2017年01月07日

映画『カサノバ』世紀のプレーボーイの一生/感想・解説・ストーリー・ネタバレ・ラスト

中世ヨーロッパの暗黒濃厚絵巻



評価:★★★★★ 5.0点

フェデリコ・フェリーニというイタリアの映画監督をご存知だろうか?
その映画はグロテスクでドギツいビジュアルが持ち味で、胸焼けするほどコッテリしたシーンがこれでもかと展開される。
しかし、そのドロドロの高カロリーの映像は、間違いなく中毒性を持って見る者に迫ってくる・・・・・
カサノバあらすじ・ストーリー

カーニバルに沸き立つ18世紀中盤のヴェネチア。カサノバ(ドナルド・サザーランド)は、マッダレーナ(マルガレート・クレメンティ)という尼僧からの手紙を受け取る。指示されたサン・バルトロ島に赴いたカサノバは“のぞき”性癖の大使のため、大使に見られつつ色事を披露し期待に応えた。海を嵐の中帰るカサノバは、邪悪な書物を保持した罪で、宗教裁判所の審問官に逮捕され、入牢を余儀なくされる。牢でカサノバは、伯爵夫人ジゼルダ(ダニエラ・ガッティ)や、お針娘のアンナマリア(クラリッサ・ロール)との一時を回想する。カサノバは牢を脱獄しパリに行き、神秘的な人々とデュルフェ候爵夫人(シセリー・ブラウン)のサロンで出会う。時は過ぎ、彼は最愛の女アンリエット(ティナ・オーモン)と出会うが、ロンドンでは娼婦の母娘に屈辱を味わされるが、次のローマでは馬車の御者と“絶倫”競争をし見事勝つ。更にスイスのべルンに行き、ドレスデンで彼を愛さない母親と会い別れる。そして数年後、冬のボヘミアに図書室の司書として老いて寂しくカサノバはいた・・・・・・・・

(イタリア/1976年/154分/監督・フェデリコ・フェリーニ/脚本・フェデリコ・フェリーニ、ベルナルディーノ・ザッポーニ/音楽・ニーノ・ロータ)

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カサノバ感想・解説
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casanova-tyuusei.jpgいまの欧米中心の歴史観からいえば、想像しにくいかもしれないが、そもそも産業革命(18世紀後半)以前のヨーロッパとは世界的にみて辺境国だった。
中華圏やイスラム圏の大帝国に挟まれ、青息吐息だったのだ。
文化的にも魔女狩りあり、風呂は入らない、排泄物は道に捨てる、あげくの果てにコレラが大流行するなどという、どこかどす黒い、澱んだ、悪夢的な社会だったのである。

実際この解釈はさほど間違っていないと思っているのだが、実は、この暗黒ヨーロッパのイメージを持った理由の大半はこの映画の仕業のようにも思う。
この映画のビジュアルの見事さゆえに、それ以外の中世の絵が浮かばないのである。
そんなこの作品は18世紀のヨーロッパを生きた実在の人物、性豪として知られる「カサノバ」を題材にしたモノだ。
ジャコモ・カサノヴァ(Giacomo Casanova、1725年4月2日 - 1798年6月4日)は、ヴェネツィア出身の術策家(aventurier)であり作家。Casanova-syouzou.jpgその女性遍歴によって広く知られている。彼の自伝『我が生涯の物語』Histoire de Ma Vie(邦題『カザノヴァ回想録』)によれば、彼は生涯に1,000人の女性とベッドを共にしたという。
彼の最大の才能はベッドの上で発揮されたが、同時代人にとってのカサノヴァはそれ以外の面でも傑出した存在だった。オーストリアの大政治家シャルル・ド・リーニュはカサノヴァを彼の知りえたうち最も興味深い存在であると評し「この世界に彼(カサノヴァ)が有能さを発揮できない事柄はない」とまで言っている。またランベルク伯爵は「その知識の該博さ、知性、想像力に比肩しうる者はほとんどない」と記している。カサノヴァがその生涯にわたる遍歴において知遇を得た人物には、教皇クレメンス13世、エカチェリーナ2世、フリードリヒ大王(カサノヴァの美貌に関してコメントを残している)、ポンパドゥール夫人、クレビヨン(カサノヴァにフランス語を教えたともいう)、ヴォルテール、ベンジャミン・フランクリンなどがいる。彼はまたモーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』初演(1787年)に列席しており、また同オペラでロレンツォ・ダ・ポンテの台本に最後の筆を入れたのではないか、との説も唱えられている。(Wikipediaより引用)

こんな稀代の色事師カサノバのエロチックな人生を、この映画はドーミエの絵をさらに俗っぽく、暗く、厚塗りしたようなイメージ、で中世ヨーロッパを濃厚に描くのである。
誰でもこの映画を見てもらえば、例えばマスカレードや、怪しげな宮廷風景、サーカスなどの映像イメージの原型が、この映画に在ることを納得してもらえると思う。
映画「カサノバ」カーニバルシーン

また、このフェリーニの「映像魔術」の強烈さは、凡百のミュージックビデオがはだしで逃げ出すほどの濃厚さで、それが2時間半続く。
老若美醜を超えて全ての女性に奉仕することを喜びとするカサノバをドナルド・サザーランドがマッタリと演じ、それをニーノ・ロータのミステリアスな音楽が盛り上げる。

正直言って、物語は無いと思ったほうが良い。
casa-fellini.jpg
ストーリーはこの監督にとって、新たなビジュアルイメージの展開上のキッカケのようなモノで、映像こそがこの映画の全てだと思っている。(右フェデリコ・フェリーニ)

その、こってりドロドロの高カロリービジュアルこそ、フェリーニが描きたかった「映画の中核」だと信じている。
そんなこの映画のビジュアルは、全てイタリア・チネチッタ・スタジオで撮られた濃密な人工美の構築により、やはり芸術の域に達していると思う。

そもそも、このフェリーニという人はビジュアルイメージの天才で、『魂のジュリエッタ』などを見れば、モダンな美から、古典的な絵画イメージまで、派手で豪華な表現からシンプルで抽象的な形まで、あらゆるスタイルを完全に手中にしているのが分かる。
「魂のジュリエッタ」予告

ところが「フェリーニの映像魔術」と呼ばれる、そのビジュアル・イメージは後半になればなるほど、この映画のように下世話で俗っぽく下品でエログロの度が高くなっていくのが、不思議だった。
 
しかしある日、その理由が分かったような気がした。
実はフェリーニと同時代に、イタリアの産んだもう一人の天才「ルキノ・ビスコンティ」監督がいたことによるのではないかと閃いたのである。
bisuconntei.jpgルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti, 1906年11月2日 - 1976年3月17日) は、イタリアの映画監督、脚本家、舞台演出家、貴族(伯爵)。映画監督・プロデューサーのウベルト・パゾリーニは大甥。
1906年11月2日、イタリア王国ミラノで生まれた。実家はイタリアの貴族ヴィスコンティ家の傍流で、父は北イタリア有数の貴族モドローネ公爵であり、ヴィスコンティは14世紀に建てられた城で、幼少期から芸術に親しんで育った。1936年にはココ・シャネルの紹介でジャン・ルノワールと出会い、アシスタントとしてルノワールの映画製作に携わった。(Wikipediaより引用)

ヴィスコンティの描く高踏的な美は、貴族階級に生を受けた、その伝統の上に築かれた圧倒的な力を持っていた。
その芸術性は何代にも渡って伝承され得て初めて可能となった美である。
基本・基礎から違うと言うべきであって、たまたま芸術的才能を持って生まれた個人が対抗するには、あまりにも遠く高いところに在る美だ。
当ブログのビスコンティー映画レビュー

『地獄に堕ちた勇者ども』ビスコンティーの描くファシズムのエロス

『ルードヴィヒ神々の黄昏』王族の芸術映画のあらすじと感想・解説

そしてフェリーニである。
才能があって生まれた一個の人間として彼は、才能があればこそ認めざるを得なかったはずである。
伝統的美、芸術的品格、古典的洗練においてビスコンティに及ばないことを。

casa.jpg
それゆえ、ビスコンティが絶対描けない庶民的なエログロを含んだ、スノビズムの持つ脂っこい美を描かざるを得なかったと想像する。

そして、ビスコンティが表現した「貴族的な美」が持つ力と拮抗しうる、「俗悪な美」を間違いなく築き上げた事を考えれば、フェリーニの戦略は正しかったと言えるだろう。

そして、大衆芸術としての「映画」に寄与する映像的な影響を考えるならば、フェリーニの方が大きいとも思えるのだが・・・・・・
如何だろうか?

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以降「カサノバ・ネタバレ」を含みますので、ご注意下さい。
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数々の女達と浮名を流してきたカサノバも老年となり、ボヘミアでヴァルトシュタイン伯爵の城で図書室の司書として朽ちようとしていた。
Casanova5.jpg

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カサノバ・ラストシーン
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しかしそんなカサノバは心の中で、幻影の如く人形とダンスを踊るのだった。
CASANOVA-LAST.png
まるで、自らの過去の経験が「うたかた」のうちの、甘く儚い夢だったように・・・・・・・


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posted by ヒラヒ・S at 17:15| Comment(4) | TrackBack(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月04日

『ルードヴィヒ神々の黄昏』王族の芸術映画のあらすじと感想・解説

ヴィスコンティの華麗なる復讐


評価:★★★★★ 5.0

この映画の監督ルキノ・ヴィスコンティは、イタリア公爵の末裔である。
bisuconntei.jpgルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti, 1906年11月2日 - 1976年3月17日) は、イタリアの映画監督、脚本家、舞台演出家、貴族(伯爵)。映画監督・プロデューサーのウベルト・パゾリーニは大甥。
1906年11月2日、イタリア王国ミラノで生まれた。実家はイタリアの貴族ヴィスコンティ家の傍流で、父は北イタリア有数の貴族モドローネ公爵であり、ヴィスコンティは14世紀に建てられた城で、幼少期から芸術に親しんで育った。ミラノとコモの私立学校で学んだ後、1926年から1928年まで軍隊生活を送った。退役後、1928年から舞台俳優兼セット・デザイナーとして働き始めた。1936年にはココ・シャネルの紹介でジャン・ルノワールと出会い、アシスタントとしてルノワールの映画製作に携わった。(Wikipediaより引用)

そんな彼が撮る映画は、真に貴族的な映画として結実して今に残る。
この映画を見れば、美術館に飾られた美術品が、本来あるべき場所にどう存在したか、美術が本来の生命をどう発揮するのか、実際にその美術に日常的に囲まれて育った者だけが知る経験として伝わってくる。
それほど、画面の隅々まで揺るぎない高貴な美意識で満たされて、その美の持つ真の命の拍動を刻み、弛むところが無い。
ルードヴィヒあらすじ
1864年バイエルンの国王となった、18歳のルードウィヒ(ヘルムート・バーガー)の、数奇な運命を描く。ルードウィヒの周りには、彼が慕うオーストリア皇帝の妃である従姉のエリザベート(ロミー・シュナイダー)、心酔する作曲家リヒャルト・ワグナー(トレヴァー・ハワード)がいる。ルードウィヒは、歌劇“トリスタンとイゾルデ”の上演や、壮大な城の建造を国家予算から支出し、その莫大な費用により国家財政が破綻しかねない状況となった。1866年、プロイセンとオーストリアの戦争にも出陣せず、べルクの城にこもっていた。そのころ、ビスマルクの“大ドイツ統一”政策により、バイエルン王国も加盟。ルードウィヒに残されたのは三つの城だけで、その城中で洞窟で日夜詩を暗誦させたり、青年を集め乱痴気騒ぎを繰り広げた。ついに有力貴族たちの画策により、精神科医グッデン(ハインツ・モーグ)が偏執狂と診断し、ルードウィヒはノイシュヴァンシュタインを追われ、べルク城に幽閉された・・・・・・

(イタリア・西ドイツ・フランス合作/1972年/184分/監督ルキノ・ヴィスコンティ/脚本ルキノ・ヴィスコンティ,エンリコ・メディオーリ,スーゾ・チェッキ・ダミーコ)
出演者】ヘルムート・バーガー、ロミー・シュナイダー、トレヴァー・ハワード、シルヴァーナ・マンガーノ、ゲルト・フレーベ、ヘルムート・グリーム、イザベラ・テレジンスカ、ウンベルト・オルシーニ、ジョン・モルダー・ブラウン、ソニア・ぺトロヴァ、フォルカー・ボーネット、ハインツ・モーグ、アドリアーナ・アスティ、マルク・ポレル他

ビスコンティ晩年のこの作品では、バイエルンの王ルードヴィヒ二世の人生を、古典的で典美な高踏的品格を持って語りかける。
この王は国を傾けるほど芸術文化の為に金をつぎ込み、そして最後には、国家から退位をさせられた。
Ludwig II.jpgルートヴィヒ2世 (バイエルン王)
ルートヴィヒ2世 (Ludwig II., 1845年8月25日 - 1886年6月13日)は、第4代バイエルン国王(在位:1864年 - 1886年)。神話に魅了され長じては建築と音楽に破滅的浪費を繰り返した「狂王」の異名で知られる。ノイシュヴァンシュタイン城やバイロイト祝祭劇場を残し、後者には文字通り世界中より音楽愛好家が集まっている。若い頃は美貌に恵まれ、多くの画家らによって描かれた。(wikipediaより引用)


ビスコンティは、そんなルードヴィヒに仮託して、かつて、王に連なる一族であった自分達が、どれほどの美を築き上げたかを示したかったのだろう。

その格調、高貴、豪奢、優雅、精緻をもって展開してみせる燦然たる感性は、人類の到達した芸術の極みとすら、思う。
これらの圧倒的美を目にすれば、何代も栄華を積み重ねた末の王族にして、初めて到達できる高みである事を認めざるを得まい。

実はビスコンティの若き日の作品群は「イタリアン・ネオ・レアリズム」の色を強く持ち、むしろ簡素で素朴な佇まいを持っていた。
そんな初期の映画は『若者の全て』にしても『揺れる大地』にしても、大衆に訴え、民衆の力によって社会を変えようという意欲が見え、その大衆に対する説得力を高めるために、ことさら地味な意匠を「まと」ったようにすら思える。
間違いなく若き日のビスコンティは、共産主義にその身を投じた事でも解る通り、労働者大衆が社会を担うべきだと考えていたはずであリ、それが最も端的に表出されたのが初期の作品群であるように思われる。
それは、自身の出自「貴族階級」に対する、アンチ・テーゼであったろう
「ルキーノ・ヴィスコンティ生誕110年・没後40年メモリアル〜イタリア・ネオレアリズモの軌跡〜」予告編

しかし、いつからか、その作品から世界を変革しようという熱意は喪われ、終にはこの映画のように自らの美意識をモノローグのように表白するようになった。

思うに、ビスコンティは絶望をしたのだ。

girotin.jpg
数に物を云わせた「大衆」とやらが作りだした、
現代社会の醜悪さ猥雑さに。
美しき神々の末裔たる「王」を駆逐し、世界の構築を
任された庶民が作り出した社会の、あまりの下品さに・・・・・

その世界から目をそむけるために、耽美の世界に遊ばざるを得なかったのだろう。

現実に絶望して美に耽溺する・・・この映画のルードヴィヒはそのままビスコンティの肖像である。

そしてまた、この映画は王達になり変ってビスコンティの成した、大衆への復讐でもある・・・・

ビスコンティは圧倒的な王族の美意識で大衆の魂を奪っておいて反問するのだ・・・・
かつて王たちの作り上げた美の高みに、お前達は到達できるかと・・・・


ルードヴィヒがバイエルンを破産させてまで作った名城達
ノイシュヴァンシュタイン城(シンデレラ城のモデル)

リンダーホーフ城

ヘレンキームゼー城



ちなみにビスコンティは、この作品の完成までに映画会社を3つ潰したという。


関連レビュー:
『地獄に堕ちた勇者ども』
巨匠ビスコンティーの描くファシズムのエロス



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posted by ヒラヒ・S at 17:23| Comment(4) | TrackBack(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月09日

映画『ライフ・イズ・ビューティフル』ホロコーストで夢見る者/ネタバレなし・感想・あらすじ・解説・受賞歴


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評価:★★★★ 4.0

この映画は「未来を信じる」「人を信じる」そういう映画だったと思います。
カンヌ映画祭のグランプリや、オスカー男優賞に輝いたのも当然と思える、ロベルト・ベニーニ監督・脚本・主演の感動作です。

『ライフ・イズ・ビューティフル』あらすじ


1939年、ユダヤ系イタリア人のグイド(ロベルト・ベニーニ)は美しい小学校教師ドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)と運命的な出会いをする。ドーラを我が者としたい、グイドはホテルのボーイをしながら、ドーラの前に常に何度も思いもかけないやり方で登場。ドーラは町の役人と婚約していたが、徐々にグイドに心を奪われる。しかし、婚約者との婚約パーティが開かれ二人に未来は無いと思ったところに、グイドが馬で乗り込みドーラを連れ去る。こうして結婚した二人は、息子ジョズエ(ジョルジオ・カンタリーニ)も産まれ、幸せな時を過ごすが、ムッソリーニによるファシズム政権が力を得て、ついにユダヤ人が迫害される時代となり、グイドとジョズエそして、ドーラは強制収容所に連行されてしまう。強制所の中で幼い息子をおびえさせまいと必死に嘘をつくグイド。また、女性収容所のドーラを励まそうと、放送室にしのびこんで妻に呼びかけたりと必死の努力を続ける。彼らの運命はどうなるか・・・・・・・・・・

『ライフ・イズ・ビューティフル』予告


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『ライフ・イズ・ビューティフル』感想・解説



こんなストーリーの中で、再び言いますが、この映画は「未来を信じる」「人を信じる」そういう映画だったと思います。
たとえば、ヒロインのドーラに対しても、必ず二人は結婚するという「未来を信じ」てグイドが働きかけ続けます。
普通であれば良家の娘と、ユダヤ人の男が結婚はしません。
しかし、ドーラがグイドを信頼し、その働きかける「未来を信じ」たからこそ、ついには駆け落ちしてでも共通の未来に向かったのです。
 
life.pngナチスの強制収容所に収監されたグイド一家。
そこでも主人公は「未来を信じ」て、息子に「未来を信じ」させるため、笑顔とともに「これはゲームだ。ゲームが終われば商品がもらえる」と嘘をつきます。
4〜5歳ぐらいの息子でも、この異常事態に気付かない訳はありません。

しかし、彼は父を信頼し、父の言葉を信じる事を自ら選んだのだと思うのです。そして信じることで、未来を変えたと思うのです。
ここで、鍵となるのはグイドだけが「未来を信じ」ても、未来は変わらないという事実です。
グイードとその言葉を信じる、グイドを「信頼」する、他の誰かがいて初めて「未来は信じる」方向に変わると思うのです。
なぜなら、この映画の主人公に明らかなように、人は誰かが自分の事を100%信頼しているとすれば、命を捨ててでもその未来のために努力をし続けるでしょう。
そして結果として「未来は信じ」た方向に変わるのです。

そういう意味で、この映画の題名「人生は美しい」は、現在の状態を告げてる言葉ではないと思います。
 
「未来」において「人生は美しい」ものになると「信じる」という宣言なのです。
そして、皆がそう信じ、お互いを信頼するならば「人生は美しい」ものになるのです。 
その美しい未来を、命がけで証明したこの映画に賞賛を贈りたいと思います。



『ライフ・イズ・ビューティフル』評価



最後に☆マイナス1、重箱の隅つつきます。
ベニーニはこの映画でチャップリンの「キッド」にオマージュを捧げているのが見て取れます。

しかし、チャップリンの笑いは哀愁とともにありましたが、ベニーニの笑いは陽性なキャラクターから生じる笑いのため、この映画の重いテーマにフィットしていたかどうか・・・・・
収容所も本来はもっと沈鬱な場所だと思えてなりません・・・・・・
当ブログ関連レビュー:ホロコーストのトラウマ
『ソフィーの選択』
メリルストリープの魂の演技。
永遠に消えない喪失の物語

関連レビュー:ホロコーストの隠された真実
『サウルの息子』
アウシュビッツ・ゾンダーコマンドの真実
地獄における人の尊厳

しかし、暗くなればベニーニの笑いが浮いてしまうだろうし・・・・難しい所だとおもうんですが
・・・・で、すみません減点1です。

あともう一つ重箱のスミを。
題名の「ライフ・イズ・ビューティフル」って・・・・
「ニュー・シネマ・パラダイス」の題名でも思ったんですが、原題のイタリア語「ヌーボ・キネマ・パラディソ」の方が趣があっていいと思うんです。
わざわざ英語に直す必要あります?

この題名だって、イタリア語で「ラヴィ・エ・ベッラ」でもいいんじゃないですか?
それだと売れないと映画会社の人が思うんだったら、せめて日本語でふさわしい題名にして欲しい・・・・なんか英語題だと違う気がする・・・・のは私だけでしょうか?


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『ライフ・イズ・ビューティフル』受賞歴

カンヌ国際映画祭:審査員グランプリ賞
第71回米国アカデミー賞:主演男優賞、作曲賞、外国語映画賞
トロント国際映画祭:観客賞
セザール賞:外国映画賞


ベニーニのアカデミー賞受賞スピーチ


プレゼンターはヘレン・ハント
良い映画には3つの要素が必要で、良い脚本、優れた監督、偉大な俳優だと語り、ノミネート者を紹介。
ロベルト・ベニーニ(ライフ・イズ・ビューティフル)/トム・ハンクス(プライベート・ライアン)/イアン・マッケラン(ゴッド・アンド・モンスター)/ニック・ノルティ(白い刻印)/エドワード・ノートン(アメリカン・ヒストリーX)受賞者はロベルト・ベニーニ(ライフ・イズ・ビューティフル)。
【受賞スピーチ・意訳】
ありがとうございます!これは大いなる間違いです。だって私はすべての英語を使い切ってます。分からない!私はすべての感謝の気持ちを表現することができません。なぜなら今、私の体は、全身あまりの爆発的な歓喜によって打ち震えているからです。今、木星になったようです!そしてみんなを誘拐して、大空に寝かせて誰とでも愛し合いたい、なぜなら表現することができないからです。
これは愛の問題です。あなた方はほんとうに・・・・山の雪のように、とても繊細で、優しく、親切な、私が決して、心の底で忘れられないものです。そして、映画を本当に愛している、アカデミー協会に感謝します。イタリアの全てと、イタリア映画に感謝します。私を作ってくれたイタリアにグラチェ。私は本当に、もし私に何か良いことがあれば、それらのすべてに借りたものです。グラチェ、イタリア、グラチェ、アメリカ。この国から多くの物を得ました。大変感謝しています。そして私が望むのは、これに値するとは思っていませんが、それでも私は他のオスカーも欲しいです!(他にもノミネートされていた)ありがとうございました!どうもありがとうございました!ありがとうございました!
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posted by ヒラヒ・S at 21:59| Comment(4) | TrackBack(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする