2017年10月29日

イーストウッド映画『許されざる者』西部劇神話の解体/感想・解説・受賞歴

1992年『許されざる者』(感想・解説 編)



原題 Unforgiven
製作国 アメリカ
製作年 1992年
上映時間 131分
監督 クリント・イーストウッド
脚本 デイヴィッド・ピープルズ


評価:★★★   3.0点



この映画『許されざる者』はアメリカ本国で、アカデミー賞他多くの賞を獲得した作品です。
実を言えばその内容は、アメリカ映画の真髄ともいうべき西部劇を、否定し解体させるような一本だと思います・・・・・・・

映画『許されざる者』予告


映画『許されざる者』受賞歴

第65回アカデミー賞・受賞:作品賞/監督賞/助演男優賞/編集賞
第50回ゴールデングローブ賞・受賞:監督賞/助演男優賞
第46回 英国アカデミー賞・受賞:助演男優賞
第67回 キネマ旬報ベスト・テン :委員選出外国語映画第1位/外国語映画監督賞
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映画『許されざる者』感想



この映画は、クリント・イーストウッドがスターとなった、マカロニ・ウェスタンの色よりも、それ以前のハリウッドの古典的西部劇の風格を保持した作品だと感じる。
しかし、そんな作風ながら、伝えているのは伝統的な西部劇の否定であると思われてならない。
この映画を詳細に見てみれば、実に丹念に過去の西部劇のメッセージに、反旗を翻し、馬鹿にし、嘲りさえしている。
この題名『許されざる者』とは、そんな西部劇が高らかに語ってきた男達の主張を、登場人物に擬人化して「許されない」と斬って捨ててるように見える。
つまるところ、この映画は古典的西部劇のテーマを否定する映画として、まずはその姿を現すはずだ。

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映画『許されざる者』解説

西部劇の語るもの



アメリカ映画協会(American Film Institute)は、欧米の映画を、「新しいフロンティアの精神、闘い、そして終焉を具現化するアメリカ西部を題材とした映画」と定義している。

そして、評論家フランクグルーバーは、西部劇の7つの代表的な物語を以下のように整理している。
@ユニオン・パシフィック鉄道の話:鉄道、電信線、または他の近代技術や輸送の建設に関わる物語。駅馬車の物語もこのカテゴリに分類され、西部に文明が広がる姿を描く。
A牧場の話:家畜泥棒や大規模牧場からの脅威に関係し、正当な牧場主が敵を強制的に排除させる物語。
B帝国の話:無から牧草地の大牧場を築いたり、石油帝国を構築する物語。
C復讐の話:往々にして、不当な扱いを受けた個人による、丹念な追跡と反撃が含まれ、また古典的なミステリーの要素も含まれる。
D騎兵とインデアンの話:騎兵隊が、白人の入植者のために荒野を「馴化」、インディアンを駆逐する物語。
Eアウトローの話:無法者のならず者が主役の活劇。
F保安官の話:保安官とその闘いが物語を推進する。

こんな物語の原型が示すのは、荒野と未開の大自然を前に、原住民(インディアン)の抵抗に会いながらも、白人西部開拓者が開拓し繁栄を築いたという、アメリカ大陸での勝利の歴史こそ西部劇が描いて来たものだった。

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つまりは西部劇とは、アメリカ合衆国の神話の創造に他ならない。

またその神話は、食うや食わずの貧困層が、一から成し遂げた奇跡だったはずだ。
それゆえ西部劇は、労働者階級の男達の、時として無法な、闘いや自己主張を描いた物語となる。

実際、開拓時代の西部は、法も未整備で、弱肉強食の、主張した者勝ちの世界だったように西部開拓史の本には描かれている。

それは、極端に言えば、開拓者は「弱い者=インディアン」から土地を奪い、酒場で「弱い者=娼婦」を弄び、その銃にモノをいわせ好き勝手に暴れまわっていた世界なのだ。

しかし、その西部劇の持つ男性的な世界観は、実にアメリカの男たちにとってアイデンティティの根本にあり、男の理想郷としてすら、捉えられているらしい。

そんな、男たちの「理想の王国」を再現したのが「西部劇」であり、その理想の男として憧憬を集めたのがジョン・ウェインに代表される、西部劇スター達だったのだろう。

とにもかくにも、西部劇の本質が「男権的な家父長制」に立脚しており、その映画が表すのは男に都合の良い世界観で構築されているのだという事を押さえてほしい。

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『許されざる者』解説

西部劇の否定


しかしこの映画は、感心するほど丁寧に、古典的西部劇の価値観を、丹念に否定していく。

男権主義の否定


古典的西部劇を踏まえて見た時、この映画はその男性優位の世界を、最初から否定している事に驚かされる。
冒頭のナレーションで主人公マニーを、酔っぱらいの、人殺しだと語り、更にその主人公が「妻=女」によって実直な農夫に変わったと表現される。
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これは、明確に男権社会を女性が切り崩している事を示している。
この「男権社会」の女性勢力による無力化は、主人公だけではなく、そのモーガン・フリーマン演じる、相棒ネッドも同様だ。

彼ネッドが家を出て行くときの、そのインディアンの妻の顔に浮かぶ軽蔑に満ちた表情が全てを物語っている。
つまりは主人公とネッドは「妻=女性」によって失った、西部劇の魂「男権主義」を、家を出ることで取り戻そうとするのだが、主人公マニーはすでに馬にも乗れないほどスポイルされているのだ。
そのことは、この映画の中で最も古典的な西部劇の登場人物である、保安官リトル・ビルが結婚せず自らの手で家を建てようとしてしている描写でも明らかだ。

それゆえ、伝統的な西部劇の登場人物、リトル・ビルは女にスポイルされるぐらいなら、1人で家を営むと言っている。
そして、その企ては家の建築が遅々として進まない事で、無理のある試みだとも語られているだろう。

また象徴的なのは冒頭の娼婦の顔に傷が付けられた事件だ。
この事件の発端は、娼婦がカウボーイの「男性器」を笑った事であり、それはそのまま男権に対する侮蔑であり、それゆえリトルビルは、カウボーイ達に温情を含めた裁決を下すのだ。
つまりは、第一にこの映画は過去の西部劇が語った「男尊女卑」を「男権主義」を否定してみせる。

英雄神話の否定

先に述べた男権主義の否定と関わって、「西部劇」で描いてきた「英雄的=ヒロイック」な行為を否定する。
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つまりは、かつてのアウトローのマーニーやネッドが、実際のところ無様な姿をさらすのもそうだし、ビリー・ザ・キッドのような若いガンマンのキッドが実際は殺人が初めてだったりする描写で、これでもかとばかり過去の「西部劇」の華やかな銃撃戦の虚偽を描き出す。
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更には、保安官リトルビルは伝記作家ブーシャンプに対し、決闘や対決のリアルな実態を暴き、それがそのまま西部劇における華やかなガン・ファイトがフィクションだと言い、それはそのままこの映画の主張に通じる。

そして、その無様なガン・アクションの総括として、「西部劇」で描いてきた銃撃戦とは、単なるぶざまな「暴力」にすぎないとその殺人シーンと、主人公マニーの言葉で語っている。

人種差別の否定


この映画がさらに否定する、西部劇の属性は「人種差別」だ。
かつての「西部劇」は、アメリカ大陸を白人が占拠する事の栄光を謳ったものだった。
そのため本来は犯罪行為にあたる、インディアンを駆逐する過程を、栄光として描いていた。
それは、黒人奴隷制の肯定や、ヒスパニックの差別、娼婦に代表される女性セクシャリティーに対する蔑視をも含んでいた。
保安官リトル・ビルが、ネッドや娼婦たちに見せる行動がそれを象徴している。
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私的権力の否定

「西部劇」の舞台である、西部開拓地は人もまばらで、法制度、社会制度が十分機能していなかった。
それゆえ、男たちは自由勝手に西部の町を、己の腕を頼りに押し渡れた。
しかし無法地帯の混乱を納めるために、各地の集落やコミュニティーは、各地で保安官を任命するなど手立てを講じた。
しかし、それら西部の町での権力とは、公的ルールが未整備なため、往々にして市長や保安官などの私利・私欲を守るための権力の行使となることもままあった。
この映画の保安官リトル・ビルに象徴的だが、しかしこの映画のリトルビルは、例えば『荒野の用心棒』で描かれたような悪人の保安官ではない

むしろ、かつての西部劇が主役として描いてきた、勧善懲悪の正義の保安官として登場していると感じる。
その上で、このリトル・ビルの振る舞いが真に正義と言えるのかと問いかけているのだ。

つまりは、カウボーイは助けるが、黒人を鞭うち、娼婦を蔑む、差別的なキャラクター。
そして、町に銃を入れないという私的ルールに象徴される、権力の専横下。
または、独立記念日に女王の話をしたとイングリッシュ・ボブを責める、愛国的保守性。
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また女王の話をしたな。独立記念日だってえのに!

しかし再び言うが、彼の属性は、かつて描いた「西部劇の正義」をそのまま体現した存在なのである。
その上でこの映画は、彼が悪だと主張しているのである。

つまり、この映画では西部劇で主張する正義の危うさを指摘し、その正義を否定しているのだ。

その象徴がリトルビルが建てている、いつまでも完成しない家であり、この西部劇的な正義に基づく限り、健全な社会は成立し得ないと告げているのである。

このことはクリントイ−ストウッドがジーンハックマンに対し、その役をかつてのロス市警本部長のダリル・ゲイツのように演じてくれと言ったことでも明らかだろう・・・・・・

ダリル・F・ゲイツ(元ロス市警本部長)
unfo-Daryl.jpg1992年4月末から5月頭にかけ、ロサンゼルス市警の黒人逮捕時の暴力に端を発し、ロサンゼルス暴動が発生した。
死者53人、負傷者約2,000人を出し、放火件数は3,600件、崩壊した建物は1,100件にも達した。被害総額は8億ドルとも10億ドルとも言われ、逮捕者約1万人のうち42%が黒人、44%がヒスパニック系だった。
その暴動の際、本部長ゲイツは何ら効果的な手を撃たず、傍観していたと非難された。
この暴動の背景には、ゲイツ指揮下の麻薬取締にかかる、特にマイノリティーに対する差別的な捜査があり、暴力的な嫌がらせ、監視が平然と行われ怒りが蓄積されていたためと言われる。特に1987年4月に始まった、オペレーション・ハマーではアフリカ系アメリカ人やヒスパニック系の青少年を対象として捜査を頻繁に行ったため、1992年のロサンゼルス暴動の原因となった可能性が高いという。


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映画『許されざる者』解説

真に西部劇の否定なのか?

今まで述べてきたように、この映画が過去の西部劇の価値観を、丹念に否定していることは間違いない。
結局のところ、過去のアメリカ社会における問題、人種差別や私的権力の行使による混乱が、西部劇が語る悪しき男権主義にあると告発する作品でもあるだろう。

そして、それはクリント・イーストウッドが古典的西部劇のスターではなかったからこそ、大胆に斬って捨てることが出来たのではないかと考えたりもする。

しかし、どうしても疑問に思う一点が、その結論を導き出すのを押しとどめている。
この映画の最後、10分の決闘シーンが、それまでこの映画の語った「西部劇の否定」とは違うメッセージを発していると思われてならないからだ。

それゆえ、この映画が語るものの個人的な結論は、結末を描いた「ネタバレ・ラスト編」の中で述べるのが適切だと思う。

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2017年10月26日

映画『許されざる者』を巡る西部劇の歴史/感想・解説・クリント・イーストウッドと西部劇

1992年『許されざる者』(感想・解説・西部劇歴史 編)



原題 Unforgiven
製作国 アメリカ
製作年 1992年
上映時間 131分
監督 クリント・イーストウッド
脚本 デイヴィッド・ピープルズ


評価:★★★   3.0点



この映画『許されざる者』はアメリカ本国で、アカデミー賞他多くの賞を獲得した作品です。
実を言えばその内容は、アメリカ映画の真髄ともいうべき西部劇を、否定し解体させるような作品として、一見その姿を表します・・・・・・・
その解体させられた西部劇とは何だったのかを、映画史から探り、更にはクリント・イーストウッドの西部劇が古典的西部劇とは違うという点を検証したいと思います。

映画『許されざる者』予告


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映画『許されざる者』解説

西部劇の系譜


西部劇は、映画の歴史とともにあり、実に映画的なジャンルだと思える。
それゆえ、ハリウッド映画が世界に進出すると同時に、西部劇は世界中に広まり、ついには各国の映画界で自前で西部劇が作られ、このジャンルの伝播・拡散が成された。

○世界初の西部劇


世界初の西部劇は1903年の大列車強盗だといわれます。
"大列車強盗" (1903)

サイレント(無声)映画時代(1894-1927)に、西部劇は人気で盛んに作られた。すでに当時、西部劇のスターとしてトム・ミックスとウィリアム・S・ハートの二大スターが誕生していた。

○トーキー映画の出現と西部劇の衰退


トーキーの出現(1927年)によって西部劇は衰退し、大手映画スタジオは西部劇を作らなくなる。
1930年代後半では、西部劇は弱小スタジオの低予算作製の作品となり、ハリウッドでは三文映画のジャンルと見なされるようになった。

○ハリウッド西部劇・黄金期1940〜1960年代


西部劇の復活は、ユニバーサル映画の1939年製作の『砂塵』が、マレーネ・ディートリヒとジェームズ・ステュアートの二大俳優を起用し、商業的成功を収めたことで始まった。
『砂塵』予告

また、同年1939年にはジョン・フォードの『駅馬車』がジョン・ウェインの主演で作られ、これがその年最大のヒット作となる。
『駅馬車』予告

この映画によって、新人ジョン・ウェィンと西部劇の人気は、不動のものとなった。

以降この黄金期には、ジョン・フォード監督の『騎兵隊』『荒野の決闘』や『捜索者』、ハワード・ホークス監督『赤い河』『リオ・ブラボー』、アンソニー・マン監督『西部の人』『ララミーから来た男』、ジョージ・スティーヴンス『シェーン』、ジョン・スタージェス『OK牧場の決斗』などが生まれ、単純なアクション活劇から脱し、様々な物語の意匠を身にまとい、複雑で詩情を含んだ作品が生み出された。
関連レビュー:古典的西部劇作品
『荒野の決闘』
ジョン・フォード監督
西部劇に詩情を込めた映画


○ハリウッド西部劇の衰退(1960年代〜修正主義西部劇)


1960年代には、アメリカ国内の人権問題の世論が高まり、ネイティブ・インディアンを悪者にする従来の西部劇は描きにくくなり、ついには西部劇の批判を含めた映画が生まれる。
その表れは、早くも1960年ジョン・ヒューストン『許されざる者』で語られた。

このイーストウッド西部劇と同じ名前を持つ映画は、間違いなくイーストウッド版に影響を与えていると思う。

関連レビュー:1960年の修正西部劇
『許されざる者』
ジョン・ヒューストン監督
西部劇の懺悔を込めた映画

更に1960年代を通じ古典的西部劇は衰退し、反西部劇的主張は1970年の『小さな巨人』、『ソルジャー・ブルー』によって、決定的に宣言された。
以降、製作されたハリウッド製西部劇は、例えば古典的な要素を含んでいても、コンテンポラリー・ウェスタン(現代西部劇)と呼ばれる。

○1970年以降の西部劇/マカロニ・ウェスタン


本家アメリカで西部劇が衰退する中、マカロニ(スパゲッティー)・ウェスタンが西部劇に新しい息吹を吹き込む。
関連レビュー:マカロニ・ウェスタンの誕生
『荒野の用心棒』
セルジオ・レオーネ監督
クリントイーストウッド主演映画

そもそも、アメリカ以外の西部劇も1960年代には欧州でユーロ・ウェスタンが、盛んに製作されていた。
その一部としてイタリア製西部劇があったが、その独特の世界観によって世界に強い衝撃を与えた。
そして、逆輸入の形でハリウッドの西部劇にも影響を与えた。

○黒澤明と西部劇


因みに西部劇の影響を受けて撮られた映画の例として、ジョン・フォードに心酔していた黒澤明を上げないわけにはいかない。
そしてまた黒澤明の『用心棒』『椿三十郎』『七人の侍』は、明らかにマカロニ・ウェスタンと本家のウェスタンに強い影響を及ぼした。
関連レビュー:チャンバラ西部劇の誕生
『七人の侍』
黒澤明監督作品
西部劇へのリメイク多数の傑作

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映画『許されざる者』解説

クリント・イーストウッドと西部劇



実は、クリント・イーストウッドは、古典的な西部劇で主役を張るスターではなかった。
売れない役者だった彼を救ったのは、イーストウッドが28歳の時に手にした、TVドラマのウェスタン『ローハイド』のロディ・イェーツ役だった。
そのTVシリーズのおかげで、彼の名前は世間に知られるようになり、プールつきの豪邸を手に入れたという。
『ローハイド』第4シーズン21話「はるかなる夢路」
【意訳】紳士淑女の皆さん、ジニー嬢がいつも愛している歌を歌います。

しかし、『ローハイド』の出演が3年目を向かえ、『ローハイド』自体の人気が落ち始め、週一の放映が月一になってしまう。それに伴い、イーストウッドのギャラも少なくなっていた。

また、アメリカの俳優は映画に出るか否かでステータスに天と地ほどの差もあるため、イーストウッド自身にも、このままではTVスターとして終わるという焦りもあったのではないか。

そして『ローハイド』がまだ放映中の1963年、クリント・イーストウッドの元に映画のオファーが入る。
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その当時は無名だった映画監督、セルジオ・レオーネの映画『荒野の用心棒』の出演依頼だった。

当初、気乗りしなかったイーストウッドも、黒澤明の『用心棒』のイタリア版リメイクだと知って興味を持ち、出演を受諾したという。
このレオーネとイーストウッドのコンビは、以後『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』をリリースするが、この一連の映画が持つテーストは本家のアメリカ製西部劇とは異質な味わいを持っている。


unfo-fistfull.jpg個人的には、マカロニ・ウェスタンが持つ高い刺激性(暴力シーン・欲望の顕在化)は、西部開拓の歴史事実を考慮せずに、ドラマを構築する事が出来たからこそ可能になった、映画表現ではないかと感じられる。
つまりは「根も葉もない絵空事」だからこそ、過激なシーンを描き得たのだろう。

結局、マカロニ・ウェスタンの本質とは、現実世界に依拠しないファンタジーとしての「おとぎ話の残酷」を表現したものだと個人的には信じている。
それゆえ、人間的な価値「真・善・美」を超越し、冷酷な暴力世界が表現できた。
そういう点では、イーストウッドが「マカロ二・ウェスタン」に出た事の重要性は、強調しても強調しすぎることはないだろう。

たとえばジョン・ウェインやヘンリー・フォンダのような俳優の演技は、古典的な西部劇が求める開拓者の喜怒哀楽を表現するため、ウェットな情感を必要としていた。
もし彼らが演じたとすれば、1963年時点ではその演技は、決して血も涙もない暴力刺激を表現することは無かったに違いない。
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やはりクリント・イーストウッドのどこか虚無的でクールな佇まいが、よりマカロニ・ウェスタンの『おとぎ話』の残酷を、陰惨に無慈悲に強化したはずだ。
そして、以後マカロニ・ウェスタンの演技のスタンダードが、イーストウッドによって確立させられたと感じられる。

しかしそれは、イーストウッドの演技が、ハリウッド製ウェスタンの本流とは違う事も意味していたはずだ。
そしてその事実が、この映画『許されざる者』のドラマに重要な意味を持っていると信じる。


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posted by ヒラヒ・S at 17:13| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月24日

ジョン・フォード映画『荒野の決闘』西部劇の古典/感想・あらすじ・ネタバレ・ラスト解説

1946年『荒野の決闘』アメリカ国民の神話



原題 My Darling Clementine
製作国 アメリカ
製作年 1946年
上映時間 97分
監督 ジョン・フォード
脚本 ウィンストン・ミラー、サミュエル・G・エンゲル
原作 スチュアート・N・レイク:『WYATT EARP FRONTIER MARSHAL』


評価:★★★★   4.0点



この映画は「古典的な美」という点で、ハリウッドの映画様式を代表する一本だと感じます。
マカロニウェスタンを知っている、今から見れば、刺激が少ないし、地味だと感じるでしょうが、実を言えばこの映画こそ西部劇の古典であり、本来の西部開拓を描いた一本と言えると思うのです。
そういう意味では、西部劇を理解する作品として、映画史的に重要な一本だと言えるでしょう。

映画『荒野の決闘』あらすじ・ストーリー


1882年のトゥームストンという町近く、ワイアット(ヘンリー・フォンダ)、モーガン(ワード・ボンド)、バージル(ティム・ホルト)、ジェームズ(ドン・ガーナー)のアープ兄弟は、カリフォルニアまでメキシコで買い付けた数千頭の牛を移動させていた。Clem-clant.jpg
そこでクラントン一家の当主オールド・マン・クラントン(ウォルター・ブレナン)と長男のアイク(アラン・モーブレイ)に出会い牛を売れと言われ、ワイアットは断る。
その夜、四男のジェームズを牛の見張りに残し、町に兄弟が出かけた。しかし帰ってみると牛の群れはいなくなり、射殺されたジェームズの遺体が雨にうたれていた。ワイアットは町に取って返すと、彼が有名なダッジシティの保安官だと知った町長から依頼された、保安官就任を受諾する。
clem-doc.jpg保安官になったワイアットはギャンブラーでガンマンのドク・ホリディー(ヴィクター・マチュア)と友人になり、ドクに思いを寄せるチワワ(リンダ・ダーネル)とも知リ合う。
しかし、町ではクラントン一家が無法な振る舞いをし、ワイアットは彼らが牛と弟の命を奪ったと疑っていたが証拠がない。
そしてある日、町の酒場でアイクが銃を抜いたため、ワイアットは彼を殴り倒した。

オールド・クレントン:保安官お詫びする。ちょっとウィスキーを飲みすぎたようだ。/ワイアット:そうだな。彼らには他の楽しみが必要なようだ。ソーンダイクさん劇場に一緒に行こう。オールド・クレントン:もし、銃を抜くんだったら殺せ。

こうして両者の対立はより深くなっていった。
トゥームストンはワイアットの力で落ち着き、東部から学校の教師クレメンタイン(キャシー・ダウンズ)もやって来た。彼女はボストンから恋人のドク・ホリディを追って来たのだが、ワイアットが彼女に一目ぼれする。
ドクは死病の結核を患っているため、クレメンタインと再会したが拒絶する。
町を去ろうとしたクレメンタインだが、日曜の礼拝と、町の人々が集まるダンス・パーティーにワイアットと参加し、2人の間に好意が芽生えた。

バイオリン弾き:ちょっと待った。下がって場所を作って。我らの新しい保安官と、このレディーに。(2人踊る)/モーガン:うわ、何てこった。

しかし、ドクはクレメンタインが町に残ることにいら立ち、自分が町を去った。
それを知った、ドクに思いを寄せるチワワは、クレメンタインに食って掛かった。
そのチワワの胸に、死んだ弟ジェームズの純銀の首飾りが下がっているのに、ワイアットは気付いた・・・・・・・・・
(ネタバレ・ラストは記事の最後にあります)


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映画『荒野の決闘』感想



アメリカ人にとっての西部劇とは、実はアクションドラマと言うよりは、アメリカ開拓の歴史を描いた開拓民のドキュメンタリードラマとしての面が、そのドラマの基礎としてあると感じます。

この映画は「OK牧場の決闘」として西部の伝説となっていた事件を、監督のジョン・フォードが当時存命のワイアット・アープに直接取材した内容を反映させているとの事で、いわば歴史的事件の記録映画の側面もあります。

けっきょく、この映画で描かれた地味な決闘ですら、西部での大事件だったという点を考えれば、事実がもつリアリティーを感じます。
clem-pos1.jpgつまりこの映画が表している西部開拓の歴史事実と言うのは、人々は基本的に穏やかに慎ましく暮らしたいと思っており、その平穏に喜びや希望を持っているにも関わらず、時として平静が乱され「決闘」という命の奪い合いが発生してしまうという、今にも通じる真理だったはずです。

実際は、歴史的な事実関係の詳細はケヴィン・コスナー『ワイアット・アープ』が正しく伝えており、その映画を見れば単純な勧善懲悪の物語ではなかったようです。

しかし、西部に実際に起きた事件を題材として、ジョン・フォード監督がこの映画の「勧善懲悪」を描き、西部開拓の中の「ロマンス」や「友情」を描いたことで、西部劇がアメリカ国民の精神的なバックボーンへと変換し得たと思うのです。
この映画によって、初めて西部開拓時代の開拓民たちの心情を、リリカルに描き、詩情が表現されました。

そんなことを考えると、この映画以降の古典的なハリウッド西部劇は、西部劇の史実を踏まえつつアメリカ国民のアイデンティティに訴える「西部劇神話」となっていったのではないでしょうか・・・・・・


そういう意味で、この映画は「荒野の決闘」という刺激的な日本題で誤解されかねませんが、実は西部開拓に伴うアメリカ人の実直な生活の記録であり、アメリカ人の荒野を切り開いた事実の讃歌として描かれた作品だったように思います。

そう考えれば、人々が切り開いた地平に広がる希望を象徴する、クレメンタインという女性を愛するという原題「愛しのクレメンタイン」の方が、誤解が少なかったように思います。

けっきょく、この映画で現された西部開拓の叙事詩よりも、西部劇の派手な決闘シーンが人々の印象に残るのは、映画という視覚芸術が持つ宿命だったように思います。
その事実は、クロサワ映画、マカロニ・ウェスタンを通じて証明されているでしょう。

関連レビュー:黒澤明の侍西部劇
『七人の侍』
砦を守るアクション大作
映画史に残る傑作


関連レビュー:マカロニウェスタンの傑作
『荒野の用心棒』
セルジオ・レオーネの歴史的傑作
クリント・イーストウッド主演


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これ以降

映画『荒野の決闘』ネタバレ

があります。ご注意ください。

(あらすじから)
実は、チワワに首飾りを送ったのは、ビリー・クラントンだった。ビリーは露見を恐れて、チワワを銃撃し逃げ去った。そのビリーの後をワイアットの弟バージルが追う。
Clem-bed.jpgチワワは瀕死の重傷を負うが、かつて医者だったドク・ホリディーが手術した。
しかし、町に銃声が響き、ビリーを追ったバージルの死体が、道に捨てられた。
そしてワイアットに向かって「OKコラルで待っている」という言葉を残し、クラントン一家は駆け去って行く。
そして、手当ての甲斐なくチワワは死んでしまう。
翌日、ワイアットは逮捕状を以てクラントン牧場・OKコラルへと向かった。
モーガンとホリディも同行し、ついに対決の時は来たのだった・・・・・・・・・

映画『荒野の決闘』ラスト・シーン




映画『荒野の決闘』評価



冒頭でも申し上げた通り、この映画が歴史的に重要なのは、単純なアクション活劇だった西部劇に、情感と詩情を持たせ、西部開拓時代のアメリカ人の姿を美しく描いたためでした。
しかし、現代の視線で見ると「刺激」が少ないことは否めません。
それゆえ、私個人としては、映画的な評価として★3.0で、歴史的評価として★1.0をプラスしました。 

映画『荒野の決闘』主題曲

『愛しのクレメンタイン』



映画『荒野の決闘』出演者

ワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)/チワワ(リンダ・ダーネル)/ドク・ホリデイ(ヴィクター・マチュア)/クレメンタイン(キャシー・ダウンズ)/オールドマン・クラントン(ウォルター・ブレナン)/モーガン・アープ(ワード・ボンド)/グランヴィル・ソーンダイク(アラン・モーブレイ)/ヴァージル・アープ(ティム・ホルト)/ジェームズ・アープ(ドン・ガーナー)/ビリー・クラントン(ジョン・アイアランド)


posted by ヒラヒ・S at 17:35| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする