2017年03月19日

『羊たちの沈黙』父と娘の危険な関係・ネタバレ・あらすじ・ラスト・意味・感想

アカデミー賞五冠の意味



評価:★★★★  4.0点

この映画を最初に見た時には、猟奇的なシーンと、アンソニーホプキンスの演ずる怪異なハンニバル・レクター博士に眼を奪われた。
また、映画としてもサスペンスたっぷりの刺激性に満ちており、エンターテーメントして強い力を持っていると思った。
その反面この刺激ばかり強い印象のドラマが、アカデミー賞5冠を獲るほどの内容だろうかと、疑問に思った事を覚えている・・・・・・

しかし、どうやら私が浅はかだったと、今回久々に見て思い知った。


<羊たちの沈黙・あらすじ>


FBIアカデミーのトレッキング・コースをひた走る訓練生クラリス(ジョディ・フォスター)は、上司ジャック(スコット・グレン)の呼び出しにより出頭する。hituji-gim.jpghituji-scot.jpgクラリスが大学で学んでいた時の恩師がジャックだった。ジャックが命じたのは、捜査中の事件の参考のため州立の精神病院に収監されている精神科医ハンニバル・レクター博士(アンソニー・ホプキンス)に面談する事だった。

レクター博士は自らの患者を9人を殺害し食べたという過去を持ち厳重に隔離されていた。精神病院院長のチルトン博士(アンソニー・ヒールド)から厳格な規則遵守を約束させられ、クラリスはレクターと面談した。レクターの透徹した知性と底光りする眼にクラリスは圧倒される。hituji-taimen.pngそして帰り際クラリスは別の収監者の精液を浴びせかけられると、レクターはクラリスを哀れんで事件のヒントを与え、その収監者に対して怒りを爆発させた。レクターは後日その収監者を言葉で責めて自殺に追い込んだ。
実はジャックがクラリスをレクターにあわせたのは、若い女性の皮を剥いで殺す連続殺人犯バッファロー・ビル(テッド・レヴィン)の捜査に、レクターの知見を引き出すためだった。ジャックはレクターがクラリスに興味を持つことを見越して研修生にも関わらず派遣したのだった。更に面談を重ねるうちに、レクターはクラリスの父が10歳の時に死んだという過去を語るのと引き換えに、事件捜査のヒントをレクターから抽き出せるようになる。

hituji-kathrin.jpgそんな時、女性上院議員の愛娘キャサリン(ブルック・スミス)がバッファロー・ビルに誘拐される。精神病院院長のチルトン博士は、FBIとクラリスがレクター博士に真犯人を語らせようとしていることに気づく。チルトンは自らの欲のため上院議員を巻き込み、レクター博士を待遇の良い牢に移動する事と引き換えに、レクターから真犯人の名前ルイス・フレンドを聞き出す。
レクターが移送収監された施設を訪ねたクラリスは、ルイス・フレンドの綴りを入れ替えると"Iron sulfide=硫化鉄=偽金=偽者"となると指摘する。レクター博士は、そんなクラリスに犯人は渇望している対象を見つめている者だと語る。hituji-screem.gifそして、クラリスは自らを語るように要求され、父が死んだあと親類の牧場に引き取られ、そこで羊が屠殺されている声で眼を覚まし、子羊をつれて逃げようとしたが捕まり牧場主が激怒し、施設に入れられた過去を語った。(右:暗闇で起きて、羊の叫びを聞くんだね?)そこにチルトン博士がやってきて、クラリスを強制退去させる。レクターは結局ヒントしか語らず事件資料を返した。

hituji-free.jpgそんなレクターは隙を見て職員二人を殺害し、脱獄に成功し逃走してしまう。一方、クラリスはレクターの残した資料を見るうちに、最初に殺害された女性が鍵だと知り、オハイオ州ベルベデーレに向かい女性の交流関係を洗う。そこで犯人は裁縫が上手く、大柄の女性を監禁し痩せさせ、その皮を剥ぎ取り服を作っていると予想する。上司ジャックに捜査報告をすると、シカゴのキャルメットシティに住む男が犯人だと特定され、その家に向かっていると知る。上司ジャックは引き続き、ベルベデーレで犯人との関係を調べるようクラリスに指示した。クラリスは被害女性が裁縫の仕事で訪れていた、リップマン夫人の家の調査に訪れる。
そして、同時刻にはシカゴの一軒の家をFBIの武装チームが急襲した・・・・・・・・・・


(原題 The Silence of the Lambs/製作国アメリカ/製作年1991/119分/監督ジョナサン・デミ/脚本テッド・タリー/原作トマス・ハリス)

<羊たちの沈黙・受賞歴>

第64回アカデミー賞、作品賞、監督賞:ジョナサン・デミ、主演男優賞:アンソニー・ホプキンス、主演女優賞:ジョディ・フォスター、脚色賞:テッド・タリー
第41回ベルリン国際映画祭・銀熊賞(監督賞):ジョナサン・デミ
第49回ゴールデングローブ賞・主演女優賞 (ドラマ部門):ジョディ・フォスター

【アンソニー・ホプキンスのアカデミー賞・最優秀男優賞・受賞式】

キャシー・ベイツがプレゼンターでノミネート者紹介。
【アンソニー・ホプキンスの受賞スピーチ大意】
神様、信じられない。本当に期待してなかった。ここにいるのは大変な名誉で、特にニック・ノルティー、ウォーレン・ベィティ、ロビン・ウィリアムスやローバート・デニーロのような偉大な俳優と一緒で光栄だ。まず最初に、私の母に挨拶したい。母はウェールズにいてイヴ、ジーン、ジルとトニーと共にTVを見ている。私の父は11年前に死にましたが、たぶん父もこの栄光に力を貸してくれたと思う。友人のボブ・パーマー、友で広報担当者、我が愛する妻のジェニー、そして長年ロサンジェルスで今ここにいる事を助けてくれた多くの人々に感謝します。私にとって素晴らしい栄誉で、大変感動しています。そして、神のご加護を全ての人に、ありがとうございました。

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羊たちの沈黙・解説・感想
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この映画のジョディーフォスター演じるクラリスは、映画内でしばしば、男たちの中で孤立し、彼等の視線にさらされ、不安げな表情を見せます。
hituji-red-men.png

その最も象徴的なシーンは捜査に赴いた、葬儀場で表現されます。

警官:パーキンス保安官、FBIの捜査官が来ました。/ジャック:ジャック・クロフォードです。特別捜査官のテリーと捜査官スターリング。お招き頂き感謝したい。/パーキンス保安官:俺は呼んでない。州の検察だろう。我々は出来る限りの便宜ははかるが、しかし・・・・・/ジャック:保安官この種の性的な犯罪なので、個人的に話し合った方がいいと思うが。(クラリスを見て)意味が分かるかな。
(クラリスは葬儀会場の別室の葬式を見ながら、父の葬儀を思い出す)/保安官:オスカー、教会からエーキンス博士を。/ジャック:スターリングこっちへ/保安官:演奏が終わったらラーマーを呼べ。/ジャック:ああ、すぐに送る。6箇所につなげ、シカゴ・デトロイト・・・・何?ナンだ?/クラリス:すみません。すみません、皆さん。警察官も他の方も、お聞き下さい。これから彼女に処置を施します。彼女を遠くから運んで下さったことに、彼女の縁者も皆さんの親切とお心遣いに感謝してます。でも、もうお引取りくださって、我々に彼女の面倒を任せてください。お引取りください。感謝します。感謝します。ああ、そうエルク川だ、すぐに連絡する。

このシーンには続きがあり、帰りの車の中で、上司ジャックは保安官と席を外したのは、保安官を帰らせるためにしたことだと、クラリスの怒りを鎮めようとします。
しかし聡明なクラリスは、女性だから排除され、女性だから警官達に眼で犯され、女性だから異分子として疎まれていると分かっています。
hituji-pos.jpg
このシーンは、そのまま社会に出た女性達が、男権社会で働く事の困難さを象徴するシーンだったはずです。

社会に出た女性達は、男ではない存在として女性を排除しようとする力と、男の性的な対象として好奇と欲望の眼差しを、潜在的に受けるでしょう。
そんな事情を、この映画のポスターは象徴的に表現してます。

このポスターに描かれた蛾が、生れ落ちてから成虫へと変態していくように、人も生まれてから社会的な役割として「男女の性=ジェンダー」を生きることを強制されるのです。
つまりこの映画で現れる蛾とは、そのままジェンダーを象徴するモノでしょう。

そして、女性達は、その事、ジェンダーの不平等を口に出しては社会に適応し難くなるゆえに、口を閉ざさなければならないのです。

この映画のクラリスが、自らの意思を明確に持った強い女性でありながら、どこか儚げなのは、彼女がそんな社会的な弱者として登場しているからだと感じました。

こんな、女性達の社会に求められる、制度的な、もしくは潜在的な不平等と、差別に対して「No」を唱えたのがフェミニズムという主張です。
フェミニズム(英: feminism)とは、性差別を廃止し、抑圧されていた女性の権利を拡張しようとする思想・運動、性差別に反対し女性の解放を主張する思想・運動などの総称。
多くのフェミニストは、女性に関する様々な社会問題が、男性優位の社会構造から生じ、または家父長制が無意識に前提視されていることから生じていると主張している。また、女性間の差異を考慮に入れれば、たとえば「黒人」「女性」というように、二重、三重に抑圧されていると捉えることができるため、フェミニズムを複合的な抑圧の集成理論として、また相互に影響する多くの解放運動の流れの一つとして捉えることもできる、と主張している。(Wikipediaより)
下:エマ・ワトソン UN Women 親善大使演説
エマ・ワトソンはフェミニズムの現状を国連の場で語った。

この映画におけるクラリスが、女性として社会的に抑圧されている姿として、フェミニズム的主張を持って描かれているのは間違いないでしょう。

しかし上の葬儀場のシーンの動画で見逃せないのは、クラリスが男性社会で孤立したとき、父の葬儀を思い出していた事です。
実に、この映画にとっても、女性というジェンダーにとっても重要なのは、その「娘と父」の関係性だと語っていると思うのです。

hituji-kularis.jpg
ストーリーを追えば、クラリスは母を早く亡くし、10歳の時に更に保安官だった父を事件で亡くします。

そして、親類の馬と羊を飼っている牧場に世話になりますが、2ヶ月で施設に送られることになります。
それは、ある晩奇妙な叫びを聞いて眼を覚まし、声のするほうを見てみると羊が屠殺されている姿を眼にします。クラリスは子羊をつれて逃げようとしますが捕まり、牧場主が激怒して施設に送られたというのが真相でした。その子羊の声がトラウマになり今も夜起きると語っています。

レクター博士に、そんな子羊を助けるためにFBI捜査官になったのかと問われ、キャサリンを助ければ声が消えるのかと問われます。

hituji-jisus.jpgこの子羊とはそのまま彼女だったでしょうし、その牧場主とは代理としての父であった事は間違いありません。
そしてそれは、迷える子羊を導いたという、「イエス・キリスト=神と人間」の関係とも相似だと言えるでしょう。

つまりは、「父=神」とは、守るものでありながら奪うものだという真実が描かれています。
そして、その関係とは「父と娘」の関係性の中で、重要な働きを娘に対して及ぼすように思います。


hituji-pos2.jpg
普通に考えれば、本来女性とは母という属性を引き継ぐ存在ではないでしょうか。

ところが、母というキャラクターは男性社会の中で働く際に機能する属性ではないがゆえに、そのモデルは父親に求めざるを得ません。

しかし、父親という存在は娘にとって、二つの相反する力として現れるはずです。

一つは社会的先導役として娘を守り導く者。
一つは異性としての潜在的欲望対象として奪い汚す者。


つまり、この映画のハンニバル・レクター博士とFBIの上司ジャック・クロフォードとクラリスの関係とは「娘と父」の関係性を描いていると思えてなりません。
hituji-doghter-fat.jpg

レクター博士は奪い汚す者としての側面を、ジャック・クロフォードは教え守る者の側面を強く持っていると感じますが、二つの相反する力は両者とも交じり合って持っていると感じられます。
それは「娘にとっての父」とは、その愛情に従うか反発するかによって、違う様相を見せるからかもしれません。

hituji-doble.jpg
いずれにしても、そんな男権に対する矛盾した感情は保持したまま、男性社会の中に入っていく娘は、あらかじめ混乱した存在として社会を生きざるを得なくなるのです。


しかし、そんな「親と子」の関係とは、男女の分業が崩れ、ジェンダー自体に疑問が生じている現代社会においては、正解がないという点で混迷は深くなります。

実はそんな社会的な変化を踏まえた「親と子」の関係が、この映画には「誘拐されたキャサリン=娘と女性上院議員=母」とか「犯人バッファロー・ビルとその母」の関係であるとかいうように、いくつか提示されています。

そんな背景を持っているがゆえに、異様さや、サスペンスに深みと奥行きが出たと思います・・・

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以降

羊たちの沈黙・ネタバレ

とを含みますので、ご注意下さい。
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(あらすじから続く)
FBIが踏み込んだ家は、空き家だった。
クラリスの訪れたリップマン夫人の家の住人が、連続殺人犯バッファロー・ビルの正体だったのだ。
クラリスはその事実に気づき銃を抜くが、犯人は家の地下へと逃げてしまう。古井戸の底深くに閉じ込められたキャサリンを発見する。犯人を追ううちに浴槽に入った老婆の骸骨を見つける・・・・・

クラリス:FBIよ。あなたは安全よ。/キャサリン:何が安全よ!とっととここから出してよ!/クラリス:あなたは大丈夫。犯人はどこ?/キャサリン:何で私に分かるわけ!さっさと出して!/クラリス:黙って。犬を吠えさえないで。/キャサリン:私を出して!/クラリス:キャサリン、ここから出してあげるけど、ちょっと聞いて。私はこの部屋を出る。すぐ戻るから。/キャサリン:イヤだ!ここに置いとくな、このクソ女!ここから出せってば!あのヤローは狂いまくってんだ!ねえってば!出せよ!/クラリス:キャサリン、他の捜査官を呼ぶからちょっと待って。/キャサリン:待て!行くな!頼むから!/クラリス:黙って!
(暗転、犯人との対決)
犯人が電気を切り暗闇になった地下室で、犯人は暗視スコープを装着し背後に迫った。犯人が銃の撃鉄を上げた音に反応したクラリスは犯人の位置を知りを射殺する。
その地下室には、アメリカ国旗と、兵隊の人形、鉄兜のような帽子があった・・・・・・

このシークエンスのキャサリンとの会話は、男性社会において闘う女性の足を引っ張るのが、実に同性の女性に他ならないことを象徴的に描いていると思います。

また、このシーンは犯人に関する重要な情報がちりばめられていますが、ミイラ化した老婆のショットはヒッチコックの『サイコ』の影響を強く感じます。
当ブログ関連レビュー:
『サイコ』
サイコ・ホラー元祖映画
母と息子の危険な関係

また、この映画のサスペンシーンを、映像により状況を丹念に説明するのも、ヒッチコック風の演出だと思います・・・・・

そんな『サイコ』を踏まえれば、抑圧者の母にスポイルされたマザコンの犯人像という姿が見えてきます。
しかし硝煙の中に、アメリカ国旗を中心に、右に兵隊の人形、左の鉄兜という男性ジェンダーの象徴と、蛾のモールが回転する映像でその男性ジェンダーからの脱皮、さなぎから成虫への変態がイメージとして描かれているのを見れば、母に父権を求められ、反発した結果のようにも思えます・・・・・
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羊たちの沈黙・ラストシーン
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そしてFBI訓練生の卒業式。クラリスも晴れて捜査官となった。

同期生マップ:特別捜査官スターリング。/クラリス:特別捜査官マップ/同期生マップ:電話よ。/クラリス:失礼/客:ピンチ、写真取ってくれる/客:いいよ。モチロン。/ジャック:いいかな。おめでとうを言いたくてね。あんまりこんな事をしてはいけないんだが、だからここから直ぐ退散するよ/クラリス:分かりました。感謝してます。/ジャック:君のお父上も今日を誇りに思うはずだ。・・・・・電話を忘れずに。/クラリス:スターリングです。/レクター博士:クラリスか?羊達の叫びは止まったか?/クラリス:レクター博士/レクター博士:私を追いかけて不愉快な思いをさせてくれるな。さほど長くは留まらない。/クラリス:どこにいるんですかレクター博士?/レクター博士:君を訪ねる予定はないな、クラリス。君がいる世界は、より興味深いからな。それで、私にも同様の礼儀を、今君に期待したいがね。/クラリス:私は約束しかねます。/レクター博士:私は君ともっとお喋りしたいが、旧友とディナーの予定があるんでね。では。/クラリス:レクター博士?レクター博士?/チルトン博士:失礼。セキュリティーシステムは完璧か?/ボディガード:我々のセキュリティーは超強力です。/チルトン博士:ありがとう。感謝するよ。

このラストは、二人の父親からの承認を意味したはずです・・・・・・・・・・
特に握手のシーンは父性の持つ二つの側面が、鮮烈に描写されていると思います。
それは逆から言えば、「女性性」を男性社会から見て評価・規定する二つの側面、男権社会に対する奉仕と、男達の性的欲望の対象として、いずれも認められた事を意味するでしょう・・・・・・

しかしそれゆえ、このクラリスの耳には、子羊の泣き声がまだ響いているように思えてなりません。 
それは社会が、性差を元に個人の行動を規定しなくなるまで、けっして止む事はないのでしょう。

蛇足をもう一つ・・・・・・・
この映画のエンドクレジットの最後、音楽が終わった後に、鳥の鳴き声が入ります。
実は鳴く鳥とは大抵オスで、このさりげない鳴き声こそジェンダーが世界を覆っているという証明のように感じました

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2017年03月17日

2017年03月16日










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2017年03月16日

映画『ポンヌフの恋人』橋の上の男妾・あらすじ・ネタバレ・解説・ラスト意味

愛の総力戦の行方



評価:★★★★  4.0点

この映画は、日本では純愛映画のような謳い文句で流通しているようだが、個人的にはそんなキレイな映画だとは到底思えない。
エゴとエゴがぶつかり合い、相手の魂を従属させようとする激烈な闘争こそ、この映画が描いていたモノではないか。
恋愛至上主義のフランス人が、愛に純粋や潔癖など甘っちょろい感傷を求めて、ど〜して真の愛に到達できようかと、そう強く主張している映画だと思いました・・・・・・・・


ポンヌフの恋人・あらすじ

ホームレスのアレックス(ドニ・ラヴァン)は、修理閉鎖中のポンヌフ橋にもぐり込み暮らしている。ponnufu-miti.jpg彼は、深夜酒を飲みながらパリの大きな通りを千鳥足で歩き、車に片足を轢かれ骨折する。通りかかった女が介抱した。それが失恋し、失明の危険もある眼病を患った、ホームレスの女画学生ミシェル(ジュリエット・ビノシュ)だった。ホームレスの移送バスに乗せられたミッシェルとアレックスは、施設病院へと向かう。
アレックスが足にギブスをはめ、久しぶりにポンヌフ橋に戻ってみると、自分の寝床にはミッシェルとその猫が寝息を立てていた。ponnufu-fire.jpgアレックスはミッシェルの画帳を開き、自分の肖像画を見つける。
翌朝その絵が欲しいと言うと、新しく描くとミッシェルは描き出したが、アレックスを見つめるうちに気絶してしまう。その飛び散る画帳の中からアレックスは手紙を発見する。そこにはミッシェルの元の恋人ジュリアンの事が書かれていた。

ponnufu-hun1.jpgポンヌフ橋にはもう一人浮浪者のハンス(クラウス・ミヒャエル・グリューバー)がいて、アレックスは睡眠薬や酒を貰ったりする仲だった。しかしハンスは強硬にミシェルを追い出せと迫る。アレックスは彼女が失明に至る眼病を患っていることを説明し、置いてくれと頼み込む。
アレックスは夜、手紙の差出人のミッシェルの友人宅に忍び込み、ジュリアンというチェリストとの恋の破局が原因で浮浪者になったと知る。
アレックスはミッシェルのために食べ物を調達し、拾ったラジオをプレゼントした。二人は共に寝床に入ったが、ミッシェルは性的な関係はまだ早いと拒んだ。アレックスは寝息を立てるミッシェルの横で、ハンスから貰った強力な睡眠薬を服用し眠るのだった。
アレックスはミッシェルを好きになり、ストーカーのようにミッシェッルの後をつける。そんなある日、地下鉄の駅でミッシェルが突然振り返った。とっさに身を隠すアレックス。ミッシェルは構内に響くチェロの音を聞き、ジュリアンだと確信したのだ。事態を悟ったアレックスは、ギプスを履いた足で必死に走り、チェリストを発見するとナイフで脅し追い払った。アレックスはミッシェルにチェリストは女だと嘘を言うが、ミッシェルは電車に乗り込むチェリストを見て自分も乗り込む。ミッシェルの手には銃があった。ponnufu-torain.gif離れた車両からジュリアンを覗うミッシェルはいつしかまどろみ、夢の中でジュリアンを撃ち殺し、驚いて眼を覚ますと電車内にジュリアンの姿はなかった。
ポンヌフに戻ったミッシェルは、アレックスと共に酒を飲み革命200年のパリ祭の賑わいの中、花火が上がる空に向けて銃を撃ちながら騒ぐ。二人は酒を飲み、狂ったように踊る。ついには水上パトロールボートを盗み、花火が両岸から舞い散る川を水上スキーをしながら疾走した。


パリ祭の翌日いつまでもいるミッシェルに、出て行けとハンスが迫る。ミッシェルは、住むところもないし、失明すると語る。眼が見えなくなる前に美術館で見たい絵があるというと、ハンスは自分はガードマンだったから夜忍び込めるといい、共に絵を見に行くことを約束する。ponnufu-huns.jpg実はハンスがミッシェルを追い出そうとしたのは、女の浮浪者が不幸になることを自分の妻で知っていたためだった。ハンスは、ホームレス生活は止めて、外で生きろと言った。
次の日からミッシェルとアレックスは睡眠薬を使いカフェや酒場で、周囲の客を昏睡させ財布を盗むようになった。そして、順調に金を増やしたミッシェルは、ある朝、橋を出てどこかに住めると口にする。それを聞いたアレックスはミッシェルの過失に見せかけてその金を川に落とす。怒り、落胆するミッシェル。
ponnufu-muse.jpgそんなある夜、ハンスとミッシェルは約束していた夜の博物館に忍び込み、ロウソクの火でレンブラントの絵を見る。そして、その絵の前で二人は固く抱き合う。
橋に戻ったミッシェルを、どこに行ったのかとアレックスは責め、ミッシェルとアレックスはお互い殴りあう。ponnufu-cut.jpg疲れ果てて共に横たわる、アレックスの腹には自分でつけた傷が血を流していた。その夜、ハンスは川に落ちて消えた。

そんなミッシェルも、彼女の眼が悪くなるにつれアレックスに頼り、二人は一緒だと口にする。益々眼が悪くなったミッシェルとアレックスが、寄り添いながら地下鉄を歩いている時、アレックスはミッシェルの主治医デスターシェ博士が「手術で眼が治るから連絡しろ」と呼びかけるポスターを発見する。そのポスターを剥がしたアレックスだったが、街にはいたるところにそのポスターが貼られていた。
ponnufu-fire.gif

ミッシェルは駅一面に貼られたポスターを燃やし、地上のポスターを追いかけ、ポスター業者のバンに山積みのポスターを発見する。アレックスはそのポスターに火をつけると、消火しようとしたポスター業者も焼死してしまう。アレックスは事件現場から逃げ、ミッシェルの元へ帰る。戻ったアレックスの前でミッシェルのラジオから、ミッシェルを探す主治医の呼び掛けが流れてきた・・・・・


(原題 Les Amants du Pont-Neuf/英語題 THE LOVERS ON THE BRIDGE/製作国フランス/製作年1991/126分/監督・脚本レオス・カラックス)


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ポンヌフの恋人・解説・感想

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実はこの映画を純愛映画だという世評に違和感を持っていたのだが、ふと原題に眼をやったときこれが純愛の物語ではないと確信した。
なぜならその原題は「Les Amants du Pont-Neuf」で、直訳すれば「ポンヌフの愛人」という題となる。

この「Les Amants=ラマン」について、フランス在住のブロガーmoiさんにお聞きしたところ、倫理にもとる意味合いを含んだ「愛人」という言葉が相応しいとのお答えを頂戴しました、謹んで御礼申し上げます。
moi.jpg
moiさん運営のブログ
『パリ生活社ミルクとマカロン2』


フランスとパリの気取らない日常を記してらっしゃいますが、その日常がうらやましいほど豊穣で、思わずフランスに行きたくなる誘惑にかられてしまうブログです。


そんな愛人という言葉に含まれた汚れが、この映画には満ちていると思うのだ。
juponnufu-cat.jpg
このジュリエット・ピノシュ演じるミッシェルの不実さはどうだろう。

ジュリアンという恋人を、殺したいほど求めながら、アレックスの愛情を利用し、あまつさえ自分の愛をもちらつかせる。
このしたたかな駆け引きに、誠という言葉は蜃気楼のようなものだ。

こんなミッシェルの姿を見て、別の映画のヒロインを思い出した。
それは、オードリー・ヘップバーンの演じた「ティファニーで朝食を」のホリーだ。
ホーリーも猫と一緒に、愛を捨ててまで、ニューヨークの町を豊かさを求めて放浪した。
当ブログ関連レビュー:
『ティファニーで朝食を』
オードリーの反資本主義
愛と金のつなひきを描いた映画


実を言えば、誠実さを持ち合わせているのはアレックスの方だ。
ponnufu-pos-fra2.jpg
彼は、痛々しいほどにミッシェルを求めて、すがり付く。
それは最早、愛というよりも、子供が母を求める心理に近い。

このアレックスとは、生まれながら欠落し窮乏している存在だと描写されていると感じる。
その欠落を根源とするイノセントで純粋な渇望は「童貞=ヴァージニティー」の一直線のベクトルを持って、対象=ミッシェルに降り注がれるだろう。

そんなアレックスは、大人の恋愛を経たミッシェルが、自分に物足りないだろう事に気がついている。
ponnufu-alex.jpg彼女が恋人に再会してしまったら、再会せずとも失恋のダメージがなくなれば、さらには金銭的余裕を持って橋の寝泊りが不要になってさえ、もっと言えば性的な満足を得たとすれば、あっという間に自らの元を離れていく運命だと知っている。
つまりアレックスがミッシェルとつながる
手段は、ミッシェルを自らと同じ欠落した者としてとどめる事だった。

ミッシェルが健全になれば、アレックスはミッシェルを失うのである。
ponnnufu-tizu.jpg
本来ポンヌフ橋とは、ノートルダム寺院に程近い大都会パリのど真ん中のシテ島に掛かる橋であり、そのまま健全な世界へとつながる場所であった。

しかし、この映画の改修工事中のポンヌフ橋とは人々の中心に有りながら、絶対的な孤立にあったのであり、それこそアレックスそのものだった。
そんな哀しい橋の上で繰り広げられた、カーニバルのなんと刹那的で狂騒的なことか。
パリ祭の水上スキー

じっさいのところ、アレックスとは全身全霊を込めて、ミッシェルを傷ついた欠落した状態に貶めようと努力する存在なのだ。

再び問う。

ponnufu-pos-fra.jpg
この二人の間にあったものを一体なんと呼ぶべきか・・・・・

とうてい純愛とは呼べないし、恋と呼ぶのもためらわれる。

結局、この壊れた橋の上で繰り広げられた、生まれつき壊れた男が、今壊れた女から「愛=利益」を得ようとする関係とは、足の引っ張り合い、おとしめあいだと感じられてならない。


こんな関係性を持った二人が、パリ祭の花火の中で狂騒的にハシャいでいる姿を見ると、刹那の欲望の交錯した一過性の関係でしか有り得なかったろう。

つまり、”ポンヌフの愛人”という題は、一夜購われた売春的な関係を描いた映画だという意味だったろう。

ponnufu-kai.jpg
しかし、間違えてはいけないのは、買ったのはミッシェルなのだ。

彼女が自らの健全さの、ほんの「一片」をあたえ、
一時アレックスを購ったのだ。

最初から欠落したアレックスという存在こそ、その身も心も売らざるを得ない男娼だったのだ。
つまりこの映画の前半で描かれたのは、ミッシェルの愛人となったアレックスの、捨てられることへの恐れと、精一杯の努力の姿だったと思えてならない。

この映画は、そんな旦那ミッシェルと愛人アレックスの、お互いの利害と欲と情がぶつかり合う、互いを支配しようと格闘する激烈な人間ドラマである。

しかし、これを「愛」と呼べるのかと、再度日本人の私は自問するのだ。
PontNeuf.jpg
本来「愛」とは、相互にとって喜びと平安を与えるもののはずだ。
「愛」によって家庭が形成され、「愛」によって子が育まれ、「愛」によって安心と平静な日々を送れるのではないか?

少なくとも、そんな日々の生活の基礎として「愛」が求められるのではないか。

正直言って、この映画で描かれたのはそんな「愛」の真逆の姿だったとすら感じる・・・・・・

そんな日本的な「」のイメージからすれば、この映画の語るところを上手くアピールしかねて、日本で映画を公開する際に「ポンヌフの恋人」というタイトルに、「純愛」というキャッチコピーを付けて世間に伝播したのだろう・・・・・・・


ponnufu-ame-po.jpgそれはまた、恋愛下手のアメリカでも同じ事のようで、そのポスターを見ると「THE LOVERS ON THE BRIDGE=橋の上の恋人達」で完全に「純愛」路線で訴えてる事がわかる。

しかし、ここに描かれたのは「愛」ではないと思った日本人の私ですら、この映画を最後まで見て思うのは、こんなお互いに殺しあうような「愛」が存在するのかもしれないという恐るべき想定だった。
もしかしたら、フランス人にとっての「愛」は、日本やアメリカで考える愛とは違う形で存在しているのではないかと思い始めたのである。

この映画のように、「愛」がエゴとエゴのぶつかり合いとして現れ、おたがいの全身全霊を注ぎ込み、ドロドロくたくたになって、その果てに両者が朽ち果てるような関係こそ・・・・
真の、究極の、敢えて言えば理想の「愛」なのかも知れないと、そう思いはじめている自分がいる。
そこには、かつてみた映画の影響もあったかもしれないのだが・・・・・
当ブログ関連レビュー:
『それでも恋するバルセロナ』
ウッディーアレンの描く恋愛映画
ラテンの国の愛の形を解説



つまりは、「愛」が日常の一部や水面下にあってはならない人々がいるのだろう。

たとえば、フランス人にとって、それは常に人生の上で響く花火のように、五感に響く存在として輝いてなければいけないのかもしれない・・・・・この映画史上に残る花火シーンを見ながら洗脳されていく自分が怖い・・・・


ホントにラテン系の人ってば・・・・・・

映画のラストに流れる、印象的な曲 レ・リタ・ミツコの歌う「Les Amants」

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以降

ポンヌフの恋人・ネタバレ

とを含みますので、ご注意下さい。
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(あらすじから続く)
自分の眼が直ると知ったミッシェルは、その晩アレックスと共に酒盛りをし、たちまち一本を空にする。そして二本目のワインを空けた時、そこに睡眠薬を混入しアレックスを眠らせた。
深夜眼を覚ましたアレックスは、橋に”アレックス、私は決してあなたを、本当には愛さなかった。私を忘れて”という書き置きを発見した。
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アレックスは自暴自棄になって、ミッシェルの銃で自らの指を吹き飛ばした。
そして、朝が来て警察に逮捕されたアレックスは、懲役3年を言い渡され収監された。
数年後その刑務所をミッシェルが面会に来て、あなたを夢に見た、忘れた事はないと告げ、出所する6ヵ月後のクリスマスの夜、ポンヌフ橋での再会を誓った。
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そんなミッシェルは眼の主治医デスターシュ博士の家に帰り、愛猫ルイジアンヌの名を呼ぶのだった。
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ポンヌフの恋人・ラストシーン

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ポンヌフ橋で再会した二人。昔のように酒を飲み、馬鹿騒ぎをした。
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そして、ミッシェルは言う・・・・もう帰らなければと。
ミッシェル:アレックス、帰らなければ 本当に死ぬほど疲れた/アレックス:それは嘘だ/ミッシェル:何?/アレックス:君は疲れてないだろ。/ミッシェル:いいえ疲れてる/アレックス:近くに小さなホテルを取ってある。ルイジアナという名前で君の猫と同じだ。/アレックス:ベッドで朝食をとろう/ミッシェル:愛してる。でも行かなきゃ/アレックス:どこへ/ミッシェル:そのうち言うわ/アレックス:なんで/ミッシェル:怒鳴らないで!ちょっと事情が・・・・時間がかかるの・・・・今夜は、言わせないで。/アレックス:冗談だろ/ミッシェル:私と付き合いたかったら我慢して。
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アレックスは叫ぶ「イヤだ!嘘つき!嘘つき!嘘つき!ミッシェル!」
アレックスはミッシェルとともにセーヌ川へと身投げした
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そして船に拾われる二人。
ミッシェル:土砂を売ってるの/船の夫婦:いいや、ただ運んでるだけだ。これが最後の旅さ/ミッシェル:どこに行くの/船の夫婦:ルアーブルまで/ミッシェル:ルアーブル。私達ものせてくれる/船の夫婦:なんとかなるよ/ミッシェル:一緒に行っても大丈夫? /船の夫婦:大丈夫だよ
船の舳先にたつ二人
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まだ暗いパリにむかってミッシェルが高らかに宣言する。
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パリよまどろめ!


この二人は地獄のそこまでもアムールを持って突っ走るのだろう。

・・・・・・スミマセンこの映画純愛かも知れません

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posted by ヒラヒ・S at 18:56| Comment(4) | TrackBack(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする