2016年09月17日

『レイルウェイ運命の旅路』日本軍収容所の英国兵の実話/感想・ネタバレ・あらすじ・解説

贖罪と救済の唯一つの方法



評価:★★★★   4.0点

この映画は、戦争経験者がそのPTSD(心的外傷後ストレス障害)を克服する道を示した、感動の物語です。
ここには戦争従事者であればこそ語れる、真実の救いの道が、一筋の光明の如く輝いていると思います。

<レイルウェイ 運命の旅路あらすじ>
1980年イギリス、エリック・ローマクス(青年期エリック・ローマクス/戦後コリン・ファース)が列車に乗った時に旅行中のパトリシア(ニコール・キッドマン)に出会い結婚する。二人の結婚生活は、エリックの異常な行動を見たパトリシアは、その原因を知るため第二次世界大戦をエリックと共に戦い日本軍捕虜となった、戦友フィンレイ(ジェレミー・アーヴァイン/戦後ステラン・スカルスガルド)に会う。フィンレイが語ったのは、「戦争は痕跡を残す」という事実だった。エリックは捕虜として、クワイ河を渡るタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設に従事させられ、さらにスパイ容疑を受け厳しい拷問を経験していた。その収容所で通訳をしていた日本人・永瀬(青年期・石田淡朗/戦後・真田広之)がまだ生きていて、タイで戦争体験を伝える活動をしていたると知った。エリックは自らの過去を清算するため、永瀬を殺す決心をし一人タイへと向かう・・・・・・・

(2013年/オーストラリア・イギリス/2013/116分/監督ジョナサン・テプリツキー/脚本フランク・コットレル・ボイス、アンディ・パターソン/原作エリック・ローマクス )


雑誌『エスクァイア』の1995年度ノンフィクション賞を受賞した、エリック・ローマクスの自叙伝『TheRailway Man』を映画化したものです。戦争体験者だから語れる言葉に満ちています。




この映画の舞台は第二次世界大戦中、泰緬鉄道建設にあたり、1942年から1943年にかけて、タイ・ビルマ間の鉄道建設予定地で、日本軍が、鉄道建設に従事した連合軍の捕虜やアジア人労働者多数を動員し、多数の死亡者を生じせしめせた歴史的事件を背景としています。
この泰緬鉄道の工事中に、約1万6千人の連合軍の捕虜が、飢餓と疾病と虐待のために死亡したとされ、アジア人労働者の死亡数も、約4万人 - 7万人と推定されているようです。
参考:Wikipedia "泰緬鉄道建設捕虜虐待事件"

この泰緬鉄道の建設を描いた映画は1957年公開の英・米合作映画、第30回アカデミー賞作品賞受賞した、名匠デヴィッド・リーン監督作品の「戦場にかける橋」があまりにも有名です。
この下の動画を見ただけでも、デヴィッド・リーン監督の絵作りに感動します。
この映画は、戦争の無為さを表現した名作だと思います。

テーマ曲『クワイ河マーチ』はあまりにも有名



そんな何度も映画として表現されてきた、泰緬鉄道の建設に使役されたイギリス軍捕虜の体験談を描いた物語です。
コリン・ファースが演じる捕虜時代のPTSDに苦しむ主人公の姿が、迫力を持って迫ってきますし、加害者側の日本人を演じる真田広之も、誠実な贖罪の心を表現して地味ながら心に沁みる姿を見せます。
さらには、ニコール・キッドマンが戦争従軍者の妻を演じ、家族にまでその影響が及ぼされる深い苦悩を表します。

結局、この映画の前半が語ったのはたとえ勝利者の側であっても、戦争に参加させられた人間は、かくも深くその精神とついは人生をも破壊されるのだと語っていると思います。

関連レビュー:日本軍捕虜収容所の映画
『戦場にかける橋』
反戦映画の古典的名作
アカデミー賞受賞作

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!!!!!!!以下ネタバレが有りますご注意下さい!!!!!!!!
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そして、被害者と加害者が戦後40年を経て、直接対決をするシーンの二人の表現力は凄いとしか言いようがありません。
特にコリン・ファースの発する殺気は慄然とする迫力があり、それを受ける真田も静かな諦念を示してリアリティーに満ちたものです。

しかし、この二人の対峙は結局、加害者が贖罪のために生きてきたという真実を、被害者が認めさらに許したとき、初めて被害者にも心の平安が生まれ、彼の戦争が始めて幕を下ろしたのです。
このラストで示された、相互に交わされた手紙の言葉は、聞くものの心を強く打つものです。
現実に傷つけあって、苦悩の元凶である敵を、現実世界において許しえたのだという真実を伝えることこそ、この映画の目的だったと信じます。

そして、さらに敵を許すこと以外、自らの苦悩から救われる道も無いということを示した、奇跡の映画だと思います。
結局、贖罪と救済の唯一つの方法は、敵を許すこと以外に道がないと語っていると思うのです。


また、この映画は戦争というものが、どれほど酷く人の人生に傷跡を残すかを語っており、この経験をした人々は敵を許してでも「争い=遺恨」を減らす方向で努力せざるを得ないという真実だと思うのです。

戦争体験者が徐々に少なくなると同時に、国家間の対立が強くなり、右翼的な言動が増えて来たのは、戦争がどれほどの根源的な被害を生むかを知る人々が、年々亡くなられて行くのと無関係ではないように思います。

だから今こそ、ぜひ戦争の痛みの実話物語をその眼で確かめて、戦争が「絶対悪」だと認識してほしいと思うのです・・・・・・

映画「レイルウェイ 運命の旅路」原作者の妻が語る真実とは


関連レビュー:日本軍捕虜収容所の映画
『不屈の男 アンブロークン』
収容所の不屈の男
アンジェリーナ・ジョリー監督


関連レビュー:日本軍捕虜収容所の映画
『戦場のメリークリスマス』
捕虜収容所の東西対決
大島 渚 監督


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posted by ヒラヒ・S at 21:38| Comment(4) | TrackBack(0) | オーストラリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月23日

『月のひつじ』それぞれのアポロ計画/あらすじ・感想・解説

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評価:★★★★   4.0点

え〜まいど馬鹿馬鹿しいお笑いを一つ・・・・・
この間ある社長さんと話していて、仕事は何ですかとお尋ねしました所、飛行機の製造に関わる仕事だというので、それは大変なお仕事ですね、機体関係ですか?いいえ。エンジン関係?いいえ。コンピューター関係?いいえ。
じゃぁ〜なんなんですってぇ〜と、結局の所、飛行機の床を作ってるって話でして・・・・・こちらとしても、肩透かしってんでしょうか、な〜んだ床か・・・・・・ってガッカリしたりして。

ま〜それはそれとして、アポロ計画っていうものがありまして、これはアメリカとソ連が角突きあわせている「冷戦時代」に、ソ連のガガーリンが先に宇宙に行っちゃったモンで、ヤンキーさん達の焦ったの焦んないのって、焦ったんですがね。
それで、アメリカとしても負けチャられなイッテンデ、時のケネディー大統領が、あっちは地球の周りを回ったってんだったら、こっちは月に行ってやら〜ベラボウメって言う訳でして。
1969年7月には、いよいよ最初の月面着陸へ向けてアポロ11号が発射されるという、世紀の大イベントというヤツで、いよ〜大統領!

冗談抜きで、このときには世界中がドキドキして、日本でも特別番組が組まれたぐらい。真夜中だというのにTVにかじりついたりして、な〜に当時の白黒TVじゃよーく見えやしないんですがね。

ま〜考えて見ればこのアポロ計画の主役は、NASAのあるヒューストンで、この計画の大スターはアームストロング船長なんかの宇宙飛行士達なんですよね。
でも、この前たまたまTVで見た映画がナカナカ良かったんです・・・・『月の羊』って題名はど〜いう意味かよく分からないんですがね、原題は「The Dish=お皿(パラボラアンテナの別名)」と言いいましてね。
ひょんなことから、オーストラリアの片田舎のパラボラアンテナが、アポロ計画で重要な役目を仰せつかるというお話なんですが・・・・・・
あらすじ
1969年7月世界初の月面着陸へ向けて、アームストロング船長ら宇宙飛行士を乗せたアポロ11号が、アメリカヒューストンから打ち上げられた。その月面着陸の瞬間を世界中に生中継するため、衛星中継基地をアメリカ国内に準備していた。しかし、打ち上げスケジュールが遅れたために、電波をキャッチすることが出来るのが地球の南半球側になってしまった。そこで白羽の矢が立ったのが、オーストラリアの田舎町パークスにそびえ立つ巨大なパラボラアンテナであり、世紀の瞬間が放送されるか否かはアンテナ施設に勤めるオーストラリア人3人、所長クリフ(サム・ニール)、電子機器担当グレン(トム・ロング)、アンテナ操作担当ミッチ(ケヴィン・ハリントン)、とNASA職員のアル(パトリック・ウォーバートン)手に委ねられた。(2000年/オーストラリア/ロブ・シッチ監督)

正直、言いましてね、あっしらみたいなものでも、いままで散々アポロの映画を見てるじゃありませんか。
それに較べりゃ、圧倒的に細け〜、小っぽけな〜、せせこましい、え〜言っちゃ悪いけどNASAが自動車工場のような大企業だとしたら、まるで隣の町工場みたいな話でしてね・・・・・正直、地味な話だな〜と思いました。


そんなこんなで、映画の登場人物も、所詮は枝葉の仕事だとかハスに構えたり、とどのつまり田舎町の施設だとか自嘲してみたり、ど〜せNASAなんか俺達を馬鹿にしているだろうと拗ねてみたり・・・・ど〜にも煮え切らないアンバイなんで、見ていてイライラしたりして。

ところが、話が進むにつれて、皆の心に矜持、プライドってんですか、そいつが見えてくるわけです。
そりゃ〜俺達はアポロの枝葉の、取るにたらね〜仕事かも知れね〜が、俺たちがいなくちゃアポロは月に届かないんじゃねぇのか!べらぼうめ〜という・・・・・・それはねぇ、落語で言うところの熊さん八つあんのような庶民の営みに対する、愛情とか、執着とか、つまりはテメエの生活に対して真正面から取り組む、そんな名もなき人々が大きな仕事を支えてるんだという姿に、思わずホロリと。

正直ね、もっとドラマチックにも作れると思うんですよ、よくよく調べたらこのパークス天文台って「アポロ13号」の事故の時にもずっと電波を追尾し続けたとか・・・・でもねそこを敢えて押さえて、脇役としての分を守って語っているところなんぞ、8代目桂文楽の落語を聴いているような粋な心持がしました。

そんなこんなで、ここで描かれるのは花形以外の人々にも、等しく役割があり、その仕事を全うすることで大きな仕事が完成するという誇りだったんでしょう。
それは、そのまま、庶民の誇りなんですな。
そんな一般大衆、一人一人の人生に輝きがあることを描いた、本当にいい話だと思いましたね。

そんな誰もが秘めた耀きを持つ様子を、一句
名月や いずれの胸にも 名月や
おそまつ。
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あイケね!忘れてた!
あの、飛行機の床を作ってる社長さんのことです。
この映画を見て反省しましてね、飛行機の床が抜けちゃ飛べません、大事なお仕事ですな〜なんてヨイショしに行きました。
そ〜したらさすが大人、何も言わずにお酒の準備とは恐れ入りましたがね、なかなか良い心持になったところでこの映画の話になりまして、いい映画なんだが題名が良くない「月のひつじ」とは、腑に落ちないと申しました。
そ〜したところ、そのお方が申しますには「飛行機に床がなければ飛べないように、アポロにもアンテナがなければ帰れません。」
つまりは「月のひつじ(必濡)」品という・・・・・・

ま〜あまり良いオチではありませんが、アポロと飛行機だけにキレイに落としたくないということでご勘弁願います。

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posted by ヒラヒ・S at 17:12| Comment(4) | TrackBack(0) | オーストラリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月26日

マッドマックス

神話になったヒーロー



評価:★★★★★  5.0点

この映画シリーズによって、文明崩壊後の弱肉強食の暴力が支配する世界観が、ビジュアルイメージとして定着された。
この映画の製作年代は冷戦の真っ只中の、ある種閉塞感を持った世界情勢であった。
そんな硬直した世界をリセットしてリロードするという荒業は、どこかシュミレーション・ゲームめいて刺激的だった。

映画は第一作目の文明社会において、主人公は暴走族により家族を失う。
これは、近代文明が作り出した暴力的な組織支配によって、抑圧された個人の象徴である。
それはこの主人公が警察官という公的組織に居ながら、復讐という個人的理由のために組織を脱することでも明らかだ。
この一作目は全シリーズのプロローグを成す物であり、主人公は文明社会を焼き尽くす復讐者となり、機械文明(暴走族)に対する、徹底的な容赦ない戦いを繰り広げる。

そして第一作目のラスト、暗闇を走る主人公。
自らの所属すべき場所を裏切った主人公は、自ら滅びざるを得ない。
すでに主人公は亡者となっているのだ。
その証拠に、通常の物語原型として考えれば、王座に着こうとする英雄には伴侶=姫が必要とされるのに、その後のシリーズで主人公の前にヒロインは現れない。
死者に伴侶は必要無いからである。

つまり彼はすでに文明に復讐する鬼神=魂魄となって、その後の第2作、3作を戦い抜く。
そして回を重ねるごとに、文明の痕跡が少なくなっていくのは、主人公の戦いが確実に文明を崩壊に至らしめたことの証左であるだろう。
第三作目に至っては、すでに悪役マスター・ブラスターに見られるごとく、文化と権力が乖離して存在していることが示される。
全ての文明の基礎は権力が力の正当性を記録させるという、権力と文化の強制的一体化を必要とするならば、もうこの時点で過去の文明が滅亡していることが、明確に表されている。

それゆえ3作目サンダ―ドームのラストは、すでに文字という記号すら持たない、文明を失った幼い子供たちが、新たな神話を語る事で終わる。
過去の文明はこの鬼神となった主人公によって、焼き尽くされたのである。
それゆえ、鬼神は新しい文明の担い手=子供達によって永遠に神として崇められることとなるのだ。

それは結局、文明というものが持たざるを得ないある種のデザインが、全ての意匠がそうで有るように、最終的には機能不全に陥ったとき、一度全てのデザインをリセットしない限り、新たな文明を創造し得ないという真実を現しているだろう。

繰り返しになるが、英雄=ヒーローとはしばしば社会構造的なな閉塞を、理非を超越した超人となって壊滅させうる存在だ。
そしてまた、全てを焼き尽くすがゆえに己の命も喪わなければならない。
それゆえ、全てを原初に戻すと同時に、原文明と運命を共にする存在となる。

この映画の主人公は以上のように、神となって旧文明との黙示録戦争に勝利し、新たな文明の芽を育んで、旧文明に殉ずるのである。

これほど完璧に、英雄譚を語りえた作品を、私は知らない。

実際、その後「文明崩壊後の世界」という設定が繰り返し映画で描かれているが、このオリジナルの物語の神話構造の強さは、特筆されるべきであろう。
この映画の世界は、よくよく見れば、昨今のCGを多用した映像に比べれば、車の数や壮大なアクションというスケール感では、到底及ばないかも知れない。

しかし、特に映画館で見れば分かる通り、圧倒的な迫力と、強いリアリティによって、この架空世界を真実とする説得力を獲得している。
その力は、CGではない生身の人間が格闘する姿や、オーストラリアの大地を圧倒的なスピードで走りぬける車やバイクの、本物だけが表現できる力によるだろう。
その力があればこそ、このSFとも呼べないB級映画にして、映画の古典、永遠の傑作となり得たと思うのである。

正直オリジナルの完成度の高さを思うとき、リメイクされたという新たな物語を見ることを、今はまだ肯んじ得ないでいる。

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posted by ヒラヒ・S at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | オーストラリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする