2017年06月18日

『戦場にかける橋』実話を元にした日本軍捕虜収容所/感想・解説・実話・死の鉄道

『戦場にかける橋』(感想・解説 編)



原題 The Bridge on the River Kwai
製作国 アメリカ
製作年 1957
上映時間 162分
監督 デイヴィッド・リーン
脚本 デイヴィッド・リーン、カルダー・ウィリンガム
原作 ピエール・ブウル

評価:★★★★  4.0点



この映画は、クウェー川にかかる日本軍の橋を、英国軍捕虜が作り上げる物語です。
史実を元としておりますが、当時の映画産業のコンテンツとして、万人向けに口当たりを良く描かれており、 ‎「泰緬鉄道=死の鉄道」という実態とはかけ離れているようにも思います。
この映画は、第二次大戦後初の「反戦映画」ではないかと思います。
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『戦場にかける橋』予告


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『戦場にかける橋』
感想


この映画には、3ケ国の人間が主要人物として現れます。
最初に現れるのは、アメリカ兵の捕虜、ウィリアム・ホールデン演じるシアーズで、彼は墓を掘りながら死者からライターをくすね、日本兵との交渉材料として、うまく立ち回ります。
次に現れるのは、イギリス軍の捕虜の指揮官、アレック・ギネス演じる二コルソン大佐です。
かれは、誇り高く、自らの信念を曲げない男として描かれます。

そして、そのニコルソン大佐と対峙するのが、日本軍捕虜収容所長、斉藤大佐です。
卑怯者条項

【意訳】(士官も働けと言い)斎藤:捕虜囚人は道具を持て。/ニコルスン:ブラッドレー戻れ。斉藤大佐、注意を喚起したい。ジュネーブ協定第27条には"交戦国がその捕虜を使役する時は、士官を除き・・・・"/斎藤:本をよこせ。/ニコルスン:英語は読めますか。/斎藤:君は日本語が読めるか?/ニコルスン:いえ読めませんが、得意な者に訳させます。規則にある通り―(殴る)皆、列に戻れ。/斎藤:私に規則の解説か。何の規則だ!卑怯者の規則だろ!我が武士道の規則を知っているか。貴様に指揮官の資格はない!/ニコルスン:文明国の規則に従わないなら、あなたの命令に従えない。士官の労役は拒否する。/斎藤:そうかな。全捕虜は作業にかかれ。/ニコルスン:曹長皆を現場に先導せよ。/曹長:道具を持て。

上のシーンのあと、斎藤はニコルスン達を営倉(懲罰牢)に入れ、屈服させようとします。
更には、脅したり、すかしたり、怒り、あらゆる手を使った果てに、遂には斎藤はニコルソンに屈服し、泣きます。
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Kwai-pos1.jpgこのイギリス映画にあるのは、イギリス軍の誇り高さと、日本軍の残虐性と一種の稚拙さ、アメリカ軍の狡猾さが描かれているように思います。
このアメリカ軍の描き方は、シアーズが捕虜収容所から脱走することも含め、なんとなく義務を放棄し利益だけを得るという雰囲気も感じられたりします。

それは、第二次世界大戦後に明確になった、大英帝国の没落と、アメリカ合衆国の興隆の姿が反映されていると思えてなりません。
苦闘を続けたイギリスから見れば、後から参戦しながら結果的に一人勝ちとなったアメリカに対し、どこか納得いかない、そんな思いがこの映画にも見え隠れしている気がします。

しかしそんな皮肉な見方をしなければ、この映画の主軸は敵同士であるイギリス軍と日本軍が、対立を超え橋の建設という共通目的に向かい、相互理解に向かうと見るのが自然だと思います。
相互理解の象徴シーン
【意訳】斉藤:美しい/ニコルスン:ああ、美しい。いい出来上がりだ。想像以上だ。/斉藤:素晴らしい建築だ。/ニコルスン:私は明日で28年に渡って戦争と平和の間にいた。その間、家にいたのは10ヶ月もないだろう。いい人生だったと思う。インドを愛している。その人生に悔いはない。だが時として、ある日人生が終わりに近いと気付き、人生の最終的な意義を考えることがある。何か意味があったかと。結局、何の価値もないのではないかと。他の人生だったらどうかと。それが健全な考えかは分からない。しかし時として競争心から他の者と較べてみたりした。でも今夜、今夜は(指揮棒を落とす)しまった。戻らなければ・・・・兵達が余興を準備しているらしい。

この物語で描かれたのは、例えばホロコースト映画にある戦争犯罪を糾弾するという論調ではありません。
むしろ、たとえ敵味方に分かれていたとしても、協力して建設的な関係を築けるはずだという、人類愛と調和を謳ったストーリーだろうと感じます。

そして、同時にそんな人類愛の理想を打ち砕く狂気こそが戦争なのだと語られていると思います。
そういう意味では、第二次世界大戦後初の「反戦映画」だと思います。
またその「反戦映画」がイギリスによって作られたのは、戦争によって疲弊し世界の盟主から滑り落ちた、大英帝国の本音だったのではないでしょうか・・・・・・

関連レビュー:反戦映画の名作
『ジョニーは戦場に行った』
四肢を喪いベッドに横たわる兵士の悲劇
ダニエル・トランボ監督

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『戦場にかける橋』解説
早川雪舟、アレック・ギネス


この映画には、日、英の2大俳優が出演しています。
一人はイギリスの名優、アレック・ギネス。
アレック・ギネス(Sir Alec Guinness, CH, CBE、1914年4月2日 - 2000年8月5日)は、イギリスの俳優。
演技に興味を持つようになり、オールド・ヴィック・シアターの舞台に立つようになった。第二次世界大戦後に本格的に映画に出演し始め、1964年には舞台『Dylan』でトニー賞を受賞。イギリスきっての名優として知られるようになった。『The Horse's Mouth』でヴェネツィア国際映画祭 男優賞、『戦場にかける橋』でアカデミー主演男優賞を受賞。1980年には名誉賞も受賞している。また、『アラビアのロレンス』のファイサル王子や『スター・ウォーズ・シリーズ』旧3部作(エピソード4〜6)でオビ=ワン・ケノービ役を演じたことでも知られている。
アレック・ギネス賞賛動画

第52回アカデミー賞・名誉賞受賞シーン
【ダスティン・ホフマン紹介スピーチ大意】
アレック・ギネスに関し生まれ育ちを語り、俳優としての経歴を語る。舞台を見た、デヴィッド・リーン監督が映画「大いなる遺産」に起用し、数々の映画に出演。この1、2週間彼の映画をみたが画家のような演技者だと感じた。ローレンス・オリヴィエは5つのキャラクターを持てと言ったが、アレック・ギネスは他の方法を証明する。大いなる名誉を感じながら紹介する(作品名を連呼し)彼の仕事を愛しているといいギネスを呼び込む。

【アレック・ギネスのスピーチ意訳】
紳士淑女のみなさん感謝いたします。そしてホフマンさん、多大な惜しみない言葉と君の広範な調査作業に、感謝します。五週間前にアカデミー協会からこの名誉に関し電報で伝えられ、その衝撃から回復するのに時間がかかりました。しかし、私の驚きと喜びがこんなにも続くと思いませんでした。皆に感謝する時間はないが、監督、脚本家、そして我が人生を幸福にしてくれた、若い頃のヒーローだった素晴らしいハリウッドスターを含めた、役者仲間に感謝します。
ご承知だろうか、47年前演劇の学生だった頃、私は恐るべき女教師から"映画技術"という授業を受けた。そして、彼女は4フィートの大きな四角い木枠と共に登場し、我々の顔の前に置きクローズアップだといった。そして、その時彼女は吠えた。恐怖を、歓喜を、絶望を見せろと。
そして、すぐに笑いや他の二つも、仲間の生徒と学んだ。その時、騙されたようなものだが、映画のキャリアーを重ねるにつれ、結局、賢い方法は何もしないことだと知った。それから、多かれ少なかれそうしてきた。
私はこれは詐欺行為だと思うが、私の表情に何も浮かばなくても、私は親愛なる暖かい心遣いと大きな親切に感謝しています。そして、もう一度ダスティンに感謝します。これを持てて良かった。感謝します。お休みなさい。


そして、日本出身のサイレント時代からのハリウッドの大スター。
早川雪舟。

早川 雪洲(はやかわ せっしゅう、海外名:セッシュー・ハヤカワ(Sessue Hayakawa)1886年6月10日 - 1973年11月23日)は、日本の俳優。1907年に21歳で単身渡米し、草創期のハリウッドで映画デビューし一躍トップスターとなり、彼はアメリカとヨーロッパで主演男優としてスターダムにのし上がった最初のアジア系俳優。ハリウッドで最初の男性セックスシンボルの1人になって、晩年の『戦場にかける橋』(1958年)でアカデミー助演男優賞にノミネートされるなど半世紀以上にわたって活躍した国際的映画俳優。
早川雪舟・賞賛動画

早川雪舟伝説
@草創期のハリウッド・スターとして「悲劇のハヤカワ、喜劇のチャップリン、西部劇のハート」と呼ばれた。
Aハリウッドに4階建て32室のスコットランド風の大豪邸を構え、「グレンギャリ城」と呼び、金色の車を乗り回した。
B雪舟の映画を見に行く女性ファンは「雪舟に会うから」と化粧をして行った。
C雪洲は100万ドルの融資を受けて自身の映画会社ハワース・ピクチャーズ・コーポレーション(Haworth Pictures Corporation)を設立した。
Dブロードウェイの舞台『タイガー・リリー』を成功させ、た雪洲はブロードウェイで主役を演じた最初の日本人となる。
Eイギリス国王ジョージ5世が王室主催の「コマンド・パフォーマンス」に雪洲を招聘し、御前公演『神の御前に』『サムライ』の2演目を演じた。
F雪洲はモンテカルロのカジノで、500万ドルもの大金をすった。
G第二次世界大戦終結後に、雪州はパリで細々と暮らしていた。その雪洲をアメリカに呼び戻したのが、彼の大ファンだったハリウッドスター、ハンフリー・ボガート。
Hハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにその名前「Sessue Hayakawa」が刻まれている。

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『戦場にかける橋』解説
泰緬鉄道建設


Kwai-pos2.jpg
この映画の舞台と成ったのは、日本軍が第二次世界大戦中に建設を進めた泰緬鉄道です。

作品中では、1958年の映画ということもあり、家族で見ても楽しめるというハリウッド映画の良識規定「ヘイズ・コード」に則り、刺激を減じた表現になっていると感じます。
また、この映画のテーマ「反戦」を際立たせるためには、現実の泰緬鉄道の建築状況を描いては、決して説得力のある物語にならなかったと思います。

それほど、日本軍の推し進めたこの工事は悲惨で困難な鉄路建設作業だったのです。

泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、第二次世界大戦中にタイとビルマ(ミャンマー)を結んでいた鉄道。旧日本陸軍によって建設・運行されたが、戦後連合国軍によって部分的に撤去され、現在はナムトックサイヨークノイ停車場で途切れている。
kwei-Death_Railway.png日本軍の公式名称は泰緬連接鉄道。英語名称は「Thai-Burma Railway(またはBurma Railway)」だが、大量の死者を出した過酷な建設労働から英語圏ではむしろ「死の鉄道(Death Railway)」の名で知られる。
戦時中の1942年、旧日本軍は海上輸送の危険を避け、またビルマ戦線の物資輸送のためのルートを確保するために建設を開始した。建設の作業員には日本軍1万2000人、連合国の捕虜6万2000人(うちイギリス人6904人、オーストラリア人2802人、オランダ人2782人、アメリカ人133人の合計1万2621人が死亡)のほか、募集や強制連行による「ロウムシャ」と呼ばれた労働者 ➖ タイ人数万(正確な数は不明)、ミャンマー人18万人(うち4万人が死亡)、マレーシア人(華人・印僑含む)8万人(うち4万2000人が死亡)、インドネシア人(華僑含む)4万5000人が使役された。
建設現場の環境は劣悪でいわゆるタコ部屋労働であり、特に工事の後半の1943年には翌年のインパール作戦に向けての準備に加え敵潜水艦によって海上輸送が困難になったため雨季にもかかわらずさらなる迅速さが要求され、食料不足からくる栄養失調とコレラやマラリアにかかって死者数が莫大な数に上り、戦後に問題となった。(wikipediaより)


この線路の目的は日本軍の戦争遂行上、制海権、制空権の喪失を、陸上輸送に頼らざるを得ないための、無理な工事が原因であり、そのために連合国の捕虜6万2000人の内1万2621人の尊い命が喪われたのです。
kwei-cross.jpg
更に、それ以上に責められるべきは、民間人である周辺国の人々を「ロウムシャ」として、強制連行を含み使役し、タイ人数万、ミャンマー人18万人、マレーシア人8万人、インドネシア人4万5000人を動員し、8万人もの人々を死に追いやった事です。

アジア解放という旧日本軍のスローガンも、この事実の前では空しく響くように思います。

関連レビュー:日本軍捕虜収容所の映画
『戦場のメリークリスマス』
捕虜収容所の東西対決
大島 渚 監督

関連レビュー:日本軍捕虜収容所の映画
『不屈の男 アンブロークン』
収容所の不屈の男
アンジェリーナ・ジョリー監督
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『戦場にかける橋』
受賞歴

第30回アカデミー賞:作品賞/監督賞/脚色賞/主演男優賞/撮影賞/作曲賞/編集賞
第15回ゴールデングローブ賞:ドラマ部門作品賞/監督賞/ドラマ部門男優賞
第11回英国アカデミー賞:総合部門作品賞/国内部門作品賞/国内部門男優賞/脚本賞
第23回ニューヨーク映画批評家協会賞:作品賞/監督賞/男優賞
第31回キネマ旬報ベスト・テン:外国語映画部門第5位

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2017年06月16日

戦争映画『戦場にかける橋』再現ロードショウ/詳しいストーリー・あらすじ・動画

『戦場にかける橋』(ストーリー・あらすじ編)



原題 The Bridge on the River Kwai
製作国 アメリカ
製作年 1957
上映時間 162分
監督 デイヴィッド・リーン
脚本 デイヴィッド・リーン、カルダー・ウィリンガム
原作 ピエール・ブウル

評価:★★★★  4.0点



この映画は、クウェー川にかかる日本軍の橋を、英国軍捕虜が作り上げる物語です。
史実をもととし、日本軍の捕虜収容所内における、日・英の戦いも見ごたえがあります。
しかしそれ以上に、対立を超えて到達した男たちの誇りと、戦争の無残さが描かれ、アカデミー賞他、各国の映画賞に輝いた作品です。

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『戦場にかける橋』あらすじ



第二次世界大戦中の1943年。タイとビルマの国境付近にある、日本軍・第十六捕虜収容所には十字架が並んでいた。
そこで、墓穴を掘るアメリカの海軍中佐シアーズ(ウィリアム・ホールデン)と同僚は、死者の遺品のライターを差出し、日本兵に煙草をせびり、傷病者扱いにしてもらえないかと交渉している。
kwai-cross.jpg

激しい鉄道建設の労役で、死者が累積する一方だからだ。苦役を逃れつつ、脱走の機会を慎重にうかがっていた。
そんな収容所に、インドで日本軍に降伏した、英国陸軍ニコルスン大佐(アレック・ギネス)を隊長とする英軍捕虜の一隊が送られてきた。


kwai-sessyu.gif
収容所所長の斎藤大佐(早川雪洲)は、早速イギリス軍捕虜に対し、この収容所は柵も鉄条網もないが、脱出したものはいないと釘を刺した。
そして、バンコック・ラングーン間を結ぶ、泰緬鉄道を貫通させるためのクウェー河の橋梁の建設に、必死で働けば待遇を良くすると伝えた。
そして、橋梁完成期日が迫っているため、当収容所では捕虜全員に労役を課すと告げた。
しかし、ニコルスン大佐はジュネーブ協定を盾に、将校は監督や指揮をしても、兵と同様の労役従事はできないと拒否した。
その日は到着初日という事で解散となった。

kwai-meeting.png
その夜に士官会議が開かれ、アメリカ軍士官としてシアーズ中佐も同席した。

ニコルスン大佐は、兵隊の意欲を奪わないために建設作業の指揮は、日本軍ではなくイギリス軍士官が行うと確認した。
会議の中脱走の話が出て、シアーズは働いても過労死するのだから、一か八か脱出した方が良いと言う。
しかしニコルスンは、シンガポールで司令部から降伏命令があった以上、脱走は軍規違反だと語り反対した。
翌朝、斉藤は技師である三浦中尉の指揮下で5月12日までに橋の建設を終えよと命令を伝えた。
kwai-saito.jpg
そして重ねて「将校も労役に参加せよ」と告げた。
再び、ニコルスンはジュネーブ協定違反だと抗議した。
kwai-gun.png
斎藤は、機関銃による銃殺を命じようとしたとき、軍医であるクリプトン(ジェームズ・ドナルド)が療養棟から飛出し「非武装の者を射殺するのか」と斉藤に詰め寄る。

斉藤は宿舎の奥へと姿を消し、士官たちはその場に残された。
一日炎天下に立たされたニコルスン達は、それでも斉藤の命令に従うことはなかった。
kwai-sun.gif
遂に日が西に傾き、将校全員がトタンの狭い営倉(懲罰牢)に入れられた。
首謀者のニコルスンは「オーブン」と呼ばれる、過酷な営倉に1人監禁された。
その夜、シアーズは仲間2人と収容所を脱走したが、日本兵に発見されシアーズを残し射殺された。

ニコルスン達士官はその後も営倉から出られず、イギリス軍捕虜たちは現場でサボタージュをし、架橋の予定は遅々として進まなかった。
kwai-clipton.jpg斉藤は軍医クリプトンを呼び、営倉に行きニコルスンを説得せよと求めた。
もし、士官が働かないなら傷病兵をかり出すしかないと通告した。
ニコルスンの回答は「斉藤の要求は『脅迫』で、それに従うのは主義に反する」というものだった。

一向に進まない工事の遅れの原因は、工事責任者三浦中尉にあるとして、イギリス軍兵士の前でその解任を斉藤は発表した。そして、明日からは自分が工事の指揮を執ると述べた。
しかし直接、斉藤が指揮をとっても工事は進捗しない。
ついにある夜、斉藤はニコルスンを連行させ、夕食としてコンビーフやウィスキーを振舞い、懐柔しようとするがニコルスンはこれも拒否した。
ついに斉藤は、3月10日の陸軍記念日に、ニコルスンを含めた将校全員を宿舎に帰す恩赦を与えると言った。斉藤はさらに、将校は労役に就かなくてもよいと伝えた。
斉藤の屈服

斎藤:どうして今日が休みかわかるかね?/ニコルスン:時間の感覚が喪われたようで恐い/斎藤:我が日本がが1905年ロシアに偉大な勝利を上げた日だ。日本ではこの日を皆で祝う。めでたい日だから、君の部隊にも休日を与えよう。/ニコルスン:大変感謝します。/斎藤:私は恩赦を宣言する。君と君の部下を宿舎に戻す。この恩赦の一部として・・・・士官が労役に課すことを免除する。/イギリス兵:やったぞ!

ついに斉藤は、ニコルスンに根負けしたのだ。
捕虜たちは一斉に士官の元に群がり、ニコルスンらを担ぎお祭り騒ぎだった。
その声を聴きながら、所長室で斎藤は屈辱に泣いた。

kuwai-sisatu.png
ニコルスンが建設現場を見てみると、建設工事のサボタージュに慣れた兵は規律を失い、ゆるみきっていた。

ニコルスンはもう一度軍として規律を取り戻させるのが士官の仕事だと、部下に語る。
そして建設地を視察し「野蛮人どもに西洋文明の理論と効率を教え、奴等に恥をかかせてやる」と言った。

日本軍との工事会議の席で、イギリス軍の建築知識と労働管理の専門的知見から意見し、斉藤から工事の主導権を握った。

そのころ、脱出に成功したアメリカ海軍中佐シアーズは、英国陸軍の療養所にいた。
kwai-senkoku.jpg
そこで英国軍ウォルデン少佐より、クウェー河に潜入し、日本軍の橋を爆破する特殊作戦を聞かされる。
そしてシアーズは、その行程を知っている唯一の人物として道案内を求められた。
しかし、シアーズはもう数日でアメリカに帰る予定を告げ、抵抗し、行かないと拒絶する。
ウォルデンは、アメリカ軍に照会した所シアーズという中佐はいない、アメリカに帰れば階級詐称の罪に問われると告げ、しかし作戦に志願してくれれば英雄として、少尉の階級を与えると約束した。
本当は二等水兵だったシアーズは、拒むことができずに、再びジャングルに戻る。

クウェー河の工事の現場でニコルソンは、捕虜たちを監督叱咤し、兵士としての誇りを再度取り戻させるように努めた。
kwai-dr.jpg
軍医のクリプトンは日本軍の鉄道をなぜ助けるのかと疑問をぶつける。
それに対し、ニコルスンは「君は軍の事を知らない」と言い、「目的を持たなければ軍は機能しない。橋の建築こそが、軍としての誇りを示すものだ」と答えた。
そして出来上がった橋が、奴隷のような囚人の手ではなく、英国兵によって作られたことを証明するのだと言った。

そして、ニコルソンは工事の遅れを傷病兵まで動員してカバーし、遂に橋は完成した。
完成した橋で夕日を眺めるニコルソン。
そこを通りかかった斉藤所長に、彼は「人生が有意義かどうか考えることがある。しかし、この橋によってその疑問から開放された」と語った。
kwai-sunset.jpg

その夜イギリス軍の捕虜宿舎では、盛大なパーティーが開かれ、兵も士官も達成感に溢れ沸き立っていた。
kwai-exp.png最後にニコルソンは訓示し、捕虜となり誇りを失っていた兵の名誉が取り戻され、敗北を勝利に変えことができたと話した。
そしてイギリス国歌の合唱が、収容所の夜空に響いた。

しかしその頃、橋の橋脚では、シアーズらの手で爆破のための作業が着々と進んでいた。
そして、翌日の列車開通に合わせ、橋を爆破する準備は整ったのだった・・・・・・・


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『戦場にかける橋』予告


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『戦場にかける橋』出演者

シアーズ中佐( ウィリアム・ホールデン) /二コルソン大佐(アレック・ギネス)/ウォーデン少佐(ジャック・ホーキンス)/軍医クリプトン(ジェームズ・ドナルド)/グリーン大佐(アンドレ・モレル)/ジョイス(ジェフリー・ホーン)/斉藤大佐(早川雪洲)/リーヴス大尉(ピーター・ウィリアムズ)/ヒューズ少佐(ジョン・ボクサー)/グローガン(パーシー・ハーバート)/ベイカー(ハロルド・グッドウィン)/兼松大尉(ヘンリー大川)/三浦中尉(勝本圭一郎)

関連レビュー:クウェー河捕虜の手記から作られた秀作
『レイルウェイ』
真田広之とコリン・ファース主演
イギリス軍捕虜と日本軍収容所の日本人の戦後。


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2017年05月18日

『マイ・レフトフット』脳性まひ芸術家・奇跡の実話/ネタバレ・ラスト・結末感想

マイ・レフトフット(ストーリー・あらすじ編)

原題 My Left Foot
製作国 イギリス
製作年 1989/上映時間 119分
監督 ジム・シェリダン
脚本 ジム・シェリダン、シェーン・コノートン
原作 クリスティ・ブラウン

評価:★★★☆   3.5点



この映画は実在のアイルランド人芸術家、脳性小児麻痺を患うクリスティ・ブラウンの物語です。
ここにあるのは、障碍者にとって生きるということの、真の意味の問いかけがあるように思います。
しかし、この映画に描かれなかったクリスティーの人生を考えた時、映画で伝記を伝えることの難しさを、考えずにはいられません。

『マイ・レフトフット』
予告動画


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『マイ・レフトフット』
キャスト・出演者

クリスティ・ブラウン(青年期:ダニエル・デイ=ルイス、少年期:ヒュー・オコナー)/母:ブリジット・ブラウン(ブレンダ・フリッカー)/父:パディ・ブラウン(レイ・マカナリー)/アイリーン・コール(フィオナ・ショウ)/キャッスルウェランド卿 (シリル・キューザック)/ピーター (エイドリアン・ダンバー)/看護師メアリー・カー(ルース・マッケイブ)

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以降の文章には

『マイ・レフトフット』ネタバレ

がありますご注意ください。
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(あらすじから)
クリスティーは失恋の失意から自殺を企るが、不自由な身体ではうまくゆかなかった。
そしてベッドで布団にくるまり、一日中抜け殻のようにそこにいた。
そんなクリスティーを見て、母が言葉を掛ける。
母の励まし

【意訳】母:起きな、クリスティー。お前に起きた悪い事は、全部私が作ったようなもんさ。お前もお父さんとおんなじで、外見では威勢が良くても、心の中では怯えている。戦いに勝たなくちゃ。パブで若い者の前で虚勢はって、イキがってないで。いいかい、もしお前があきらめたって、私はあきらめないよ。/クリスティー:何考えてるの母さん。/母:部屋でも作れば、やる気が出るだろう。/クリスティー:狂ったの?/クリスティー:一人でだって、画家でやってけるさ。私たちはお終いじゃないよ、クリスティ・ブラウン。時々お前の傷ついた足と、私の足を喜んで換えてやりたいと思うよ。何が問題なんだ、クリスティー/クリスティー:ごめんなさい。かあさん。/父:いったい何をおっぱじめたんだ。/母:クリスティーの部屋を立ててやるのさ。/父:これ見ろよ。/兄弟:クリスティーお前は偉大な画家だが、レンガ積みの腕はまだまだだな。/父:よしお前らもっとレンガもってこい。(以下、父と息子の競争だと言って、家族揃って部屋を建てる。母は息子たちに父親に花を持たせろと言った)

母は出来た部屋を見て、クリスティーにこれは「父の愛」だと言った。
そんな父が1957年に死に、パブで葬式後の清めをしていると、他の客に文句を言われ喧嘩となった。
Foot-pubFight.png

foot-type.pngそんなクリスティは画家としての活動に加え、左足一本でタイプライターを打ち、自伝『マイ・レフトフット』を書きベストセラーになった。

そんな彼の元を、脳性小児麻痺の専門医アイリーン・コールが訪ね、慈善バザーへの参加を依頼した。
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『マイ・レフトフット』
ラスト・シーン

バザー会場では、クリスティーの出番が迫っていた。
Foot-baza-end.png
出番前にも関わらず、看護婦のメリーをしつこく口説くクリスティー。
今晩デートしようと誘うクリスティーに、彼と約束があるというメリー。
本当に愛しているのかと問うクリスティー。
ついにメリーは怒り、その場から立ち去ってしまう。
しかし、バザーが終わった後、家族を先に返し、一人残ったクリスティーの前に現れたのはメリーだった。
Foot-end.png

クリスティ・ブラウンとメアリー・カーは1972年9月5日結婚した。
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『マイ・レフトフット』
結末・感想


映画は、メリー・カーと結婚しメデタシメデタシとなっています・・・・・・・・
しかし実は、このクリスティー・ブラウンという芸術家は悲劇的な死を迎えるのです。

ブラウンの健康はカーと結婚した後に悪化した。
彼は、彼の最後の年にはほとんど隠遁者になったが、これはカーの直接的な影響と、おそらく彼女の虐待の自然の帰結であると考えられている。
Foot-mary.jpgブラウンは、夕食時ラム・チョップを喉に詰まらせ49歳で死亡した。彼の体には大きな傷があり、多くの人がカーが物理的に虐待していたと信じている。(右:メリーとクリスティーの結婚式写真)
後のジョージナ・ハンブルトンによる伝記『The Life That Inspired My Left Foot』には、より明確に、不健全な関係を、明らかにしている。この本ではカーを虐待的で、習慣的アルコール依存症の不誠実な人物として描写している。ハンブルトンの著書では、ブラウンの姉ショーンの言葉が引用されている。
「クリスティは彼女を愛したが、それが戻ることはなかった、なぜなら彼女はそんな人間ではなかったからです。もし彼女が彼を愛しているなら、彼女の言動や行動が、男だったり女だったり(バイセクシャルだったという)する必要はなかったでしょう。私はより多くの点で彼女が彼を利用したと感じています。」


このクリスティーの悲劇的な死を前に、何も言葉が見つかりません。
ただ想像するに、彼にとってメリー・カーや女性たちとは、自分が健常人に比べても女性にモテるという事実が重要だったのではないかと思うのです・・・・・・・
もし想像が正しければ、そこには世間から障碍者として線引きされた者が、無理をして存在証明を成さねばならなかった痛々しさを覚えるのです。

『マイ・レフトフット』
評価


少なくとも、この映画が伝えたクリスティーではない、もう一人のクリスティーがいるように思えてなりません。

そういう点で、伝記映画の困難さを考えざるを得ませんでした。

それゆえの評点3・5だとご理解下さい。

関連レビュー:伝記映画の困難さ
『アメイジング・グレイス』
名曲アメイジング・グレースの物語
イギリス奴隷開放運動の歴史


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