2017年02月15日

『バベル』悲劇が対話を奪う映画・ネタバレ・あらすじ・ラスト・意味

残酷な世界を生きる者達



評価:★★★★  4.0点

映画の題名「バベル」の塔の物語は、旧約聖書の「創世記」11章にあらわれる。
ノアの子達は天に届く高い塔を作ろうとしているのを見て、それを見た神は人間が一つの民で一つの言葉を使っているからだと考えた。
主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされた。
この映画は、そんな言葉が乱れ、各地に人が分散したがゆえに発生した、コミュニケーションの断絶による悲劇を描いた映画だ。

バベルあらすじ

モロッコに住む、幼い兄弟のアフメッド(サイード・タルカーニ)とユセフ(ブブケ・アイト・エル・カイド)は、親からジャッカル退治用に一挺のライフルを手渡される。遠くまで届くと聞いていたので、ユセフは山道を走るバスを狙って一発の試し撃ちをした。その観光バスには、子供を失って関係が険悪になった、アメリカ人夫婦のリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)が、夫婦の絆の修復のためツアーに参加していた。ユセフの放ったライフルの弾頭はスーザンに命中する。リチャードはスーザンを抱え医者がいる村へたどり着く。夫婦にはアメリカに、兄のマイク(ネイサン・ギャンブル)と妹のデビー(エル・ファニング)が留守宅に、メキシコ人の乳母アメリア(アドリアナ・バラッザ)と共にいた。リチャードとスーザンが帰国できなくなり二人の世話を求められたアメリアは、息子の結婚式を控え、是が非でも出席したいので、子供たちを連れてメキシコ国内に行くことにする。モロッコでは犯行に使われたライフルの所有者が、日本人の会社員ヤスジロー(役所広司)だと判明し、その娘の聾唖である高校生の娘チエコ(菊地凛子)も警察の聴取を受けた。会社員ヤスジローと娘チエコは最近母が自殺したことで気分が落ち込み、溝が深くなっていた。チエコは友人たちと渋谷で遊び回り、自宅に若い刑事(二階堂智)を呼び出した・・・・・・・
息子の結婚式を済ませ乳母アメリアは、国境を越えようとした時、飲酒運転がバレた甥のサンチャゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)が、強引に検問を突破し逃げ回った挙句、アメリアと子供たちを砂漠に置き去りにして逃走してしまう・・・・・

(原題 Babel/製作国アメリカ/製作年2006/上映時間143分/監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ /脚本ギジェルモ・アリアガ)

バベルあらすじ


2006年カンヌ国際映画祭 監督賞
2006年ゴールデングローブ賞 作品賞 (ドラマ部門)


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バベル感想・解説

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babel-brado.jpgこの映画に登場する人々は、多かれ少なかれ断絶を抱えている。

例えばアメリカ人夫婦のリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)は、子供を喪いお互いに対して信頼を持てなくなったように見える。


Babel-kids.jpgそのアメリカ人の妻をライフルで撃ってしまうのは、モロッコに住む幼い兄弟の悪戯からだった。
この二人の少年の間にも、聖書「カインとアベル」の兄弟のように、弟のライフルの腕前が上であったり、妹が弟に好意を示している姿に、兄の嫉妬をもとにした確執があった。
その悪戯の発端には、兄弟間の小さな言葉の応酬があったのであり、つまりは、二人の間のコミュニケーションの摩擦が元だと言うこともできる。


babel-buraTel.jpg撃たれたアメリカ人夫婦はモロッコの田舎町で、他のツアー客と揉めながら何とか救援を待とうとするが、テロ事件を恐れるバスが出発し、その言葉も通じない町でひたすら援助を待つ。
アメリカ大使館はモロッコ政府との話し合いに手間取り、モロッコ政府は救急車を出す筋合いは無いと突っぱねる。

babel-ameria.jpgそんなストレス下にあるアメリカ人の夫リチャードが、息子の結婚式だから世話できないと主張する乳母アメリアの話を聞きもせず、幼い姉妹の世話を押し付けたのは致し方ない成り行きだっただろう。
そして、幼い子供の世話を押し付けられたアメリアが義務と権利を行使する方法が、幼い姉妹を伴ってメキシコ国境を越えることしかなかったのも事実だ。


Babel-yaku.jpg
事件に使われたモロッコ人の兄弟が持っていた銃は、役所広司演じる会社員ヤスジローがモロッコで狩猟をした時、そのまま現地のガイドにプレゼントしたものだった。

そのヤスジローは妻を自殺で亡くし、娘の聾唖者、女子高生のチエコとも上手く心が通じ合わない。

結局、アメリカ人夫婦と、日本人の親子は、裕福で容易に安全に生活を積み重ねて来ても、家族の一つの命の喪失がお互いにコミュニケーションを不可能にしてしまう。

そして、モロッコとメキシコの家族は貧しくとも、密なコミニュケーションを持っていたが、偶発的な事故によって命の危険に曝される。

babel_Burapi.jpg
この映画は、そんな一組のカップルに生じた事件・事故は更に、別の家族に波及し、波紋が広がるように歪みが大きくなっていく様を描いて、「人の世」と言うのが連関し、摩擦は摩擦を生む様を世界的なスケールで描いた秀作だと感じた。


つまるところ、バベルの神話ではないが、世界は一つの民族一つの言葉でなくなり、分断と分散が人と人の間にあるのが当たり前になった。

そんな他者との境界線を生きる人類に対する、哀しい運命を描いて力が有る。

そしてまた、最後にヤスジローと娘チエコに仮託して描かれたのは、間違いなく言葉を超えてつながる「魂の結びつき」であったように思えてならない。

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以降の文章には映画を見なければ判らない細部を語っています。

バベル・ネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。
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翌朝、メキシコ国境近くの砂漠で灼熱の太陽に意識が薄れていく子供達、泣きながら助けを求めるアメリア。
babel-ameria2.jpg
結局子供達は救助されたが、アメリアはアメリカに居られなくなった。

リチャードは衰弱しているスーザンと、久々に語らい病院へと向かう。
Babel-BraPi.jpg
スーザンは無事退院しアメリカに戻る。


モロッコの兄弟は追い詰められ、兄が警官の手で射殺されてしまう・・・・・
babel-moro-bro.png

そして、娘チエコは全裸で呼び出した刑事に求愛をするが、拒否された。
babel-cry.gif

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チエコの母の自殺


babel-pos.jpgこの映画の核心は日本人家族、父ヤスジローと娘チエコ、そして自殺したヤスジローの妻、チエコの母が、その鍵を握っているように思えてならない。

映画自体で語られた情報として、娘はバルコニーから自殺したと言い、夫は銃で自殺したと言う。
夫が警察にも何度も説明したと言うところを見れば、間違いなく銃による死であるだろう。

そして、その第一発見者は娘のチエコだったにもかかわらず、チエコはバルコニーからの投身自殺だと刑事に嘘を言った事になる。

たとえば、可能性として父親か娘が銃で母を殺害して、ライフルを証拠隠滅のためにモロッコの猟の際置き去りにしたという可能性もある。だから、チエコが投身自殺だと嘘を付いたというものだが・・・・・
正直、警察の事情聴取も終わっていて、銃とライフルを取り違えるはずはない。仮にライフルで死んでいてその凶器の行方を探さないはずはないし、更に父と娘の間に共謀が有ったとしても、ライフルを持った猟の写真をわざわざ飾っておくのも不自然だと思える。

更に想像すれば、父と娘の間に性的な関係が有って、それを知った母が自殺したとも考えられる。母に死なれたチエコはもう父とは抱き合えず、父と同年代の男たちに性的な関係を迫るというものだ。
しかし、映画の描写としてこの父と娘の間に、性的関係の影を個人的には感じなかった。この娘は、傷つき、混乱してはいるが、それはむしろ母の死を契機として生じた精神的苦悩から生じたと見る方が自然だろうと思われる。

そう考えてきたとき、多分、母はなにも言わず唐突に死んだのではないか。
前触れもない死は、その周囲の人間に、自らに非が有りはしなかったかという問を突きつけるはずだ。
babel-monster.gifしかも聾唖者で子供の頃から面倒を見てもらった母娘の間に、強い依存関係があったと思えば、娘は自責の念を深く激しく感じたのではなかろうか・・・・・・
そして、第一発見者でありながら、母の死を納得できず、父と話し合うこともできず、そんな苦悩の中で母が突然ベランダから飛び降りたという情景として記憶されたとしても、彼女を責める事もできまい。(上:私たち(聾唖者)のこと怪物だと思っているんだ)

個人的には、母の自殺は突然で周囲の者にもその原因は明確に分からないがゆえに、この映画のテーマ「コミュニケーションの不在」が際立つのだと感じた。

チエコの手紙


それでは上記の母の自殺を踏まえて手紙の内容を推測して見たい。
手紙とは、刑事が彼女を諭し、それにたいして手紙をチエコは渡す。その内容は、劇中では語られないので、観るものの想像に任されている。
この手紙を読んだ後に、刑事がそのまま酒を飲み続ける事から、事件に対する真相を打ち明けた内容というより、今現在のチエコの精神状態、なぜ刑事に抱かれたかったかを語った内容だったと思われる。
以下は手紙の内容を想像し書いたものだ。

突然ふしだらな事をして申し訳ありませんでした。
最近の自分は、母が自殺してからの自分は、自分でもどうなってしまったのか分かりません。
あの母が何も言わずに居なくなって、その理由がいくら考えても私には分かりません。
私の障害の為に苦しませたのだろうか、私が遊びすぎたのが原因なんだろうかと考えても答えは出ません。
そんな事ばかり考えているうちに、人と人が本当に理解しあう事が可能なのかと思えてきました。
私は孤独に苛まれ、誰も信じられなくなって、誰かが本気で私を求め、つながりたがっているという確信が欲しくなったのです・・・・・・・だから、誰かにSEXをとおしてでも、私を求めて欲しかったのです。
しかし、刑事さんを求めた時に、私には本当に求めているものが分かったような気がします。
本当に話し合いたい、本当に解り合いたいのは父だったのだと。
父と母の事を話したくとも、父はそのことを避けて語ろうとしません。
でも、そのことを避けていれば、私達は生涯お互いを許せないでしょう。
だから、父と話して見ます・・・・刑事さんの前に裸で立った勇気を持って。
それ以外に私達二人も、そして母も救われる道はないと思えるのです。

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バベル・ラストシーン
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そして日本では、チエコをヤスジローが抱きしめるのだった。
静かに、互いの温もりを分かち合うかのごとく・・・・・

分断された人のつながりを如何に再生すべきかの希望を描いた良い映画だと思う・・・・・・

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posted by ヒラヒ・S at 17:23| Comment(4) | TrackBack(1) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

映画『太陽の帝国』スピルバーグ少年の見た夢・ネタバレあらすじラスト・意味

軍国少年の行方



評価:★★★   3.0点
この映画はスピルバーグ監督にとって、初の戦争ヒューマンドラマとなった。
それまで、SFや冒険活劇という徹底したエンターテ−メントでヒットを飛ばしてきたスピルバーグが、この前作1985年の『カラーパープル』で黒人差別を描いたシリアスなドラマを撮り、「スピルバーグのオスカー狙い」だと揶揄された。
しかし、結局『カラーパープル』はノミーネートはされても、受賞はできず―
そして、この作品ということになるのだが・・・・・・・・

太陽の帝国あらすじ


日本軍による上海事変を目前にした、1941年クリスマスの上海。英国租界の裕福な家庭で育った英国少年ジム(クリスチャン・ベール)は、パイロット、それも日本の「零戦」パイロットになるのが夢だった。だが運命の日、ジム一家は日本軍が怒濤の如く上海市街に進攻してきた混乱の中で、家族は波止場を目指し、砲弾、銃声の飛び交う中、逃避行を開始した。しかし、雑踏に呑まれ両親と離ればなれになってしまったジム。彼は租界に戻り、自分の家やその周辺の住居で食料を見つけ食いつないでいたが、ついに1人で租界から出て生きていかなければならないと覚悟する。上海市街をさ迷い歩くうちに、飢えに苦しむジムを救ったのは、ベイシー(ジョン・マルコヴィッチ)とフランク(ジョー・パントリアーノ)のアメリカ人コンビだった。しかしある夜、ジムら3人は日本軍に捕まり、捕虜収容所へと送られる。収容所では両親の友人・ヴィクター夫人(ミランダ・リチャードソン)と出会うが、ジムら捕虜たちは蘇州の収容所へと移されていく。そこではローリング医師(ナイジェル・へイヴァース)から、最後まで生き延びるのが勝利だと教えられる。ジムは日々成長していき、アメリカ捕虜棟のボス格となったベイシーの雑用係として収容所内を忙しく走り回る。日本軍収容所長のナガタ軍曹(伊武雅刀)にも近づき、少しでも多くの食料を受けようとする。そんな時、フェンスを挟んで、空を飛ぶことに憧れる日本人少年(片岡孝太郎)と出会う。時は過ぎ1945年、米空軍ムスタングが収容所を急襲し、戦争は終わろうか思われたとき、ジムは他の人々とともに南島(ナンタオ)まで移動。その途中、ヴィクター夫人も亡くなる。一瞬、東の上空に妖しくも美しい閃光が走った。それは長崎に落とされた原爆の光だった。遠く中国でそれを見ながら、ジムは一人上海を目指し歩きだした・・・・・

(原題 Empire of the Sun/製作国アメリカ/製作年1987/151分/監督スティーヴン・スピルバーグ/脚本トム・ストッパード/原作J・G・バラード)

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太陽の帝国・感想・解説

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<スピルバーグとアカデミー賞>

実を言えば、1981年の時点で「私はアカデミー賞を獲れないだろう」と発言したとされるスピルバーグだが・・・・・・・

Film.jpg
アカデミー賞を巡る悲喜こもごもは数あれど、ディカプリオや、ヒッチコック監督に匹敵する迷走の一端がこの映画には刻まれている。


その思いはこの映画による1987年アカデミー再チャレンジも、結果から言えば、アカデミー賞にノミネートはされるがオスカー像は手にできなかった。

そして実を言えば、この映画の最大の問題は「アカデミー賞」を取ろうと、力が入りすぎたことだったろう。

『カラーパープル』で感触を得たスピルバーグは、更に人間ドラマを強くし、更に舞台を壮大なスケールで描けばイケると思ったのだろうが―


しかし映画というのは難しいもので、物語が必要とするベストバランスの表現量と言うべきものがあって、足らなくとも、過剰でも、見る者の心に届かない・・・・

そんな事実を反映して、この映画は制作費$38,000,000―に対し$22,238,696―の収益しか上げられなかった。
実質的には制作費の半分位しか回収できなかったと言うのは、相当のショックだったのではないかと心配になる。

この映画は、収益でも明瞭なように世間から高い評価を受けていないのは、結局この映画が作られた目的が「アカデミー賞」のためだったからだと思わざるを得ない。

しかし、この過剰な151分は、もっと良くなる映画だと感じるし、もう一度編集しなおすだけで素晴らしい作品に生まれ変わるのではないかと想像する。
そう思うと、つくづく「アカデミー賞の魔力」とは映画人を狂わせる力を持つのだろう・・・・・
1994年アカデミー賞授賞式『シンドラーのリスト』監督賞受賞スピーチ

【大意】プレゼンターはクリント・イーストウッド:たぶん、長時間、心配している5人だろう。私はプレゼンターの権利を得てここにいるが―(言葉を忘れて)誰か教えてくれ、俺にはプロンプターが必要だ。候補者は(紹介ビデオ)では、オスカーの行方は・・・・ビッグサプライズだ!スティーヴン・スピルバーグ
【スティーヴン・スピルバーグ・スピーチ大意】実際の話、僕の友達はもう獲得してるんだ。でも誓うけど、これまでに持ったことはないから、これが初めて僕の手に触れたオスカーだ。(シンドラーの映画ができたのは生存者 Poldek Pfefferbergのおかげだと紹介し、関係者に対する感謝の言葉が続く)今夜ここにいる、妻に感謝したい。昨年の冬92日間に及ぶクラクフ(ポーランド)で、私を助けてくれた事に対して礼を言います。そして、ここにいる私のおかあさん、彼女は私の幸運のお守りです。私はとても、とても、愛しています。そして10億人のTVの視聴者と、TVを見れない600万(ホロコースト犠牲者)の人々に、ありがとう。

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<太陽の帝国のオススメの見所>


なんだかんだいってもスピルバーグ作品。
スケール感と場面の絵作りの力は必見の価値がある。
しかし、物語として伝わりづらいのは、第二次世界大戦といえばナチスドイツや旧日本帝国を「悪」として、その悪に抵抗し闘う「正義」というパターンが多いのだが、この映画はそういう単純な対立になっていないからである。

たとえば、この少年はイギリス人だが「零戦」に憧れる少年だ。
少年が零戦に出会うシーン

そしてその思いは、日本の捕虜収容所で、苦しい生活を強いられても変わらない。
つまりこの映画の中の日本軍とは単純な敵ではない。
それは、少年と特殊な関係を築く、ジョン・マルコヴィッチ演じるアメリカ人捕虜ベイシーも同様だ。

結局この映画における日本軍と、ベイシーとは、この少年が生きるべき世界そのものなのである。
それは大自然が奪いもし与えもするように、その少年を取り巻く「環境との格闘」こそが生きるということだという事実を示していただろう。
empire-boys.jpg

そして、最も高い環境順応力を持つものこそ少年であり、それゆえ主人公の少年は軽々と楽しげに収容所内の現実に適応してみせるのである。

つまりこの少年は英国租界でキリスト教的な倫理で生き、両親と離れてアメリカ人ベイシーに合理主義・商業主義を埋め込まれ、収容所に入って日本軍のもと憧れと恐怖を学んだはずだが、その全てを消化し適応して見せたという事実だ。

そのことが語るのは、個性が粘度のように可塑性を持つ少年期においては、人は何物にもなれると言う可能性を表すものだろう。

つまりはもう一人の少年、日本の軍国少年と同様に、周囲の大人が与えた環境によっては軍国主義者にも易々となりうるのだという証明がここで描かれたものではなかったか・・・・・・・・・
そう思えば戦時下の少年達はどれほどの歪みを持ち得るかを想像すべきだろう。



つまり、たった12〜4年程度で、周囲の大人はその少年を悪魔にも天使にも変ええるのであろう。

結局この映画の日本軍とベイシーが表すのは、大人が作り出す環境を象徴する存在であっただろう。

そして、少年にとってはその少年の周囲だけが世界の全てで、善悪が未確定な精神的な発達状態にあれば、両親がイギリス人のクセにと怒っても「零戦」に憧れを持つように、強いもの、美しいものに、無条件で魂を奪われるものだろう・・・・・・・・・・
P-51!空のキャデラック
零戦好きの少年はアメリカの戦闘機P-51のファンでもある。
更に、英国人医師との対話で混乱を露呈する。

少年ジム:P-51!空のキャデラック!P-51!空のキャデラック(攻撃シーン)/ローリング医師:ジム!屋根から下りろ!ジム!(屋根で)ローリング医師:座れ!座るんだジム!/少年ジム:P-51!何て美しい!俺は触った、俺は触った、すぐ上を飛んでいった。匂いをかいだ、オイルと火薬。/ローリング医師:病院を手伝ってくれ!病院を!/少年ジム:あの滑走路は作るのを手伝ったよね。俺たちも死んだら、他の人みたいに滑走路の下に埋められるんだ。だから俺たちの滑走路だ!/ローリング医師:日本軍の滑走路だ!ジム!あまり考えすぎるな!たくさん考えるのは止めろ!/少年ジム:(泣きながら)両親の顔を覚えていない。お母さんとブリッジをしたのに・・・・お母さんが髪を梳くのを見ていた・・・ダークヘアーだった

この少年は、もはや自分が何物かも不明確だ。
EMPIREOFTHESUN-pos.jpg
日本人と同一視してみたり、P-51に憧れたり、イギリス人としてのアイデンテティーはすでにない。

しかし、それでも環境が求める形に、自分を柔軟に変化させ適応させていく、優れた能力が備わっている。
それは同時に必要とされる自分に自ら変化をする存在だといえる。

つまり人とは、どれほどの悪人であろうと、どれほどの偉大な人物であろうと、少年期の周囲の環境に適応した結果なのであると、この映画は語っているのである。

世界の不幸と混乱も、幸福と栄光も、全て少年の日の集積でしかないとリリカルに描いた映画だと信じる・・・

じつはこの主人公の姿を見ながら、スピルバーグの少年時代を思った。

宇宙を夢見、映画に耽溺して少年時代を経て、そして偉大なフィルム・メーカーに成長したのだろうと想像した・・・・・・

そしてスピルバーグの映画を見た少年達がまた夢を紡ぐのである。

この映画のもう一人の少年クリスチャン・ベールは成長して『バット・マン』になった。
地道に成長し続けてきたのだな〜という保護者目線の感慨を持ちます。(下:クリスチャンベールの過激なデニーロ・アプローチ)

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以降

太陽の帝国ネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。
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戦争は終わりもう一度無人の捕虜収容所に戻るジム少年。
そしてジムは日本人少年と再会し言葉を交わすのだが、ベイシーの仲間によって日本人少年は撃ち殺されてしまう。
泣き叫び憤りをぶちまけるジムは、もう一度少年を生き帰らそうとする。


ジム:原子爆弾。空を覆った白い光は神が写真を撮ったようだった。僕は見た・・・・・・・・・僕がもう一度生き返らせ・・・・誰でも・・・・・僕が生き返らせる・・・・・・/ベイシー:ジム、俺はお前になにを教えた?/ジム:ああ!分かってる!一つのジャガイモのためになんでもする/二人のアメリカ人:(笑って)そいつと3年も一緒に?/ベイシー:ジム行こう父親のところに、一日3度食べてプール付きの―

このシーンとは終戦によって環境が激変し、必死に適応してきた少年達にとって、生きるすべを失ったに等しい「世界の崩壊するような衝撃」を象徴するようなシーンである。
多かれ少なかれ戦時下の子供達に共通の意識だったのではないか。
ジム少年は、自分を創った戦争状況下の少年時代を蘇らせようとするが、それは再び復活し得ないのは明らかだ・・・・・・・・・
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太陽の帝国ラストシーン

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やがてジムは戦災で身寄りが見つからない子供の集まる施設で、両親と数年ぶりの再会をする。
しかし彼は両親の顔も何も覚えていないほだった。

全ての大人は子供だった。
全ての子供は大人の環境によって形成される。
今が子供達にとって良いのかと、大人達は常に問いかけねばならない・・・・・・・・

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posted by ヒラヒ・S at 20:45| Comment(4) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月08日

映画『百万長者と結婚する方法』マリリン・モンローとアメリカの欲望・あらすじ・ネタバレ・ラスト

欲望としてのマリリン・モンロー



評価:★★★★  4.0点

え〜昔々「お金が一番大事」と語る女性がおりまして、「お金より大事な物あるでしょ?」と答えたら、凄い勢いで「キレイゴトを言うな」と罵られたことがありますが・・・・・・・
この映画は、実に「お金が一番大事」と言うことを明瞭に声高に宣言した一本ではあります。

百万長者と結婚する方法・あらすじ


ニュー・ヨークでモデルをする、シャッツィ(ローレン・バコール)、ポーラ(マリリン・モンロー)、ロコ(ベティー・グレイブル)の3人はの夢はお金持ちと結婚すること。百万長者を射とめるため、最高級のアパートで共同生活をはじめた。ロコはスーパーに買出しに行き、ちゃっかりトム(キャメロン・ミッチェル)という青年に買い物の支払いをさせ荷物もちに連れ帰る。しかし、シャッツィはトムの貧相な服装を見て、すぐさま追い出し、ロコに対し紳士と付き合えと叱る。しかし、実は、トムはマンハッタンにビルを所有する大会社の社長だった。トムは何度もにシャッツィを誘いに来るが、彼女はトムを相手にしなかった。ロコがテキサスの富豪J・D・ハンレー(ウィリアム・パウエル)を連れて現われ、三人は、他の富豪も集うパーティーに招待される。その夜、シャッツィはハンレー、ロコは中年富豪ウォルド・ブリュースター(フレッド・クラーク)、ポーラは謎の男性J・スチュアート・メリル(アレクサンダー・ダーシー)とクラブに向かう。
シャッツィは、ハンレーが独身だと知り喜び、ロコはブリュースターが既婚者なのも構わず山の別荘に招待され、眼鏡をかけるのを嫌がるポーラは、メリルがどんな男性かも分からない始末。それでもロコはブリュースターと別荘に行き、青年エーベン(ロリー・カルホーン)に迎えられる。ロコはエーベンとスキーを楽しみ惹かれ合い、彼が山林地帯の地主だと思い込んだのだが、実はただの森林警備隊員だと知りショックを受ける。しかし既に彼女はエーベンを愛していた。
ローラは、アパートの持主フレディ(デイヴィッド・ウェイン)と知り合う。シャッツィはお目当てのハンリイが高齢を理由に去ってしまい、仕方なくトムとつきあう。しかしハンリイが再び表れシャッツィに求婚し、それを受ける。ポーラはメリルの母親に会いアトランティック・シティ行の飛行機に乗るつもりが、近眼だが眼鏡をかけない彼女は飛行機を間違え、カンサス・シティ行に乗ってしまう。その機に偶然フレディが乗っており、二人とも極度の近眼だったので意気投合する。シャッツィはハンリイとの結婚式当日を迎えるが、そこで自分の本当の気持ちに気付く・・・・・・

(原題 How to Marry a Millionaire/製作国アメリカ/製作年1953/95分/監督ジーン・ネグレスコ/脚本ナナリー・ジョンソン/原作ゾー・エイキンス、デール・ユンソン、カサリーン・アルバート)

百万長者と結婚する方法・出演者

ロコ・デンプシー(ベティ・グレイブル)/ポーラ・デベヴォア(マリリン・モンロー)/シャッツィ・ペイジ(ローレン・バコール)フレディ・デンマーク(デヴィッド・ウェイン)/エベン(ロリー・カルホーン)/トム・ブルックマン(キャメロン・ミッチェル)/J・ステュワート・メリル(アレックス・ダーシー)/ウォルド・ブルースター(フレッド・クラーク)/J・D・ハンレー(ウィリアム・パウエル)

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百万長者と結婚する方法・感想・解説

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映画とはその誕生から今日まで、大衆に捧げられた供物(くもつ)だったと思うのです。
それはアメリカ産ハリウッド製映画において、芸術性よりも商業性を優先する作品作りによって、なおさら顕著に表されているように感じられます。

Film.jpg
その作品群は、個人の作家性や作品としての芸術性よりも、明確に観客が望む物を供給するという一点において世界を凌駕しえたが故に、映画のスタンダードとして君臨してきました。

資金を確実に回収するための市場調査と映画製作は、どんな「観客の欲望」に対して、どんな「映画表現」をすれば最も効率よく収益を上げられるかを数値化しえるほど、洗練された「映画製作システム」を作り上げ今日に至ります。

この図式で分かることは、ハリウッド映画が経済学における「マーケット理論」を援用して作品を作っている以上、まず「買い手=観客」のニーズが優先されているという事実です。

つまりは、庶民大衆が望む「欲望=夢」をスクリーンに投影してやることこそ「ハリウッド映画」の本質に他ならないでしょう。

USA-flag.pngそしてこの図式に従って、1945年ごろまで「ハリウッド映画」はアメリカ的な価値観、つまりは保守的キリスト教的な「真・善・美」や「民主主義」「自由と権利」を描いてきたのでした。
つまりはこれらの価値が語られることが、アメリカ国民の「欲望」に適っていたからだと思うのです。


なぜなら、これらの価値が語られた時期とは大恐慌から第二次世界大戦の終結の時期に符号し、アメリカ大衆の幸福とはアメリカ国家の強大さとそのままリンクしていたからです。

そして戦争が終わって、アメリカ大衆が個人の欲望に立ち返っていく時期に「マリリン・モンロー」がスターとして輝きました。


そんな、マリリン・モンローが代弁した「欲望」とは何だったのでしょう?

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この映画はマリリン・モンローが代表する女性にとって、大事なのが「愛」では無く「金」だというメッセージを、ついに口に出して公共の面前で言ってしまった歴史的作品だと、個人的には思っています。

この映画のメッセージは、あまりにも「あからさま」すぎて実際口に出すのも恥ずかしい。

でも、この「欲望」とは、故国で飢えて生きるか死ぬかのギリギリで微かな可能性を求めて移民してきた、アメリカ社会、アメリカ国民の本音ではなかったでしょうか。

しかし世界標準で見れば、欧州やアジアなどの歴史が長い国々では、代々の「金持ち=上流階級」が居て、彼らは(すでに持っているので)お金の価値を語るよりも、文化や芸術について語る傾向にあり、それゆえお金の事を口にするのは「成り上がり者」の下品な人種と言われるため、ブレーキが掛かっていたのかも知れません。


million-three.jpgそのブレーキが、移民によりゼロから作られた、アメリカ社会には希薄だったため、ついに「金」という言葉が口をついて出てしまったように思えてなりません。

その欲望はアメリカ女性にとっての真実であったと同時に、男性にとっても「金」さえあれば、マリリン・モンローのような女性を獲得できることを意味しました。

ここには、アメリカ社会において男女共に個人的欲望を満たすための最も確実な手段が、「金銭」であることが、明確に表現されていると思えます。

million-mari-glass.gif
しかし、この実もふたも無い「欲望表明」は、マリリン・モンローという存在を「セックス・シンボル」としたと同時に、また、当時の女性の「」にもしたように感じます。

当時のアメリカ社会にとっても、それほどスレスレの、あたかもヌードを晒すがごとく、猥らな言葉だったと見るべきでしょう。
トムとシャッツィの食事シーン
トム「君は本気で、お金が自動的に幸福をもたらすと信じてるわけ?」
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こんな「パンドラの箱」を開けられたのは、憎めない無邪気な天使のごときキャラクターを持ったマリリン・モンローであったからこそ可能だったと、この映画を見て再認識したのでした。

しかし、一度口に出してしまい、世間が同様の価値観を共有するようになれば・・・・・・
今や日本でも「お金が一番大事」と口にする女性増えてませんか?
しかし・・・・現代日本で「お金が一番大事」と口にする女性達の顔には、ギラギラした欲望しか感じないんです。

milion-Mari.gif
そんな女性を見るにつけ、ついつい、この映画のモンローと比較してしまうのです。


この映画のモンローは「お金が一番大事(こんなオバカなこと言う私を笑って許してね)」という、エクスキューズがありますから・・・・・・・

欲望を口に出すのは古来ハシタナイ行為とされてきましたから、ホンと口に出すのは・・・・・

マリリン・モンロー位の魅力がないと難しい・・・・・

と金と縁のない私には思えました・・・・・

1953年ハリウッド・プレミア試写会風景

ローレン・バコールの当時の夫、ハンフリー・ボガードも顔を見せている。

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以降の文章には

百万長者と結婚する方法・ネタバレ

百万長者と結婚する方法・ラスト

とを含みますので、ご注意下さい。

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(あらすじから続く)
シャッツィはハンリイとの結婚式当日を迎えるが、そこで自分の本当の気持ちに気付き、トムを愛していることをハンリイに打ち明けた。
トムとシャッツィは結婚する事になり内輪のお祝いには、ロコとイーベン、ポーラとフレディの2組の夫婦も加わったが、その席ではじめてトムが千万長者であることがわかって、3人の女性陣はびっくり仰天しました。
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アメリカが、最高にグレートだった頃の、明るく楽天的な物語・・・・・・・

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posted by ヒラヒ・S at 17:12| Comment(4) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする