2017年08月07日

映画『或る夜の出来事』1934年製作ラブ・コメディーの古典/詳しいストーリー・あらすじ・出演者

『或る夜の出来事』(ストーリー・あらすじ編)



原題 It Happened One Night
製作国 アメリカ
製作年 1934
上映時間 105分
監督 フランク・キャプラ
脚色 ロバート・リスキン
原作 サミュエル・ホプキンス・アダムス

評価:★★★☆  3.5点



この映画は、映画史上初のラブ・コメ、ハリウッドで言うところのロマンチック・コメディーだと断言しちゃいます。
ハリウッドを代表するスター、クラーク・ゲーブルのキャラクターが最も活かされた作品だとも思います。
第7回のアカデミー賞でオスカー史上最多受賞を果たした、ハリウッド黄金期の歴史的古典作品です。

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『或る夜の出来事』あらすじ



マイアミ港に係留された豪華ヨットの上では、銀行家の大富豪アンドルース(ウォルター・コノリー)が、一人娘エリー(クローデット・コルベール)に困り果てていた。
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エリーは父の承諾を得ずに飛行家キング・ウェストリー(ジェームスン・トーマス)と結婚をしたため、船に監禁し説得をしていた。
しかしエリーは、頑として受け付けずハン・ストさえ始めたのだ。
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ついには、娘はヨットから海に飛び込み、逃亡してしまった。

エリーは追跡者を避けるため、庶民が旅行に使う長距離バスに乗った。
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そのバス発着所には、本社とケンカしクビを言い渡された新聞記者ピーター・ウォーン(クラーク・ゲーブル)がいた。

ピーターとエリーはニューヨーク行きのバスに乗り、隣り合わせに座ることになったが、お互い好感を持てずギクシャクしていた。
そのバスが休憩で停車した時、エリーはトランクを盗まれてしまい、持っているのは切符と4ドルを残すのみとなった。
ピーターは親切心でいろいろアドバイスをするが、エリーは騒いで見つかることを恐れ、私に関わらないでと彼に言い怒らせた。
バスは夜を通して走り続け、早朝ジャクソンビルに到着し30分の休憩になった。
お嬢さん育ちでワガママのエリーは、私が戻るまで待っていてとドライバーに言って、50分後に戻ってきた時にはバスは出発した後で、次の便は夜8時だと言われ途方にくれる。
そんなエリーに、ピーターが声をかけた。
彼はエリーがバスの切符を座席に忘れてるのに気付き、渡そうと待っていたのだった。
そしてピーターは、エリーの父アンドルースが、1万ドルの懸賞金をかけ娘の行方を捜索させていると教えた。
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ピーターはプレイボーイの飛行家キング・ウェストリーは最低の女タラシだと言い、父の元に帰れと薦めるが、エリーは拒否した。
そして去ろうとしたピーターに、エリーは「1万ドルを私があげるから父に連絡するな」と言った。
それを聞いてピーターは怒り、「甘やかされて何でも金で買いたがる。人間性のかけらもない。」とエリーに怒鳴った。

しかし、そう言いながら、ピーターは自分をクビにした編集長宛に電報を打ち、エリー発見のスクープ記事があると連絡した・・・・・・・・・

その、夜に出発する大陸間バスには、エリーとピーターの姿があった。
しかし、大雨で道路が塞がれバスが立ち往生し、ピーターは金のないエリーのために夫婦と偽って近くのモーテルに一部屋借りた。
しかしエリーは同じ部屋で寝ることに文句を言うと、ピーターは下心は無い、ただ記事を書かせてほしいと言い、もし断るなら父親に連絡すると脅した。
エリーは外の大雨を見てついに諦めて、同じ部屋に泊まる事になった。
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ピーターは、部屋にロープを張りシーツで目隠しをし、ジェリコの壁だと言った。(聖書に出てくる絶対崩れない壁。ただし最後にはトランペットの音で崩れたという)

翌朝、朝ごはんを作り服にアイロンをかけてくれたピーターに、エリーは素直に感謝を覚えた。
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そんな所に父の追っ手の探偵が探しに来たが、ケンカ中の夫婦を装って誤魔化した。

見つからない娘に焦燥を募らせる父は、更に新聞・ラジオで大々的に告知し、ついにバスの乗客の一人が気付く。
ピーターは、ギャングのふりをしてその男を追い払ったが、バスで旅することは危険だと知り、エリーと共にバスを降りた。
しかし、手持ちの金を使い果たした二人は、干草をベッドに野宿した。
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そんな二人は、共に行動するうちに反発しつつも、惹かれあうようになる。
翌朝、ピーターは畑から抜いたニンジンを生のままかじり、エリーにも薦めたがエリーはイヤだと食べなかった。
二人は、車をヒッチハイクしてニューヨークを目指した。


しかし、乗せてくれたドライバーは、親切なふりをした泥棒だった。
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ピーターはドライバーを倒し、逆に車を奪いニューヨークにエリーと向かった。

その頃、娘を心配した父親は結婚を認める決心をし、飛行家キング・ウェストリーと和解し、それを新聞でも報じた。
エリーはその新聞を見たが、ニューヨークまで3時間の所で泊まると言って、ピーターを困惑させた。
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その晩モーテルの一室で、ジェリコの壁を挟みながらエリーとピーターは、恋について語った・・・・・・・

ピーターは愛する女性を太平洋の島に連れて行きたいと語る。

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するとエリーはジェリコの壁を越え、私をそこに連れて行って、あなたを愛しているとピーターに訴えた。

しかし、ピーターは抱きつくエリーに「ベッドに戻れ」と言った。

しかし、涙ながらに寝入ってしまったエリーの顔を見ながら、ピーターはある決心をしていた・・・・・・・

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『或る夜の出来事』予告

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『或る夜の出来事』出演者

クラーク・ゲーブル(ピーター・ウォーン)/クローデット・コルベール(エリー)/ウォルター・コノリー(アンドリュース)/ロスコー・カーンズ(シェプリー)/ジェムソン・トーマス(ウェストリー)



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2017年08月04日

『リリイ・シュシュのすべて』岩井俊二監督の中二病レクイエム/ネタバレ・ラスト・結末感想

『リリイ・シュシュのすべて』(ネタバレ・ラスト 編)



英語題 all about lily chou chou
製作国 日本
製作年 2001
上映時間 146分
監督 岩井俊二
脚本 岩井俊二
音楽 小林武史

評価:★★★★  4.0点



岩井俊二監督作品の映像美と叙情性が、透明な光となって全編を覆い、一種宗教的な荘厳さを生んでいると感じる。
あたかも、この映画の陰惨な、悲劇的なドラマを救うためにために垂らされた、天上からの一条の糸のように。

14歳の市原隼人が映画初出演で演じ、蒼井優も当時15才で私物の携帯を作中で使うなどして、作品世界にリアリティーを与えている。
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『リリイ・シュシュのすべて』予告

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以降の文章には

『リリイ・シュシュのすべて』ネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。
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(あらすじから)
lili-enko2.png星野修介から援助交際を強いられている津田詩織は、監視役として共に行動する雄一と遠慮なく話せる中になっていた。
雄一は、詩織がクラスの男子の告白を断ったのを知って、「あいつなら星野から守ってくれるのに」と言うが、詩織は自分を卑下し取り合わない。

そして、星野達に暴行を受けた、雄一が思いを寄せる久野について、詩織は「久野さんは強いから大丈夫」だと語った。lili-skin.jpg
暴行を受けてから久野は、学校を休んでいたが、ある日、頭を丸刈りにした久野陽子が登校した。


クラスメイト達はそんな彼女を、茫然と見つめるのだった。

そんな中、リリイの掲示板『リリフィリア』では「雄一=フィリア」が救いを求め叫び、それに「青猫」が呼応し、両者は互いに共感し深く強く結びついていった。

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しかし、冬の夕暮れ津田詩織が投身自殺した。


雄一は授業中に嘔吐し、運ばれた保健室で「耳の中の音がうるさい」と呟いた。


そんな時、リリイ・シュシュのライブが開催され、雄一もライブへ向かった。
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そこで雄一は予期せず星野と出会い、チケットを奪われ、コンサートを見れなくなった。
そんな星野は青林檎を持っていた。
掲示板『リリフィリア』で青林檎は青猫がライブ会場で目印に持って行くと言っていたものだった。

青猫は星野だったのだ。
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雄一は星野にチケットを取られ、リリイのライブ会場の外で立ち尽くしていた。
ライブが終わって星野が出て来て「まだいたのか」と雄一を嘲笑し、立ち去ろうとした。
その時、雄一は大声で「リリイがいた」と叫ぶ。
群衆はリリイを求めて混乱し、押し合いへし合いのすえ、怒号が飛び交った。
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雄一はそんな中、星野の背後に回り、ナイフで彼の背中から刺し殺した。

ネット上では「誰がエーテルをよごしたのか」「騒動のせいでリリイには、不吉な女というレッテルが貼られてしまった。」「犯人はまだ捕まっていない。」と文字が明滅した。


時は流れ、雄一中学3年の春。
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彼は陽だまりの中ピアノを弾き、母親に頼んで髪を茶に染めてもらった。
学校では担任教師による的外れな学習指導が有る。

音楽室では、久野陽子が弾くピアノの音が、静かに響いていた。
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『リリイ・シュシュのすべて』ラストシーン

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『リリイ・シュシュのすべて』結末感想



この映画は、14歳を生き延びて、15歳になる2人の姿でエンディングを迎える。
エンディングの前には、担任教師による面談シーンで、彼ら14歳の事情を何も知らない大人達の無知が露呈している。
この主人公の少年は、事件をどう思っているのかと想像してみる。
多分後悔はないだろう。lili-pos3.jpg
なぜなら、彼が殺したのは、自分自身だった。
反抗を禁じられ、仮想空間に裏切られ、救世主リリイ・シュシュも幻想だと知った14歳は、自らの「14歳という現実=リアル」に現実世界で向き合い、自らの過去を葬ったのだ。

この自分自身との対峙とは、この映画の14歳達が共通して持つ戦いだった。

よくよく見てみれば、投身自殺した津田詩織は、現実世界をより良く生きるチャンス(男子生徒の告白)を放棄した。
また、いじめの首謀者星野にしても、自らを現実世界に置くことの忌避が、いじめという一種の自傷行為を生んだように感じる。
そう思えば、津田詩織にしても、星野にしても現実世界にいる事を拒否し、自らを現世から消したかったのだろう。

それに対し、雄一はギリギリの所で、現実世界にその身を留めるため、現実と戦う気力が残っていた。
久野にしても、その命をつなぎとめたのは現実に対して、自らスキンヘッドにするという反撃を見せたからだ。
つまりは14歳同士の、共食いは「現実世界により関与」した者が生き残ったのだ。
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再度問いたいのだが、こんな14歳同士がお互いを傷付け合うような事態に、誰がしたのか。
この映画の14歳達は、仮想世界や、幻想世界では、最早救い得ない。
この少年少女達を救う責任は、間違いなく大人にあると信じる。
しかし、今となってはこの国の、脆弱な大人達は彼らを救い得ないのではないかと、自嘲と共に思う。

もはや希望は、この14歳の地獄を生き延びた少年少女達が成長し、この現実世界に関与し変革せしめること以外に、救われる道はないかもしれない。
あたかも久野が、醜い現実世界を自らの清澄なピアノで浄化する、この映画のラストのごとく・・・・・・

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『リリイ・シュシュのすべて』サントラ集


飛べない翼

飽和

ドビュッシー、アラベスク1番



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posted by ヒラヒ・S at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

『リリイ・シュシュのすべて』岩井俊二の仮想と現実/感想・解説・中二病

『リリイ・シュシュのすべて』(感想・解説 編)



英語題 all about lily chou chou
製作国 日本
製作年 2001
上映時間 146分
監督 岩井俊二
脚本 岩井俊二
音楽 小林武史

評価:★★★★  4.0点



現代という時代を最も反映する世代とは10代、さらに言えば思春期の、いわゆる「中二病」の少年少女達に特徴的に表れるのではないだろうか。
そんな鋭敏な感性を持った中学生の、震えるような、過敏な、剥き出しの、研ぎ澄まされた神経に刺さった「今」が、痛々しくも、美しい輝きとなって、この映画に定着されていると思う。
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『リリイ・シュシュのすべて』予告

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『リリイ・シュシュのすべて』感想

監督岩井俊二


この映画で語られる物語は、中学2年生の男女生徒たちの悲劇だ。
見終わっても爽快感も幸福感も感じられない、暗く辛いドラマだ。
イジメられた経験を持っている人間は、見るのが耐え難いだろうと思われるので、お勧めできない。
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しかし、そんな救われないストーリーを見続けさせる力が、この映画の監督・岩井俊二(右:写真)の映像美にはあると、個人的には感じる。

岩井俊二の映画を見るとき、その映像の透明感、空気感の鮮烈さに打たれる。
その映像詩とでも呼ぶべき、ヴィジュアルの美しさが彼の映画の基調にあると思う。
そんな映像詩的な特徴が、最も端的に表れた作品として『四月物語』がある。
この愛らしい短編作品を見れば、この作家のスタイルが自分の嗜好に合うものか、見極め易いのではないだろうか。
関連レビュー:岩井俊二監督作品
『四月物語』
北海道から上京した女子大生の春
松たか子主演の映像抒情詩

しかし美しい映像を撮る作家は、ややもすればビジュアルを優先し、物語ることが不明瞭になる傾向があるだろうし、それは岩井作品にも共通する特徴だと感じる。
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そしてまた、この映画は他の岩井作品と較べて、明確なメッセージとストーリー性がある映画でもある。
それゆえこの映画を見ると、ストーリーの説明の省略や、映像に説明を仮託しすぎていたりし、その結果として物語が不明確で、作品時間が長くなっているとの印象を持った。

ややもすると、この映画のビジュアルに美を感じない観客や、「ハリウッド的」なストーリー展開を中心にした映画を求める観客には、この表現スタイルに違和感や不充足を感じるかもしれない。
しかし、この映像の持つ美しさに心打たれ観客にとっては、間違いなく大事な作品として胸に刻まれる一本となると思う。

個人的な意見を言わせて頂ければ、岩井作品の中ではこの『リリイ・シュシュのすべて』が、今現在、最も愛する映画である。

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『リリイ・シュシュのすべて』解説

思春期「中二病」



この映画を見て、14歳・中学二年という年代の危うさを思った。
Film2.jpgいきなりだが、動物の世界では、親が成長した我が子を自らの縄張りから追い出す「子別れ」を経る。
子を自立させるため、育て始めてから一定の期間が経過すると、親が子に憎悪を覚えるようにプログラムされてるらしい。
人間においては、親から子が独立し大人になる時、自分なりの価値観を構築するのがが14歳前後の思春期であり、その時期は親の価値観を検証し、自らの価値観を構築する時期としてある。

そして、人間の場合は動物と違い「子が親」を憎む「反抗期」という形で、精神的自立を勝ち取らなければならない。
この時期の主要な目的は、親の価値観からの離脱、ひいては社会規範からの離脱によって、子が自主的な判断を下せるよう「自己の価値観の確立」をすることにある。

従って、思春期における反抗期とは基本的には人の精神的成長過程の表れとしてあったのであり、それは現代において「中二病」と名は変えても共通してある過程のはずだ。
従って、この映画の「14歳の苦悩」という事象は、人間という生物の成長過程に必然として、過去も存在し、そしてたぶん未来にも存在するだろう。
lili-pos5.jpgしかし、同時にこの「14歳の苦悩」は時代や社会の条件によって、その現れる姿が違うようにも思う。
例えば、1970年代の中学生は対教師暴力が多く、生徒間暴力が少ないという。
それは権力者に対し反抗するという形で自己確立を目指したと推測する。

これが、1980年代に入ると、対教師暴力と生徒間暴力の両方が増え、殺人が起こり、いじめが多くなり、家庭内暴力が事件となるなど、その内容が変化する。
勝手に解釈すれば高度成長期を経て、社会矛盾が解消されるにつれ、その反抗の対象が曖昧になり拡散していいくような印象がある。

そしてこの1980年代を通じて、校内暴力が吹き荒れ、窓ガラスが割られ、教室が破壊され、遂には警察が学校に介入する事態にまで至る。
その対抗策として文部省は「生活指導の強化」を打ち出し、生活指導の場に体育会系教師の強権的な取締まりが多くなり、従わない生徒に対しては体罰も辞さず、教師が閉めた学校の門扉に挟まれ生徒が死亡する事件まで起きる。
そして、この校内暴力に対抗した強引な「管理強化」は、校内暴力を鎮静化させはしたものの、イジメの増加と不登校を生み、遂には自殺者を出す事態に至る。
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すると1991年、文部省は偏差値制度の廃止と「新しい学力観」と銘打ち、生徒の全人格を学校が評価する仕組みを作る。
この「新しい学力観」によって、日ごろの授業態度や、道徳観、生活習慣が、教師の価値観を元に点数化され、その点が高校進学の際の評価に関わる以上、生徒は学校の顔色を見て「いい子」にしている事を強いられる。
こう見てくればこの映画に出てくる、現代の生徒間暴力、いじめ、不登校、殺人、自殺の、陰惨で悲劇的な事件が発生するようになった原因は、1980年代から始まった管理強化の強さに比例して増えたと見たくなる。
単純に言えることではないだろうが、個人的な印象では、本来14歳は「親・教師」という権威に反抗し、自己を証明すべきであるのに、その「新しい学力観=全人格的評価」によって、学校に対する反抗の道を奪われストレスを募らせていった結果ではないかと思えてならない。

Film.jpg最近の10代にとって「空気を読む」事が生きて行く上での必須要素となったのも、常に他者からの評価を気にせざるを得ない「思春期の学校評価制度」の変容に、原因の一端があるのではないだろうか。
いずれにしても、この映画の少年少女達の悲劇は、彼らの罪ではなく大人達の責任であったろう。
この映画に登場する14歳は、加害者にしても被害者にしても、結局ある種相似形の犠牲者として存在しているように思えるのだ。

そういえば、この映画を傑作だと書いている小説を思い出した。
その小説は朝井リョウ著『桐島、部活やめるってよ』であり、作中で映画部の前田涼也が『リリイ・シュシュのすべて』を絶賛するのである。

これは想像だが、この映画が描きだした14歳のリアリティーは、高校生達のスクール・カーストを必死に生きる、朝井リョウの小説の原型として存在しているように思う。
関連レビュー:高校生のリアル
『桐島、部活やめるってよ』
現代の青春を描いた小説・映画
スークールカーストの生存圏


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『リリイ・シュシュのすべて』解説

仮想と現実


この映画の救いの無い14歳の姿が、上で述べた大人達の所業の結果だとすれば、それは子供たちが解決する筋合いのものではない。

彼らを救う責任は大人にある。

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つまり、この映画の14歳がどうしようもなく悲劇的なのは、彼らの苦悩を救う大人が不在だからだ。

この映画は、そんな大人たちが救わない結果として、14歳の現状がどうなったかを世間に知らしめるために、安易に彼らが希望を見出す描写を拒絶し、物語を漂うような絶望のうちに終わらせている。
またここでは、現実世界の苦悩を、仮想世界で解消しようという試みが語られる。

主人公の雄一は打つ『リリイ・シュシュだけがリアル』と、そしてそれに呼応するネット上の声が交錯する。
しかし結果的に、ネット世界で彼は救われなかった。
さらに言えば仮想世界と一体となった、歌手リリイ・シュシュに求めた救いも破綻する。

この「リリイ・シュシュ=アート=創作物」が無力だという描写に、個人的には強い衝撃を受けた。
しかし、映画の冒頭「彼女が生まれたのは1980年12月8日、ジョン・レノンが射殺された日と同じ。この偶然の一致に意味はない。僕にとって意味があるのは、彼女が誕生したという事だけ。」と語られる。
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つまり、リリイ・シュシュというアーティストは、かつて世界を歌で変革したジョン・レノンのように、現実に関与する力を持ち得ていない存在だと、宣言されているように思える。
このアーティストが現実を救い得ないという表白は、現代を生きる作家・岩井俊二にとっても苦い刃となって自らに返ってくるだろう。


だが間違いなく、映画を見る限りこの美しく透徹したリリイシュシュの歌声も、彼ら中学生を救い得なかった。
仮想世界でつながり、作品世界で輝いた存在は14歳の彼らに生きる力を与えなかった。
この表現が示すのは、やはり仮想世界と現代アートの限界を語ったものだったろう。

lili-aoi.jpgだとすれば、この映画の持つ美しさとは、大人が原因で傷つき血を流し続ける、現代の中学生たちのための鎮魂の歌であり、これまで犠牲になって来た「中二病」患者に対する懺悔であるように思えてならない。
彼ら14歳が、自らの罪に因らず苦しみと絶望の果てに命まで投げ捨てるとき、その魂に捧げられた美しい献花のように、この映画は静謐な輝きを放っていると感じる・・・・・


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posted by ヒラヒ・S at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする