2017年01月31日

アニメ『アナと雪の女王』ディズニープリンセスの進化・あらすじ・ネタバレ・ラスト

ディズニープリンセスの「独立宣言」



評価(お嬢様方用) :★★★★★  5.0点
評価(奥様方用)  :★★★★   4.0点
評価(坊ちゃんども):★★     2.0点


世界的大ヒットアニメ、大ディズニーの輝ける王冠「プリンセス・シリーズ」の栄光を見事に継承したこの作品は、完璧なマーケティングによるプロフェショナルな一本だと感じます。
その見事な作りこみは一見の価値があると思います・・・・・

アナと雪の女王あらすじ


アレンデール王国の王女姉のエルサと妹のアナは、王家の美しい姉妹。しかし、エルサは触れたものを凍らせる魔法の力を持って生まれていた。8歳の時、妹のアナと魔法で遊んでいて誤ってアナを傷つけ、こん睡状態にさせてしまう。王と妃はトロールの力を借りアナは回復するが、エルサの魔法に関する記憶をアナは失う。
エルサは触れるものを凍らせる“禁断の力”が発現しないように、部屋に閉じこもっていたが、エルサは女王としての即位式に出席せざるを得なくなった。一方アナは久しぶりの開放感にウキウキし、隣国の王子ハンスと出会って恋に落ち結婚の約束もした。姉エルサは反対し、思わず人々の前で魔法を暴発させ、王国を冬に変えてしまった。エルサは山に籠もり氷の城を建て、自分を開放し独りで生きていく決意をし“雪の女王”となる。
行方を絶った姉と王国を救うため、山男クリストフとトナカイのスヴェン、“夏に憧れる雪だるま”オラフと共に雪山の奥深くへエルサを探し旅に出るアナ。アナはついにエルサと対面し帰ってくるように迫るが、拒否され、さらに氷で傷つけられてしまう。その魔法を溶かすのはエルサ自身にも不可能で、その解除方法は“真実の愛”だけだった。それを知ったクリストフは城に戻り隣国の王子ハンスに事情を話し彼のキスを求めるが・・・・・・・・・世界を救うことができるのか?引き裂かれた姉妹の運命は?

(原題FROZEN/アメリカ/製作年2013/上映時間102分/監督クリス・バック 、ジェニファー・リー/脚本ジェニファー・リー/原作アンデルセン:「雪の女王」)

アナと雪の女王出演者


神田沙也加(アナ)/松たか子(エルサ)/原慎一郎(クリストフ)/ピエール瀧(オラフ)/津田英佑(ハンス王子)/多田野曜平(ウェーゼルトン公爵)/安崎求(パビー)/北川勝博(オーケン)

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アナと雪の女王・感想・解説
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この映画は世界中で大ヒットして、今さら何を言えばいいのかというぐらいのものですが・・・・・・

anayuki-back.jpgまずは、CGによるアニメーションの完成度がスゴイと思いました。
普通CGというと、もともとこの技術自体が嘘を本当に見せるという目的なので、写真のようなリアルな映像をつくってしまい、アニメのファンタジーのイメージにマッチしない事がママあります。

それが、この映画ではイメージ世界とCGのニュアンスというかリアル度のさじ加減というべきか、ホントに完璧だと思いました。

さらに、ディズニー映画は歌がつきものですが、見事に「名曲」を世に送り出したと感心します。
たぶんディズニーメロディーとして100年後も歌われるに違いありません。
松たか子のレリゴーです

そして、最後に感心したのが、このアニメの割り切りの良さでしょうか。
そしてまた、同時にそこはどうなのというのも、割り切りの良さだったりします。

Film-katinko.jpg
この「割り切り」というのは、ディズニーだけではなく、ハリウッドの映画システム自体の問題でもあるのですが・・・・

例えばハリウッドでは映画を撮るときに、企画段階でどの位の資金を投入して、どの位リターン(回収)出来るかを冷徹に計算します。
そしてその中で、鍵となるのが「ターゲット」と「コンテンツ」です。

つまりどんな客層に、どんな内容を伝えれば、最も効率よく資金回収が可能かの見極めが大事というわけで・・・・

で、この映画です。
ディズニーの伝統的「プリンセス・シリーズ」の一本。
ターゲットはハッキリしています、ローティーンの少女たちです。
そのコンテンツは当然「少女たちが喜ぶもの」に集約されます。
『アナと雪の女王』雪だるまつくろう <八戸弁・南部弁・ver>

それゆえ、「噂ほど面白くないなぁ」なんてお考えの、親御様、特にお父さん、心配ありません。
あなたを喜ばせるために作ってませんから。同様に「ちっともオモシロクね〜じゃん」という、ガキど―失礼、お坊っちゃん達、あなた達は「カーズ」とか「モンスターズインク」を見るように。
これはキミタチのアニメじゃないよ。
Frozen-gif.gif
そんな、徹底して「少女たちの夢・憧れ」を作り上げるのが、このシリーズです。
嘘だと思ったら少女たちに聞いて見て下さい。ほぼ100%満足と答えるはずです。

しかし、今回はちょっと今までのプリンセスストーリーとは違う「コンテンツ」となっていて、この内容で「大ヒット」したのは、ディズニーの今後に大きな影響が出るほどの大事件じゃないでしょうか。

『アナと雪の女王』生まれてはじめて・大阪弁.Ver

その新しさは― 
今までの王子様を待つお姫様という定型にはまっていないということ。
これは、革命的です!
恋らしき風景が出てくるものの、物語の主体は「プリンセスの自主自立」です。ここで言われているのは、もう男なんかに頼らないで!自分で人生に立ち向かいなさい!という檄かと思われます。

Anayuki-futari.jpg上の新機軸に合わせて、必要となったのがプリンセスを二人登場させるという設定だったでしょう。

つまり少女達の自立物語であれば、構造的に正しいストーリーは二人の対立する少女達の問題を描き、それを解消させることでカタルシスに至るという展開でしょう。


この映画で言えば、問題とは「少女が自分らしく在るために孤立してしまうと、周囲の人々を傷つける。」です。
そしてその問題に対する解は「周囲の人々の愛を受け入れれば、自分らしさを失わずに皆幸せになる。」です。
そして、この内容を「王子との愛」を基軸にしてしまえば、「結局、男頼みか」と思われ少女の自立としてのテーマがぼやけてしまうでしょう。
『アナと雪の女王』ピエール瀧が歌う!雪だるまの"オラフ"

ANAYUKI-pos.jpg
以上の結果、プリンセスストーリーとしては初めて「王子」様が不在で、「おとぎ話」の形式から離れた内容になったに違いありません。

しかしこの内容で結果が出たという事は、今や世界中の少女達の夢が「いつか王子様が来て助けてくれる」というものから「自分の力で自分らしく生きるのが大事」という方向にシフトしたことを表しているのでしょう。

ぶっちゃけ、離婚はあるわ、不倫はあるわ「現代のあてにならない恋」に人生賭けられないでしょ?

そんなわけで、この一作によってデイズニープリンセスも「♪わた〜しは自由〜よ〜♪なんで〜もでき〜る〜♪」ということになりましたとさ。

めでたし、めでたし・・・・・かどうかは、今後のディズニー作品次第ですが・・・・・

『アナと雪の女王』Let It Go<25か国語 Ver.>

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以降「アナと雪の女王・ネタバレ」を含みますので、ご注意下さい。

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城に着いたアナは凍った体を溶かすには「真実の愛」が必要だと、ハンスに話し彼のキスを求めるが、途端にハンスの態度は豹変する。
彼は王国を乗っ取るつもりで、アナを選んだと本心を告げる。ハンスは瀕死のアナが死んだと城中に言いふらし、エルサを反逆罪で死刑にすると告げる。オラフの助けで城を抜け出したアナは、ハンスがエルサに剣を振り下ろそうとするのを見て、自らの命を捨ててエルサを助ける。

アナの身体は完全に凍りつき、ハンスの剣を砕き彼を弾き飛ばす。
エルサは氷の彫像と化したアナを抱きしめて泣きじゃくる。そのとき凍りついたアナの身体が元に戻り、「真実の愛」とは姉妹の愛だったということが分かる。

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アナと雪の女王・ラストシーン

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クリストフはアナの恋人になる。
エルサは二度と城の門を閉ざさないと約束し、凍らせた城の広場の地面でアナや国民たちとともに真夏のスケートを楽しんだ。

めでたし・・・・・・・めでたし。

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posted by ヒラヒ・S at 17:09| Comment(4) | TrackBack(0) | アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月06日

『言の葉の庭』現実より美しいアニメの力のあらすじネタバレ解説

新海誠のリアリズム


評価:★★★    3.0点

この作品では現実世界で起こる、リアルで日常的な恋を描いています。
この現実的な恋愛物語を、アニメーションとして表現する必要があったのかとも思うのですが・・・・
言の葉の庭あらすじ
高校1年生のタカオ(声:入野自由)は、母と兄の三人暮らしだが、兄が同棲を始めるというので母は怒って若い恋人のもとに走る。子供の頃から奔放な母になれている兄弟は、それでも淡々と生活を続けている。
そんなタカオは雨になると午前中は学校をさぼり、新宿の公園で将来の靴職人の夢に向かって、靴のデザインを描ている。その公園のベンチにある日一人の女性が、缶ビールを飲みチョコを食べていた。ユキノ(声:花澤香菜)というその女性も、雨の日には公園に来ており、二人は徐々に雨の日を待つようになっていく。実はユキノは精神的に追い詰められ、ビールとチョコの味しかわからないほどの状態だった。タカオは彼女に好意を抱き、彼女が歩きたくなるような靴を作りたいと思うようになる。しかし、梅雨が明け二人が会う機会が減って行く・・・・・・

(日本/2013年/46分/監督・脚本・原作、新海誠/主題歌・秦基博「Rain」)

このアニメで語られているのは、現実的な恋愛と書きましたが、「恋愛ドラマ」として見てみれば正直言って平均的な「劇」でしかないと感じます・・・・・・・・・・・・
しかし、それでもこの映画は見るべき価値があると思うのは、そのアニメの表現力の高さゆえです。
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以降ネタバレがありますご注意下さい
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kotonoha-takaodai.jpg

この主人公タカオは、作中ではアッサリと描かれますが、実は母が兄にばかり愛情を注ぎ、そこはかとなく孤独を感じながら生きてきました。
そんな彼が、女性用の靴を作ろうとしたり、料理が得意だったりするのは、ある種の母性に対する憧憬のようにも思えます。
そんな欠落ゆえに、学校をサボる事になるのでしょう。

ヒロインのユキノにとっては状況はもっと悲惨です。
タカオの通う高校の「古文」の教師である彼女は、生徒のイジメの対象になり精神的に追い詰められ、学校にも行けず、助けてくれる者もなく、どうしようもなく公園で朝からビールを飲んでいるのです。
そんな孤独な二人が出会い、それと知らず、生徒と教師の恋が始まるのです。

kotonoha-taiwa.jpgそこには、孤独な者同士が「言葉を葉のように茂らせ、緑豊かな庭園とする」過程、つまりは「孤独を言葉によって埋め、愛を育む」過程が、間違いなく描写されていると感じます。
そしてまた、お互いの気持ちを確かめ合って、それぞれの道でシッカリ歩けるようになってから、再び再会しようという前向きなハッピーエンドになっています。

しかし、前にも書いたとおり、この恋愛劇を単にドラマの強さから見れば、残念ながら、凡庸と言わざるを得ません・・・・・・・

例えばここには『秒速5センチメートル』にあるような、恋愛劇としての鮮烈さは正直有りません。
実はこの映画のドラマは、『秒速5センチメートル』で描かれた「初恋」のドラマが、賛否を含めあまりに反響が大きかったがゆえに、どこか現実的なハッピーエンドに落ち着かせようという意思が働いたのではないかとすら思いました。
関連レビュー:『秒速5センチメートル』

いずれにしても、この映画で描かれた恋愛劇が、日常的な、現実的な世界観をもっている事を強調したいと思います。
そこで疑問なのが、だったら実写で映画化したほうが鮮烈にドラマを際立たせられるのではないかという事です。
そこで思い出したのは、今はなきアニメーション作家の今敏監督です。
かれは『パーフェクト・ブルー』というアニメで、それまでのアニメとは違いSFやファンタジーの設定を使わない、そのまま実写として表現できる現実世界のドラマをアニメーション作品として作りました。
それを見た時に、正直、この作品は実写で撮った方が表現力が高くなると感じたものです。
関連レビュー:『パーフェクト・ブルー』

この映画『言の葉の庭』も実写で撮るべきなのではないかと感じつつ・・・・・・・
しかし見終わったときに思ったのは、映画として凡庸であったとしてもアニメーションとして卓越しているという感想でした。

上手く説明できていないのですが、『パーフェクト・ブルー』の時にはこれは実写で撮った方が力を持つ作品だと思いました。
しかし、この映画は実写で撮ったときに、アニメで描かれたこの美しく繊細な風景、雨の情感が喪われてしまう事が、なんとも残念だと感じたのです。
kotonoha-aoba.jpg

もう一度整理しますと、今敏監督作品では現実世界の描写は、アニメーションに置き換わったとき表現力が落ちると感じました。

しかし、この新海誠作品では現実世界の描写は、実写にしたよりもアニメーションの方が表現力が上がると感じたのです。

それはすなわち新海作品においては、実写映像よりもアニメ表現の方が「現実世界」をより豊かに表現できるということを表わしています。
今敏作品に関してはアニメでしか描けない「虚構世界」を確立し、それは卓越した酩酊感を生む素晴らしい表現だと個人的には感じます。(下/パプリカ「パレードシーン」)

しかし、そんな現実を異化する表現であるがゆえに、現実に依拠したドラマを描くにはアニメ表現の方向性が違っていたのだと、新海誠作品を見て思うようになりました。


つまり、新海誠のアニメ表現は、間違いなく現実世界(ことに自然風景)を描いて、実写映像よりも優越していると言う事を鮮烈に、繊細に、情緒的に、瑞々しく、華麗に、この映画が証明したように思います。

そういうわけで、この映画は現実世界を超越した現実表現を、アニメーションが表現したと言う意味で歴史的な作品だと思うのです。

このアニメによる現実表現を持ってすれば、実写映画をアニメとしてリメイクして、実写よりも優れた作品になることを意味するでしょう。

え〜例えば・・・・・『恋空』なんていう低評価映画(yahoo映画で★1.98、ぴあ映画生活で★2)であっても、新海誠監督のアニメ力を持ってすれば傑作にしちゃうんじゃないかなんて思ったりします。
「言の葉の庭」エンディング・ソング秦基博『Rain』


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タグ:新海誠
posted by ヒラヒ・S at 17:29| Comment(4) | TrackBack(0) | アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月30日

『秒速5センチメートル』中二病のリリシズム・あらすじ・ネタバレ・ラスト・解説

新海誠監督の基礎力の証明



評価:★★★★   4.0点

サクラサク春byou-tatenaga.jpg
光輝に満ちて花はときめく
暖気寒気の対流に
一瞬の内に散り去るにしても



サクラサク春は去り
花はこぼれ葉は落ちて
無常に無心に時は過ぎ逝き
春の色は跡形もなく



サクラサク春を忘れ
烈火の夏に焦燥し
酷寒の冬に心凍り
闇の中に沈むとしても



サクラサク春を喪い
まだ残る秒速5センチメートルの軌跡
花の記憶は心に満ちて


永遠にして絶対の、あのサクラ咲ク春
唯一にして無二の、あのサクラ舞ウ春


秒速5センチメートルあらすじ
短編3本の連作として製作された、主人公遠野貴樹の物語。
<桜花抄>東京の小学校に転校通してきた遠野貴樹(声:水橋研二)と篠原明里(声:近藤好美)は、同じ環境の似たもの同士ということで、互いに好意を持ち同じ中学校に進学しようというとき、明里は宇都宮に引っ越す。二人はその後文通を重ねるが、中学1年時のとき貴樹も種子島に転校することが決まり、転校の前に明里に会うために宇都宮に向かう。しかし折悪しく豪雪に見舞われ大幅に約束の時間に遅れてしまう・・・・
<コスモナウト>種子島の夏で高校三年の澄田花苗(声:花村怜美)は、中学二年の時に東京から引っ越してきた遠野貴樹(声:水橋研二)に片思いをしている。同じ帰り道を一緒に帰りながらも、自らの思いを打ち明けることができない。打ち込むサーフィンで波に乗れたら告白しようと決め、ついに成功した日に貴樹と一緒に下校する。しかし花苗は共に歩きながら、思いがあふれ泣き出す。その二人の上をH2Aロケットがどこまでも昇って行くのだった・・・・・・・
<秒速5センチメートル>社会人になった遠野貴樹は、がむしゃらに仕事をし、疲れ果て、仕事を退職する。彼女にもフラれ、抜け殻のようになって思い出すのは、中学時代の明里との思い出だった。また、明里も新たな生活に踏み出す前に、貴樹との記憶を蘇らせていた・・・・・・

(日本/2007年/60分/監督・演出・脚本・原作・絵コンテ・キャラクター原案・新海誠)

このアニメ映画で表しているのは、届かない思い、遥かな距離を隔てて、なお追い求めとめようとする切ない思いにあると感じました。
そんな儚く哀しい心を見事に表現した、新海誠監督の画面の細部にまでリリシズムを込めた表現力が素晴らしいと感動しました。
この映画の持つリリシズムとは、永遠に手に入らないからこそ成立する、崇拝の姿ではないかと思うのです。
だとすれば、この映画のラストは「崇拝すべき存在」を天上に止め置き、崇め続けられる幸福を手にしたハッピーエンドではないでしょうか・・・・・
byousoku-dai.jpg

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以降ネタバレがありますご注意下さい
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この映画の主人公は、中学一年の3学期に人生のピークを迎えたのだと思う。
好きな女の子と相思相愛になり、ファーストキスを交わす。
そして一晩、二人きりでそれぞれの思いを語り朝を迎える。

そんな完璧な時を過ごして、その思い出は残像としてなお光り続けただろう。
byou-kiss.jpg

この中学生のカップルは、お互い遠く離れた物理的距離を越えられず、特に主人公の遠野貴樹は自らの『永遠の時』を越えられず、その思いは転じて遥かな宇宙を夢想したり、仕事を通じて自己実現を成そうとして果たせない。
それは、高校時代に自らを思ってくれる相手が傍に居てすら気が付かないほど、遠くにしか焦点があっていないという描写に明らかだ。

結局、遠野貴樹にしても、その貴樹に高校時代に恋した澄田花苗にしても、隔たって離れているからこそ「想い」が募るのだろう。
なぜなら、彼等が求めた対象とは「現実の存在」ではなく「胸の内の理想」に他ならないのだから。
決して手に入らない「理想」を思う時、人が成す行為を「祈り」と呼ぶのではなかったか。
つまりここに在るのは「人が神を思う=信仰」の姿である。

祈りが完全に適えば「信仰=祈り」が消え去るように、人は現実に安住し得ないがゆえに「誰かを恋し」「宇宙を目指し」「理想を求める」のではないのか。

そして、間違いなく、自分の「望むモノ」を不可能なほどの高みに設定したとき、その無理な望みのために自らを修道士のごとく、純粋に高潔に保とうと努めるはずであり、そこにはある種の気高さを伴った美が生じるはずである。
byousoku5.jpg
主人公の恋する相手を「マドンナ化」する姿とは、一見現実の中で満足を見出せずに、自らの幻想の中で「欲望」を生み出す、思春期の少年達とおなじ心理的作用「中二病」として見える。

しかし、本質的に違うのは中学生の「夢想=理想」は、成長し現実世界の経験を重ねることにより、夢は日々の摩擦を経て「矮小化された日常」へと向かい、輝きと気高さを喪うということだ。

対してこの映画の主人公は、高校時代や社会人時代に3年付き合った彼女が居たという描写を見れば、他者からみれば「リア充」として現実を生きていたはずだが、それでも一度手にした「篠原明里=理想」を捨て切れなかった。

実際は彼にも分かっていたはずだ、それは現実の相手ではなく、13歳の時に生まれた、相互の隔たった想いが完璧なタイミングで融合した一期一会の「奇跡の瞬間」なのだと。
その「美しき奇跡」を残像として心に宿し、矮小な現実の苦しさを前に、その「美」に磨きをかけさえしたのだろうと想像する。

そんな「美しき奇跡」を「初恋」と呼ぶこともできる。

そして、しばしば言われるように「初恋」は実らない方が良いというのは、その恋が多分に自己愛の発露であり、自らの願望を相手に投影した結果であるからである。

つまりは初恋という現象は、現実の恋人を己の理想でコーティングし美化するする行為に他ならない。
その試みは、最終的に破綻せざるを得ないのは、現実の恋を重ねるとは、「他者=恋人の理想」を前に自らの「自己愛的理想」を打ち崩される工程であるからだ。
その、無惨で無慈悲な現実に、自らの理想を侵されずにすむ道は、ただ一つしかない。

触れずに敬して遠ざかり、崇めることだ。

これこそ、この主人公の成したことではなかったか・・・・・・
byousoku-dai.jpg

ラストシーン

そして、この映画のラストで示されたのは、この主人公はかつて恋人であった存在を現実で手に入れようと思っていないと言う事実だ。
過去の甘やかで理想の姿をした、中学生時代の彼女ほど完璧な存在が無いことを知っている彼は、そうできるのに、現実の彼女に駆け寄り抱きしめることをしない。

明らかに現実の彼女よりも、過去の彼女に対する「想い」の方に価値があると、知っているからだ。

それゆえこの主人公は、これから先も自らが作り上げた「美しき奇跡」を前に、永遠の彷徨を続けなければならないだろう。
それは不幸であったとしても、現実の小さな幸福よりも、美しき甘美な決して手に入らない「完璧な理想」に殉ずるというロマンチズムを生きるという決意でもある。
そしてその姿とは、間違いなく、現実の中から永遠の美を抽出しようとする、芸術家の魂に通じるものであり、新海誠監督のリリシズムの本質を表すものだったろう。

だが、この映画で語られた「隔たれた理想」「美しき奇跡」を、今この時代に語るのは冷笑を持って切り捨てられるのが関の山だが、それをアニメーションで描くことで、一見陳腐なテーマを昇華し、再生することを可能としたと思う。

つまり「中二病」の如き、甘く幼い「夢想」ですら、この監督のアニメーションのデティールに表現された美の鮮烈な説得力をもってすれば、十分語れることを意味する。

新海誠という作家はアニメにより『ロマン派』を再興・復権することだろう。

この映画のエンディングテーマにして全てといってもいい・・・・・
<山崎まさよし / One more time,One more chance>

ぜひこの作品で、主人公達のドラマとこの歌が重なる感動的なエンディングをご覧ください。


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タグ:新海誠
posted by ヒラヒ・S at 16:53| Comment(4) | TrackBack(0) | アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする