2015年09月26日

戦場の小さな天使たち

ホントにイギリス人てば・・・・・



評価:★★★★★  5.0点

えっと、イギリス人というのは山高帽をかぶり燕尾服を着て、下半身丸出しの股間にバナナを挟むようなジョークが大好きな人達ですので(あくまで偏見ですが…)そういう映画です。

それと、この題名はないです。

確かにこの地味な映画を売ろうという日本側の心意気は買います、買いますが、まるで映画の本質から駈け離れているので、題名で見ようと思っても中身が違うとなるんじゃないかと心配です。

そのまんま題を付ければ「戦場のちびまる男」です。
 
この映画はこの映画を撮った監督の子供の時の思い出話で、その子供の時がタマタマ戦時中だったというだけで、反戦がどうの、家族のきずながどうの何てことは瑣事にすぎないです。
 
ブッチャケ「お爺ちゃんのタラタラした思い出話」です。
「ワシの子供のころは、戦争ってモンがあったんじゃが―」なんてヤツですね。

なんですけど、いいんです。
コレが。

何て言うか、戦時下にも日常があって、その日常は子供たちにとっては唯一無二の時間で、楽しみも悲しみもあるとゆう、当たり前のことを教えてくれます。
ほんと子供って、基礎的な生命力の強さにはビックリしますもんね。

話はたらたらしてますけど、戦時下のロンドンの子供達の生き生きとした様子や、イギリス田園風景の映像も美しいし、これ同年代の英国人が見たら、たまらないでしょうね・・・・ノスタルジーで死んじゃうんじゃないでしょうか。

な〜んかノスタルジックで輝いていて、世代や時代を超えて共通する、子供時代・少年時代の持つ栄光とでもいうべきものが、ここに有るように思います。

それともう一つ思ったのは、困難に際しても冗談に紛らわせながら決して折れない、イギリスの「ジョンブル魂」とはこういうことなのかと想像したりしました・・・・・

実はこの映画の原題「ホープ・アンド・グローリー」は戦時中に歌われた英国の「愛国歌」らしいんです。

でも、これもしゃれが効いていて「願いは栄冠に」何て意味だと思うんですけど、まんま最後のオチになっていて、で、スンご〜いキレのいいオチで、ミゴトに大笑いして・・・・・・・・ホントにイギリス人てばって、思ったわけでした。

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posted by ヒラヒ・S at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月13日

クレアモントホテル

おばーちゃんと縁側でお茶を



評価:★★★    3.0点

先進国には共通の、老人問題を題材にしたイギリス映画。
主人公の老婦人が、なかなかいい味を出しています。
また、この老婦人とふとしたキッカケで友達になる青年も、嫌味がなく素直そうで好感が持てます。

たぶん、この映画で描かれているような、世代を超えた友情関係というのが「老人」にとっての理想型なのかなぁ〜とも思います。
ここには、核家族の果てに孤独で孤立して生きざるを得ない形で、人生の末期に近づく者達にとって、社会とつながることの本質がここに描かれているのではないでしょうか。

もちろん家族や親しい友人とのつながりは大事に違いありませんが、この映画の中で描かれているように、家族にも生活があり、同年輩の友人達は日々喪われていきます。
そういう意味で言えば、家族がいればこその寂寥であり、晩年期の友人ゆえの悲しみでしょう。
必然的に人生の終焉に近くなった時に、あらかたの老人が保持する人間関係は、大なり小なりこの映画で描かれている形では無いでしょうか。
そう申しては何ですが、この古くからの関係の中に、夢や希望を見出すのは困難だと思うのです。

やはり人間は幾つになっても、新しい希望と、未来の可能性を持たなければ、生きていけない生物ではないでしょうか。
そういうことを踏まえて、この映画のように、年若い人が老人に対し尊敬と友愛を持って付き合えれば、老人は自らの経験と思いを若者に託せ、希望を未来につなげられますし、若者にしても貴重な体験を手にする機会を得ることが出来、一石二鳥だと思います。

実際歴史的に見れば、社会というのは「村の長老」のように、経験の在る者の知識・モラルを元に、働き盛りの者が監督されつつ働くという体制で成り立ってきたはずです。
しかし近代から現代に近づくにつれ、テクノロジーが社会の構成要素の中枢に居座るようになると、新奇なテクノロジーについていけない老年者は、社会的な地位を喪うと同時に厄介者とみなされるようになってしまいました。
そして今や、先進国において最も解決が困難な問題が、老人とその介護です。

でも、人間社会を生きるには人間力が不可欠であり、その力に最も富んだ人々が老齢者だと思うのです。
やはり人間の経験値を高める最も効果的な学習方法は、経験豊富な人々=老齢者と対話することではないでしょうか。
そういう認識に立てば、老人と付き合うことが、若者にとって勉強になるとか楽しいというような「利益」が有るのだと分かれば、自然と人々は老齢者の下に集まるでしょうし、そんな「師」を決して見殺しにはしないはずです。

結局のところ老人問題とは、社会の中で老齢者を人々が軽んじるという点に根本的な原因を求められるとするなら、この映画のように世代間にレスペクトの気持ちがあれば自然と解決するのではないでしょうか。


映画として地味ですし、物語的にもイギリス的な素っ気なさがあって、ドラマとして盛り上がるわけではないので、映画的な評価としては高く着けられませんでしたが・・・・・・・
それでも、ここに描かれた若者と老人の交流を見ると、昔おばーちゃんと縁側で話していた子供の頃の、ノスタルジックな気持ちが湧き上がり、私のの心を暖かくさせます。

老人で溢れかえるであろう、未来を生きるにあたって、一度ご覧になってはいかがでしょうか。

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posted by ヒラヒ・S at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月26日

マイ・ビューティフル・ランドレッド

ロンドン・パンクの源流



ロンドン文化好き評価:★★★★   4.0点
映画ファン向け評価:★★★     3.0点

映画として完成度が高いわけでも、見終わって爽快感があるわけでも、感動して忘れられないというわけでもない映画。
しかし、それでも、見るべき価値がある一本。
パンク・ロックがなんであんなに怒鳴っているのか、この映画を見ると分かる。

どうもイギリス国内向けで、お金もかけて無さそうで、イギリス社会の背景を説明もしていないので、いきなりこの映画を見ても何を云ってるのかよく理解らない。
そこで調べたのだが、サッチャー政権下でイギリス政府の財政赤字を削減するために、緊縮財政を採用したため景気が減退し、労働者階級の仕事が減り、更に社会保障を切り詰めていたため、不平不満が溜まりその鬱積によって不穏な社会状況だった。

その不満が、パンクスとして暴れたり、フーリガンになってケンカしたり、パンク・ロックとして叫んだり、という爆発の形を取る。

この映画でもダニエル・デイ・ルイス演じるパンクスが、仕事がなくて車を襲ったり、泥棒したりするシーンが出てくる。もっとも衝撃的だったのは、空き家にロープで上って窓から入っていくシーン。
家賃を払う金銭的余裕がないから、不法占拠をしているのだ。
1985年のロンドン市内の話なのだから驚く。
そんな若いパンクス達が仕事もなく、日中そこらでブラブラしているのを見れば何が起こってもおかしくない。

このパンクスが敵対視する集団の一つが、移民たちだ。
パンクスにすれば、労働者階級の仕事を安い賃金で奪ってしまった、移民者を憎んで当然だ。
しかし、この映画で描かれているパキスタン移民たちも、かつての宗主国イギリスのせいもあり、祖国に帰れない。生きるためには、イギリスで安い賃金ででも働くしか、途がない。

結局社会的・政治的な歪みが、パンクスとパキスタン移民の対立を生んでいるのだ。
弱いものが更に弱いものを虐げる、イジメの構図である。

そんな背景のもとで、この映画で語られるのは対立を超えた愛の物語だ。

パキスタン青年オマールと、その幼馴染のパンクスのジョニー、この主役二人は成長し再会し、協力してコイン・ランドリー(ランドレッド)の仕事を始める。それぞれの所属する集団からは、白眼視されても最終的に共に歩む道を選ぶ。

それは彼らが「ゲイ=愛」で結ばれているからだ。
それゆえこの映画を「ゲイ映画」として評価する向きもある。
確かにダニエル・デイ・ルイスは魅力的だし、二人が愛を交わす場面がドラマとしてのクライマックスでもある。

しかし文脈としていえば、ゲイの映画内での意味合いは、対立を超えるための「愛」の重要性を強調するための表現だと思う。
なぜなら、自らの帰属集団内でも愛が無いために、別れる者たちの姿が並行して描かれているからだ。

この対立、それぞれの帰属集団の描写、未来の理想、現実の解決などを、ドラマとして表現する脚本が素晴らしいと思った。舞台劇にしても、十分説得力があると思う。この脚本家がパキスタンの血を引いているところから考えると、自伝的な面もあるのかもしれない。

しかし、個人的にはイギリスの若者映画には、例えば「さらば青春の光よ」にしても「トレイン スポッティング」にしても「リトルダンサー」ですら、どこかブリティシュロックの持つ、飾り気がないけれども強いメッセージを発する「パワー=伝達力」が共通して在るように思えるのだ。

それはブリティッシュ・ロックと英国若者映画の基盤が、共通して「労働者階級」に有ることと無縁ではないと思うのだが・・・・

この映画も、やはり、そんな「ロック魂」を感じた。
ロックやロンドン若者文化に価値を見出すものなら、もう一度言うが、見る価値がある。

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posted by ヒラヒ・S at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする