2017年11月20日

古典映画『第三の男』サスペンスの名作/第三の意味・感想・解説・批評・受賞歴

映画『第三の男』(感想・解説 編)



英語題 The Third Man
製作国 イギリス
製作年 1949年
上映時間 104分
監督 キャロル・リード
脚色・原作 グラハム・グリーン
音楽 アントーン・カラス


評価:★★★★  4.0点



第二次世界大戦が終わったばかりの、ウィーンは一種の空白地帯だったようで、そこをを舞台に繰り広げられるサスペンス映画です。
アントン・カラスのテーマ曲の響き、モノクロ撮影の美しさ、名優オーソン・ウェールズの存在感、映画史に残る名セリフと名シーンなど、多くの魅力を持った作品だと感じました。

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映画『第三の男』予告

映画『第三の男』出演者

ホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)/アンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)/ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)/キャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)/ペイン軍曹(バーナード・リー)/管理人(パウル・ヘルビガー)/クルツ男爵(エルンスト・ドイッチュ)/ポペスコ(ジークフリート・ブロイアー)/ヴィンクル医師(エリッヒ・ポント)/クラビン(ウィルフリッド・ハイド=ホワイト)

映画『第三の男』受賞歴

1951年開催・第23回アカデミー賞受賞:撮影賞 (白黒部門)
1949年英国アカデミー賞:作品賞(国内部門)
1949年カンヌ国際映画祭:グランプリ第三の男
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映画『第三の男』感想



特筆すべきなのは、その制作年代でしょう。
なんと第二次世界大戦が終わった4年後の1949年製作です。
キャロル・リード監督は第二次世界大戦直後のウィーンを舞台に、戦争の傷跡がそこここに残るウィーンの街で映画を撮影しています。
建物がいきなり砲弾の痕で崩壊していたり、壁に穴が開いていたりするのを見るだけで、もう歴史資料です。そういう意味では、この映画が持つ混沌とした感じは、一種のドキュメンタリーとしての要素を含んでいるように思います。

そんな戦後混乱期を舞台に演じられる、闇物資を巡って起きる犯罪事件に巻き込まれた、アメリカ人作家に起こるスリルとサスペンスの物語です。
この映画の基調は、イギリス伝統の探偵小説が持つ味わいであり、それはヒッチコックのサスペンス映画と共通するものです。
ヒッチコックが好きな人は、ご鑑賞いただければお気に召すのではないでしょうか。
関連レビュー:ヒッチコック・サスペンスの秘密
『汚名』
アルフレッド・ヒッチコック監督作品
マクガフィンというサスペンスの鍵

また、この映画は制作年代を反映してモノクロ映画となっていますが、その光と影の深い陰影を捕えたカメラがと〜っても美しい。
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そしてこの黒白の対比は、物語の錯綜と謎の行方や、正義と悪など、劇としての要素を強く印象付ける、卓越した効果となっています。
それが一番効果を上げているのが、人の影が建物に怪物めいた巨大な姿となって現れるところでしょうか。

この年代はモノクロ撮影の末期という事も合って、光と影だけで表現できる映像について、ある種完成の域にあったのではないでしょうか。
そんなモノクロ撮影のもつ潜在的な力を再発見させてくれる映画でも有ります。

しかし、何より感銘を受けたのは名優オーソン・ウェルズの悪役ハリー・ライムでした。
この金の亡者のような冷酷なアメリカ人を、なんとも魅力的に、愛らしく演じて、この作品の中では決して多くない出演時間ながら、おいしいところを全て持っていきます。
3rd-oson.jpgこのカリスマ的なヒールであれば、アリダ・ヴァリ演じるヒロインでなくとも夢中にならずにはいられないでしょう。
白黒の画面の中で輝くような笑顔と、陰鬱な悪を使い分け、その落差の大きさが単なる悪役にはとどまらない、人間としての業の深さを表しているようです。

これほど魅力的な悪役は、他にちょっと思いつかないほど、強い個性を持っています。
これはたぶん、演出上の力もあるでしょうが、多くをオーソン・ウェールズその人の魅力から、発せられているように思えます。

更に音楽映画史上、最も印象深い曲の一つとして上げられる、アントン・カラスのチター演奏によるテーマ曲が、この映画のドラマに見事に共鳴して響きます。
このボヘミア調のメロディーが、戦後の無国籍な混沌とした世相の哀調を奏で、その軽快なテンポが、本来重苦しくなるはずのこの映画の陰惨な内容を、どこか軽快に中和しエンターテーメントとして提供するのにちょうどいい味わいに変えているように思います。
第三の男のテーマ


実際この映画に「プラトーン」で使われた「弦楽のためのアダージョ」が流れたとしたら、重すぎてこれほどヒットしなかったと想像します・・・・・・
関連レビュー:ベトナム戦争をリアルに描いた映画
『プラトーン』
オリバー・ストーンの自伝的物語
ベトナム戦争の敗北の真実

そんなこの映画は「魅力的な悪役」「完璧なテーマ曲」「完成されたモノクロ映像」「歴史的ウィーン」など見所がイッパイなのです。
じつは、それ以外にも映画史に残る「名シーン」や「名セリフ」が盛りだくさんなのですが、ぜひ本編でお楽しみ下さい・・・・・・・・

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映画『第三の男』解説



ということで終わりにすればいいものを・・・・・・
このタイトル「第三の男」の解釈をしてみたくなりました。
だいたい、つまらないこじつけになるのは眼に見えているのに、悪い癖でスミマセン。

この映画の舞台となった1949年ごろのウィーンは、「ソヴィエト連邦」という共産主義国と、「イギリス・アメリカ・フランス」の自由主義陣営が、その対立が露わになっていた時期です。
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実際、占領政策を巡り先に進駐した「ソ連」と、後から加わった「米・英・仏」両陣営間で、様々な駆け引きが繰り広げられたようです。結局、1953年「ソ連」の書記長ヨシフ・スターリンが死んで、講和が一気に現実化したというのも、象徴的です。


この「空白地帯のウィーン」が表しているのは、戦後ヨーロッパの支配権の不在だったように思います。
3rd-pos1.jpg欧州大陸を占めていたナチスドイツが崩壊したあと、映画内で描かれているように「ソビエト連邦」と「イギリス」が、欧州の覇権を本来争うべきだったはずです。
しかし実際は、戦後ヨーロッパを占めたのは「第三の男=アメリカ合衆国」だったと語られていると思うのです。

この、イギリスで作られた映画で、ヨーロッパを舞台としているにもかかわらず、善悪二人のアメリカ人がこの物語上で主役を勤め、ヨーロッパ各国の登場人物がその二人の周囲で右往左往するのは、そういう理由以外に考えられなかったのです。
これは結局、アメリカの存在が善悪いずれにせよ、ヨーロッパ社会の支配者になったのだという苦い諦念だったでしょう。


3rd_alida.gif更に言えば、悪人のアメリカ人が「金」を求め、善人のアメリカ人が「理想」を語るとき、ヒロインが悪人に惹かれるのは、結局ヨーロッパ社会はアメリカの「金=財政支援」は求めても、「アメリカ的な理念」は拒否するという、明瞭な宣告だったようにも思えるのです・・・・・・・・

・・・・・と言うことで、ヤッパリつまらない解釈になってしまいました。
これ聞いたところで、映画の魅力が上がるとは我ながら思えないという・・・・・・

以後、気をつけます。

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posted by ヒラヒ・S at 17:24| Comment(0) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月17日

古典映画『第三の男』完全再現ストーリー/あらすじ・ネタバレ・ラスト・結末感想

映画『第三の男』(ストーリー・あらすじ 編)



英語題 The Third Man
製作国 イギリス
製作年 1949年
上映時間 104分
監督 キャロル・リード
脚色・原作 グラハム・グリーン
音楽 アントーン・カラス


評価:★★★★  4.0点



第二次世界大戦が終わったばかりの、国際都市ウィーンを舞台に繰り広げられるサスペンス映画です。
この映画は、モノクロの撮影の美しさと、テーマ曲の響きが重なり、ノスタルジーとサスペンスが共鳴し、古典的名作としての品格を持った一本だと感じます。
個人的には、名優オーソン・ウェールズの存在感と説得力に圧倒されました。

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映画『第三の男』あらすじ



第2次大戦終結後の米英仏ソの連合軍四カ国共同占領下のウィーン。
3rd-station.jpgそこは当時、闇商売が盛んな、危険な街だった。
アメリカ人の西部劇作家ホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)は、生活に困り旧友のハリー・ライムから仕事を世話してもらおうとウィーン駅に降り立った。

マーチンスはハリーのアパートを訪ねると、管理人からハリーは昨日自動車事故で死亡したと告げられた。
3rd-funnel.gifマーチンスはハリーの葬儀に参列するため墓地に行くと、そこには3人の立会人がいた。
クルツ男爵(エルンスト・ドイッチュ)と、友人ポペスコ(ジークフリート・ブロイアー)と、美しい女性のアンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)だった。


葬儀の後、マーチンスはイギリス軍キャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)から声を掛けられる。
3rd-bar.jpg彼は英国管轄区の警察組織に所属していた。
バーに入って深酒をしたマーチンスに、キャロウェイはハリーが汚い密売人で、殺人容疑もあると言った。

それを聞き怒ったマーチンスはキャロウェイに殴りかかるが、キャロウェイの部下ペイン軍曹(バーナード・リー )に取り押さえられた。
キャロウェイは飛行機の席を取るから、明日アメリカに帰れと勧告する。

3rd-sergent.jpgペイン軍曹に付き添われて、ホテルにチェックインしたホリー。
そのマーチンスの西部劇小説のファンだと、ペイン軍曹は語った。

マーチンスはそのフロントで呼び止められ、墓にいたクルツ男爵と電話で話し面談の約束をした。
そしてマーチンスは旧友ハリーの潔白を証明するため残ることを決意した。

モーツァルト・カフェで待ち合わせたマーチンスは、クルツ男爵からハリーの死の様子を現場で詳細に聞き出した。
3rd-porter.gifクルツは、事故の際に自分と墓にいた友人ポペスクがいて、事故死したハリーの死体を運んだと説明した。
マーチンスはアパートの管理人(パウル・ヘルビガー)を見つけ、彼にも話を聞こうとするが、なぜかそそくさと立ち去ってしまった。

そして、マーチンスは葬儀に参列していた女性アンナが何者かと尋ねると、クルツ男爵は彼女がハリーの恋人で、女優だと言った。

マーチンスは劇場にアンナを訪ねた。
事件について話すうちに、ハリーに関わる人々が全て現場に終結していることに違和感を感じた。
3rd-apart3.jpgアンナも不思議だとは思ったが、事故が起こりハリーが死んでいるなら、同じことだと語る。
しかしマーチンスは本当に事故があったのかと疑いだした。
そして、ハリーの住んでいたアパートをアンナと共に再度訪ね、管理人から事件当夜の状況を聞く。

すると、現場に男爵クルツと友人ポペスク、そしてもう一人”第三の男”がいた事実が判明する。

3rd-viena.jpg事件を追ううちに、アパートの門衛も何者かに殺され、マーチンスは何者かが自分を狙っているのを感じる。
ホリーは命の危険を感じ、キャロウェイ大佐の元を訪ねると、帰国する決心を伝えた。

そのマーチンスにキャロウェイは、旧友ハリーが粗悪なペニシリンを密売し、病に苦しむ女子供の命を奪った非人道的な犯罪の首謀者であると聞かされた。
絶望し深酒したマーチンスは、次にアンナのアパートを訪ね、別れの挨拶をした。


しかしアンナのアパートからの帰り道、マーチンスは死んだ筈のハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)が、ウィーンの夜の影に居るのを見つけた。
ハリーの登場

3rd-open.jpgマーチンスは必死に追いかけるが、ハリーは見通しの良い広場で、突然消えうせた。
マーチンスは、ハリーに会ったという事実をイギリス軍キャロウェイ大佐に通報した。
警官隊は墓地でハリーの棺を掘りだし、死体を確認した。
その棺におさめられていたのは、ハリーの手下のヨセフ・ハービンという男だった。

その頃、アンナは偽造パスポートを持っていた罪で、ソ連側の警官に連行された。
それを知ったマーチンスはアンナを助けようと、クルツ男爵のアパートに行くと、ハリーに会いたいと求めた。
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そして観覧車で待つマーチンスの元に、ハリーが姿を現す。
ホリーは、アンナがソ連軍の管轄下で逮捕されており、ソ連側と通じているハリーの力で助けられないかと訴える。
それに対しハリーは、アンナを助けるのは無理だと答える。
更にハリーは、アンナをマーチンスが面倒見てくれればありがたいと言った。
そして、ウィーンでは心を許せる者がいないから、マーチンスに仲間にならないかと誘った。
もし、その気ならどこでも指定の場所に行くが、その時は警察抜きにしてくれとマーチンスに警告した。
【映画史に残る名セリフ】
【意訳】ハリー・ライム:ボルジアは30年間で戦争や恐ろしい殺人、ひどい流血があった。でも彼らはミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチやルネッサンスを生んだ。スイスでは友愛による500年の民主主義と平和のもと、作られたのは鳩時計だけだ。じゃあ。

マーチンスは、アンナを助けようとしないハリーの言葉に、ついに友を裏切る決意をする・・・・

(下にネタバレが有ります)

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映画『第三の男』予告

映画『第三の男』出演者

ホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)/アンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)/ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)/キャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)/ペイン軍曹(バーナード・リー)/管理人(パウル・ヘルビガー)/クルツ男爵(エルンスト・ドイッチュ)/ポペスコ(ジークフリート・ブロイアー)/ヴィンクル医師(エリッヒ・ポント)/クラビン(ウィルフリッド・ハイド=ホワイト)
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これ以降

映画『第三の男』ネタバレ

があります。ご注意ください。

(あらすじから)
マーチンスはアンナを助けるなら、ハリーを呼び出し罠にかけるとキャロウェイに約束した。
3rd-cross.png同意したキャロウェイは、アンナをソ連側から引き取り釈放した。
しかし自由の身になったはアンナは、自分が愛する者を売ったマーチンスを裏切り者だと罵った。
そして彼女は、用意されたパスポートを破り捨てた。

マーチンスはアンナの態度を見て、キャロウェイとの約束は無効だと言った。
3rd-anna.jpgしかし、キャロウェイは病院にマーチンスを連れて行き、ハリーがもたらしたその悲惨な様子を見せた。
それを見たマーチンスは衝撃を受け、約束通り囮となって彼をカフェに呼び出した。
しかしその場にアンナが姿を見せ、ハリーが現われた時、彼に警告を発した。

ハリーは危険を知り下水道に飛び込み、地下での追跡と銃撃戦が繰り広げられた。
【下水道の追跡劇】


必死に逃げるが、追いつめられたハリーは、ついにマーチンスの銃弾に倒れた。
そして墓地では、真実のハリーの葬儀が執り行なわれた。

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映画『第三の男』ラスト・シーン


そして葬儀が終わり、マーチンスはアンナを待つ。
しかしアンナは氷のような冷たい顔で、彼の前を通り過ぎていった。

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映画『第三の男』結末感想


ここまで、クールに男を振る女性がカッコいい。
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つまりは、死んだハリー・ライムがたとえ悪魔であっても、一度好きになったら理も非もなく一途に思い続ける純潔と潔癖さがこの歯切れの良いラストを生んでいるのだと思う。

いまどき、ここまで一途に相手を思えるか疑問な気もするが、やはり真剣に相手を想い、そこに殉じようとする姿は、気品に通じるのかと感心したのでした・・・・・・・・・・


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posted by ヒラヒ・S at 17:55| Comment(0) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

ホラー映画『シャイニング』キューブリックの恐怖の系譜/感想・解説・タイトル意味

『シャイニング』(感想・解説 編)



原題 The Shining
製作国 イギリス
製作年 1980
上映時間 119分
監督 スタンリー・キューブリック
脚色 スタンリー・キューブリック、ダイアン・ジョンソン
原作 スティーヴン・キング


評価:★★★★★ 5.0点



スティーブン・キング原作の『シャイニング』を原作とするこの映画は、しかし原作とはまるで別の世界観を持っていると感じます。
そこにあるのは、映像作家キューブリックが開いた新たな「ホラー」の地平線だったように思います。
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『シャイニング』予告

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『シャイニング』出演者

ジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)/ウェンディ・トランス(シェリー・デュヴァル)/ダニー・トランス(ダニー・ロイド)/ディック・ハロラン(スキャットマン・クローザース)/スチュアート・アルマン(バリー・ネルソン)/デルバート・グレイディ(フィリップ・ストーン)/ロイド(ジョー・ターケル)/医師(アン・ジャクソン)
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『シャイニング』タイトル意味

タイトルの「シャイニング=輝き」とは、劇中で語られる超能力の呼び名です。
ホテルの料理長ハロランは、超能力の持ち主で子供の頃から祖母と心で会話でき、その能力のことを「シャイニング」と祖母が呼んでいたとたと語ります。
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(上:彼女はシャイニングと呼んでいた。)
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『シャイニング』感想



この作品にある恐怖とは、次に何が起こるのか分からない不確定性と、場面場面の名状しがたい歪んだ表現の集積としてあると感じる。
その、不穏な表現を可能にしたのは、ビジュアルの持つ圧倒的な「ユニーク性」「新奇感」を持っていたからだと思う。
エレベーターホールのシーン

たとえば、上のシーンは映画内にイメージとして放り込まれる。
その時、このシーンは説明的な意味を持たない分、人間の無意識を直接刺激し恐怖を呼ぶように思う。
shin-cubr.jpgつまりは、恐怖とは予期し得ない、理解し得ない危険なのだと、この映画の突発的な映像が語っているように思う。
しかし説明を十分尽くさない映像で、物語を表現できるのは天才キューブリックだからこそ成し得る力技だ。(右:スタンリー・キューブリック)

なぜなら一瞬の映像が持つ圧倒的な力がなければ、見る者は意味不明の映像の羅列に理解不能となり、ついには拒否反応を生じざるを得ないからで、生半可の映画監督には出来る事ではない。
実際見てみると驚くことに、これだけの恐怖を感じさせる映画でありながら、その主人公の殺人シーンは一件だけだ。
つまりほぼ事件らしい事件が無いにもかかわらず、スプラッタ映画やゴーストに満ちたホラー映画にも増して、恐怖を表現しているのは、真に驚くべきことだろう。
そういう意味で、スタンリー・キューブリック監督の映像に関する偏執的とも思えるこだわりによって作られた、そのイメージが観客を掴んで離さなかったからこそ、この映画の表現が可能になったと信じる。
キューブリックの画作り
shinig-here.gifジャケットにも採用された、この映画の象徴ともいえるジャック・ニコルソンの狂気に満ち満ちた顔を撮るためにキューブリックはわずか2秒程度のシーンを2週間かけ、190以上のテイクを費やした。(wikipediaより)
更には、襲われる方のシェリー・デュバルの方も3日をかけ、60枚のドアを壊したという・・・・・

やはり天才の、飽くなき映像への執念が、この映画の恐怖を作ったに違いない。

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『シャイニング』解説

恐怖映画の系譜


そもそも、映画の歴史は怪奇・恐怖と共にあった。
サイレント映画の時代の、『ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』から始まって、映画に取ってホラーとは常に重要なモチーフであった。
しかしかつてのホラーは「神と悪魔」をその世界観としていただろう。

しかし時代が下って、ホラーの革新とも呼ぶべき作品が1960年の『サイコ』だった。
この映画は、サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督が撮ったことでも判るように、従来の霊や悪魔に依らない、人間が恐怖の主体であると描いた作品だった。

関連レビュー:サイコホラーという恐怖
『サイコ』
アルフレッド・ヒッチコック監督作品
新たな恐怖の誕生

この映画『サイコ』で描かれたのは、「恐怖の源泉」が人間自身だという、無神論的な主張であったと思えてならない。

個人的には、恐怖の源が人間だという主張を、さらに明瞭に示したのが1968年公開の、初のゾンビ映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』だと信じている。
この映画で語られたのは、壊れた、崩れた人間こそが恐怖なのだという明確な宣言ではなかったか。

関連レビュー:ゾンビ映画の意味するモノ
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』
ジョージ・A・ロメロ監督作品
ゾンビの誕生

つまり現代に近づくにつれて、「恐怖」とは悪魔や霊が作り出すというゴシック的な物語から、人間自身がその主体になって「恐怖」を生み出すという近代的物語へと、遷移して来たといえるだろう。
そしてその変化とは、基本的には科学知識の累積により、宗教的な敬虔さが失われていく過程と、比例していると思われる。

しかし、そんな「人間主体の恐怖=近代的恐怖=科学的恐怖」が世界を覆った時、再び宗教的な悪魔や霊を、現代の風景の中に復活させた者こそ、スティーブン・キングの小説群であったと感じる。
スティーヴン・エドウィン・キング(Stephen Edwin King, 1947年9月21日 - )は、アメリカのモダンホラー小説家。shin-stephan.jpg
1974年に長編『キャリー』でデビュー。ジャンルはホラーであるにもかかわらず、舞台は主にアメリカのごく平凡な町で、具体的な固有名詞をはじめとした詳細な日常描写を執拗に行うのが特徴。その作風から、従来の「非現実的な世界を舞台とした、怪奇小説としてのホラー」とは異なる「モダン・ホラー」の開拓者にして第一人者とされる。(wikipediaより)

もちろん、スティーブン・キング自身も、近年に獲得された恐怖、サイコスリラーや、超能力という、ゴシックホラーが持たなかった要素を取り入れてはいるが、宗教的恐怖と近代的恐怖が混合されて形成されているのは間違いない。
そして、その物語の根底には、宗教的な勧善懲悪というゴシックホラーにも共通の世界観があるように思えてならないのだ。

そして、原作の「シャイニング」が持つ、そのゴシックホラー的な道徳律の一点において、この映画と本質的に相容れない世界観となっていると思える。

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『シャイニング』評価


この映画に満点の評価を下したのは、未来永劫、人間が存続し続ける限り、この作品が見る者にとって恐怖であり続けるだろうと思えるからだ。
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もし、その効力が永遠だとすれば、この映画が伝統的な宗教観や道徳律に乗っ取っていないことから考えれば、それは道理や理屈による恐怖ではないはずだ。

それらの、人間が培ってきた概念を超えた恐怖とは何か。
それはむしろ人間という種になる以前の、生命体としての恐怖を刺激しているのだと思えてならない。
そんな本能的な恐怖を呼び覚ますために、キューブリックが使ったのが「映像=視覚情報」だった。

その映像シークエンスの集積は、慎重に、極力、説明を排除し、発信される。
それは、いくつかある編集版(コンチネンタル版)より、決定版の方がより説明的な内容が削られている事でも明らかだろう。
ここにあるのは、観念や哲学・宗教が、世界の混乱を整理するためにあるとすれば、その真逆のアプローチだったはずだ。
つまりキューブリックは、映像を用いて、世界に原初の混乱を再現して見せたのだ。

それゆえ観客は、自らを守ってくれる観念的な規則や法則を奪われ、有り得る別の世界を眼にして恐怖を感じるのに違いない。

そして、それはキューブリックが映像という映画表現の核を使って、世界を「感覚的に再構築」し得ると告げてるようにも思える。

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posted by ヒラヒ・S at 17:18| Comment(0) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする