2016年06月10日

ジャスト・ア・ジゴロ

アイドル!!デヴィッド・ボウイ降臨




デヴィッド・ボウイ評価:★★★★★  5.0点
       映画評価:★★     2.0点


2017年1月10日、デヴィッド・ボウイが、地球上から姿を消した。
もう、動いている、息をしている、鼓動を打つ、生命体としての彼はいない。

彼は真のアーティストであり、世界一のペテン師であり、最低の娼婦であり、至高の美だった。
カメレオンのように姿とスタイルを変えながら、時に超然と、時に下卑て、大笑いしたかと思えば怒りだし、悲しんだかと思えば、踊りだす、そんな道化師で、トリックスターで、それでも、いつもエレガントでセクシーだった。
だから彼から、眼を逸らせなかった。

彼は、ロック・スターとして人々の前に、姿を現した。
しかしその表現は、たとえ歌を歌っているときでも、そもそも演技をしていたと感じる。
けっきょく彼自身にとって表現すべきモノがあり、どれは歌だろうと、演技だろうと、同じ事なのだろう

ここには、そんな俳優としてのボウイがいる。
彼の出演作でいえば、最もキャラクターに近いのが『地球に落ちてきた男』だったろう。
この映画はエイリアンとしてのデヴィッド・ボウイを描いた、ニコラス・ローグ監督のシュールなSF映像詩とも言うべき作品で、チープさはあるものの、その「異世界」感覚は一見の価値があると思う。

それ以外にも、デヴィッド・リンチ『ツイン・ピークス』や ロック・ミュージカル『ビギナーズ』、 ジム・ヘンソン監督の『ラビリンス/魔王の迷宮』大島渚『戦場のメリークリスマス』、 マーティン・スコセッシ監督の『最後の誘惑』 などが、有名な出演作品として知られているだろう。



しかし、デヴィッド・ボウイの映画として、たぶんこの作品『ジャスト・ア・ジゴロ』に言及される事はまず無いだろう。

この映画は、俳優でも会った デイヴィッド・ヘミングスが監督を務め、ドイツはベルリンの第一次世界大戦の終わりから第二次世界大戦の世紀末に、ボウイ演ずる主人公がジゴロとして生きる姿を描いたものだ。
例えば上のように要約してみた所で、この映画にとってストーリーは有って無いようなもので、ベルリンの世紀末の雰囲気と、イギリス的なアイロニーやシニカルな笑いを楽しむ映画だと思う。

さらにブッチャケ正直に言えば、映画としての出来は星2つでもサービスしすぎという気がする。

しかし、私がこの映画を見る目的は、デヴィッド・ボウイただ一点だ。
さきにいろいろボウイの出演映画を上げ連ねたが、デヴィッド・ボウイが最も輝いている映画としては、この作品にトドメをさす。
確かに『地球に落ちてきた男』は魅力的だ、しかし映画世界が確立されすぎて、あまりにも「宇宙人ボウイ」のイメージに乗っかりすぎている。

しかしこの『ジャスト・ア・ジゴロ』は人間デヴィッド・ボウイとして、軍服、タキシード、スーツなど、絢爛豪華なコスチューム・プレーを繰り広げ、さらに魅力的なのは、人間ボウイが日常の等身大に近い姿で動いているのが映画全編を通して見られることなのだ。

やはりこの作品以外は、俳優ボウイとして役になりきっている彼は、映画の中のパーツでしかないと感じる。
しかしこの映画は、どこかホノボノとした雰囲気で、のびのび演じるボウイが見れて嬉しいということだった。
いってみれば、アイドルがいろいろ服着て、食事したり、町をブラついて見たりという、アイドル・プロモーション・ビデオと同じ作りだと、今、気がついたかもしれない。

もしかすると、あくまで想像だが、この監督はデヴィッド・ボウイの妖しい魅力に憑りつかれた一人かもしれない。


デヴィッド・ボウイの名誉の為に言っておくが、デヴィッド・ボウイは男とか女とかにはこだわらない博愛主義者だ。
若くして、アンジーという女性と結婚していたが、ある日そのアンジーが帰ってくると、ベッドにボウイともう一人男がいた。
その男とはザ・ローリング・ストーンズのボーカル「ミック・ジャガー」だったという。
更に奇奇怪怪なのはストーンズ・ナンバーとして珠玉の名曲、「アンジー」とはこのボウイの妻に対する愛を謳ったものなのである。つまりこの人達は、ナンデモアリナノダ・・・・さすがに芸術家、細かいモラルにコダワらないのである。

つまりこの監督もデヴィッド・ボウイ愛ゆえに、デヴィッド・ボウイが最も映えるシチュエーションで、気が済むまで着せ替え遊びをしたのかもしれない。
そう考えればこの映画が、デビッド・ボウイのための映画として成立している理由も判りやすい・・・・・

ま〜そんなこんなで、確かにこの映画はデヴィッド・ボウイ以外見るべきものもない凡作だといわざるを得ない。
しかし、たとえ、ダレが、何と言おうと、私はこのアイドル映画を愛する。

最も美しい『アイドル』ボウイがこの映画で永遠に息づいているからだ。



ま〜ど〜でもイインですけど、この映画のほかの出演者を書いときましょうか。
キム・ノヴァク、マリア・シェル、クルト・ユルゲンス、マルレーネ・ディートリッヒ、デイヴィッド・ヘミングスという何気にスゴイ人たちでしたが、たぶんちょっとしか出ていないと思う、あんまり覚えてないから。

デヴィッド・ボウイ関連レビュー:

ジギー・スターダスト(ロック音楽)
「ヒーローズ」(ロック音楽)
キャット・ピープル(アメリカ映画)
戦場のメリークリスマス(日本映画)


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posted by ヒラヒ・S at 19:00| Comment(2) | TrackBack(0) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月27日

さらば青春の光

ブリティッシュ・ロックの力



評価:★★★★   4.0点

ロンドン文化やブリティッシュ・ロックが好きなら外せない映画だと思う!
ザ・フーの「 Quadrophenia(四重人格)」を映画の題名に冠したこの作品。

ロンドンの暗い町のカンジと、このブリティッシュ・ロックの硬質で熱い音がよく似合う。
やはり、土地が魂を産み、魂が歌を紡ぐのだとよく分かる。
「Quadrophenia」は名盤だが、この映画のサントラも個人的には好きだったりする。


この映画は、60年代のロンドンを舞台に、モッズという不良グループのメンバーである若者が主人公だ。
そして、対抗勢力であるロッカー族との抗争や、日常の不満を描いた物語ではある。

実を言えばこれは、日本で暴走族が夜の街で大騒ぎしていたのと同じ構図だと思う。
ま〜若いときには、ナンヤカンヤで「I Can't Get No Satisfaction」満足できないのだ。
その欠けたものを、仲間と騒いだり、喧嘩したり、という形で発散しないと精神衛生上ヨロシクナイと思う。
アンまり我慢していると、いきなり道でヒト刺したりしかねない。

そして、この映画は同時にそんなニーチャン達だって、いつか大人になんなきゃねっていうアキラメのハナシでもある。
ドラマの中では「スティング」が演じていた、仲間内ではリーダー格のクールな兄貴エースが、しょせん「ベル・ボーイ」ジャンってことだったりする。


ま〜暴走族のオニイチャン達だって、矢沢の永ちゃん聞きながら、ブンブンいってたけど、み〜んな20歳にもなったら止めなきゃなぁって言っていたし。(暴走族と較べれば、イギリスのオニイチャン達のほうが、ずっとオシャレでスタイリッシュに見えますが。)

でも、イギリスのオニイチャン達が可哀想なのは、この若者達は労働者階級に所属しているというコトだったりする。
日本にいるとナカナカ想像しにくいコトだが、大英帝国(欧米の国も含め)というのは、階級社会で支配者層と労働者層がハッキリ分かれているという。

そして、労働者階級に生まれるとほぼ労働者階級で一生を終わり、人生逆転チャンスは「ロック・スター」になるか、サッカー選手になる事だったりする。(チナミに、あのカッコいいデビッド・ベッカムだって、労働者階級の出身なもんだから、英語の発音がコックニー訛りで「おいらはサッカー好きだべ」みたいなカンジらしい。)

つまり、このイギリスのオニイチャン達は、実は生まれた瞬間に人生が決まっていて、親父と同じように肉体労働で一生を過ごさなければならないというわけだ。

そんな彼らだから、この社会に、自分の人生に「I Can't Get No Satisfaction」満足できないのだ。

けっきょくブリティッシュ・ロックがあれほど強い力を持つのは、ロックが労働者階級の抵抗の歌だからなのだと思う。

この映画を見ると、そんな彼らの怒りと、アキラメが表現されていてセツナクなる・・・・・・



ブリティッシュ・ロック関連のレビュー

セックス・ピストルズ「勝手にしやがれ!!」
ジギー・スターダスト(ロック音楽)
ゴッデス・イン・ザ・ドアウェイ(ロック音楽)
レッド・ツェッペリンIV (ロック音楽)
「リトル・ダンサー」「フラ・ガール」(イギリス映画)
マイ・ビューティフル・ランドレッド (イギリス映画)
デビッド・ボウイ「ヒーローズ」(ロック音楽)

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posted by ヒラヒ・S at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月26日

第三の男

光と影に浮かぶ第三の男の正体



評価:★★★★★  5.0点

この映画はデザインは古いものの、見るべき魅力に富んだ秀作だと感じました。

特筆すべきなのは、その制作年代でしょう。
なんと第二次世界大戦が終わった4年後の1949年製作です。
キャロル・リード監督は第二次世界大戦直後のウィーンを舞台に、戦争の傷跡がそこここに残るウィーンの街で映画を撮影しています。
建物がいきなり砲弾の痕で崩壊していたり、壁に穴が開いていたりするのを見るだけで、もう歴史資料として残すべきです。

そんな戦後混乱期を舞台に演じられる、闇物資を巡って起きる犯罪事件に巻き込まれた、アメリカ人作家に起こるスリルとサスペンスの物語です。

この映画の基調は、イギリス伝統の探偵小説が持つ味わいであり、それはヒッチコックのサスペンス映画と共通するものです。
ヒッチコックが好きな人は、ご鑑賞いただければお気に召すのではないでしょうか。

また、この映画は制作年代を反映してモノクロ映画となっていますが、その光と影の深い陰影を捕えたカメラがと〜っても美しい。
そしてこの黒白の対比は、物語の混沌と謎の行方や、正義と悪など、劇としての要素を強く印象付ける、卓越した効果となっています。

それが一番効果を上げているのが、人の影が建物に怪物めいた巨大な姿となって現れるところでしょうか。
この年代はモノクロ撮影の末期という事も合って、光と影だけで表現できる映像について、ある種完成の域にあったのではないでしょうか。
そんなモノクロ撮影のもつ潜在的な力を再発見させてくれる映画でも有ります。

しかし、何より感銘を受けたのは名優オーソン・ウェルズの悪役ハリー・ライムでした。
この金の亡者のような冷酷なアメリカ人を、なんとも魅力的に、愛らしく演じて、この作品の中では決して多くない出演時間ながら、おいしいところを全て持っていきます。
このカリスマ的なヒールであれば、アリダ・ヴァリ演じるヒロインでなくとも夢中にならずにはいられないでしょう。
白黒の画面の中で輝くような笑顔と、陰鬱な悪を使い分け、その落差の大きさが単なる悪役にはとどまらない、人間としての業の深さを表しているようです。
これほど魅力的な悪役は、他にちょっと思いつかないほど、強い個性を持っています。
これはたぶん、演出上の力もあるでしょうが、多くをオーソン・ウェールズその人の魅力から、発せられているように思えます。

更に音楽映画史上、最も印象深い曲の一つとして上げられる、アントン・カラスのチター演奏によるテーマ曲が、この映画のドラマに見事に共鳴して響きます。
このボヘミア調のメロディーが、戦後の無国籍な混沌とした世相の哀調を奏で、その軽快なテンポが、本来重苦しくなるはずのこの映画の陰惨な内容を、どこか軽快に中和しエンターテーメントとして提供するのにちょうどいい味わいに変えているように思います。

実際この映画に「プラトーン」で使われた「弦楽のためのアダージョ」が流れたとしたら、重すぎてこれほどヒットしなかったと想像します。

そんなこの映画は「魅力的な悪役」「完璧なテーマ曲」「完成されたモノクロ映像」「歴史的ウィーン」など見所がイッパイなのです。
じつは、それ以外にも映画史に残る「名シーン」や「名セリフ」が盛りだくさんなのですが、ぜひ本編でお楽しみ下さい。


ということで終わりにすればいいものを・・・・・・
このタイトル「第三の男」の解釈をしてみたくなりました。
だいたい、つまらないこじつけになるのは眼に見えているのに、悪い癖でスミマセン。


この「空白地帯のウィーン」が表しているのは、戦後ヨーロッパの支配権の不在だったように思います。
欧州大陸を占めていたナチスドイツが崩壊したあと、映画内で描かれているように「ソビエト連邦」と「イギリス」が、欧州の覇権を本来争うべきだったはずです。
しかし実際は、戦後ヨーロッパを占めたのは「第三の男=アメリカ合衆国」だったと語られていると思うのです。
それは、イギリス映画でヨーロッパを舞台としているにもかかわらず、善悪二人のアメリカ人がこの物語上で主役を勤めているのは、そういう理由以外に考えられなかったのです。

これは結局、アメリカの存在が善にせよ悪にせよ、ヨーロッパ社会をコントロールするのだという苦い諦念だったでしょう。

更に言えば、悪人のアメリカ人が「金」を求め、善人のアメリカ人が「理想」を語るとき、ヒロインが悪人に惹かれるのは、結局ヨーロッパ社会はアメリカの「金=財政支援」は求めても、「アメリカの的な理念」は拒否するという明瞭な宣告だったように思います。

・・・・・と言うことで、ヤッパリつまらない解釈になってしまいました。
これ聞いたところで、映画の魅力が上がるとは我ながら思えないという・・・・・・以後、気をつけます。

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posted by ヒラヒ・S at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする