2017年06月16日

戦争映画『戦場にかける橋』再現ロードショウ/詳しいストーリー・あらすじ・動画

『戦場にかける橋』(ストーリー・あらすじ編)



原題 The Bridge on the River Kwai
製作国 アメリカ
製作年 1957
上映時間 162分
監督 デイヴィッド・リーン
脚本 デイヴィッド・リーン、カルダー・ウィリンガム
原作 ピエール・ブウル

評価:★★★★  4.0点



この映画は、クウェー川にかかる日本軍の橋を、英国軍捕虜が作り上げる物語です。
史実をもととし、日本軍の捕虜収容所内における、日・英の戦いも見ごたえがあります。
しかしそれ以上に、対立を超えて到達した男たちの誇りと、戦争の無残さが描かれ、アカデミー賞他、各国の映画賞に輝いた作品です。

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『戦場にかける橋』あらすじ



第二次世界大戦中の1943年。タイとビルマの国境付近にある、日本軍・第十六捕虜収容所には十字架が並んでいた。
そこで、墓穴を掘るアメリカの海軍中佐シアーズ(ウィリアム・ホールデン)と同僚は、死者の遺品のライターを差出し、日本兵に煙草をせびり、傷病者扱いにしてもらえないかと交渉している。
kwai-cross.jpg

激しい鉄道建設の労役で、死者が累積する一方だからだ。苦役を逃れつつ、脱走の機会を慎重にうかがっていた。
そんな収容所に、インドで日本軍に降伏した、英国陸軍ニコルスン大佐(アレック・ギネス)を隊長とする英軍捕虜の一隊が送られてきた。


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収容所所長の斎藤大佐(早川雪洲)は、早速イギリス軍捕虜に対し、この収容所は柵も鉄条網もないが、脱出したものはいないと釘を刺した。
そして、バンコック・ラングーン間を結ぶ、泰緬鉄道を貫通させるためのクウェー河の橋梁の建設に、必死で働けば待遇を良くすると伝えた。
そして、橋梁完成期日が迫っているため、当収容所では捕虜全員に労役を課すと告げた。
しかし、ニコルスン大佐はジュネーブ協定を盾に、将校は監督や指揮をしても、兵と同様の労役従事はできないと拒否した。
その日は到着初日という事で解散となった。

kwai-meeting.png
その夜に士官会議が開かれ、アメリカ軍士官としてシアーズ中佐も同席した。

ニコルスン大佐は、兵隊の意欲を奪わないために建設作業の指揮は、日本軍ではなくイギリス軍士官が行うと確認した。
会議の中脱走の話が出て、シアーズは働いても過労死するのだから、一か八か脱出した方が良いと言う。
しかしニコルスンは、シンガポールで司令部から降伏命令があった以上、脱走は軍規違反だと語り反対した。
翌朝、斉藤は技師である三浦中尉の指揮下で5月12日までに橋の建設を終えよと命令を伝えた。
kwai-saito.jpg
そして重ねて「将校も労役に参加せよ」と告げた。
再び、ニコルスンはジュネーブ協定違反だと抗議した。
kwai-gun.png
斎藤は、機関銃による銃殺を命じようとしたとき、軍医であるクリプトン(ジェームズ・ドナルド)が療養棟から飛出し「非武装の者を射殺するのか」と斉藤に詰め寄る。

斉藤は宿舎の奥へと姿を消し、士官たちはその場に残された。
一日炎天下に立たされたニコルスン達は、それでも斉藤の命令に従うことはなかった。
kwai-sun.gif
遂に日が西に傾き、将校全員がトタンの狭い営倉(懲罰牢)に入れられた。
首謀者のニコルスンは「オーブン」と呼ばれる、過酷な営倉に1人監禁された。
その夜、シアーズは仲間2人と収容所を脱走したが、日本兵に発見されシアーズを残し射殺された。

ニコルスン達士官はその後も営倉から出られず、イギリス軍捕虜たちは現場でサボタージュをし、架橋の予定は遅々として進まなかった。
kwai-clipton.jpg斉藤は軍医クリプトンを呼び、営倉に行きニコルスンを説得せよと求めた。
もし、士官が働かないなら傷病兵をかり出すしかないと通告した。
ニコルスンの回答は「斉藤の要求は『脅迫』で、それに従うのは主義に反する」というものだった。

一向に進まない工事の遅れの原因は、工事責任者三浦中尉にあるとして、イギリス軍兵士の前でその解任を斉藤は発表した。そして、明日からは自分が工事の指揮を執ると述べた。
しかし直接、斉藤が指揮をとっても工事は進捗しない。
ついにある夜、斉藤はニコルスンを連行させ、夕食としてコンビーフやウィスキーを振舞い、懐柔しようとするがニコルスンはこれも拒否した。
ついに斉藤は、3月10日の陸軍記念日に、ニコルスンを含めた将校全員を宿舎に帰す恩赦を与えると言った。斉藤はさらに、将校は労役に就かなくてもよいと伝えた。
斉藤の屈服

斎藤:どうして今日が休みかわかるかね?/ニコルスン:時間の感覚が喪われたようで恐い/斎藤:我が日本がが1905年ロシアに偉大な勝利を上げた日だ。日本ではこの日を皆で祝う。めでたい日だから、君の部隊にも休日を与えよう。/ニコルスン:大変感謝します。/斎藤:私は恩赦を宣言する。君と君の部下を宿舎に戻す。この恩赦の一部として・・・・士官が労役に課すことを免除する。/イギリス兵:やったぞ!

ついに斉藤は、ニコルスンに根負けしたのだ。
捕虜たちは一斉に士官の元に群がり、ニコルスンらを担ぎお祭り騒ぎだった。
その声を聴きながら、所長室で斎藤は屈辱に泣いた。

kuwai-sisatu.png
ニコルスンが建設現場を見てみると、建設工事のサボタージュに慣れた兵は規律を失い、ゆるみきっていた。

ニコルスンはもう一度軍として規律を取り戻させるのが士官の仕事だと、部下に語る。
そして建設地を視察し「野蛮人どもに西洋文明の理論と効率を教え、奴等に恥をかかせてやる」と言った。

日本軍との工事会議の席で、イギリス軍の建築知識と労働管理の専門的知見から意見し、斉藤から工事の主導権を握った。

そのころ、脱出に成功したアメリカ海軍中佐シアーズは、英国陸軍の療養所にいた。
kwai-senkoku.jpg
そこで英国軍ウォルデン少佐より、クウェー河に潜入し、日本軍の橋を爆破する特殊作戦を聞かされる。
そしてシアーズは、その行程を知っている唯一の人物として道案内を求められた。
しかし、シアーズはもう数日でアメリカに帰る予定を告げ、抵抗し、行かないと拒絶する。
ウォルデンは、アメリカ軍に照会した所シアーズという中佐はいない、アメリカに帰れば階級詐称の罪に問われると告げ、しかし作戦に志願してくれれば英雄として、少尉の階級を与えると約束した。
本当は二等水兵だったシアーズは、拒むことができずに、再びジャングルに戻る。

クウェー河の工事の現場でニコルソンは、捕虜たちを監督叱咤し、兵士としての誇りを再度取り戻させるように努めた。
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軍医のクリプトンは日本軍の鉄道をなぜ助けるのかと疑問をぶつける。
それに対し、ニコルスンは「君は軍の事を知らない」と言い、「目的を持たなければ軍は機能しない。橋の建築こそが、軍としての誇りを示すものだ」と答えた。
そして出来上がった橋が、奴隷のような囚人の手ではなく、英国兵によって作られたことを証明するのだと言った。

そして、ニコルソンは工事の遅れを傷病兵まで動員してカバーし、遂に橋は完成した。
完成した橋で夕日を眺めるニコルソン。
そこを通りかかった斉藤所長に、彼は「人生が有意義かどうか考えることがある。しかし、この橋によってその疑問から開放された」と語った。
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その夜イギリス軍の捕虜宿舎では、盛大なパーティーが開かれ、兵も士官も達成感に溢れ沸き立っていた。
kwai-exp.png最後にニコルソンは訓示し、捕虜となり誇りを失っていた兵の名誉が取り戻され、敗北を勝利に変えことができたと話した。
そしてイギリス国歌の合唱が、収容所の夜空に響いた。

しかしその頃、橋の橋脚では、シアーズらの手で爆破のための作業が着々と進んでいた。
そして、翌日の列車開通に合わせ、橋を爆破する準備は整ったのだった・・・・・・・


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『戦場にかける橋』予告


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『戦場にかける橋』出演者

シアーズ中佐( ウィリアム・ホールデン) /二コルソン大佐(アレック・ギネス)/ウォーデン少佐(ジャック・ホーキンス)/軍医クリプトン(ジェームズ・ドナルド)/グリーン大佐(アンドレ・モレル)/ジョイス(ジェフリー・ホーン)/斉藤大佐(早川雪洲)/リーヴス大尉(ピーター・ウィリアムズ)/ヒューズ少佐(ジョン・ボクサー)/グローガン(パーシー・ハーバート)/ベイカー(ハロルド・グッドウィン)/兼松大尉(ヘンリー大川)/三浦中尉(勝本圭一郎)

関連レビュー:クウェー河捕虜の手記から作られた秀作
『レイルウェイ』
真田広之とコリン・ファース主演
イギリス軍捕虜と日本軍収容所の日本人の戦後。


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2017年05月18日

『マイ・レフトフット』脳性まひ芸術家・奇跡の実話/ネタバレ・ラスト・結末感想

マイ・レフトフット(ストーリー・あらすじ編)

原題 My Left Foot
製作国 イギリス
製作年 1989/上映時間 119分
監督 ジム・シェリダン
脚本 ジム・シェリダン、シェーン・コノートン
原作 クリスティ・ブラウン

評価:★★★☆   3.5点



この映画は実在のアイルランド人芸術家、脳性小児麻痺を患うクリスティ・ブラウンの物語です。
ここにあるのは、障碍者にとって生きるということの、真の意味の問いかけがあるように思います。
しかし、この映画に描かれなかったクリスティーの人生を考えた時、映画で伝記を伝えることの難しさを、考えずにはいられません。

『マイ・レフトフット』
予告動画


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『マイ・レフトフット』
キャスト・出演者

クリスティ・ブラウン(青年期:ダニエル・デイ=ルイス、少年期:ヒュー・オコナー)/母:ブリジット・ブラウン(ブレンダ・フリッカー)/父:パディ・ブラウン(レイ・マカナリー)/アイリーン・コール(フィオナ・ショウ)/キャッスルウェランド卿 (シリル・キューザック)/ピーター (エイドリアン・ダンバー)/看護師メアリー・カー(ルース・マッケイブ)

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以降の文章には

『マイ・レフトフット』ネタバレ

がありますご注意ください。
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(あらすじから)
クリスティーは失恋の失意から自殺を企るが、不自由な身体ではうまくゆかなかった。
そしてベッドで布団にくるまり、一日中抜け殻のようにそこにいた。
そんなクリスティーを見て、母が言葉を掛ける。
母の励まし

【意訳】母:起きな、クリスティー。お前に起きた悪い事は、全部私が作ったようなもんさ。お前もお父さんとおんなじで、外見では威勢が良くても、心の中では怯えている。戦いに勝たなくちゃ。パブで若い者の前で虚勢はって、イキがってないで。いいかい、もしお前があきらめたって、私はあきらめないよ。/クリスティー:何考えてるの母さん。/母:部屋でも作れば、やる気が出るだろう。/クリスティー:狂ったの?/クリスティー:一人でだって、画家でやってけるさ。私たちはお終いじゃないよ、クリスティ・ブラウン。時々お前の傷ついた足と、私の足を喜んで換えてやりたいと思うよ。何が問題なんだ、クリスティー/クリスティー:ごめんなさい。かあさん。/父:いったい何をおっぱじめたんだ。/母:クリスティーの部屋を立ててやるのさ。/父:これ見ろよ。/兄弟:クリスティーお前は偉大な画家だが、レンガ積みの腕はまだまだだな。/父:よしお前らもっとレンガもってこい。(以下、父と息子の競争だと言って、家族揃って部屋を建てる。母は息子たちに父親に花を持たせろと言った)

母は出来た部屋を見て、クリスティーにこれは「父の愛」だと言った。
そんな父が1957年に死に、パブで葬式後の清めをしていると、他の客に文句を言われ喧嘩となった。
Foot-pubFight.png

foot-type.pngそんなクリスティは画家としての活動に加え、左足一本でタイプライターを打ち、自伝『マイ・レフトフット』を書きベストセラーになった。

そんな彼の元を、脳性小児麻痺の専門医アイリーン・コールが訪ね、慈善バザーへの参加を依頼した。
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『マイ・レフトフット』
ラスト・シーン

バザー会場では、クリスティーの出番が迫っていた。
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出番前にも関わらず、看護婦のメリーをしつこく口説くクリスティー。
今晩デートしようと誘うクリスティーに、彼と約束があるというメリー。
本当に愛しているのかと問うクリスティー。
ついにメリーは怒り、その場から立ち去ってしまう。
しかし、バザーが終わった後、家族を先に返し、一人残ったクリスティーの前に現れたのはメリーだった。
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クリスティ・ブラウンとメアリー・カーは1972年9月5日結婚した。
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『マイ・レフトフット』
結末・感想


映画は、メリー・カーと結婚しメデタシメデタシとなっています・・・・・・・・
しかし実は、このクリスティー・ブラウンという芸術家は悲劇的な死を迎えるのです。

ブラウンの健康はカーと結婚した後に悪化した。
彼は、彼の最後の年にはほとんど隠遁者になったが、これはカーの直接的な影響と、おそらく彼女の虐待の自然の帰結であると考えられている。
Foot-mary.jpgブラウンは、夕食時ラム・チョップを喉に詰まらせ49歳で死亡した。彼の体には大きな傷があり、多くの人がカーが物理的に虐待していたと信じている。(右:メリーとクリスティーの結婚式写真)
後のジョージナ・ハンブルトンによる伝記『The Life That Inspired My Left Foot』には、より明確に、不健全な関係を、明らかにしている。この本ではカーを虐待的で、習慣的アルコール依存症の不誠実な人物として描写している。ハンブルトンの著書では、ブラウンの姉ショーンの言葉が引用されている。
「クリスティは彼女を愛したが、それが戻ることはなかった、なぜなら彼女はそんな人間ではなかったからです。もし彼女が彼を愛しているなら、彼女の言動や行動が、男だったり女だったり(バイセクシャルだったという)する必要はなかったでしょう。私はより多くの点で彼女が彼を利用したと感じています。」


このクリスティーの悲劇的な死を前に、何も言葉が見つかりません。
ただ想像するに、彼にとってメリー・カーや女性たちとは、自分が健常人に比べても女性にモテるという事実が重要だったのではないかと思うのです・・・・・・・
もし想像が正しければ、そこには世間から障碍者として線引きされた者が、無理をして存在証明を成さねばならなかった痛々しさを覚えるのです。

『マイ・レフトフット』
評価


少なくとも、この映画が伝えたクリスティーではない、もう一人のクリスティーがいるように思えてなりません。

そういう点で、伝記映画の困難さを考えざるを得ませんでした。

それゆえの評点3・5だとご理解下さい。

関連レビュー:伝記映画の困難さ
『アメイジング・グレイス』
名曲アメイジング・グレースの物語
イギリス奴隷開放運動の歴史


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posted by ヒラヒ・S at 17:23| Comment(2) | TrackBack(0) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月17日

『マイ・レフトフット』脳性まひ芸術家の奇跡の実話/感想・解説・実在モデル紹介

マイ・レフトフット(感想・解説 編)

原題 My Left Foot
製作国 イギリス
製作年 1989/上映時間 119分
監督 ジム・シェリダン
脚本 ジム・シェリダン、シェーン・コノートン
原作 クリスティ・ブラウン

評価:★★★☆   3.5点



生まれながらに脳性小児麻痺を患うクリスティ・ブラウンが、左足一本で描く絵画と、出版した自叙伝によってアイルランドで有名になる実話を描いた作品です。
そのクリスティーをダニエル・デイ=ルイスが演じ、見事アカデミー男優賞に輝く、力のある演技を見せてくれます。
そしてこの映画には、障碍者という存在の本質が描かれているように思います・・・・・・


『マイ・レフトフット』
予告動画


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『マイ・レフトフット』解説
アイルランドの労働者階級


この映画の魅力は、奇跡の人「クリスティー・ブラウン」だけにとどまらず、アイルランドの労働者階級の生活が生き生きと描かれている点も、個人的には印象深かったです。

石炭泥棒シーン

クリスティー:ちょっと、置き去りにされた。押して。戻って、ミスター/兄弟:クリスティー、お前の計画上手く行かないぞ。坂道が勝負だ。/近所の主婦:赤ちゃん抱っこしてて。/母:神様、何が起こったんだい?/兄弟:大丈夫だよ母さん。ただの石炭だ。/母:その石炭を盗んだね。盗みは罪だよ。そのお前の罪は神様が見てらっしゃる。その石炭は家には入れないよ。/父:カッカしてないであたれよ。/兄弟:クリスティー洗ってほしいか?/クリスティー:いや。/姉:クリスティじゃあね。/父:遅くなるなよ。(火の中の缶)/兄弟:母さん、クリスティーがおかしい。/クリスティー:暖炉、暖炉/母:ああ、神様!/兄弟:おかあさんどうしたの?/父:水を持って来い。何があったんだ。狂ったのか。この缶の中に何が入ってるんだ。/母:クリスティーのお金さ。/父:何?/母:クリスティーの車椅子のためのお金なの。/父:20ポンドぐらい入ってるじゃないか。/母:28ポンドと7シリング3ペンス/父:俺達がここに座って凍えているのに、麦粥を朝・昼・ティータイムに食べているのに、お前は28ポンド7シリング3ペンスもヘソクリしてたのか?

この上の動画のように、石炭に近所中で群がるバイタリティーが凄い。
そしてまた、この22人を生んだというブレンダ・フリッカー演じる母親の、ダメなものはダメという「肝っ玉かあさん」ぶりが凄い。
またクリスティーの為に必死にお金をためる、母の愛が凄い。
さらには、父親の威勢はいいくせに生活力のない、でもプライドだけは人一倍という、オヤジっぷりもどこか昭和の懐かしさを感じます。
こんな落語の長屋に出てくるような、アイルランドの労働者階級の生活を、実感として感じられたのは貴重でした。
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『マイ・レフトフット』解説
障碍者のリアリズム


何よりこの映画で感動したのは、主人公のクリスティ・ブラウンです。
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それは一個の障碍者として、知能障害や身体的な付随意性を医学的に予見されながら、それを覆し、その唯一動く左足で自己表現し得たという奇跡をまずは賞賛したいと思います。

しかし実は個人的に感動を覚えたのは、この主人公がアイルランドの日常の中で、他の子供たちに交じって、間違いなく生きているという姿のリアリティーでした。

そもそも、このクリスティーにとってみれば、生まれた時から左足しか動かないという自分というのは、かれにとっての普通の状態です。
その状態で、子供のころから遊び、思春期に恋をし、健常者がする生活を、健常者の中に交じって生きてきたのです。

こんな健常者と共に生き、日々を過ごしている彼は、いったい障碍者でしょうか。
けっきょく障碍者とは、その障碍者本人が決めることではなく、周囲の人間が決めることではないでしょうか。
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仮に、歩けないにしても、口をきけないにしても、それが生まれた時からの日常であれば、本人にとってその日常は健常であり、誰もが持つのと同じ意思と希望をもって生きているのです。

この映画のように、その障碍者が持つ意思や希望を周囲が受け入れ、共に生きるのであれば、彼は障碍者と呼ばれる必要はないのではないでしょうか。
結局、障碍者とは、周りの人間がこの子は歩けないとか、この子は喋れないとか、体の一部がないとか、健常者との違いを指して、だから健常者と同じ生活はできないと線を引くところから始まるのだと思えます。


例えば、人間の体、人間の感覚器、人間の能力が、今のように共通項が多くない異世界を想像すると、そもそも健常者と障碍者の線引きなどできないはずです。
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ある者には眼がないとか、ある者は口がないといった時に、クリスティーのように、人はその人の持つ可能なコミュニケーション能力を育み、あらゆる人と意思疎通が可能なのではないかと思うのです。
そしてまた、手のないものは足のないものを助け、体が十分動か無いものは、強靭な肉体を持った者が補うでしょう。

つまりは、人が皆違う個性と肢体を持っていることを前提とすれば、そこには健常者と障碍者の区別はないはずです。

そして、このクリスティーのように、その欠落=個性ゆえに、その表現が深く力をもつのではないでしょうか。

例えば、目が見えない人が、目が見える人間よりも広い周波数の音を聞けたり、触感だけの夢を見たりすると言います。
やはり人間の可能性というのは可変性があり、使える部分の能力を最大限に活用するのでしょう。
そういう意味では、クリスティーが示したのは、人の能力の可能性であり、希望だったでしょう。


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人は人として、障碍者だろうと健常者だろうと、多かれ少なかれ違う個性をもって生まれながら、皆同じように喜怒哀楽を持ち、欲望が満たされれば喜び、希望が叶わなければ泣く存在なのだと思えてなりません。

しかし、今は健常者側が障碍者を、異なる個性として見ずに、欠落した者として捉えていないでしょうか。
その健常者の意識が、障碍者を障碍者に貶めているのだと思えてなりません。


そんなクリスティーが、障碍者という外部からのレッテルを貼られた時に生じた感情的な歪みが、この映画のクリスティーの姿に垣間見えるように思えます。

その障碍者としての外部評価を自分に突きつけられるのが、異性との失恋のシーンです。
そこには人間性や個性ではごまかしようのない、交際相手、結婚相手、子供の父親としての対象としての、完全さを否が応でも求められ、そして拒絶される瞬間だったはずです。
foot-suci.jpg友達なら、身内なら、個性として受け入れサポートが可能でも、恋愛対象に理想の条件を求めるのを打算とも言い難いと思うのです。
そんな恋愛に象徴される、他者の線引きに傷つく姿が、ダニエル・デイ=ルイスの演技力もあり、クリスティーの怒りや、喜び、嫉み、楽しみ、苦しみをぶちまける姿がリアリティーを持って迫ってきます。

ここにあるクリスティーの姿は、他の映画で描かれた、弱く、純粋で、天使的な、イノセントな障碍者の姿とは一線を画すものです。
しかし考えて見れば、それらの美化された障碍者の姿とは、他者からのレッテルを受け入れ、健常人ではない自分を受け入れてしまった悲しい姿のようにも見えます。
そこには、正常である、健常であるのが、「正しい」という世間の価値観に、障碍者自ら従わなければ、世間と衝突し生きずらい現実が。

そんな正常、健常という言葉に秘められた価値判断が、障碍者に無言の圧力を掛け、障碍者自身に健常者と同じ日常を送る気持ちを削ぎ、ついには自己の存在を消す結果になっているのではないかと危惧するのです。
この映画のクリスティーを見て、彼の日常を異常だと見る外部の目に対する怒りを感じ、こんなことを考えました。
もう一度言いますが、クリスティーがその体に体現していたのは、差異であり、個性だったのです。
その差異や個性に応じて、クリスティーは、たとえ健常者と違うライフスタイルだったにせよ、彼の日常を生きたのだと信じます。

ここまで私が語ってきた内容は、理想論、キレイごと、だと言われれば返す言葉はありません。正直机上の空論です。
ご不快に思われた皆様にはお詫び申し上げます。

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『マイ・レフトフット』解説
実在モデル、クリスティ・ブラウンの肖像


この映画では看護婦メリー・カーと出会うところから始まります。
しかし、実はこの映画に描かれてないクリスティーの人生も波瀾万丈で、彼が人生をしっかり生きたという姿が見えて感動しました。

クリスティ・ブラウン(Christy Brown 1932年6月5日 – 1981年9月7日) は、ダブリンのロトゥンダ病院で労働者階級のアイルランド人の家庭に生まれた。彼の両親はブリジット(Bridget Fagan 1901-1968)とパトリック・ブラウンだった。彼は22人の兄弟がいた。この22人のうち、13人が生存し、幼児期に9人が死亡した。
Foot-Christy-with-mother-Bridget-sister-Mona-and-Katriona-Maguire-1944.jpg彼の誕生後、医師は、彼の手足には痙攣が残り、神経学的に深刻な脳性麻痺障害を有するのを発見した。病院は彼を入院させるよう促したが、ブラウンの両親は従わずその他の子供たちと一緒に家で彼を育て上げると決断した。
ブラウンの思春期に、ソーシャルワーカーKatriona Delahuntは彼の話を知り、ブラウンの家を定期的に訪問し始め、クリスティーに本や絵画画材を数年にわたり与え、彼は芸術と文学に関心を示した。彼は非常に印象的な身体的な器用さを実証し、すぐに、後にいくつかの自家出版となる、文学と絵画をその左足で表現する事を学んだ。
foot-crysty-mum.jpgブラウンはすぐに真のアーティストへと成長した。ブラウンは、公的には、彼が青年になるまで、ほとんど正式な教育を受けていないが、彼は聖ブレンダンの学校、サンディマウント(ダブリン地名)のクリニックに断続的に出席した。聖ブレンダンで、彼は著名な権威者であるロバート・コリス博士と面識を得た。コリスはブラウンが生来の小説家であることを発見し、その後、コリスは自身の知る関係者に働きかけ、長い間温められた自叙伝、ダブリンの活気に満ちた文化の中での日常生活と、ブラウンの闘争について描かれた、マイ・レフト・フットを出版した。
マイ・レフト・フットが文学的な注目を浴びた時、ブラウンに手紙を書いた大勢の中の一人が、アメリカ人既婚女性ベス・ムーアだった。ブラウンとムーアは定期的に往復するようになり、1960年にブラウンは北米で休暇をとり、コネチカットの自宅でムーアと一緒に過ごした。1965年に再び会ったとき、彼らは不倫関係になった。ブラウンはコネチカットに再び旅し、何年も前から書いてきた長大な作品を完成させた。1967年に彼は、最終的にムーアの管理した、厳密な作業計画を導入し、彼(ブラウンが依存していた)アルコールを拒否することによって、仕事を完了させた。
この本は「ダウン・オール・デイ」と題し、1970年に出版され「べスへ・・・・この静かな凶悪さを持つ者は、ついにこの本を完成させた...」とムーアに捧げられた。この間、ブラウンの名声は国際的に広がり続けた。彼は成功した著名人になった。アイルランドに帰国した彼は、彼の姉妹家族と一緒にダブリンの外に特別に設計した家を建設し、移転費用に彼の本の販売の印税を使った。しかしブラウンとベスは、結婚して、新しい家で一緒に住むことを計画していたし、さらにべスは彼女の夫にその計画を告知していたのだが、このころのどの時期かで、英国女性メリー・カーとロンドンのパーティーで会って、ブラウンは恋愛関係になっていたらしい。
ブラウンはムーアとの関係を終え、1972年にダブリンの婚姻登録事務所でカールと結婚した。彼らはダブリン州ラスコーレのストーニー・レーン(現Lisheen Nursing Home所在地)、バリーへイグ、ケリー、そしてサマーセットと転居した。彼は、画業と、小説著作、詩作と戯曲を書き続けた。彼の1974年の「夏の影」はムーアとの関係を元にした小説で、そこでは彼はムーアをまだ友人だと思っていると記されている。(wikipedia英語版より和訳)

クリスティーブラウンのインタビュー映像


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posted by ヒラヒ・S at 17:01| Comment(4) | TrackBack(0) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする