輩ダスティン・ホフマンやアルパチーノのように、演技で見せる俳優だったように思います。
しかし、デビュー当時のハリウッドはスターシステムで、演技よりカリスマ性を重視された事による、ギャップに苦しんだのではないかと想像します。

個人的な印象としてはポール・ニューマンは、実は主役というより脇役が相応しいのではないかという気もします。
そういう意味では、この映画のトム・クルーズや、『明日に向かって撃て』『スティング』のロバート・レッドフォードという、スターの顔を持った俳優とコンビを組むと、その演技力が映えるように思うのです。

また、若手時代のトム・クルーズも、人を魅了する太陽のようなスター性があっても、演技者としての突出した力を感じがたいように感じます。
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そういう意味では、そんな彼が「アクターズスタジオ」の役者達と組むと、メソッド演技の深みと凄味を引き出すのは、太陽のトム・クルーズの前で、メソッド演技者たちの陰鬱な演技手法がより際立つからではないかと想像しました。

『レインマン』ではダスティン・ホフマンが、この『ハスラー2』ではポール・ニューマンがアカデミー賞を獲得している事実は、決して偶然ではないと思うのです。

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関連レビュー:
ダスティン・ホフマンのアカデミー賞受賞演技

『レインマン』
サヴァン症候群の兄と弟の絆
若き日のトム・クルーズ

関連レビュー:トム・クルーズのスター性とは?
『卒業白書』
トム・クルーズの出世作
一夜の危険な遊び


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posted by ヒラヒ・S at 18:14| Comment(2) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月23日

60年代の青春『ハスラー』ポール・ニューマンの代表作/感想・あらすじ・ネタバレ・ラスト

若者達の挑戦
原題 The Hustler
製作国 アメリカ
製作年 1961年
上映時間 135分
監督 ロバート・ロッセン
脚本 ロバート・ロッセン 、シドニー・キャロル
原作 ウォルター・テヴィス


評価:★★★★★  5.0点

この1961年製作の、ビリヤードの対決を描いたこの映画の、異常な緊迫感は何だったろう。
若き日のポール・ニューマンにとって、ブレークのきっかけになったこの作品は白黒画面の効果もあって、見ている間中重苦しい緊張感に支配される。
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『ハスラー』あらすじ


ハスラーとして生きることを15歳で決めたエディ・フェルソン(ポール・ニューマン)は、徐々に腕を上げやがてシカゴに君臨するハスラー、ミネソタ・ファッツ(ジャッキー・グリーソン)に挑戦した。勝負は昼夜を通して行われ、前半はエディのペースだったが、油断し酒を飲み始めたエディは後半に入り逆転され、ついに敗れ無一文になった。エディは自暴自棄になり酒浸りになった。しかしある日、エディは作家志望の女子大生サラ(パイパー・ローリー)と出会い、小児麻痺で足が不自由な彼女のアパートで暮らすようになった。エディーは、金を稼ぐため、彼はサウス・サイドの小さなビリヤード場でバート(ジョージ・C・スコット)という男と会った。バートは、エディの腕をしって、胴元になると提案した。彼は75パーセントの分け前で資金を請け負うと言う。エディは断ったが、ある日入ったビリヤード場で因縁をつけられ、両手の指を折られてしまう。いよいよ困窮したエディは、バートのもとに行きフィンレーとの勝負をさせてくれと泣きつく。勝負は始まったがエディは負け続け、バートもエディーを見限ろうとした。そんなバートにエディーは泣いて助けを乞う。そんなエディにサラはもう帰ろうと言うが、エディーは怒り怒鳴りつけた。
そして、自分たち2人の未来に絶望したサラの身に、事件が起きる・・・・・・
ハスラー予告

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『ハスラー』感想・解説

絶対的王者と、金儲けしか考えないパトロンの、二人と戦わなければならない若者は張り詰めたように生きている。
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一時、彼女を得て安らぎめいたものを得るとしても、けっきょく彼は勝負に己の全存在を賭ける。

その結果として、彼女を失わなければならなくなる。



しかし自分の能力の限界を目指して、
全精力を目標の一点に集中し、その野心のためなら全て失ってもかまわないという、非情なまでのストイックさこそ、かつての「若者」という存在ではなかったか。

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このストイシズムこそ、乏しい経験で圧倒的強者に挑む者にとって、必然的に採らねばならない戦術だったろう。

そんな若者達を主役とした映画が登場してきたのは、1953年『乱暴者』『波止場』のマーロン・ブランド、1955年「エデンの東」のジェームス・ディーンだった。
フランスだと ジャン=ポール・ベルモンドの『勝手にしやがれ』が1959年、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」が1960年とつづく。
実を言えば上の映画のように、1970年より前に描かれた若者を主人公とした映画には、暗くて切ないドラマが多いように思う。
ここには第二次世界大戦後10年を経て、経済状態も改善し、若者達が自分達の主張を口にできる社会的基盤が整ってきてはいても、自分をギリギリまで追い込まなければ「大人=支配層」の厚く高い壁を乗り越えられなかった事を意味しただろう。


そんな、若者達の死に物狂いの闘いを真正面から捉えた映画こそ、この「ハスラー」だと思うのだ。
なぜならこの映画以前の若者映画は、スネたり、暴れたり、犯罪を起したり、つまりは支配者達に正面から挑むまでの力を持ち得なかった。

この映画で初めて、大人と対等の挑戦者としての若者を描き得たように思う。
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支配者達に対する若さの挑戦は、上で述べたように厳しい節制と、自らの全存在を賭けざるを得ないほど厳しい闘いではあったが、しかし同じ土俵に上っていると言えるだろう。
実際、この「ハスラー」では接戦を演じ、最終的には相打ちに近い形まで、その勝負を持ち込んだ。
しかし、それでも、己の青春全てを捧げて、相打ちである。
昔の大人は強かった・・・・・・

それから、70年代の公民権運動やベトナム戦争をへて若者達の声は徐々に力を増し、この映画の怒れる若者「ファースト・エディ」がジイさんとなり果てた1986年の「ハスラー2」を見ると、エディーが若造の生意気さに怒りまくるという逆転現象となる。
関連レビュー:ポール・ニューマンとトム・クルーズの共演『ハスラー2』
第2次ビリヤード・ブームの立役者
ポール・ニューマンのアカデミー賞受賞作

シミジミ「世界は変わる」ということを実感せざるを得ない・・・・・
ぜひ合わせて「ハスラー2」を見ることをおすすめしたい。

ホント、大人の権威の失墜にビックリします。
関連レビュー:若者たちの戦い
『勝手にしやがれ』
ジャン・ポール・ベルモンドとジャン・リュック・ゴダール監督
ヌーベル・バーグの開幕

関連レビュー:若き日のアラン・ドロン
『太陽がいっぱい』
ルネ・クレール監督の名作
何も持たない若者の戦い

関連レビュー:ジェームス・ディーン『理由なき反抗』
ジェームス・ディーンの世界初の青春映画
メソッド演技の輝き

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以降の文章には

『ハスラー』ネタバレ

があります。ご注意ください。

BWhustler-yuwaku.jpgエディは、フィンレーとの勝負に勝った。

しかしその時には、エディーに絶望したサラは、言いよるバートに身をまかせた。

そして、自殺してしまう…

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『ハスラー』ラスト

その事件を受けて、エディはもう一度ミネソタ・ファッツに挑戦をした。
今回の勝負は執念が実りエディが勝った。
そこへバートが現れ、マネジャーだと主張し、賭金の分け前を要求した。
【意訳】ファッツ:エディーもう止める。俺はお前に勝てない。ウィリー彼に金を。お前は独力でハスラーになった。/エディー:プリーチャー、コートをくれるか?/バート:どこに行こうっていうんだ?エディー?・・・・・・お前は俺の金を持ってるだろ!/エディー:どんな割合だっけバート?どれだけ分け前をやるんだ?/バート:半分。/エディー:ルイヴィルでは75%だった。/バート:ああ、ここでは半分だ。/エディー:もし払わないと言ったら?/バート:払わねえだと?親指を折ってやる。それで、ほかの指だ。もし俺が子分に言えば右腕の3、4箇所は折られるぞ。/ファッツ:エディー払った方が良い。/エディー:それでアンタはまだ俺のマネージャーなのか、ええ?/バート:俺の仕事だ、坊や。/エディー:ああ、たくさんのゲームを俺にお膳立てした。/バート:そうだ、一緒にたんまり稼いだし、これからもだ。/エディー:半分。/バート:いいや、50%じゃなくても、30%、25%でも。/エディー:俺たちは彼女(サラ)にナイフを突き立てた。違うかバート?俺たちは本当にやっちまったんだ。/バート:もしルイヴィルであんな事が無ければ、他のどっかで起きてたら。もし6ケ月前に起きた事がなければ、今こうはならなかった。


エディー:それで、俺たちはこじれちまった、違うかバート?もちろん、たぶんアンタは喉を掻っ切ったりしない。なぜなら、アンタは自分にするみたいに、周り全部に唾を吐きかけているからだ。でも、俺には刺さった。俺は彼女を愛してた。俺は彼女と一緒に、ビリヤードゲームをしていた。でもアンタには、それも関係ない。いったいアンタが気にかけた相手がいたのか?ただ勝て、勝て、アンタが言うのは勝て、それだけが重要なんだ。アンタは勝利を知らないんだ、バート。アンタは敗者だ。だって、アンタは心が死んでる、それに周り中を死人に囲まれ無ければ生きられないんだ。/エディー:高すぎる、バート。代償が高すぎる。もしそれを払えば、彼女は生きられたのか、死なないのか。それが真実じゃないのは、2人とも知っているだろう、バート?彼女は生きて、彼女は死んだ。アンタは…アンタは手下に俺を殺せと言ったほうが良いぞ、バート。どんな方法でも殺したほうが良い。もし奴らが俺を爆発させたとしても、全部の破片を掻き集めて、それで、神よ、神よ助けてくれ、バート・・・・・俺はここに戻ってきて、それでお前を殺してやる。
/バート:わかった・・・・わかったよ。ただな、今後一切、ビリヤード場に足を踏み入れるな。/エディー:フアッツ・・・・・・アンタは、凄いビリアードを見せてくれた。/ファッツ:それはお前もだ、ファースト・エディー。


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