2017年08月29日

古典『処女の泉』ベルイマンという映画の時代/感想・解説・映画史・批判

処女の泉(解説・感想 編)



原題 Jungfrukällan
英語題 The Virgin Spring
製作国 スウェーデン
製作年 1960
公開年月日 1961/3/18
上映時間 89分
監督 イングマール・ベルイマン
脚本 ウラ・イザクソン
撮影 スヴェン・ニクヴィスト


評価:★★★☆  3.5点



この1960年に作られた映画は、スェーデンの世界的映画監督、イングマール・ベルイマンの作品です。
この映画は、無垢な乙女がレイプされるという、当時としては衝撃的なストリーだったために、世界中で賛否両論が沸き起こりました。
しかし、今見るとそこまで衝撃的に見えないという事実は、ベルイマンという作家にも共通する、表現力の風化が示されているようにも感じます。

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『処女の泉』出演者

マックス・フォン・シドー(テーレ)/ビルギッタ・ヴァルベルイ(メレータ)/グンネル・リンドブロム(インゲリ)/ビルギッタ・ペテルソン(カリン)

ベルイマン 3大傑作選」予告動画

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『処女の泉』感想

世界を騒がせた「レイプ描写」


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この映画は、まず第一にグンネル・リンドブロム演じるインゲリという処女が、陵辱されるシーンによって、1960年の世界に衝撃を与えた。
レイプシーン

少女のレイプという当時としては衝撃的な題材を扱っただけあり、本作品は公開時に内外で物議を醸した。アメリカでは近年DVDが発売するまで、一般家庭では検閲が入ったバージョンしか視聴できない状態にあった。一説にはベルイマン本人も問題のシーンを削除するよう脅迫を受けたという。日本公開時には映倫によってレイプシーンが丸ごと削除されるという事態になった。(wikipediaより)


Film2.jpg実際日本でも、クリスチャン系の学校に通っていた女子学生に、この映画を見てはいけないとお触れがあったと、和田誠の本『映画に乾杯―歓談・和田誠と11人のゲスト』の中で語られているのを読んだ覚えがある。

映画の内容としては、反キリスト教的な内容だとも思わないが、神の沈黙を問うところなどはキリスト教会としては問題視されるのかとも思う。

結局、この映画は上記のレイプシーンの、当時としては過激な表現によって、関係当局に一般公開するのをためらわせる内容を持っていた。
更には、宗教的には「神の沈黙」を問うという根源的な問いゆえに、宗教界や敬虔なクリスチャン達に論争を生んだのだった。
しかし、正直に言って、今現在その衝撃力を、私個人は感じない。

この上記2点に関して言えば、むしろ1960年において、このレイプシーンと宗教的不信の表明が問題になったこと自体に衝撃を受けた。

つまりは、この表現が衝撃を与えるほど、当時の人々は静謐な表現物しか受け取ってなかったという事実を前に、現代の我々がどれほど刺激物を浴びてしまったかと呆然とするのである。

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『処女の泉』解説

ベルイマン監督



この映画を撮ったイングマール・ベルイマンという監督は、1960年当時映画界の寵児だった。
その頃を「ベルイマン時代」と呼ぶほど、その作品は映画史上に大きな功績を残した。
イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman, 1918年7月14日 - 2007年7月30日)は、スウェーデンの映画監督・脚本家・舞台演出家。スウェーデンを代表する世界的な映画監督として知られる。
virg-Bergman.jpg「神の沈黙」、「愛と憎悪」、「生と死」などを主要なモチーフに、映画史に残る数多くの名作を発表した。
イングマール・ベルイマンは1918年7月14日、ウプサラ(ストックホルムから60km)で生まれた。ベルイマン家は16世紀まで辿れる名家であり、先祖の多くもそうだったように父は牧師であった。兄のダーグは外交官、姉のマルガレータは小説家である。
一般的に、イングマール・ベルイマンは20世紀を代表する映画監督の一人とみなされている。2002年に『Sight & Sound』が行ったアンケート調査によれば、ベルイマンは映画監督が選ぶ映画監督ランキングで第8位にランクインした。デンマークの映画監督であるビレ・アウグストは、黒澤明とフェデリコ・フェリーニに並ぶ三大映画監督として、ベルイマンの名前を挙げている。


実際、ベルイマン監督に影響を受けたと、多くの映画監督が表明している。
フランシス・フォード・コッポラ(『ゴッド・ファーザー』監督)
「私の人生で一番の監督。情熱と情感を表現しており、暖かさがあるから。」

ウッディ・アレン(『アニー・ホール』監督)
「映画カメラの発明以来、おそらく最も優れた映画芸術家で、あらゆることを熟慮している。」
「『野イチゴ』は私のための作品だった。そして、『第七の封印』と『魔術師』その後の映画全てが、ベルイマンが魔法の映画製作者だと我々に語っていた。芸術家の知性と映画の技術者のこのような組合せは、それ以前にはなかった。彼のテクニックは衝撃的だった。」
「以前は決してなかった、語る内容に合った映画の語彙を発明したと信じている。」

スタンリー・キューブリック(『2001年宇宙の旅』監督)
「イングマル・ベルイマン、ビットリオ・デ・シーカ、フェデリコ・フェリーニは、芸術性に楽天的ではない世界でたった3人の映画製作者だと私は信じている。この意味は、良い物語ができるまで、彼らがただ座って待っているだけではないということだ。彼らの映画の中で、何度も何度も何度も表現される視点を持ち、彼ら自身が脚本を書くか、物語の原型を書いている。」

アン・リー(『ライフ・オブ・パイ』監督)
「私が映画を作る道が彼と関係がないとは思わない。彼は私にとって神のようなものです。」

マーティン・スコセッシ(『タクシー・ドライバー』監督)
「50年代と60年代に生きていて、理解できる年齢の者であれば、大人になったら映画を撮ろうと志す十代の若者が、ベルイマンの影響から逃れる方法はなかった。意識的に努力をしたとしても、それでも影響は浸みこんでいる。」

スティーブン・スピルバーグ(『ジョーズ』監督)
「映画に対する彼の愛は、ほとんど私に罪悪感を与える。」

サタジット・レイ(『大地のうた』インドの映画監督)
「ベルイマンに私は魅了され続けている。彼は特別な存在だと思う。私は彼の専属劇団によって、俳優が特別なことができるのを羨やんでいる。」

ラース・フォン・トリアー(『ダンサー・イン・ザ・ダーク』デンマークの映画監督)
「彼の映画は全て見た。彼は私にとって大いなる刺激の源泉だ。私にとっては父親のようだ。しかも、彼は彼の全ての子供達同様、私を同じように遇してくれた。何の見返りもなしに!」

ギレルモ・デル・トロ(『パンズ・ラビリンス』監督)
「ベイルマンは寓話作者、私のお気に入り。完全に魅了されている。」

クシシュトフ・キェシロフスキ(『トリコロール/愛シリーズ』監督)
「この人は、ドストエフスキーやカミュのように、人間の本質について多くのことを述べた数少ない映画監督の中の一人であり、もしかすると世界で唯一の監督だ。』

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ベルイマンについて映画人が語ったドキュメンタリー映画。
『グッバイ!ベルイマン』

出演者: アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、トーマス・アルフレッドソン、ジョン・ランディス、クレール・ドゥニ、ミヒャエル・ハネケ、ダニエル・エスピノーサ、アン・リー、マーティン・スコセッシ、ロバート・デ・ニーロ、ウェス・アンダーソン、ウディ・アレン、フランシス・フォード・コッポラ、ハリエット・アンデション、ラース・フォン・トリアー、ローラ・ダーン、アレクサンダー・ペイン、リドリー・スコット、チャン・イーモウ、ウェス・クレイヴン、北野武、ホリー・ハンター、イザベラ・ロッセリーニ、モナ・マルム、ペルニラ・アウグスト、トマス・ヴィンターベア

このベルイマンの映画界に与えた衝撃と影響は、上記映画作家や俳優達も含めた、映画製作者の基礎的遺伝子として組み込まれ、現代映画作品にも脈々と受け継がれているだろう。

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『処女の泉』感想

個人的な評価



Film-camera.jpg上の偉大な映画作家達の言葉が、全てだと思います。
今回調べてみて、ベルイマンは映画を「商業的な娯楽」から「芸術作品」に高めた作家なのだと、理解しました。

彼が生み出した、宗教や哲学などの形而上学的な概念を、映像として表現するという試みは成功し、その映画史的な価値は永遠に刻まれ朽ちることはないでしょう。

しかしです―

1映画ファンが言うのも、おこがましい事は重々承知です。
それでも、私のこの映画に対する評価は☆3.5点です。

この映画が持つ力とは、上で述べたように、1960年のイノセントな時代には衝撃を与えたと思うのです。

しかし、正直に申しまして、今、現代の映画作品を滝のように浴びている私個人としては、この『処女の泉』に感動しませんでした。
素直に言わせて頂ければ、映画として優れているとは思えなかったのです。
さらには、ベルイマンのもう一つの傑作と言われている『第七の封印』を見た時は、もっと低評価でした。
『第七の封印』に関して言えば、観念ばかりが表立ちドラマとしての力を感じられなかったからです。
当ブログ関連レビュー:ベルイマン監督の3大傑作の1本
『第七の封印』
神を問う形而上的ドラマ。
若き日のマックス・フォン・シドー

この映画は、その『第七の封印』に比べれば物語としての強さと、映像の鮮烈さが感じられ、更にラストの、神に呼びかけるシーンの、マックス・フォン・シドーの演技の力強さが印象的でした。
ここには、演劇的な表現を長回しで撮る潔さがあると感じます。

実を言えば、このベルイマン3大傑作と呼ばれる作品の中では『野イチゴ』が一番好きな作品ですが、それでも☆3.5点というのが個人的な評価です。

ベルイマン作品を全て見ているわけではないので申し訳ないのですが、見た範囲で言えば、最も感動したのは『秋のソナタ』でした。
この映画の凄まじい、肉親同士に生じる相克の強さに打たれたのです。
『秋のソナタ』予告

Film-katinko.jpgしかし、その『秋のソナタ』を見て思ったのは、ベルイマンという作家は、映画監督である以上に、舞台演劇の人なのだろうということです。
その迫力、そのドラマの強さは、演劇的な演出、脚本の力に多くを負っていて、映画的なモンタジューやカット割りの積み重ねによるものではない、映画的な表現技術によるものではない、と感じられてなりません。

そんなことを総合して考えると、私個人としては、「映画史に大きな功績を遺した演劇人」という印象を、ベルイマンに対して持っているのだと気付きました。

たとえば同時代に、世界にインパクトを与えた映画運動にフランスの「ヌーヴェルヴァーグ作品」があります。
その作家達とベルイマンが違っていたのは、その表現が「映画的」か否かという点にあるように思います。
当ブログ関連レビュー:ヌーヴェルヴァーグを解説
『勝手にしやがれ』
ジャン・リュック・ゴダール監督の映画史の1本。
ジャン・ポール・ベルモンドとジーン・セバーグ

そして、私個人の印象を元に話を進めれば、映画的でない分だけ「ベルイマン作品」は、現代映画と並べてみた時、風化・劣化が激しいのではないかと感じられてなりません。

一歩踏み込んで言えば、あるジャンルにおいて恒久的な力を発揮する作品は、よりそのジャンルの形式に純粋な方法論・技術に則った表現なのではないかという、勝手な仮説を今立てたところです・・・・・

いろいろ申しましたが、一個人の主観に基づく感想ですので、ご不快に思われた方にはお詫び申し上げます。


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2017年08月26日

映画『処女の泉』ベルイマンの語る神とクロサワ/ネタバレ・ラスト・結末感想

処女の泉(ネタバレ・ラスト 編)


原題 Jungfrukällan
英語題 The Virgin Spring
製作国 スウェーデン
製作年 1960
公開年月日 1961/3/18
上映時間 89分
監督 イングマール・ベルイマン
脚本 ウラ・イザクソン
撮影 スヴェン・ニクヴィスト


評価:★★★☆  3.5点



この1960年に作られた映画は、スェーデンの世界的映画監督、イングマール・ベルイマンの作品です。
この映画は、古典として歴史的評価も定まった一本かと思いますが、そのラストで語られる神への言葉は、無神論者の私には一種不可思議な響きを持っています・・・・・

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『処女の泉』出演者

マックス・フォン・シドー(テーレ)/ビルギッタ・ヴァルベルイ(メレータ)/グンネル・リンドブロム(インゲリ)/ビルギッタ・ペテルソン(カリン)

ベルイマン 3大傑作選」予告動画


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以降の文章には

『処女の泉』ネタバレ


を含みますので、ご注意下さい。

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(あらすじから)
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テーレは、意を決し娘に乱暴した長男と次男に襲い掛かり剣で斃した。

さらに、怒りに任せて罪の無い末っ子の少年の命をも奪ってしまう。
我に返ったテーレは自らの犯した罪の大きさに茫然とし、その手を見つめ神に許しを乞う。
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そしてテーレは妻に、娘カリンを捜しに行くと告げ、屋敷の使用人を引き連れ出かけた。
現場を見ていた下女インゲリが、森に放置されたカリンの亡骸に案内した。
道中、妻メレータは「私が娘を独占しようとしたから罰が当たった」と夫テーレに懺悔し、テーレは「それは神が決めることだ」と答えた。
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事件の場で変わり果てた娘の姿を見たメレータは、その遺体に泣いて縋り付く。
そしてテーレは娘の死と彼自身の冷酷な復讐を看過した神に「なぜか私には分からない」と詠嘆する。
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しかし「神の救済以外に、己が生きる道を見いだせない」と言うテーレ。
彼は、娘の遺体の側に罪滅ぼしのため、教会を建設することを約束した。

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『処女の泉』ラスト・シーン


そして、テーレとメレータが娘の亡骸を抱きかかえた時、その地から泉が湧き出してきた。


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『処女の泉』結末感想


無神論者、または多神教の文化に育った身からすると、この映画が語る神とは何者かと思う事がある。
罪のない『処女=おとめ』が凌辱され、地に捨てられるのを、神は咎めなかった。
罪のない『幼い少年』がテーレによって殺される時も、神は沈黙していた。
下女のインゲリが邪教オーディンに、カリンが犯されればいいと祈っていても、神は看過していた。
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そのことを受けてテーレは最後に神に問いかける。

「あなたは見ておられた、神よあなたは見ておられた」
「罪のない子供の死と、私の復讐を」
「あなたはそれを、お許しになった」
「私には理解できません・・・・・私にはあなたが分かりません」
「それでも、私はあなたの許しを請わねばなりません」
「自力では救われず、私自身が平穏でいられる方法は、他にないと分かっているのです」
「私は他に生きる道を知りません」
「神よ、私はあなたに約束します・・・・・・我がただ一人の子が死せる肉体のあったここに、約束します。」
「私はあなたの教会を、我が贖罪として、この両手でこの地に打ち建てます。」

ここに語られる「神に対する懐疑」は、しかし「神の放擲」にはつながらない
virg-pos2.jpegなぜなら、この主人公テーレは、神に許しを請い続けること以外に、魂を平静に保つすべを知らないからだ。

つまりは、西洋キリスト教の教義の下「神という絶対者」に人が疑問を差し挟むことは、不遜な行為に他ならない。
それゆえ、この世に起こる全ての出来事を「神の思し召し」だと信じ、そこに疑いを持つこと自体、背信行為であるだろう。
結局、そんな一神教を信奉する人々にとって、この世界の森羅万象を生み、全てを司る根本が神なのだ。
それゆえ、神の不在とはこの世界が根源から消滅したに等しく、それは信者の死をも意味するのだろう。

つまりはデカルト風に言えば「我あり、故に神あり」という絶対的な存在証明を信じている者こそが、一神教の信者であるはずだ。

それゆえこの主人公は、神が答えない事に、神の沈黙を恨みながらも、神が実存する事には疑いを挟まない。

その上で、神がこの世界を人間存在を赦してくれるという、絶対的な信念を持たずして生きていけないと吐露するのだ。

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考えてみれば、この1960年の映画は、哲学者ニーチェが「神は死んだ」と書いた1885年から、80年近く経過している。(右:ニーチェ)

その間に世界中を飢餓や世界規模の戦争が繰り返し起きた。
それでも、まだこの「神の救い」以外に救われる道が無いという映画が、見る者の心を揺さぶるのだとすれば、西洋文明が「神=キリスト」に変わる価値を生み出し得なかったという事を、如実に示すものだといえるだろう。

それは、現代アメリカにおいても50%近くの人間が、聖書に反する学説「ダーウィンの進化論」を信じていないという事実でも裏付けられる。

『処女の泉』と『羅生門』


ベルイマン自身が、この映画を黒澤明の『羅生門』の「出来の悪い模造品」だと語っている。
出来が悪いかどうかは別として、この映画のシュチュエーションも含め、リメイクといっていいほど似ている。
しかし、この映画が『羅生門』を踏襲しているとすれば、その最後の結びのあまりの相違に、東西の価値観の断絶の深淵を見た思いがする。

日本人としての感性で言えば、黒沢『羅生門』の最後「今日という日は、誰も信じられない」という、この世の無常を詠嘆するセリフのほうが、素直に心に添うのだが・・・・・・・・・

関連レビュー:黒澤明の代表作
『羅生門』
真実を巡る裁判劇
戦後日本の混迷を問う



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posted by ヒラヒ・S at 18:59| Comment(0) | スウェーデン映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画『処女の泉』ベルイマン監督の歴史的1本/詳しいストーリー・あらすじ・出演者

処女の泉(ストーリー・あらすじ編)


原題 Jungfrukällan
英語題 The Virgin Spring
製作国 スウェーデン
製作年 1960
公開年月日 1961/3/18
上映時間 89分
監督 イングマール・ベルイマン
脚本 ウラ・イザクソン
撮影 スヴェン・ニクヴィスト


評価:★★★☆  3.5点



この1960年に作られた映画は、スェーデンの世界的映画監督、イングマール・ベルイマンの作品です。
中世の時代を舞台に、明るく純粋な「処女=おとめ」の身の上に降りかかった運命は、当時の映画表現としては衝撃的なシーンであり、世界中で論争を巻き起こしました。

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『処女の泉』出演者

マックス・フォン・シドー(テーレ)/ビルギッタ・ヴァルベルイ(メレータ)/グンネル・リンドブロム(インゲリ)/ビルギッタ・ペテルソン(カリン)
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『処女の泉』あらすじ



中世スェーデンの朝。
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寒村の一軒の屋敷で、鬱屈を湛えた眼で火を起こしているのは、下女のインゲリ(グンネル・リンドブロム)だった。

インゲリは父なし子を身ごもっており、その不運を呪い邪教オーディンの神に祈るのだった。

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一方、一家の主テーレ(マックス・フォン・シドー)とその妻メレータ(ビルギッタ・ヴァルベルイ)は敬虔なキリスト教徒だった。

妻のメレータはキリストの受難をわが身に受けるため、その腕にろうそくの炎を近づけるほど信心が深かった。
屋敷ではテーレ主人夫婦と使用人が集まり、いつものように朝食の時間が始まる。
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しかし、そこには主人夫婦の一人娘カリン(ビルギッタ・ペテルソン)の姿がなかった。

前夜に、カリンは姉妹のように育ってきたインゲリと共に、村で遊んで遅くなっていたのだ。

主人のテーレは、娘に甘すぎると妻に文句を言い、今日は教会にろうそくの寄進をする日なので、間違いなく娘に行かせるように命じた。
virg-oyako.jpg妻は言いつけ通りに眠いとぐずる娘を起こし、娘の好きな絹の洋服とスカートを着せて機嫌を取り、教会へ向かわせることを承服させた。
そこに父テーレも顔をだし、無邪気な娘につい相好を崩す。

その頃、下女インゲリはカリンの昼食の準備を言いつけられ、パンの中にカエルを入れたサンドイッチを準備した。
娘カリンはインゲリと共に教会に行きたいとねだり、屋敷の者に見送られて、2人は馬上教会へと向かった。
virg-hors.jpgカリンとインゲリは道中、インゲリのお腹の子の話をする。
カリンは結婚していないのに子供を宿すことはないと言うと、藪で押し倒されたら抵抗できないとインゲリは反論した。
インゲリは、昨夜カリンが自分の彼氏と話をし踊っていたのを見て嫉妬し悪態をつく。
それを聞き、カリンは思わず彼女を平手打ちしてしまう。

2人はそれでも森を進み、一軒の小屋を通り過ぎる。
virg-oldman.jpgそこでインゲリは突然森が怖い、教会に行くのは止めようとカリンに訴える。
カリンは恐がるインゲリを小屋の老人の元に残し、一人教会をめざし森の奥へと向かった。
その小屋で老人は邪教オーディンの言葉を語り、インゲリはカリンが心配になり、後を追って走り出した。


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その頃カリンは、森の中で三人の羊飼いの兄弟と出会い、兄弟の身の上を聞く内に同情し、自らの昼食を分け与え、共に食事をとる。

しかし、兄弟の上二人はカリンに襲い掛かり、彼女を凌辱した。

そして、泣きながら立ち去ろうとするカリンの背後から、次兄が丸太で後頭部を殴り撲殺した。
兄2人はカリンの絹の衣装をはぎ取ると、遠くで見ていた末弟を連れその場を立ち去った。

カリンを殺害した羊飼いの3兄弟は、それとは知らずカリンの父テーレの館に一夜の宿を求めた。
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テーレは兄弟達を向かい入れ、食事を与えた。

しかし末弟は、昼のショックから食事を吐いてしまい、別室で介抱を受ける。
食事が終わると羊飼いの兄弟は、母親のメレータに服を見せ買ってくれないかと持ちかけた。

Virg-tell.jpg母メレーターはその服がカリンのモノだと一目で見破り、娘の運命を察したメレータは兄弟のいる食堂にかんぬきを掛けた。
そして、夫のテーレに血が付いたカリンの服を見せ、誰が娘を殺したかを知らせた。

その時、人目を忍んで帰宅したインゲリから娘の最後を聞いたテーレは、羊飼いの兄弟に復讐することを決心する。
テーレは早朝の光の中で、自らの体を清めた。

そして、静かに羊飼いの兄弟が眠る母屋に入る。
娘の服を前に剣を抜いて、席に座った。
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『処女の泉』受賞歴

第33回 アカデミー賞(1961年)アカデミー外国語映画賞/第13回 カンヌ国際映画祭(1960年)特別賞/第17回ゴールデン・グローブ賞 外国語映画賞/1961年キネマ旬報外国語映画ベスト・テン第1位

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ベルイマン 3大傑作選」予告動画




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